そろそろ「2囘目」の計劃を……。
小泉訪朝大失敗で、右翼がまた元氣になるな……。
「自民黨は革新政黨よりも革新的」と云ふ事。
共産党の主張がまるきり通つてゐる。これでは共産党の面目丸つぶれ。それが狙ひですか小泉さん?
まさかねえ。
まあ、小泉が勝手に滑つて勝手に轉んだだけなのだが、軍隊を持たない國の首相が獨裁者に謝罪以外の何を出來るかと考へれば無理もないとしか言ひやうがない。
アメリカなら、とつくの昔に北朝鮮に侵攻してますな。
EiFYE原子力発電所FAQ特別編 ●『Re:原発がどんなものか知ってほしい』●(超長文注意/文章のみ約130kB)が削除されて、原発がどんなものか知ってほしいが獨り歩き。(2002-09-15 @ [霧の中に浮かび来る(仮)])
原発がどんなものか知ってほしいはトンデモさんですよ。
また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。
こんな馬鹿な事を言ふ原子力発電所の現場で働いていた者
なんて、ゐやしません。
國語の表記の問題もさうだけど、原子力の問題となるとヒステリーを起す人が多いですねえ。/.の「議論」を見てゐて思つた。
鳥なき里の蝙蝠。
トンデモさんの言ふ事をあんまり眞に受けないでね。
White's Free Talkの中田氏の文章は、あの棺光一氏のそれを聯想させる。
自分を棚に上げない卑怯者。
ランブルフィッシュは面白いよ。
せきせいいんこは屡々でこッぱちである。
なめくぢ君再來。
あと蚊も。
好い加減なデマを垂れ流してゐれば良いのだから、反體制派は氣樂である。
まあ、「大目に見ろ」とは言いたいです。すなわち、「惡意があるやうにしか讀めない」という先入観を捨て、もう少し冷静になって、その内容を子細に検討するべきではないかと感じます。
こんな事を言ふ人が、以前こんな事を言つて私を非難したのはどう云ふ譯なのでせうか。
私には、野嵜さんが、文のあげ足だけ取って、文章を読もうとしていないように思えます。正直、意思の疎通ができるとは思いません。対話する気があるのなら、私の文をこねくりまわすのではなく、私の文章を読んでください。そんな気など毛頭なく、持論の株を上げるための叩き台が欲しいだけなら、どうぞ勝手に愉悦に浸ってください。
とんでもない非礼だとは解していますが、少なくとも、野嵜さんよりの私に対する反応の文章には、そう思わせるだけの何かがあると忠言させていただきます。これが私の誤読であるのなら、よいのですが。
White中田氏は御都合主義です。或は、中田氏は對話する氣がないんです。相手から反論されない事が、中田氏の目的なのですから。
私の発言は、私の判断に基づくものです。私は自分の言葉が私の主観に依存していることを認めていますし、私の下す判断もすべて私の主観に基づくものだと思っています。
その私の主観
、私の判断
、私の発言
は、全て他人に何う斯う言はれる筋合ひのないものだ、と中田氏は主張してゐるのです。もちろん、その「私」を、ウェブのやうな公共の場に垂れ流さず、「私」の中に閉ぢ込めておく分には、何の問題もありません。逆に、公共の場での議論で「私」「私」と言ふ事が大問題である譯ですが、中田氏はそれに全く氣附いてゐないだけです。自分の意見は自分だけで納得してゐれば良い、と中田氏は思つてゐるのですが、それでは社會は成立たない、とまで氏は考へられないんですね。
縱令完全客観などというもの
が存在しないにしても、社會が存在するならば、我と汝の間にコミュニケーションは存在するのであり、さうなると兩者の間に共通の認識は存在しなければならないのですから、限定的であれ何であれ客觀的なものは存在しなければならないのであります。少くとも、私はさう云ふ共通感覺、或は常識の存在を信じてゐるのであり、さう云ふ私の主觀を中田氏は主觀であるがゆゑに否定する事は絶對に出來ません。中田氏は、人の主觀を否定してはならないと言つてゐるのですから、當然私の主觀を否定出來ません。したら、中田氏は自分で自分の主張を裏切る事になります。
中田氏は、惡意を持つてゐないんです。「天然」なのです。だから困るのです。江洲さんには、かう云ふ人にはかかはらぬのがよろしいと御忠告申し上げます。すぐ被害者面をする相手とは、絶對に議論出來ません。被害者面して相手を惡人と極め附けつつ、自分の惡意は無視しろと蟲の好い事を言ふ人間にかかはると、ろくな事がありません。
それから、中田氏は「すべからく」を誤用してゐます。中田氏は、認識とは、すべからく主観です。従って、判断というものもすべからく主観に基づくものです。
と書いてゐます。「すべからく」は「べし」で結ぶものです。中田氏は、「すべからく」は「すべて」の意味で使つてゐます。
この手の「すべからく」の誤用は、自分を偉さうに見せかける爲のものです。權威主義に基く言ひ間違ひなのです。――さう私が言つても信用出來ないと言ふのなら、呉智英さんがさう言つてゐます。中田氏には、すぐ相手に「道徳的」な説教する癖があります。自分は偉いと、中田氏は無意識で思つてゐるのです。それが江洲氏には堪らなく嫌らしいものに思はれてゐるのです。中田氏はすぐに謝罪して見せますが、それも慇懃無禮にしか見えない。當然の事です。