やつぱり段落アンカーうぜえ。
ブラウザの[File]-[Save as]で、ファイルの種類に「Text files (*.txt)」を指定して、ウェブサイトの文書を保存した時、讀めるテキストファイルが生成されるかどうかが、良いHTML文書をそのサイトの制作者が作れるかどうかの岐れ目。
mame's webの「雑記」はとてもdangerousで愉快だ。name屬性附きのa要素に悉く終了タグが無かつたり、「全文引用」だつたり。
死にますよ。
罪を憎まず人だけ憎むと云ふ人情。
特に意味はナシ。
美少女陵辱日記が毒まつたけに。
伊勢丹の古本市で見かけたもの。
佐藤惣之助が死ぬ直前に書いた釣りの本もあつた。
美少女陵辱日記が正かなに。
見出しはレベル1から書きましょう
XHTML 1.1以前の勸告に、見出しは必ずh1から始めなければならない(must)と言つた類の規定は無い。「こんな意見もある」と云ふ書き方しかされてはゐない。
ここも「南京大虐殺」の話ばつかり。
例會は與太話の積りだつたのに、何かいきなり實現してゐる。第二囘は多分高田馬場。
神が餘裕で匿名掲示板に書くのと自分みたいなカスが匿名掲示板で時間を潰すのとでは全く意味が違ふ。神が掲示板で煽られてどうにかならうとそれは別に何の問題もないだらう。なぜなら神は神だから。
ウェブ日記では、一人の人にしか傳はらない事を書いても、九十九人は「そこには多分何らかの意味があるのだらう」と善意で解釋して呉れるので、何とかなる。
惡意を持つた閲覽者には曲解されると云ふ羂。
一部の新刊書店で、社会思想社・現代教養文庫のラストセールが實施される。
本日の買物 @ 伊勢丹。伊勢たんハァハァ。
「過ちは繰返しませんと言つたから8月6日は原爆記念日」。
今更。
気象庁のサイトには、*.cssファイルへのリンクが切れてゐる文書が幾つもあつて、Navigator 4.xでアクセス出來ない場合がある。
あの顏であの臺詞、と云ふ落差を面白がつてゐたユーザがゐる限り、全てを繪師の功績にしてプログラマが卑下する必要はない。
やらしい漫畫を描く漫畫家が捕まらないのに、漫畫家がやらしい事をすると捕まると云ふ羂。
ひき割りとうもろこし
がひき(以下略)。
某「マジカルて」を觀てしまひました。私は穢れてしまひました。
本日の買物 @ 伊勢丹。
多分明日も「出撃」するので、野嵜の顏を見たい人は閉店間際の伊勢丹で待構へて下さい。
一太郎の怪しい擧動にぶち切れ捲つてゐる俺の目の前で、さゆ/上下さゆ/琴乃つむぎさんが、「Word」「一太郎」とあれば、私は「一太郎」を採る
、と宣言。
何度でも言ふが、一太郎は日本のPC界における最大の負の遺産である。
「X字×Y行」と云ふ概念をベースにしてゐる一太郎は、俺には使ひ辛いものにしか思はれない。文字のサイズを變更すると字送りを勝手に調整して呉れるWordの方が使ひ易い。
殊に、一太郎の「字間」「行間」の概念は異常。行間罫線を引くと、表と直前の段落の間の空白を狹められなくなる。行間罫線が罫線行の下の端つこに生成される爲、その罫線行の分、隙間が空くのだが、この隙間の罫線行を詰める事が事實上不可能だと云ふのは、一太郎の致命的な缺陷だと思ふ。この罫線行の「行間」を狹めると、なぜか行間罫線は動かず、次の行が前にずれてくる。
一太郎で罫線を使ふとはまる、と云ふ羂。殺す。
Wordは本來、アウトラインモードで文書を作成し、スタイルを指定して、ページレイアウトモードで仕上り具合を確認する、と云ふ使ひ方をすべきワープロだ。いきなりページレイアウトモードで文字を打込んだり、標準モードを使つたりするのは間違ひである。標準モードは、かつてPCの性能が低く、ページレイアウトモードが實用にならなかつた頃に使はれた簡易表示モードであり、「標準」と呼ぶ事がそもそも間違つてゐる。
一太郎には、高速モードを使はないと文書の状態を確認出來ない問題がある。しかし、Wordには、標準モードを使はないと何うにもならない事態は生じない。Wordで標準モードを使ふのは、極端な言ひ方をすれば、馬鹿である。(ただし、遲いPC等で、割切つて使ふのは問題ない)
「野嵜こそ馬鹿だ、何言つてんだ。お前は一太郎の本當の使ひ方を知らないから阿呆な事を言つてゐるんだ。一太郎の事なら俺が教へてやるぜ」と言へる方は、是非御聯絡下さい(匿名不可)。まじで仕事を手傳つて貰ひたい。
KlezがHi,noz,meeting notice
なる、やけにタイムリーなsubjectのメールを呉れた。
大人や教師が本を読まなくなった
から子供の読書離れ
が起きる、と云ふのは、現象論に過ぎない。問題は、なぜ大人や教師が本を読まなくなった
のか、だ。
田中克彦が言葉の亂れを大歡迎してゐる模樣。@ 雜誌「ダカーポ」
「現代の本は皆、イデオロギーに基いてゐる言論ばかりだから、面白くないのである」と云ふ説を考へた。政治的な本が多過ぎる。或は、メッセージ性の強い御説教みたいな本ばつかりである。
紋切型しか目にする事が出來ないとわかつてゐて、讀者が本に期待する事はあり得ない。
メモ。
menu要素と云ふものがあつた事は、案外忘れられてゐる。と言ふか、HTML 4.01 Transitionalでは「生きて」ゐたりするのだが。nl要素型はmenu要素型のリヴァイヴァルであるやうに思はれる。
qをquoteに變更する、と云ふのは、意圖は分かるのだが、本當に必要な事なのかどうか。abbrとacronymを竝立させてゐるにもかかはらず、qとquoteは竝立させない、と云ふのはどうか。と言ふか、なぜqだけが切捨てられるのか。blockquoteを殘す意味はあるのか。
どうせインデントにしか使はれてゐないのだから、blockquoteなんて切捨てても良いのではないか。
qとblockquoteは廢止して、cite屬性をHypertext屬性にすると云ふアイデアはどうか。それによつて、多くの要素をそのまま引用に使へる。制作者が引用符を自分で附加すれば、その部分が引用である事は閲覽者にわかる。
line要素も、brを廢止する爲、と云ふ「意圖が見え見え」で、今一つ評價しにくい。個人的には、lineを必ず「ブロック要素」に含めなければならないと言ふなら、同樣にpreも「ブロック要素」に含めなければならないと云ふ仕樣にすべきだと思ふ。
Cascading Style Sheets, level 2 revision 1 : CSS 2.1 Specification W3C Working Draft 2 August 2002の記述との「不整合」も、何とかしなければならない課題だらう。
CSS 2.1 WDの方は、どうも「後退」としか思はれない部分があつて、個人的には贊成出來ないのだが。と言ふか、現状のCSS 2.1には反對。
メモと言ふか、本家W3C關係者にはどうせ讀まれてゐないだらうし、次のWDに反映される筈もないから、戲言。と言ふか、まだWorking Draftなんだし、現時點で評價する事自體、不可能かと。
CSS 2.1もさうなのだが。
nl要素型に就いての「つつこみ」が2002-08-07のagendaにあります。
某方面で話題のXHTML™ 2.0 W3C Working Draft 5 August 2002を讀んだ。意圖は何となくわかる。
意外な事に、dl/dt/ddの定義が本質的に何ら變更されてゐません。と言ふか、nl/name/li邊を見ると、相變らず階層構造ではなく竝び順に依存したマーク附けの記法が採用されてゐます。
nl要素は、何だかなー。この手の本文とは關係の無い記述は、headに「追出す」べきだと思ふけど。視覺系のユーザエージェントでは「ドロップダウン式」のプレゼンテーションスタイルを採用する形になるやうです。
レガシーな部分を切捨てようとしてゐるんですが、變に昔からの因縁を引きずつてゐるところも殘つてゐて、依然として過渡期の樣相を呈してゐます。
某社の製品と一緒で、ヴァージョン3にならないと使ひ物にならないのかも知れません。
詳しくは、2002-08-06 @ [マーク付けノート 2002年6月 - マークの付けかた]を見るとか、-miscellany-の2002-08-06邊を見るとか。
はっきり言ってちょっとガッカリ。 p 要素を意味段落、 line 要素を形式段落として扱えるものかと思いました。もしも、そうだとすると対話文が非常に書きやすくなるのですが。まず対話文を p 要素で囲み、セリフを line 要素で囲む。素直に div 要素使えって事でしょうか・・・。
10.1. Definition lists: the dl, dt, and dd elementsに、dl-dt-ddを用ゐて對話をマーク附けする應用例が出てゐます。と言ふか、HTML 4.01の時點でこの例示が出てゐたりします。