闇黒日記

平成十五年八月三十日
誰かPC WAVEの創刊號を呉れないかな?
平成十五年八月三十日
@IT:特集 サイトの更新情報を提供する標準言語RSS
XMLの偉い人、株式会社ピーデーの川俣晶さんによる記事。
平成十五年八月三十日
東浩紀って誰? 1 :2003/08/28 23:09 @ [simpl-é-blog]
ARTIFACT −人工事実− | Weblogクリップ
あのですね。

平成十五年八月二十九日
澁谷東急東横の古本市では二十二册購入。半分位現代教養文庫。寺田透二册。アラン二册。
訂正。アラン三册。訂正しても讀者を裨益するところはないし、訂正せずにゐて迷惑をかける事もない譯だけれども、一應。

平成十五年八月二十八日
つくられた日本語、言語という虚構 ―「国語」教育のしてきたこと― 鈴木義理 著 目次
本屋で見かけて最初の邊をちよつと讀んだのだけれども、「國語なんて解り切つたものを改めて教へる/學ぶ必要はない」「正しい國語と云ふ觀念は幻」「古文を現代の發音で讀む意味はない」と云ふ主張があつたのであきれた。
近代以來の日本人の学問――殊に言語學は、全て西歐のものの受賣りだと言はれるが、鈴木氏や中澤氏の説を見ると、それは本當なのだらうかと疑ひたくなる。「國語は勉強しなければ正しく使へない」と云ふのは西歐人の常識である筈で、その證據に、各國の初等教育では屡々國語が最優先になされるべきものであつた。ところが日本では、如何に國語を教へないやうにするか、ばかりが論じられる。先年、日本の初等教育では理科と社會が廢止されたが、代りに創設されたのは生活科だつた。生活科等と云ふ曖昧な教科ではなく、國語の授業で以つて、理科と社會は置換へるべきだつた。それで國語の授業時間數は西歐諸國竝になる。今の國語の授業時間は少な過ぎると私は思つてゐるのだが、これでも多いと思つてゐる人間が、國語の教師の中にさへゐるらしいのである。困つた事だと思ふ。言葉の遣ひ方――と言ふよりは、言葉の理解の仕方については、どんなに高度な知識と技術を持つても惡い事は全くない。「ゆとり教育」と言つてゐるが、もし眞にゆとりのある教育を實現したければ、國語教育で生徒の言語能力を出來る限り高めておく事が一番の近道である。教師の説明を生徒が聞いてすぐに理解出來るやうになれば、授業の時間は減らせる筈である。今の教育は、いかに教師の説明力を殺ぐか、生徒の理解力を無くせるか、に力が注がれてゐるやうにしか見えない。私は、教育の效率化の爲には、國語の授業を充實させ、生徒の國語を操る能力を涵養するのがベストの方法だと信ずる。
古文は、書き言葉で遺された文獻の内容を理解するのが目的で、現代語音で讀むのはただの便宜に過ぎず、昔の發音で讀む等と云ふ事は全くナンセンスでしかない。鈴木氏も中澤氏も、音聲言語が言語の本質であると信じてゐるから、何時いかなる場合にも「正しい發音」を學ぶ事が言語を學ぶ事だと勘違ひしてしまつてゐる。しかしながら、そもそも言語は、音で表現される事と同時に、表現された内容が大事である。國語と云ふ教科では、文章の内容を的確に讀取る技術を學ぶ事が、一つの重要な目的である。國語の授業ですべき事は、發音の練習ではない。音を上手に眞似られるやうになつたからと言つて、それで「言語を習得した」事にはならない。發音が間違ひだらけでも、ちやんと意味が通じれば良いのである。古文において、音讀が便宜に過ぎない所以である。
平成十五年八月二十八日
本日の買物。
『近代国語教育論大系』三册。五百圓。
「ドリームハンター麗夢2 聖美神女学園の妖夢」。
平成十五年八月二十八日
03年08月28日 @ [朝顔日記]
ことえりのキーバインドはなぜ変更できぬ?あるいは、個人的癇癪で技術資料を埋もれさせるのはどうなのか?という話 (2003/08/28 - 15:30) @ [ねこめしにっき]

平成十五年八月二十七日
めも。
@NetHome メンバー サービス 障害情報
@NetHome メンバー サービス メンテナンス情報
J-COMが、と言ふより@NetHomeが、ウェブサーヴァのメンテナンスをするさうだ。豫定日時は、2003年9月3日(水)18時00分 〜 9月4日(木)17時00分。閲覽は可能だが、FTPでのファイルの更新等が出來ないとの事。なんか根本的な問題解決をするらしい。さう云ふ譯で、一日更新御休みが決定。
平成十五年八月二十七日
庭を近所の猫がしよつちゆう横斷していくが、迷惑だ。猫好きの氣が知れない。

平成十五年八月二十六日
めも。
Japanese Word Index
平成十五年八月二十六日
めも。
dinosaur's square
M$IE6の文書型宣言判別 (dinosaur's square)
平成十五年八月二十六日
めも。
ISO/IEC SC 34/WG 3
平成十五年八月二十六日
めも。
Article 593 at 99/11/15 00:28:05 From: mizusima@kwjc.kobe-wu.ac.jp Subject: [sigce 593] Re: SSS2000(仮称)

平成十五年八月二十五日
Sobig.Fからのメールと、ISPのメールサーヴァからの警告メールとがばんばん屆いてます。うち邊にテレホーダイタイムの間だけで七十通餘りも來るのだから、世間のめじゃーなサイトの中の人のところには膨大な量のアレなメールが屆いてゐるのでせうねえ。あと、當方のメールアドレスから何かウイルスつぽいメールが屆いたとしても、私の責任ではありませんので。
平成十五年八月二十五日
寺内タケシの初期の演奏ばつかりを收録したCD、どこかにないかなー?
平成十五年八月二十五日
大江戸打ち水大作戦
なんかやつてたらしいが。2ちゃんねらーを動員したら良かつたのに。
平成十五年八月二十五日
Yahoo!掲示板で投稿ができなくなるシステム障害、現在は復旧
なんかニュースになつてる。昔は日常茶飯事だつたのに。
平成十五年八月二十五日
他人の「アンテナ」の事なんか氣にしなくて良いと思ひますが。空更新を捕捉されても別に謝る事なんかないと思ひますが。自分で提供してゐる譯でもないサーヴィスの利用者の事を考へる必要は全く無いと思ひますが。

平成十五年八月二十四日
「ホームページ」さまざまな用例集
そもそも「ページ」と云ふ言葉を使ふのがをかしい。
餘談だが、「Home Page」と書く海外のサイトが増えてきたので、「ホームページと云ふ言葉は日本人しか使はない」等とうつかり主張すると反論される危險がある。

平成十五年八月二十三日
Googleの特殊機能
「電卓機能」について。
平成十五年八月二十三日
文学館演習日誌によれば、太宰治『晩年』(養徳叢書15)は「葉」を缺いたり、中期の短篇を收録してゐたりするとの事。
平成十五年八月二十三日
はてなダイアリー - なっち
ヘルプを見ないで使つてゐる人が多いみたいですよ。
平成十五年八月二十三日
穗菜せんせいの眼鏡は赤い縁。これ最強。
眼鏡が實は素通しとか、赤い眼鏡をかけると名探偵に變身とか、學校の屋根裏にへやがあるとか、おひるねが大好きとか、英單語クロスワードが趣味とかいつた設定にすると、ニシ・アヅマ女史とかぶるのでアレですが。
それにしても、BOOKアサヒコムの『黒いハンカチ』の書評はアレだ。
平成十五年八月二十三日
Google 検索: うにゅう
いつの間にかスポンサーがついてる。
平成十五年八月二十三日
食事が面倒でない日なんてない。断言できる。
同感。
御晝御飯を食べるべきおみせを見つけられなくて困つてます。神保町近邊にあつて安くて註文するとすぐに料理が出てきて値段の割には味が良いおみせを知つてゐる方は御一報を。ついでに、食事しながら本を讀めればなほ良し。
平成十五年八月二十三日

空のカギ括弧も何も設定でキーワードへ勝手にリンクを張らないようにすればいいだけの話じゃん。

俺なんかキーワード機能もblog機能も切ってしまって、何のメリットがあってはてなを使っているか分からないぞ。

アカウントを持つてゐるから使つてゐる人が多いみたいだけれども、わざわざアカウントを取つてまで使はなければならないものでもないと私は思つた。

平成十五年八月二十二日
新しい古書會館の古書市、地下でやるんですねー。
石川英輔『ソレマンの空間艇』評論社。なつかしいが、「空飛ぶ円盤」や「電子計算機」が「UFO」「コンピュータ」に改められてゐるのは殘念。
徳田秋聲『假裝人物』養徳叢書。養徳叢書リストを更新。甲鳥書林が社名を變へて、養徳社と稱したのださうだ。
野尻包影・山口誓子『星戀』中央公論社
柳田國男『孤猿隨筆』創元選書38(初版)
アンドレ・ジイド『秋の斷想』新潮文庫。持つてゐるやうな氣が。
「むそうあん物語」37。個人誌だが700部も出てゐたので、古書市では意外と見られる。
大川周明『米英東亞侵略史』第一書房
上司小劍『伴林光平』
『佐藤惣之助全集 隨筆編』櫻井書店(再版)
E・フロム編『社会主義ヒューマニズム』(上下)紀伊国屋書店
ところで、昨日、唐木順三全集第7卷を百圓で購入したのだが、ダブつてゐたので、欲しい人に上げたいと思ひます。取敢ず、欲しい人は、今日明日中に何らかの方法で野嵜に聯絡して下さい。めーるは何かSobig.Fのせゐで非道い事になつてゐますが。あと、誰かが當方のあどれすをどこかに登録したらしく、SPAMがやたらきてますが。で、livedoorからのめーるは、SPAMふぃるたで選り分けてゐるので、ちやんとしためーるでも屡々讀みそこねます。と言ふか、今、SPAMフォルダを覗いたら、御聯絡のメールをいただいたのに氣附きました。今まで讀んでませんでした。すみません>高坂さん。
と言ふか、千圓の商品を間違へて百圓均一のセールに出してしまつたのださうで、おやぢさん、「チェック漏れだ」と言つて、悲しんでゐた。
平成十五年八月二十二日
はてなダイアリーを利用するのは、HTML文書を手打ちで作成するよりも難しい、やうな氣がする。

平成十五年八月二十一日
今更だが、私は「はてなダイアリー」がとても嫌ひである。それも理由を述べるに値しない程に嫌ひである。「斬鐵劍」の方がまだ好感が持てるぐらゐである。
平成十五年八月二十一日
何であれ徳保氏を論破出來る人はゐないだらう。徳保氏には「論破される」と云ふ觀念が無い。彼は自分の主張が矛盾してゐてもゐなくてもどうでも良いと思つてゐるから、他人に矛盾を指摘されても何とも思はないばかりか、それは自分の意圖通りだと主張する。矛盾がなければ誰にも指摘されないだけである。
平成十五年八月二十一日
今更だが、私は小林よしのり著「新ゴーマニズム宣言スペシャル戰爭論三」がとても嫌ひである。それも理由を述べるに値しない程に嫌ひである。「電撃hp」の方がまだ好感が持てるぐらゐである。
「電撃hp」とアランの『定義集』を一緒に買ふ人間は私くらいのものだらうなー。
引用の表記の事ばかりを問題にして、引用の意圖とか、引用を傍證として筆者が主張してゐる意見についてとか、そもそもの引用者が文章を書いてゐる意圖とか、その邊の事を無視する態度は、困つた事だと思ふ。
平成十五年八月二十一日
毎日本屋や古本屋をまはつて、立讀みしたり、良い感じの本を買つたりしてゐれば御給料を貰へる、と云ふ仕事はないかなーと本氣で考へた。
疲れてるな……。
平成十五年八月二十一日
我ながらパクりの才能がないな。
平成十五年八月二十一日
さまざまの矛盾を孕みつゝおふぃしゃるな設定が形成されてゐる穗菜たん先生。
「めがねをかけると實は美人」の設定は讓れない。反對意見があつたら止めますけど。
自分で繪を描かないで色々口だけ出すのは樂ですねー。

平成十五年八月二十日
DDT's Room:Web Site Watchの記事を影鷹で見たら、句讀點がちやんと縱書き對應になるのかなー。
ウェブで公開する文章は「縱書きである」とも「横書きである」とも極附けられません。
平成十五年八月二十日
うちの前にあるT電機の工場、正門のところにとても明るい街燈がある。まだ晝間だと勘違ひしたらしく、夜になつたのに蝉が一生懸命鳴いてゐた。

平成十五年八月十九日
PC shop streets in Kanagawa
平成十五年八月十九日

邪魔だと思ふ人は、段落の先頭と末尾に、空のカギ括弧「[]」を入れると良いのではないかと、はてなダイアリーのヘルプ(詳しい入力ルール)を読んで思つた。

はてなダイアリーのヘルプ
なるほどと思つたが、全部の段落に空のカギ括弧「[]」を入れなければならないのだから面倒な話だし、さうまでしてはてなダイアリーを利用してもメリットはない。
平成十五年八月十九日
あと、はてなアンテナからは、http://a.hatena.ne.jp/goを經由して各サイトに行くやうになつてゐるんですが、ダイレクトにリンクの張られるやうにする設定つてあるんですか。あつたら、各管理者の方には是非、ダイレクトにジャンプ出來るやう、設定を修正していただきたいのですが。http://a.hatena.ne.jp/go經由だと、時間がかかるので。
平成十五年八月十九日
ほなたんはのあとあやのの擔任の先生なのです。

平成十五年八月十八日
MEGUNIのスリーサイズに該当するページが見つかりませんでした。
うそつき>>幹太(誰)
平成十五年八月十八日
神保町から笹塚行の電車に乘らうとしたら、見慣れた白い車輛が。おなじみ京王6000系が、都營新宿線・京王新線内の運用に就いてゐました。
新線新宿驛で降りて、京王線新宿驛から8000系橋本行急行に乘換へ。いつものやうに座席で居眠りしたのですが、若葉臺邊で目をさますと、8000系電車がやけに飛ばしてゐました。多摩センター着が三分遲延。ダイヤが亂れた時に遲れを取戻すべく、京王の運轉士は凄い運轉をして呉れます。ありがたいと言へばありがたいのですが、乘り心地が。8000系ですらあれほど恐ろしいものなのに、6000系でやられたらと思ふと。
6000系には早く引退していただきたいものです。都營新宿線直通列車で使はれるから、全廢はまだ暫くの間はないでせうが、來年邊、9000系への置換へが一氣に進むかも知れません。それにしても私は何を熱く語つてゐるのでせうか。
平成十五年八月十八日
中央線と中央線快速を間違えた…。四谷で気付いて乗り換え。
中央總武線と中央線快速の乘換へは御茶ノ水が便利。同じホームで乘換へられます。
中央本線はもともと甲武鐵道が開業させた路線で、起點は一時期、飯田町だつたとか、山の手線と結んで「の」の字運轉をしてゐた事があつたとか。交通博物館の場所に萬世橋驛があつたのは有名ですねー。都内には複複線區間もある中央東線ですが、長野縣内に入ると單線區間があるとか、トンネル斷面が小さいので對應した車輛しか高尾以西には入線出來ないとか。何を私は語つてゐるのでせうか。

平成十五年八月十七日
http://www.page.sannet.ne.jp/hirasho/diary/diary0308.html#17p8
ひらしょー氏もはてな批判。誰かが勝手につけた註釈が自分の文章にも及ぶというのは 邪魔以外の何者でもないように思う。同感。

平成十五年八月十六日
京都大学人間・環境学研究科総合人間学部図書館
とっぷぺーじはテーブルレイアウトだが、全體に割とまともな作り。
人環・総人図書館報「バベルの図書館」
興味深い記事がある。
平成十五年八月十六日
【RFIDカード】 基礎とおさらい byキーマンズネット
固有IDのシンプル・シナリオ
情報、情報、情報。
「十分發達した科學技術は魔法と區別がつかない」とアーサー・C・クラークは言つたさうだ。しかし、科學技術は、見かけはともかく、背後にはタネがあるものだ。テクノロジーは、例外ナシに、人間にコントロールされて成立する。
表面的に「便利」と云ふ事だけで、科學技術と魔法とを區別しないのは、間違ひだ。便利なものには大概、裏がある。
が、その「裏」にあるものを徹底的に排除すれば、近代社會は崩潰する、と云ふ事も承知しておくべきだらう。
平成十五年八月十六日
憂国ナビ
復活との事。
dnozに澤山リンクが張られてるけれども、こちらは閉鎖してゐないだけで、ひよつとすると憂国ナビよりも長期間、メンテナンスされてゐないから、參考になるんだかならないんだか。
平成十五年八月十六日
Windows TIPS -- HINT:ファイルのコピー/移動での上書き時に「すべていいえ」を指定する
めも。

平成十五年八月十四日
誰でも勝手に書直したり削除したり出來るシステムで「辭典」の類を作らうとするのは、どうも理解し兼ねる行爲だ。苦勞して考へたり調べたりした定義を書込んでも、無駄だからとか重複してゐるからと言つてあつさり存在そのものを否定される事が屡々起る。
「辭典」を作りたければ自分のサイトで作れば良いのであつて、せいぜい自分と同じやうな意見を持つた人と共同作業すれば良いのであつて、自分とは根本的に價値觀の異る不特定多数の人間の介入を許すシステムで、個性丸出しの、或は思ひ入れたつぷりの定義なり解説なりを一生懸命書くのは、馬鹿のする事としか思へない。
或は、その種のオープンなシステムに書込むならば、個性や思ひ入れは全く排除する事、「私が書込みました」のやうな自意識を完全に抛棄する事、書込んだ定義や解説の文章はパブリックドメインのものであると認識する事が必要だ。オープンな「辭典」で、個人の功績はあり得ない。他人の介入を簡單に許すシステムは、大事な「自分の考へ」を發表する場としてふさはしくない。
はつきり言へば、はてなの「キーワード」は、議論の必要な解説なり定義なりを登録すべきシステムではなく、無個性で誰でも納得のいく文章しか本質的に登録してはならないシステムだと云ふ事。個性的で、個人の價値觀の入り込んだ主張や意見を含んだ文章を登録し、コメント欄で議論するのは、ナンセンスな行爲だ。個人の意見を述べたり主張をしたりするのは、個人のサイトですべき事であつて、オープンなシステムですべき事ではない。「はてな」のキーワードは、無個性で一般的な單語でなければならないし、その解説も無個性で一般的な内容でなければならない。そして、それを全てのユーザが明確に認識してゐなければならない。一人でも、個性を出さうとした文章を書込んだら、それは單なるノイズである。
現在の「はてな」のキーワードの解説は、どれも餘り客觀的なものになつてゐない。既に、單語の分類がうまく機能しなかつた爲、廢止されたが、主觀的な分類を多數のユーザが勝手にすれば、矛盾するのも當然の話だ。「はてな」のキーワードシステムは、「勘違ひ」した多數のユーザが無秩序に書込んでをり、それゆゑ絶對にうまく機能しない。彼等のする「勘違ひ」は無くならないからだ。だから、少しでも自分の價値觀を守りたいと思つてゐたり、自分の功績はそれなりに尊重されたいと思つてゐる人は、「はてな」のキーワードに近寄らない方が良い。「はてな」のキーワードシステムは、個人の主張や意見の押附けに繋がる行爲は一切すべきでないシステムであり、ならば當然、無個性な解説しか書いてはならない場である筈だ。そして、さう云ふ解説もまた反撥を受ける筈であるから、議論をしてもコンセンサスなど生まれよう筈がなく、參加者はいつまでも水掛け論を續けなければならない。
エリオットも言つてゐるが、今の時代、各自は自分の價値觀を述べるのに満足し、互ひに干渉し合はない方が良い。インタラクティヴなウェブと云ふ環境が、結局、思想的に何ら有益な結果を生んでゐないのを見れば、「可能性」に縋り附いて、時間を無駄にするのはよした方が良い。掲示板にしろ何にしろ、議論は本質的に現代社會では不可能である。
平成十五年八月十四日
『月曜評論』連載「この世が舞臺」の特設頁
私もこの世が舞台のタイトルを使つてゐますが、無視していただいて結構です。頼みますから無視して下さい。

平成十五年八月十三日
便宜上、十二日の事は十二日の項に記載。
平成十五年八月十三日
インターネット中毒診断に5つの基準 フロリダ大学 @ [CNN.co.jp]
「仕事中毒」の裏返しですか。
  1. 規定の終業時刻に仕事を終へない。
  2. 遊びの約束を無視する。
  3. 辭めようと思つても辭められない。
  4. 多忙が原因で親しい人と仲違ひした。
  5. 仕事をしてゐないと不安になる。

平成十五年八月十二日
歴史的仮名遣い
えび氏が、何だか參考になるかのやうに紹介してゐるけれども、非常に偏つた見方をしてゐる文章なので、何の疑問も抱かずに信じてしまふのは危險。これを恰も參考になるかのやうに紹介してゐるえび氏も惡質。えび氏は、なぜ「正しいHTML」を書かねばならないのかも説明しない人だから、信用してはならない。
でも、ちょっと待ってください。「歴史的仮名遣い」というのは、本当に『万葉集』をはじめとした奈良時代の「正しいかなづかい」なのですか?
この筆者の人、橋本進吉の著作を讀んでゐないらしく(もし讀んでゐるのならますます惡質)、「假名遣ひとは何か」を理解してゐないから、このやうな誤つた「疑問」を呈してしまつてゐる。「奈良時代の正しいかなづかい」等と言ふものは存在しない。規範としての假名遣は、發音と表記にずれが生じて以降、「正しい表記がある筈だ」と意識されるやうになつてはじめて作られるものであり、自然に存在するものではない。上代特殊假名遣は、定説に據れば、發音を忠實に文字に移した爲に、結果として文字の遣ひ分けがなされてゐるやうに見えるから譬喩的に「假名遣」と呼ばれてゐるだけで、本來の意味での假名遣ではない。
これら「仮名文学作品」が「歴史的仮名遣い」で書かれていたと考えるのは間違いです。
當り前の話で、歴史的假名遣は契冲が創始したものだから、平安時代に書かれたこれら「仮名文学作品」(『伊勢物語』や『源氏物語』)で使はれてゐる譯がない。この筆者(中澤信幸氏)は、「發音を寫した過去の文獻に存在する見かけの假名遣」と「意識して作られた規範としての假名遣」とを混同して勘違ひしてゐるのだが、この手の勘違ひは非常に多くの人が自然にしてゐるし、それゆゑ多くの人が中澤氏の主張を自然に受容れてしまふ。だが、中澤氏は勘違ひしてゐるのだ。
もう一つ、多分多くの人が「昔は『歴史的仮名遣い』で書き表していたが、実際の発音は現代と同じであった」と信じて疑っていないと思います。
中澤氏は「それは間違ひだ」「昔の人の發音と、今の發音とは違ふ」「昔(少くとも奈良時代までは)發音と表記とにずれがなく、假名遣は無かつた」と云ふ風に説明してゐる。それ自體は間違つてゐない。(「奈良時代には假名遣が無かつた」と言つた口で「歴史的假名遣は奈良時代の正しい假名遣を反映してゐない」と非難するのはをかしいのだけれども、中澤氏はをかしいと思つてゐないし、恐らく多くの人がをかしいと思はない。言歸正傳)しかし、ということで、国語教育で「平安仮名文学作品」を「歴史的仮名遣い」で記し、それを「現代の発音に変換」させて読ませることに、どれほどの意義があるかということになってきます。と中澤氏は話を持つていく。どうして「ということで」なのだか、私には全く理解出來ない。發音と表記との間にずれがあるのは當り前の事で、現代の音韻に基いて現代風に古典の文章を音讀するのはただ古典を讀む便宜でしかない。こんにちでもいまだに「歴史的仮名遣い」で文章を書く人はいますが、もはや少数派です。国語教育で「歴史的仮名遣い」を押しつけることにどれほどの意味があるのでしょうか。と中澤氏は述べてゐて、慥かに正字正かな派は現在少數派だが、それは國字改革によるもので、自然にさうなつたのではない。寧ろ、國語教育で歴史的假名遣を扱ふのが恰も惡い事であるかのやうに見えるやうにした國字改革こそ責められるべきであつて、歴史的假名遣を問題視するのは間違ひだ。もし、間違ひであつても、「現代仮名遣」は既に一般化してゐるのだから、歴史的假名遣は今の時代、徹底的に排斥されなければならない、とするのならば「既成事實を楯に他人を強請るのは正當な行爲である」と云ふ殆どやくざの論理もまた認められなければならない。私は、やくざの論理を認めたくない。また、「現代仮名遣」を正當化する爲に、歴史的假名遣を間違ひであるかのやうに見せかけるのは、曲學阿世の徒のする事だ。「『現代仮名遣』が間違つてゐると言ふが、歴史的假名遣だつて似たやうなものだ」と主張する人は、根本的に勘違ひしてゐる。歴史的假名遣の「誤」を認められないのなら、當然「現代仮名遣」の誤を見過ごす事は不可能だからだ。歴史的假名遣と「現代仮名遣」とを比較して「五十歩百歩」と言ふ事は出來ない。
平成十五年八月十二日
そもそも「現代仮名遣い」は歴史的假名遣があつてはじめて存在してゐる表記の規則なので、歴史的假名遣の存在の否定は「現代仮名遣」の否定と同義である。「現代仮名遣」を使つてゐる人でも、歴史的假名遣を否定する事は絶對に出來ないし、歴史的假名遣の「誤」を指摘すれがそれは即座に「現代仮名遣」の誤を指摘する事になる。「現代仮名遣い」或は現代の多くの日本人が用ゐてゐる「假名遣」の正當性を主張する爲に歴史的假名遣を否定するのは、天に唾するやうなもので、自分を否定する事にほかならない。
もし歴史的假名遣を否定する爲に「現代仮名遣」をも捨てると言ふのならば、完全に表音的な表記、即ち表音符號による音聲言語の記載を以て既存の假名遣を置換へるべしと云ふ主張になるが、それはそれで「現代仮名遣」を信奉するよりはまともだと言へる。が、それは假名遣のみならず文字言語そのものの否定となり、即座に日本語の言語體系の否定となる。その主張は、音聲言語の轉寫のみが正しい「表記」であると云ふ主張であるが、音聲言語の轉寫の方法を定めるのが難しい事は明かで、統一的な方法が決められるまでには大混亂が生ずる。そもそも假名遣の問題ですら片附かないのに、發音符號の記載方法の問題に方が附く譯がない。また、音聲言語を轉寫する場合、當然、言語自體の混亂や變化をダイレクトに反映するので、短期間でコミュニケーションがとれなくなる可能性が高くなる。そもそも、個人間で音聲言語に對する感性が異るから、言語の用法に規制のない状態では、個人間の相互理解そのものが不可能となり兼ねない。また、文字言語――特に漢語――に依存した日本語で、文字言語の存在を否定する事は、漢語の語彙の大半を喪ふ事と同義である。漢語を喪ふ事は日本語にとつて致命的な事で、日本語でコミュニケーションをとる以前に、日本語でものを考へる事が全く不可能となる。考へる爲に必要な概念を示す語が、日本語では大半が漢語であるからだ。漢語とそれによつて表はされる概念とが、餘りにも日本語の深部まで入り込んでゐる爲に、漢語は今では日本語から拔き難いものとなつてゐる。そして、にもかかはらず漢語は日本語の音韻體系とは相性が惡いのであつて、と云ふのは音韻の數が足らないので、もともと支那の音韻では區別される別の語が日本語の音韻では同音異義語となるからだが、それでも日本人が漢語を使ひこなせるのは、漢語を漢字で書いてゐるからだ。さう云ふ譯で、日本人は、日本語を使ひ續ける限り、漢字を捨てられないし、完全な表音化を實現する事は出來ない。そして、完全な表音化を實現出來ないならば、表記と發音との間には折り合ひをつけなければならないし、「現代仮名遣」はその目的には餘りうまく適つてゐない。と云ふ譯で、我々は歴史的假名遣をそこそこ良く出來たものと認めざるを得ないし、もし歴史的假名遣は難し過ぎると云ふ事を認めるにしても、日本語のより良い表記を作る爲には歴史的假名遣を基にしなければならないし、もし歴史的假名遣を改善しようと言ふのであれば歴史的假名遣の原理――そして、文字言語、表記、假名遣の性質――を良く理解してゐなければならない。音聲言語絶對主義の立場から文字言語を弄るのは間違つてゐる。そして、我々は國字改革でその過ちを冒したのである。
平成十五年八月十二日
もし皆が「正しい」と信じてゐる概念は疑問を抱く事なく信じて良いと言ふのであるならば、關東大震災の時、「朝鮮人が井戸に毒を入れる」「朝鮮人が日本人を襲はうとしてゐる」等の根據のないデマを「正しい」と信じて日本人が朝鮮人を迫害した事も「正しい」行爲であつたと認めなければならない。朝鮮人迫害の件では、日本人が根據のないデマを信じた事を、えび氏は正しくない事だと思つてゐるのではないかと私は推測するが、根據のない「歴史的假名遣は『現代仮名遣』以上に惡いものだ」と云ふデマを良いものだと信じてゐるらしい。かう云ふ人物の言つてゐる事は何一つ信用出來ない、と判斷するのは、間違つた事だらうか。
えび氏は、自分の價値觀に合はない事をしてゐる人や企業の動機を惡意に基いて推測し、推測を即座に斷定にすり替へて非難する人物で、以前えび氏がさう云ふ眞似をした時、私は非難した事があるのだが、えび氏が「正しいHTML」を推奬或は紹介してゐる動機を、私は疑つてゐる。
平成十五年八月十二日
教養文庫も探してみたのだが、何故に佐高信ばかりなんでせうかね。彼の文章は讀みたくないので買ひませんでしたが。
一時期以降、佐高氏、教養文庫の一部のシリーズを監修してゐましたが、そのせゐで教養文庫の質が隨分落ちたやうには思ひます。
『文化人100人斬り』におけるビートたけし評と西部邁評は、割と當つてゐるやうな氣もしますが、普通の人が讀みたくなるやうな文章でないのは事實だと思ひます。左翼の人は、右翼の人が罵られてゐる事が多いので、佐高の文章を讀むのは快感でせうが。
平成十五年八月十二日
なぜか十三日になつたと思つてゐたのだけれども、まだ十二日だつたのですねー。御指摘どうもありがたうございます。伊勢丹の古書市、今日一日殘つてゐますねー。高田馬場の古書市はまだ二日目なのですねー。
伊勢丹、行けるのならもう一度行つておかうかと。餘り面白くなかつたので最う行かない積りだつたのだけれども。
平成十五年八月十二日
ZDNN:ブラウザ戦争勝利の決め手? 「MSに特許侵害」の陪審評決
Internet Explorerでプラグインやアプレットを實行出來るのは自分のところの技術の御蔭だ、と云ふEolas社の主張が通つたさうだ。Webを通してユーザがプログラムを實行出來るやうにする技術を販賣する獨占的な權利をEolas社は持つてゐるとの事。
Internet Explorerのセキュリティホールの原因を作つたのもEolas社である、と云ふ事になる譯だが、責任とらないでせうねえ。
平成十五年八月十二日
伊勢丹。終了三十分前に驅け込みで。
講談社ゼミナール選書『日本語と日本人』
寺田透『思想と造型』
寺田透『不可測の振幅』
林健太郎『赤門うちそと』
『日本語の歴史6新しい国語への歩み』
ヴァレリー『ヴァリエテ』限定版
ちよつと考へた後、『ヴァリエテ』を抱へ込んだら、御店の親父さんが話しかけてきた。良い買物だ(大意)との事。たしかに五千圓は安かつたと思ふ。それにしてもこんな本が最終日まで平氣で殘つてゐるのだから、最近の猟書家の質がわからうものである。
ちなみにこの『ヴァリエテ』、譯者の個性を尊重する爲に、譯文の假名遣は統一してゐないと、編緝者が書いてゐる編集だより。市原豐太、辰野隆、鈴木信太郎と寺田透の譯文が正字正かな。
伊勢丹の古書市が終了したので高田馬場BIGBOXの納涼古本市へ移動。
『森銑三著作集第九卷』
山田孝雄『日本文法講義(新訂版)』
橋本進吉『傳記・典籍研究』
新村出著・金田一京助筆録・金田一春彦校訂『国語学概説』
ソシュール『言語学序説』
小野祖教『神道の基礎知識と基礎問題』
早稲田大学語学教育研究所の「除籍本」が大量に出てゐて、とても安かつた。『傳記・典籍研究』を千圓で買へる機會はさうさうありません。
その他文庫本。小林秀雄『パリュウド』等。
ミタカ國語研究所編『当用漢字と現代かなづかい』(三省堂)なる小册子も出てゐたので買つて來た。參考までに「まえがき」を前文、引いておく。

明治の初年以來の懸案であった漢字の問題、かなづかいの問題が、このたびこそは、いよいよほんとうに解決されようとしている。これは、わが國語の純正な発達のためにも、新生日本の多事多難な時代に直面している國民のためにも、まことによろこばしいことである。

しかし、今回発表の「当用漢字表」にせよ、「現代かなづかい」にせよ、いずれも大体の準拠を示したものに過ぎない。したがってこれを実際生活に具現しようとする國民一般のためには、さらにその手引きとなるべきものが必要になってくる。本書は、とりあえずその要求に應じるために編まれたものである。しかし、もともとすみやかな普及を目ざし、簡潔をむねとして、短時日の間に作られたのであるから、意をつくさない点も多々あろうと思う。そこは使用者各位の活用にまちたい。この仕事にあたったのは、当研究所の同人、安藤正次・小林英夫・高橋健二・西尾実・湯澤幸吉郎の五名である。

尚、本書の編修刊行については、文部省の有光次郎氏・釘本久春氏、國語審議会関係の諸氏、当研究所の山本有三氏、三省堂の平井四郎氏などのお力ぞえに負うところが多い。ここにあつくお礼を申し上げる。

  • 昭和二十一年十一月
  • ミタカ國語研究所を代表して
  • 安藤正次

平成十五年八月十一日
新宿伊勢丹の古書市に行つた。
T.S.エリオット/福田陸太郎・森山泰夫註・譯『荒地・ゲロンチョン』
岸田國士『我らの劇場』
深瀬基寛『童心集』
マイヤー『獨逸近世經濟史』
薗田稔『神道 日本の民族宗教』
村山七郎・大林太良『日本語の起源』
中村白葉譯チェーホフ著作全集9
河合榮治郎『学生に与う2』現代教養文庫18
石川淳『諸國畸人傳』筑摩叢書58
森銑三『近世人物夜話』講談社学術文庫878
全部で四千圓。或意味掘出し物が多かつたと言へるのかも知れないけれども、何となく物足らない感じ。

平成十五年八月十日
ZAKZAK:「モー娘。」で自衛…“脱制服”の募集ポスター
ジャスティ・ウエキ・タイラーがどうのかうの、と云ふコメントがウェブ日記界隈だかウェブログ界隈だかの至るところで附けられるのではないかと。
平成十五年八月十日
颱風のせゐで近所の街路樹が折れた。
平成十五年八月十日
サイトをヒットさせたかったら、テーマを決めてターゲットを絞り、具体的手段を以て特徴的なコンテンツを作成する
と云ふのは慥かに鐵則だけれども、そのテーマが餘りにもマイナーでニーズのないものだとどうしやうもない。例へば超まいなーで誰も知らないあにめ「超くせになりそう」なんかの專門サイトを作つても全然ヒットしない。一方、ウェブ日記では、その時點で大流行してゐるものについて、ただ言及するだけで、Google經由での閲覽者を大量に集める事が出來てしまふ(場合がある)。

平成十五年八月九日
颱風の中、柵へ。
平成十五年八月九日
モンタギュー・サマーズ/日夏耿之介『吸血妖魅考』のほか、R.O.Dとか電撃文庫とかを購入。
阿智太郎『陰からマモル』は殘念ながら駄作。と言ふか、一時期以降、阿智氏の小説はマンネリ化してゐる。全く同じパターンのギャグばかり續けざまに讀まされても。

平成十五年八月八日
なんか一人、増えてるらしいし。
平成十五年八月八日
伺かつてあれでせう? 時刻合はせに使ふプログラム。
平成十五年八月八日
めも。
人獣共通感染症(Zoonosis)連続講座

平成十五年八月七日
マトリックス2改め 魁!! 録画塾!! 第22回 世界はVRフォーマットと+VRフォーマットに分断される?
東芝RDは楽。PCはもう終りだ。と言ふか終つてくれて良い。
平成十五年八月七日
馬鹿の考へる事を面白がれる感性と言ふのが理解出來ない。馬鹿のする事は例外ナシに詰らない(或は、すぐに飽きる)ものだ。

平成十五年八月六日
J-COMと言ふか@NetHomeのサーヴァがおちてゐたのだけれども、ローカルでもメインのPCと言ふかそのHDDが死亡したやうで、新しいノートPCにてただいま接続中。環境の再構築をするのが面倒なので、当面、更新ペースが落ちると言ふか、いろいろと嫌になつてしまつたので、更新をやめようかと。
IMEを入れ直して、正字正かな辞書をバックアップから書き戻して、プリンタドライヴァやスキャナのドライヴァを入れ直して、プログラムを入れて、以下略、とやつてゐたら、一日どころか何日潰れるかわかつたものではないのであつて、そもそもPC自体を組み直さなければならないのだから泣きたいくらゐ。環境の構築なんてやつてゐられないと言ふかこんな事が楽しいなどと全然思はないから嫌で嫌で仕方がない。
最初から何でも入つてゐて、すぐに使へるメーカ製PCは、パーツの相性もちやんと考へられてゐて面倒がないけれども、ピーキーな自作PCは、パーツからして面倒を見なければならないから面倒だ。データを沢山扱ふ時に自作機のやうな信頼性の乏しい機械を使ふのはお奨め出来ない。サイト更新用の画像データも悉くお亡くなりになつてゐる状況なので、いつ立ち直れるかは不明。このまま倒れて伝説化した方が良いかも知れない。そんな訳で。

平成十五年八月五日

最近の私の中の流行のマイブームは『いただきストリート2』。(またかよ)

今思えば、高校の時に長野の修学旅行をセルキャンかましてこれをやってた。丁度、その旅行の日に阪神大震災があった。夜中の3時だったか4時だったか忘れたが、摩天楼の地下でヘリポートと税務署やらを駆使して数億G稼いでいたような気がする。ケタが足りないので詳細わからんが。

阪神大震災があつた朝はSimCity2000(for DOS/V)を遊んでゐた記憶がある。災害メニューで地震を起したり。
平成十五年八月五日
神保町にて。
ボードレール全集6/7『ロマン派藝術』上下 河出書房
マルセル『人間、この問われるもの』春秋社
『1955戯曲代表選集3』(福田恆存『幽靈やしき』收録)白水社
安田保雄編『海潮音』原詩集
『堀口大學詩集』(現代詩文庫)
なぜか鈴木いづみ『恋のサイケデリック!』ハヤカワ文庫JA
アテネ文庫のロゲンドルフ二册と中谷宇吉郎『地球のまるい話』
暑い日ですね。
その後、京王の古本市へ。
『ドストエフスキイ全集第二十一卷 妻への手紙』三笠書房
林健太郎『世界史と日本』新潮社版
福田恆存『謎の女』新潮社版
杉森久英『大政翼賛会前後』文藝春秋
寺田透『文學 その内面と外界』弘文堂
座談『科學と宗教』アテネ文庫
『東京風土図 4』現代教養文庫334
家に歸つて來たら背後で夕立が降り始めた。

平成十五年八月四日
がつかりしてしまつたら、それでおしまひ。
平成十五年八月四日
影舞
Ruby でかかれたバグトラッキングシステム。比較的綺麗なHTML文書を出力するみたい。
平成十五年八月四日
『のあとあやのの萌えるISO/IEC 15445:2000ガイド』なんて企劃、どこかの出版社で採用して呉れないかな?(無理)
平成十五年八月四日
Google 検索: にに役立つ

平成十五年八月三日
或ところにめつかちの白鳥の夫婦があつた。どちらも、自分逹の恰好の良い事を誇りに思つてゐたし、同じやうにものを見てゐるから、自分逹のものの見え方は正しいと信じてゐた。
或時、夫婦の間に四羽の雛が生まれた。雛は元氣だつたが、二つの目を持つた「片輪」だつた。めつかちの夫婦は大變悲しんだ。
子供逹が餘りに「亂暴」で、飛びまはつてばかりゐるので、心配で仕方のないめつかちの夫婦は、遂に決心した。子供の白鳥逹は、朝、起きると、片目が潰れてしまつてゐた。
彼等には世の中が急に暗いところになつてしまひました。そして、毎日入江の岸をよたよたと歩き廻つては、廣い湖を戀ひ慕ひながら、かなしい聲をたてて泣きました。
秋田雨雀「白鳥の國」
小學六年生の時に讀んで非道く衝撃を受けた童話。或人が一つ目人を捕まへて來て見世物にしようと一つ目國へ行つたら、却つて珍しがられて見世物にされた、と云ふ笑ひ話があつて、それと似てゐるところのある話だ。一つ目人の話には、親切心から片目を抉られるヴァリエーションがあるけれども、「白鳥の國」では幸福を願ふ親に子供が傷附けられる悲劇になつてゐる。樣々な讀み方の可能な寓話だが、兒童の理解力は超えてゐる。陰慘な印象を強く殘す作品で、一度讀んだら忘れられない。大人になつて思ひ出して、改めて考へさせられるところのあるのに氣附かされる。
作者の秋田雨雀はプロレタリア文學者でエスペランティスト。諷刺色の強い作品が多いが、幻想文學の方面でも高く評價されてゐる。「白鳥の國」は新潮文庫の『赤い鳥傑作集』で讀める。
平成十五年八月三日
『赤い鳥傑作集』には有島武郎「一房の葡萄」も收められてゐる。優しい女の先生の姿が印象的な佳品。クラスメートの繪の具を盜んでしまつた主人公の心情が、鮮やかで明るい情景と對比的に描かれてゐるが、深刻にならず、全體に輕快な作品となつてゐる。
こちらは青空文庫等で公開されてゐて、すぐに讀める。
平成十五年八月三日
本當に反省をしたければ、本當に惡い事をしてゐなければならない。
反省をした事を誇つてはならない。
平成十五年八月三日
HTML版『スタイルシートWebデザイン』
平成十五年八月三日
使用ブラウザ別ニュース&日記(webログ)サイトリンク集
うちはOperaでウェブを見てゐますが、「闇黒日記」その他を更新するにはFFFTPをもつぱら使つてゐて、ブラウザでは更新してゐません。

平成十五年八月二日
朝日新聞のデタラメHTML入門に対する抗議
最初の記事が出た時、私も抗議のメールを送つたのですが、例の同一の文面で發信された返信を貰つた後、面倒臭くて放置してゐます。こちらは時期がずれた爲か、獨自の返信を貰つた模樣。
英会話では、文法を学ぶより、まず話してみなさいと言いますよね。
なんか、波江氏つぽくて、とても嫌なのですがー。それはともかく。
英會話の初歩で、取敢ず話してみる事を教へるにしても、「You is boy」だの「I is girl」だのといつた文章は絶對に教へないのであつて、最低限守るべき文法事項はある筈。
なのだけれども、外國人學習者の爲に日本語を簡單にしようと云ふ主張が通つてしまふ日本國で、その種の指摘は何の意味もない譯で。困つたものです。

平成十五年八月一日
京王新宿の古書展に行く積り。
平成十五年八月一日
行つて來た。
買物めも。
河合榮治郎『改訂社會政策原理』
河合榮治郎『トーマス・ヒル・グリーンの思想體系』
河合榮治郎編『學生と歴史』
『オルテガ著作集7 世界史の一解釈』
編緝解説林健太郎『現代日本思想體系35 新保守主義』
壽岳文章『英文学の風土』
齋藤磯雄譯『ボオドレエル詩集 世界の詩6』
深瀬基寛『エリオットの藝術論』(比叡書房)
パスカル『パンセ・小品』(北隆館)
小泉信三『私とマルクシズム』
三上章『現代語法新説』
マックス・ウェーバー『官僚制』フォルミカ選書16
アラン『スタンダアル』創元選書14
森銑三『渡邊崋山』創元選書73
野間清六『日本の面』創元選書241
平成十五年八月一日
その後、待伏せしてゐたぺと先生とぷちオフ會。ヤマトについて熱く語つたり。

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