闇黒日記

Xへの手紙

平成14年12月31日

しかし、文庫というのは日本独自のものなのかな。であるとすれば、誇るべきすばらしい文化だと思う。数百円で世界の名著を読めるのである。

「岩波文庫はドイツのレクラム文庫を範として創設された文庫である」と云ふ非常に有名な話があるんですがねえ。


所謂「文庫サイズ」のものではないけれども、歐米にはペーパーバックと云ふ廉價な本のシリーズがあります。イギリスだとペンギンブックスが有名。別に文庫が「日本の誇るべき文化」である譯ではありません。


岩波が、レクラムを範として作つたは良いけれども、歐米の刷り方と日本の刷り方では本の天地(上下)が變る事を考慮しないで作つたもので、天を裁斷しない造本になつてしまつたと云ふのはこれまた有名な話。

向かうの「文庫」は、「下」が凸凹で「上」が平ら。日本の岩波をはじめとする文庫は、「上」が凸凹で「下」が平ら。日本式の文庫の造本は、凸凹の上面に埃が溜まるので、本にとつて非常によろしくない。

形を眞似て、眞似しそこなつてゐる譯で、日本の文庫と云ふものも、決して威張れたものではないのであります。威張れる人は、無知だからです。

平成14年12月31日

そうなのです。私はダブルスタンダードや一貫性のなさを相当程度許容する人間なので、野嵜さんの主張には頷きつつも、正字正かなを勉強しようとも使おうとも思いません。で、それはそれでいいんじゃないかと考えていたりします。

理屈からいえば並立しえないものを、現実問題として並立させてしまうというやり方を、私は受け入れるということです。そして、それはそう悪いことではないと思います。「正しいこと」に徹底してこだわる必要を感じないんですよ。

「正しい」と云ふ事、原則と云ふものを認める人ならば、正しくない事を許す事が可能です。しかし、「正しい」と云ふ概念を拒絶する人は、正しい事を絶對に受け入れられません。

すると、「正しい」を拒絶する相對論者の方が不寛容である、と云ふ事になります。


「正しい」と云ふ事を拒絶するのに拘はる事こそ、良くない事だと思ひます。或は、「正しい」事に自分は拘つてゐない、と信じながら、現實には「正義の拒絶」に拘つてしまつてゐるとしたら、それこそ、愚かしい事だと思ひます。

或は、正義に拘つたつて良いではないですか。正義に對して自覺的である方が、正義と云ふものを巧く扱へるのではないですか。ただ單に、拒絶してゐれば濟はれる、と云ふものではないでせう。


初級Webデザインアドバイスは、Opera 7で閲覽すると、ホイールマウスの廻轉でも、カーソルキー押下でも、スクロール出來ないんですがー。あと、「Back」ボタンを押したり、BackSpaceを推したりしても、勝手にリロードして呉れて、前のリソースに戻れないんですがー(http://www2.loops.jp/~hkt/→http://www2.loops.jp/~hkt/design/index.htmlに勝手にリダイレクトされる。リダイレクトうざい)。

現実問題と言ひたければ、その前にリソースの作り方を何とかして下さい。いや、徳保さんはダブルスタンダードな人間だから、「どうでも良いや」とお思ひになるかも知れませんがー。それに、私も滅多に初級Webデザインアドバイスは見ないので、どうでも良いと言へばどうでも良いのですが。


あと、Amaya 7.1が、落ちます。


Amaya 7.1、僞XHTML 1.xのサイトを見に行くと、一々パースエラーを見せて呉れる。樂しい。

平成14年12月30日

新宿伊勢丹で購入した中谷宇吉郎『イグアノドンの唄』は、讀んでみたら何か記憶にあるやうな氣がするだが、家の本棚を幾ら見ても見當らない。ダブつてゐなかつたのかなー。

平成14年12月30日

本を整理してゐたら『R.O.D』第5巻をダブらせてゐた事が發覺。

平成14年12月30日

と云ふ譯で、府中伊勢丹の古本市(最終日)に出撃。起きたのが三時だつたので、朝飯・晝飯拔きの強行軍。

場末の古本市、侮れず。川田順『西行の傳と歌』(創元選書110)が700圓で出てゐた。ただし昭和20年7月30日の再版。凄い時期に、と言ふか、會社が空襲で燒けたのに重版をかけてる創元社。


近松秋江『黒髮』(創元選書122)は、ダブり承知で購入。200圓也。


ダブりかも知れないと思つたが念のため購入した『古代エジプトの物語』(教養文庫835)は、やつぱりダブり。

平成14年12月30日


柚子の皮は食べられるさうです。と言ふか、Google 検索: 柚子の皮でちやんと出てくるんですねえ。


うちでは、蜜柑の皮を干し、細かく刻んで、藥味にしてゐます。用途としては、うどんに入れる、等。

平成14年12月29日

と云ふ譯で、明日は早起きして、府中伊勢丹の古本市(最終日)に行つて來る積り。まだ行つてゐなかつた。

平成14年12月29日

新宿伊勢丹古本市でダブりかもと思ひながら買つた本が、やつぱりダブつてゐた。欲しい人にあげます。カザミアン『近代英國』(創元選書211)。欲しい人は、色々な方法でアピールして下さい。この本、前にもダブらせてゐるやうな記憶が。


夕方4時過ぎに家を出て、5時過ぎに新宿着。棚を見てゐて、氣附いたら7時。府中伊勢丹もはしごする豫定が狂つた。

平成14年12月29日

「一部の信者」なる言ひ方には、惡意が無いものであるらしい。「無邪気」な人間には困つたものです。何とかして下さい。

平成14年12月29日

平成14年12月29日

鋼鉄面皮デカイオー、第8囘を公開。難しい話です。わかるかな。わからないだらうなー。

平成14年12月29日

 <事業者>ネット情報配信サービス・林 健二
 配信停止の場合の返信先・ bs2508@biwa6.he.net
 返信元のアドレスに対する配信は停止いたします。
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test


なるメールが屆いた。何だこれ。

平成14年12月28日


私案。

アウトソーシング
外注
フィルタリング
檢閲

「コンテンツ」の譯語に「情報内容/内容/番組」を例示するのは結構だけれども、「ホームページの番組」とか云ふ變な勘違ひ用語を嬉しさうに使ふおやぢさんが出てきさう。

平成14年12月28日

Japan.internet.com Webビジネス - 検索エンジンとフレーム
noframes要素の中身を適切に記述しておくと云ふ「正しいフレーム構造の利用の仕方」もあり、それによつてアクセシビリティを確保した良質のサイトを構築する事も可能なのだが、フレームを故意に使用し、NOFRAMEタグ内にキーワードを挿入して、検索結果の上位を狙う、と云ふ間違つたテクニックを用ゐる制作者が増えると「フレーム構造の存在自體が惡いものである」と看做されるやうになる。「正しい」と云ふ事を一々憎む必要はない。逆に、「通用するから」と言つて「便利なテクニック」なるものに拘はる方が、寧ろその「テクニック」のベースとなる本質的なものを殺す事にも繋がる。

平成14年12月28日

HTMLクイックチェッカ
2002-12-24に更新されてゐる。注:ver0.12→ver0.13 の変更点は、color="lime"を認識しなかった不具合の修正のみです(^^;)。

平成14年12月28日

黒地にfont要素バリバリという手法は、實はうちでも19939年3月頃、「實踐」してゐた。某lainのファンサイトで書いてゐた非常にイタい内容の「日記」にて。餘談ですが、小中千昭さんはとても良い人です。

平成14年12月28日

Mozilla browserのNightly Buildを、二箇月ぶりに貰つて來て導入。もじらくん、相變らずoutline關係のスタイル指定を無視して呉れるんですねー。counterにも對應する氣はないらしい。

平成14年12月27日

テレビとか、ラジオとか、福田恆存さんも書いていらつしやいましたねー。


カタカナ語の氾濫は問題だ、と言ふけれども、すぐには何とも出來ない用語が實際、幾つもある譯で、さうなると、そもそもの日本の文化と西歐の文化の違ひと云ふ事から考へてみる必要もある筈だが、ただ單に「わかりやすい」「わかりにくい」と云ふレヴェルで現在の議論が進行してゐるやうにしか、私には思はれない。

平成14年12月27日

新宿伊勢丹の古書市で、日夏耿之介の『改訂増補明治大正詩史』(全三卷・創元社)を購入。12000圓也。

平成14年12月27日

いや、Mac 版 Word で印刷したいらしいのですが、面倒だから、HTML にしてスタイルシートで指定してプリントしたらどーよとか思ったのです。

Wordつて、スタイルシート標準裝備で、素晴らしいワープロですよねー。


現存しない永続的 URIに、意味はあるのだらうか。

平成14年12月27日

ところで Amaya の場合は、セレクタの id/class による重み付けをいい感じに無視してくれて、全く意図に反する表示になってくれて萎え。

classなりidなりで重みなんてものを附けられるとは知りませんでした。


それにしても館長、Operaがよつぽど嫌ひみたいですねえ。腐ってるなんて言はねばならないほど非道い解釋をしてゐる譯ではないんですがねえ。Internet Explorerよりはずつとまともだと思ひますがねえ。


Operaだけしか對應してゐないやうなCSS2のプロパティを悉く破毀して見せるW3Cは、何かOpera社に含むところがあるのだらうか。


スタイルが適用される優先順位を明確に規定するもの、と云ふ事らしい。


「w3mを使つてゐるからスタイルを氣にしない」と云ふのは異常な發想。「俺はNetscape Navigator 4.xユーザだから、tableデザインを使います」と云ふ「ほーむぺーじ」の制作者と同じやうな事を館長は言つてゐる。

平成14年12月27日

例によつて無駄に長いよ。自分で書いてゐて嫌になるのだから、讀む方もきつと苦痛。

文章は短ければ短いほど良い、駄目な文章なら。


「リンクを張らない人は道徳的に攻撃して良い」「リンクが張られて、それで閲覽者が參照してリファラが飛んでくれば、相手の論者は自分に通知をしないでゐてもフェアである」と考へてゐるらしいいずしさんの胡桃の中の航海日誌について。


私の表記の場合、辭書をひけば、意味は解る譯ですから、「最低限のアクセシビリティ」は確保されてゐると言つて良いでせう。

そんなの屁理屈でしょう。ウェブを読むとき片手で辞書を持っている人など、多分あまりいないでしょう。それでアクセシビリティが確保されていると思われているのなら、ちょっと僕にはわからないなあ。そして、仮に同音多義語は必然的に意味を判別できないよ、というのであれば、よほど想像力が貧困なのか神経質なのかどちらかでしょう。普通は自動的に、文脈に沿ったり自分の理解しやすいほうに解釈するはずですから。人間の認知の能力はうまくできているのです。


「自分の理解しやすいほうに解釈する」と云ったのは、人間にはそういう認知的な能力が備わってるという事実を云ったまでです。確かに誤解されるのは嫌です。でも、言葉をつくしたところで誤解される可能性はあります。それは「正字正かな」を使ったところで同じではないかと思います。誤解されたら、貴方の解釈は間違っていると云うだけです。別に、相手の誤解による批判を受容する義理などこちらにはありません。取り合うに値する批判だけ取り合うだけです。


って、「洗脳セミナー」って何だろう。まあ、「洗脳セミナー」っていうセミナーが存在すかどうかは僕は知らないし、そもそも洗脳とマインドコントロールが同じものだと誤解されてしまうのは、心理学もまだ歴史の浅い学問なのだなあと思う。


これらの一聯のいずしさんの主張は、一貫してゐると言へるでせうか。

まづ、いずしさんは、人間の認知の能力はうまくできているから、普通は自動的に、文脈に沿ったり自分の理解しやすいほうに解釈するはずです、と述べてゐます。人間にはそういう認知的な能力が備わってるという事実がある、と言ふのです。

ところが、そのいずしさんが、私の洗腦セミナーなる「造語」を見て、何だろう、と言ふのです。非常に不思議な事だと私は思ひました。何だろうと言つたいずしさんは、本當に私の洗腦セミナーなるものの意味を理解出來なかつた譯ではありません。なぜなら、いずしさんは、かう書いてゐるのです。

「自己啓発セミナー」って、「人格改造マニュアル」を読んだら結構簡単に自己満足と恍惚感が得られるらしいから、僕も参加してみたいのだけど、残念ながら結構お金がかかるらしい。つまり、金儲けのために行われることが多いのだ。まあ、企業の新人研修なんかでも用いられる場合もあるらしいから、必ずしもことの正邪は決め付けられないだろう。そして、そっち方面にも心理学徒の就職口もあるかもしれない。

自己啓発セミナーが私の所謂洗腦セミナーなのだらうと、いずしさんは、推測をつけてゐます。詰り、いずしさんは、自分の理解しやすいほうに解釈出來てゐるのです。繰返し引用します。

そして、仮に同音多義語は必然的に意味を判別できないよ、というのであれば、よほど想像力が貧困なのか神経質なのかどちらかでしょう。普通は自動的に、文脈に沿ったり自分の理解しやすいほうに解釈するはずですから。人間の認知の能力はうまくできているのです。

今は、同音異義語の話ではありません。だから、いずしさんは、「それとこれとは話が別」とおつしやるかも知れません。

しかし、私が「いずしさんの書き方では意味が理解出來ない」と指摘した時、「いや、出來る、出來るものは出來るんだからし方がない」といずしさんは答へたのです。そのいずしさんが、自分は、意味が理解出來てゐる事を自白してゐるにもかかはらず、「意味が理解出來ない」何だろう、と言つてしまふ。

これは、どう考へても矛盾してゐる、と私は思ひます。いずしさんの主張と實際に書かれる文章との間には、一貫性が無い、と思ふのです。


單刀直入に言ふと、「とぼけるな」と云ふ事です。


「とぼける」「わかつてゐるのに、わかつてゐない振りをして、相手に尋ねてみる」と云ふのは、「難癖をつける」と云ふ事です。以前、いずしさんは、「野嵜がいずしさんに難癖をつけてゐる」と非難してゐます。http://mas0721.tdiary.net/20021218.html#p02その他

他人がつける難癖は非難しておきながら、自分は他人に難癖をつける――これは矛盾した行爲ですが、同時に、いずしさんのイメージを甚だ害つてゐるのではないでせうか。

いずしさんに申し上げたいのは、イメージ、イメージと言つても、いろいろな要素でイメージが作られる、と云ふ事です。「簡單」「一般的」と云ふのもイメージですが、「一貫してゐる」と云ふのもまたイメージです。略字略かなに「一般的だ」と云ふイメージがあるのも事實ですが、「一貫性がない」と云ふイメージがあるのも事實です。

そして、もし、「正義は相對的である」、と云ふ通念をいずしさんが信じてゐるならば、「略かなは一般的だから従うべきだ」と云ふ正義と、「略かなは論理的に一貫してゐないから排除すべきだ」と云ふ正義と、どちらかが絶對の眞理である、とは極附けられない筈です。


例のしお氏は、相對論者ですが、なぜか「略かなは論理的に一貫してゐないから排除すべきだ」と云ふ正義を主張する人を、一方的に否定してゐます。これは異常な事です。そもそも、正義は相對的だ、と云ふ主張をしてゐる人は、ならばどんな正義が主張されてゐても、「どうでも良い」としか感ずる事が不可能である筈であり、その人が「正義を押附けるのは惡い事だ」なる正義を奉ずるとしたら、矛盾が起きる筈であります。

さうなると、相對論者は――詰り、どんな正義も相對的だからと言つて、論理的に一貫しない樣々な理由を持出して相手の價値觀を否定しようとする人は――、自分の矛盾を氣にしない人である、自分の事は棚に上げて他人を非難したいだけの人である、と看做して良いのであります。


實際のところ、私がしたいずしさん「洗腦セミナーの信者つぽい」説とはさう云ふ事を言つてゐるのであり、それが略字略かなを使つてゐる人一般に當嵌る一般的な批判であると言はねばならない必然的な理由は、少くともいずしさんを相手と看做した現在の論爭における文脈には、ありません。

一方、人を「現代仮名遣い」「常用漢字」にマインドコントロールされていると決め付けている、「正字・正かな」を使っている人は、自分がマインドコントロールされている可能性などを、ふと省みることはないのだろうか。

これは、完全な曲解、乃至、いずしさんの勝手な臆測であり、即ち難癖であります。


ところで。

「自己啓発セミナー」って、「人格改造マニュアル」を読んだら結構簡単に自己満足と恍惚感が得られるらしいから、僕も参加してみたいのだけど、残念ながら結構お金がかかるらしい。つまり、金儲けのために行われることが多いのだ。まあ、企業の新人研修なんかでも用いられる場合もあるらしいから、必ずしもことの正邪は決め付けられないだろう。そして、そっち方面にも心理学徒の就職口もあるかもしれない。

いずしさんはここで、或價値の話の中に、すつと別の價値の話を滑り込ませてゐる。この事を、いずしさんは、全く意識してゐないだらう。これがレトリックである事に、いずしさんは無自覺だらう。

これは、危險な事である。マインドコントロール一般が、ではなく、いずしさんの使ふやうな無自覺なレトリックが、である。

企業で使はれる自己啓發セミナーも怪しいと思つてゐるのだが、さう云ふのではなくて、驛前とかで若い人を勸誘して連れて行つて、洗腦するあれの事を私が「洗腦セミナー」と呼んで、非難してゐるのは、昔々の「闇黒日記」の記事なり「言葉 言葉 言葉」の周邊サイトの記事なりを讀んでいただければ、おわかりになる筈である。


しかし、オウム真理教もさうだが、あの手かざし集團も、もう誰も覺えてゐないのですかねえ。以前、新線新宿驛近くの京王モールで、妙に爽やかな集團に圍まれて、變な勸誘をされた事があるのだが、今の若い人は、さう云ふ「怪しい集團」「怪しい勸誘」を知らないんですかねえ。

平成14年12月27日

一部の信者の所爲で妹萌えの人の株が下がる結果になつたのは殘念な事だ、といつてみるてすと。


俺もしつこいな。

平成14年12月27日

26日の記録。


豫定通り。


伊勢丹古本市攻略のあと、某氏とぷち忘年會。内容はオフレコ。

平成14年12月26日

本日は、例によつて例の場所へ(豫定)。

平成14年12月26日

ブラックチョコは嫌ひ。ホワイトチョコ大好き。


一時期、疲れ豫防と稱して毎晩、氷砂糖を齧つてゐた事がある。氷砂糖は餘り甘くない。

平成14年12月25日

えーと 、 彼らはまさにその慣習に対して異議を唱えようとしてるので、 その論拠として理屈を持ちだしてるのではないかと思います。

まあ、その理屈の正当性に関して私のような門外漢が うんぬんするのはおこがましいので専門家に任せるとして、 その理屈が正当かどうかは多くの人にとっては興味がないという事実と、 多くの人にとっては(純粋に慣れてないという点で)旧かなづかいが 読みづらいという事実は事実として存在していますな。

言語の変遷というのを考えたときに、ある種の人為的圧力がない場合には、 基本的に平易な方向に進むのが自然なのですな。 「今のかなづかいが言文一致だ」なんてのは妄言に過ぎませんが、 程度問題として旧かなよりは現代口語の音と各文字が 一対一対応に近いのは事実で、 多くの人にとってはこの点で旧かなよりも平易な表記だということは 異論がないでしょうし、多くの人にとっては今のかな表記で ほとんどの場合に困らないという点にも異論はないでしょう。

一度平易で、なおかつ(より複雑な表記と比較しても)実用上大して困らない表記が 普及してしまったら、元の表記に流れを遡行させるのは容易ではないでしょうね。 いや、それどころか、急激な変化を起こそうとする場合には、 たとえ平易な方向に進めようとするにしてもそれはそう容易な話ではなくて、 事実現代かなに関しては、 強い人為的圧力をもって移行を実現したという経緯があるわけです。 もちろん、少数の人々が遡行したり、あるいは言語のごく一部分に限って 遡行することはままあることでしょうが、 その手の変化が、言語全体かつ社会的な規模で起こるときというのは、 言語黎明期を除けば、今までの歴史だと、ナショナリズムの台頭とか、 そういう動乱の時しかなかったのよねぇ。

一部の信者の文章を見てると、試合に勝って勝負に負けてるというか、 要するにミクロな議論では勝てても、情報戦略的には完全に失敗してるなぁ、 という感じがしますね。言語というのは(本人は意識してなくても) 人間のアイデンティティと密接に関連しているものです。 人間のアイデンティティに対して干渉する場合、 一見ささいなことでも大きな干渉となることがありますし、 ましてや理詰めというのは逆効果だったりすることもあるわけです。 その辺を考えてないとしか思えない意見を読むにつけ、 私は「無邪気だなぁ」などと思ったりするわけですが。 少なくとも、 他人を見下してるという雰囲気がその文章にありありとあらわれてるうちは、 他人を言葉で打ち負かすことはできても他人を説得することはできないでしょう。

きっとね、仮に敗戦時に漢字かな全廃されて、 全部ローマ字表記になってたとしても、 日本人はそれにちゃんと適応できたと思うし、 あるいはローマ字表記に都合がいいように 日本語の方が変化してたんじゃないかと思います。 ただ、さすがにローマ字化あるいは漢字廃止ですらも、 社会的リアクタンスが大きすぎて実現できなかった。 そこにあるのは結局ある種のパワーバランスだけで、 言語学的正当性とかの理屈は(全く無関係とは言わないまでも) あまり関係ないんじゃないかと思います。 それが正しいかどうかは別として、世の中の流れというのはそういうものです。

戦略的には、とりあえず旧かなのいい点を 現代かなで説明するところからはじめないとダメでしょうねぇ。 賢明な人はここで馬鹿らしくなるんじゃないかという気がするんだけど、 思想の啓蒙というのはえてしてその手の心理的困難を乗り越えて (「バカになって」)初めて達成できるんじゃないかと。 まあ失敗したら単なる「バカになり損」かもしれないけど、 そんなことを考えてるうちは崇高な思想の啓蒙なんてできやしません。 バカになる覚悟がないんなら、 個人的嗜好の範囲で済ませておいて、他人には干渉しないのが賢明でしょう。

まあ、妹萌えの布教の爲に妹に萌えて見せるのは間違つてゐる、と云ふ理窟ですね。それにしても、バカになるのに覚悟が必要だとは、知りませんでした。要するに、自分の妹萌えは崇高な思想の啓蒙なのである、と、この御仁は暗に言ひたいのでせう。

「いい歳こいて妹萌え」とか言つてみるテスト。


なるほど、假に戀愛が全部妹萌えにさせられたとして、日本人はそれにちやんと適應出來るのかも知れないし、それに都合良く恋愛感情だか何だかも變化するか知りませんが、だからといつてその時「まともな戀愛」が絶滅するとしたら、日本人は絶滅した方が良い。

世の中の流れには乘れば良い、と云ふものではない。

世の中の流れに乘れない奴はバカだ、と見下したければ、言論の自由は此日本國で認められてゐるから勝手にすれば良い。しかし、さう云ふ現實主義の名を借りた事なかれ主義そして「體制」への阿諛追從は、私は嫌ひだ。

そして、しお氏が、數の論理を惡用して、少數派の言論を彈壓してゐる事實には、斷乎として抗議する。


何の事はない。しお氏が「正字正かな派よ、バカになれ」と言つてゐるのは、自分が正字正かな派を馬鹿にしたいだけなのである。

しかし、しお氏にしろ、例のいずし氏にしろ、「現代仮名遣い」「常用漢字」にマインドコントロールされてゐる人々は、何でそんなに「人は現實に滿足して感謝しなければならない」と言ひたがるんでせうね。まあ、マインドコントロールされてゐるから當然なのでせうが。


正字正かなで何を言つたつて、言論の自由だらうに。どうして略字略仮名派の人逹は、反對派の言論を封殺しようとしますかね。それも大概「道徳」を根據に持出すのですが、道徳を自己正當化の道具に用ゐるのは、間違つてゐます。

自分の頭の蝿を追へ。しお氏は、他人を説教する前に、自分の文章が如何に傲慢なものであるかを反省すべきだ。俺は絶對に、しお氏に説得などされはしない。


程度問題として旧かなよりは現代口語の音と各文字が 一対一対応に近いのは事実で、 多くの人にとってはこの点で旧かなよりも平易な表記だということは 異論がないでしょうし、と云ふしお氏の指摘だが、その平易とは「誰にとつての平易」なのか、を、しお氏は考へてゐない。

だから、多くの人にとっては今のかな表記で ほとんどの場合に困らない、と、逃げ道を用意する事を、しお氏は忘れない。

實際のところ、この逃げ道があるから、しお氏は偉さうにものを言へるのである。音と各文字が 一対一対応に近い、と云ふ邊りの處を、論理的に衝かれれば、しお氏の指摘は單なるイメージ論に過ぎない事がすぐに判然とし、しお氏の「現代仮名遣い」擁護論は崩潰する。にもかかはらず、論理的に崩潰したところで氣にしない「一般大衆」と云ふ強い身方がゐるから、自分の説がいんちきな「理窟」であらうが何であらうが、もつともらしく聞えさへすれば、しお氏は安心なのである。

それでは困る、いんちきな言論が世の中で通用してしまつたら危險である、と云ふ理由で、私は筋の通つた事を言はうとしてゐるのだし、言ふべきだと主張してゐるのだし、筋の通つた表記を用ゐようとしてゐるのである。正字正かな派の多くの人もさうだらうと思ふ。そして、さう云ふ正字正かな派の言論を、問答無用で押潰さうとしてゐるのが、「現代仮名遣い」「常用漢字」を無批判に受容れてゐる、言はば「批判的精神を持たない」人なのである。

平成14年12月25日

「正論」新年號で、歴史的假名遣の小特集が組まれてゐる。劈頭に我が尊敬する桶谷秀昭氏、掉尾に私の大好きな酒井隆之氏が文章を書いてゐる。近來稀に見る素晴らしい特輯だ。


酒井兄弟のどつちだつたか、既に忘れたが、「假名遣等どうでも良い」と言つた事がある。私は忘れない。

平成14年12月25日

辛い食べ物は全然駄目です。でも、日本酒は辛口でないと駄目。

甘口の酒なんて飮めない。


ウィスキーもストレートでよくやつたけれども、「やりすぎ」で一度死にかけた事があるから、二度とやらない。

平成14年12月24日

來年は、HTMLやCSSの話や、國語の表記の話、戰爭論や政治論ばつかりしないで、小説でも書かうかと。


デカイオーの第八話がなかなか巧く書けない。調子が出ない。と言ふか、あんな小説にてこずつてゐるやうでは以下略。

平成14年12月24日

「正直に言ふ掲示板」と云ふ掲示板がありましたねえ。

平成14年12月24日

平成14年12月24日

平成14年12月24日

対 Opera 対策のせいかな @2002/12/24 - 01:30
SatomikanOpera6.png
SatomikanOpera7.png
こんな感じです。

平成14年12月24日

來年は、國語國字問題について、うちよりもきちんと資料を纏めたサイトが出現して呉れると良いのですがねえ。過去の文學者や國語學者の主張は、青方の中村さんがサイト「電腦正統記」に一時期、纏めて下さつてゐたんですが、「電腦正統記」は無くなつてしまひました。

平成14年12月24日

「反米」で票を稼いで盧氏が韓國大統領に當選した途端、北朝鮮が核燃料貯藏庫の封印を撤去してアメリカを挑發。

日本の「反米保守派」が何と言ひ譯するか、見もの。


日本は、邦人拉致を北朝鮮の金正日首領が認めて、はじめて北朝鮮は惡い國だと云ふ世論が出來る國なのである。

日本人は一度だつて空想に惱まされた事はないんですね。眼に見える敵に對して復讐の觀念から戰爭したばかりで、眼に見えない空想や迷信から騷出した事は一度もない。つまり日本人は飢饉で苦んだ事はあるが精神の不安から動搖した事はない。

「共産主義の國だから北朝鮮は惡い國だ」と云ふ世論は、日本で一度も形成された事がない。さう言つた瞬間に、その人は「右翼」「保守反動」のレッテルを貼られるだけだつた。それがいまや、邦人拉致とか、核開發とか、「差迫つた危機」が眼に見えるやうになつて、それでやつと一部の人が騷ぐやうになつただけである。

そんな日本人にとつて、民主主義だの自由だのの觀念は、やつぱり他人事に過ぎないのだらう。永井荷風のやうに、その事を實に嫌な淋しい氣がする等と言はうとは思はないが、ただ、明治以來、西歐的な觀念を學んでいまだに理解出來ないのならば、日本人は永遠に理解出來はしないだらうと豫想を立てても、強ち誤とは言へないのではないか。そして、それでも日本人は西歐の連中と附合つて行かなければならないのである。

いつまで連中が相手にして呉れますかねえ。

平成14年12月24日

さとみかんを見に行くとOpera 7 beta2が暫し沈默する、と云ふ怪現象。

平成14年12月24日

世間には、「相手を苛立たせる爲にとぼけるのが好き」と云ふ人がゐて、困る。

平成14年12月23日

サンタさんめーる到着。

平成14年12月23日

日本テレビの某番組で、昔、香淳皇后が今の天皇陛下に御送りになつた手紙の内容を字幕附きで紹介してゐたのだが、字幕の假名遣が目茶苦茶だつた。

平成14年12月23日

土曜日、高田馬場で「藍青ラッピングバス」を目撃してゐた事。

平成14年12月22日

鋼鉄面皮デカイオー、再起動。


どなたか、繪を附けてやつて下さい。といつてみるてすと。

平成14年12月22日

さやうならこんにちは。

平成14年12月22日

言葉の正當性の話なら、文法とか言語學の知識を參考にきちんと考へるべきなのに、どうして多くの「現代仮名遣い」信仰の人間は單に見慣れてゐるとか通じるとか言つて「現状」を押附けたがるのだらうか。


「『現代仮名遣い』は、世間で良く使われてゐるから、誰もが使うべきものなのだ」と云ふ主張は、「コンピュータウイルスは、ネットワークに蔓延しているから、誰もが感染すべきものなのだ」「スパムは、ネットワークに蔓延しているから、誰もが受信すべきものなのだ」と言つてゐるやうなものである。「現代仮名遣い」にしろコンピュータウイルスにしろスパムにしろ、その機能と性質に基いて議論をしないと、正邪は決定出來ない。その存在が「自然」であるかどうかは、それが存在して良いかどうかを決める決定的な根據とはならない。

平成14年12月22日

Broadband:TRONの坂村教授、「ユビキタスの誤解」を斬る
「斬る」なんて言ふと、人格攻撃されたり、嫌がらせをされたりしますよ。

平成14年12月22日

若合春侑さん『海馬の助走』が受賞した「第24回野間文芸新人賞発表」の選評の載つた「群像」2003年1月号を買つて來た。山田詠美さんの選評に曰く、若合さんの文章には「困つたたくらみ」――「悦に入る」と云ふ事が無い。


「微熱語り」のやうな小説には、どうコメントしたものやら、困惑してしまふのですが。

平成14年12月22日

KOMEI ブラウザ、その後 @ [antipop]が、俺ニュース一千万ヒット達成変人窟で採上げられてゐる。

平成14年12月22日

「『そんな事を知つてどうするのですか』と言返したくなるやうな質問禁止掲示板」にでもtitleを變へようかと檢討中。

平成14年12月22日

日本に於る文化の斷絶と云ふ事なのだけれども、昭和二十一年十一月十六日と云ふ風に、或特定の日附に突然起きたと、さう言つてしまふべきだとは思はない。國の御逹しによつて、すつぱり日本人の意識が變化し、文化が斷絶する、と云ふものではないと思ふ。もちろん、日本では、「御上の意思」なるものが個人の意識を支配してゐる側面はあると言つても、或意味、當つてはゐるのだけれども、それはレトリックとして「正しい」のであつて、事實とは言へない。


表記の問題に關する認識は、ペトロニウスさん(@ 超こだはりの郵便局巡り)とは、それ程違つてゐるとは思はない。

ものの考へ方、世界觀、センス及び趣味と云ふ點では、多分、かなり違つてゐる。特に、文章のセンスは、大分違ふ。


あと、私は「ダメの人」だけれども、ペトロニウスさんはさうではないやうな氣がします。私は「ネガティヴマネージャー」と呼ばれた男だ。

平成14年12月22日

胡桃の中の航海日誌の事を書いた文章を過去帳送りにしたら、途端に先方へのアクセスが減ると云ふ怪現象發生、笑ひ。


cite屬性附きのblockquote要素によつて引用を明示しつつ、引用文の近くにアンカーを置く事は、情報を重複させる事になる。閲覽者にはリソースを得るのに待つ時間が増えるし、ネットワークには負荷がかかる。

かなだけの文章は、意味を取り辛いと云ふ側面もあるが、文章を構成する文字の數が増えるので、データのサイズが増える、と見る事も可能である。漢字を使ふ事で、同じ内容のデータでも、サイズを減らす事が出來る、と見る事も可能である。そして、データサイズが小さいほど、ネットワーク經由でリソースを得るのにかかる時間は減る。そして、リソースを得るのにかかる時間が少いほど、使ひ勝手が良いと感じられる、と云ふ風に見る事も可能である。

ユーザビリティ、アクセシビリティ、と言つても、話はそれほど單純ではない。

平成14年12月22日

21日。

「アメリカのテロリストのルーツ」に關するとても面白い講義と、酒あり煙草ありのとても「不健全」な忘年會より生還。

平成14年12月21日

こないだ初めて知ったのだが、世の中にはパクリ日記サイトというのがあるんだそうで、いったいどういうものかというと、他人のサイトに公開されている日記の中身をそっくりそのままコピーしてきて、日時や固有名詞をちょいと変更、自分の日記として公開してしまうのだという。

「闇黒日記」の事を言つてゐるのかな。

平成14年12月21日

書き手が少々頼りなくとも、読み手さえちゃんとしっかりしてればいいのです。

文章と云ふのは、しつかり考へて書くべきである。讀み手が都合良く解釋して呉れると期待してはならない。讀み手が頼りないか頼りなくないかには關係なく、須らく書き手はしつかりしようとすべきである。讀み手の能力に依存するのは、書き手の甘えでしかない。

平成14年12月21日

と言ふか、賣られた喧嘩を一々買つてゐる俺も閑人ですね。


私が喧嘩を賣つた事はそんなにない筈だ。

私は誰の挑戰でも受ける。それだけの話だ。

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