闇黒日記



お茶でも上がれ

平成14年6月20日

Klezのメールがばんばん來るのですよ。何とかして下さい。

平成14年6月20日

Die inoffizielle OPERA-FANSITE
見事にtableレイアウトだが、XHTML 1.1準據。

平成14年6月20日

鈴木宗男氏が、たつた五百萬圓の賄賂を受取つたとの罪で、逮捕された。

原田義昭衆院議員の元私設祕書、横山直史容疑者は、月刊誌編輯者から四千數百萬圓を欺し取つたとして、逮捕されたさうである。


政治家よりも祕書のやらかす犯罪の方が、スケールは大きいものであるらしい。「祕書がやつた」と云ふ政治家の御決りの臺詞は、案外眞實なのかも知れない。

平成14年6月20日

月曜日に「水戸黄門」を三分間ほど觀た。そこで、觀るのを止めた。

繪に描いたやうな嫌な役人の臺詞と演技に、どうして誰も不滿を覺えないのだらう、と思つた。勸善懲惡の「ドラマ」にしても、底が淺過ぎる。


日本の文化レヴェルが良くわかつたやうな氣がした。

平成14年6月20日

[Shift]+[英数]=[CapsLock]と云ふ羂。

平成14年6月20日

平成14年6月20日

「スターゲイザー」の第四卷はまだ出ないんですか。

「蜜柑山奇譚」の第三卷とか。

平成14年6月20日

Last 1 Hour退社前の1時間で書けるだけのコラム 最近Wordを使わない理由
WordはVer 1.2Aがベスト。

平成14年6月20日

平成14年6月20日

うちの*.cssは、転載も直リンクも可です。改變も自由にして下さい。


「改變したら本家にフィードバックする事」と云ふ條件を附けたら何うだらう。

平成14年6月20日

ネット上で、自分が疑問に思うこと、わからないことを質問する時は、「相手にも時間というリソースがあって、そのリソースを潰して、考えて、答えてもらうのだ」、ということ十分、配慮した上で、質問文を作成しましょう。また、質問の仕方を考えましょう。

と云ふ譯で、なめくぢ問題については、非常に澤山の方から色々な囘答を頂戴しました。どうもありがたうございます。

平成14年6月20日

www.ime.nuではApache/1.3.20が動いてゐる。

平成14年6月19日

Web Designing 7月號でつきねこさんの名前を目撃。

平成14年6月18日

平成14年6月18日

なめくぢを退治する良い方法を募集中。1cmくらゐの子供のなめくぢが庭中にゐる。おそらく數萬匹はゐる。何とかして下さい。

平成14年6月18日

デュアル文庫には『銀河乞食軍団』を復刊して貰ひたいと思ふのだ。


サンリオSF文庫は、カヴァのイラストに良いものが結構ありました。裝釘とか、造本とかは、何か、散々な出來でしたが。本文の版面が一册一册全部異るとか、カヴァを剥がした本體の火星人が右を向いてるのと左を向いてるのとがあつたとか。『ウルフヘッド』の印刷は、やけに汚かつた。

カヴァ裏の惹句が適當だつたり、露骨に間違つてゐたりするものもあつたりして(例『ハローサマー・グッドバイ』)、サンリオは結構奧が深いのです。


ハヤカワ系のSFよりもサンリオ系のニューウェーヴの方が、個人的には好みです。話自體は全然面白くねえものが多いんですが、SFにはやつぱり「いかにも新しいもの」といつた雰圍氣がなければ、ねえ。


誤譯・惡譯が多いのでも惡名高い、と云ふ事をすつかり忘れてゐた。飯田隆昭譯のディックは、讀むと氣が狂ひさうになります。飯田先生、授業では普通の日本語を喋つてゐたんだけれどねえ。

平成14年6月18日

○○のくせに…と云ふ記事を書いてゐるところから推測すると、ねずみ(6月6日をもって改名)氏は我がインターネット紋切型辭典を讀んでいらつしやらないやうだ。

平成14年6月18日

日本語の漢字假名交じりの文章は、空白文字による分かち書きが存在しないから、ブラウザが變なところで折返しをして呉れる、それは困るから、制作者が何とかその邊りの事をコントロール出來るやうにはならないか、とnabesin氏。

Webページの見出しで、もう少しうまく改行されるといいのに、と思ったことはないだろうか。たとえば、「インフレーションの悪とは何か」という見出しがあったとしよう。これが、画面の都合で以下のように表示されたとする。

インフレーションの悪と
は何か

上は、かなり都合が悪くないだろうか。切るべきところで切れていない。せめて、
インフレーションの
悪とは何か
とか、できれば
インフレーションの
          悪とは何か
となるような才覚を求めたい。分かち書きをしない言語のために、「もし改行しなくてはいけない事態になったらここで改行する」というタグ(より広義には、単語の切れ目を明示的に指定するタグ)があればいいのだが。

nabesin氏は「改行」と言つてゐるが、どう考へても「折返し」と言ふべきところ。閑話休題。


Minamino氏がnabesin氏の記事に反應して。

あったら便利のような気もしつつ、いちいちタグで指定するのもなんなので、CSS でTEXT 全体を指定する方がいいですよね。

<wbr> を知らんのけ、ボケ、というツッコミ。


個人的に、漢字假名交じりの文章で、その手の折返しが必要とは思はれない。熟語の途中で字が次の行に送られても、をかしいとは全然思はれないのだ。そもそも、膠着語の文章に、切るべきところは、果して存在するのか。句讀點で字句の切れ目を明示するのは讀者の便宜の爲だが、句讀點が無くとも、適切に書かれた文章ならば、讀者はその文章を讀めるのである。「讀み難い」「誤讀する可能性がある」――それはその通りだが、必要以上に「字句の切れ目」を意識する事も無からうと思ふ。


例によつて、Internet Explorer(Win32)で上の記事はまともにレンダリングされませんので。わらひ。

平成14年6月18日

平成14年6月18日


一方、「Kensaku.jp」の遺産を受け継ぐ検索サービス、「AAA!CAFE」で開始、と云ふ記事も。(AAA! CAFE)

平成14年6月18日

平成14年6月18日


戰爭とサッカーは話が別だ、と主張する氣持ちの惡い人がたまにゐますが、皆樣いかがお過ごしでせうか。俺は、ユニフォームがだらしないので、今のサッカーは嫌ひです。選手がいかにも馬鹿みたいでねえ。


顏に日の丸を描いて旗を抱へた人(サポーターなんて言ふんですか)が、驛の自動改札でひつかかつてやんの。

平成14年6月18日

「今の御時世」と言つて言葉狩りをするのは、間違つてゐます。朝日の囘し者とか共産黨の囘し者とか言はれても、仕方のない事でせう。


左翼は、右翼にレッテルを貼つて平氣です。にもかかはらず、右翼が左翼にレッテルを貼らうとすると、左翼は、いかにも的外れな批判をされたかのやうに言つて、迷惑さうな顏をするか、嘲笑するかします。

根本的なところで勘違ひしてゐるやうに思はれます。

平成14年6月17日

FKB-101EBを購入したMakoXさん。チルダとESC、CtrlとCapsのキーの配置がそれぞれ入れ替わっている、と云ふのを弊害と言つてゐます。

CapsLockは元々殆ど使ってなかったのですが、CtrlキーはWindowsにおいてはコピペのショートカットキーとして多用しますので、若干その点で問題が。また、ICQでのメッセージ送信のショートカットはCtrl+Enterですので、これにも問題が。

昔々。PC-9800シリーズの時代からPC/ATの時代に移行しつつあつた頃。「[Ctrl]は[Shift]の上でなければ許せない」と主張した人が結構ゐたものです(今でもゐるみたいです)。A01キーボードの[Ctrl]は押しにくい、[CapsLock]の上の方が押し易い、と、その手の人は主張してゐました。

MakoXさんの主張は、それとは丸きり反對で、[Ctrl]が[Shift]の下になければ使ひづらい、と云ふもの。時代は變りました。


「ダイヤモンドカーソル」愛好者が、[CapsLock]の上にある[Ctrl]を愛用してゐたやうです。

平成14年6月17日

オタコの世界 第18回:亜細亜玉に迫る危機
どうしたもんですかねー。

平成14年6月17日

サンリオSF文庫版「宇宙飛行士グレンジャーの冒險」(ブライアン・ステイブルフォード著)は、カヴァのイラストがとても良い。前半3册の譯者は、「タルタロスの世界」を譯した嶋岡潤平氏。「タルタロスの世界」は誤譯が多いので惡名高い。後半3册の譯者は菊地秀行氏。

ダーゼック・シリーズは、案外樂しく讀めます。後半未讀。わらひ。


私は『宇宙船ビーグル號』を讀んでゐない僞SFファンなので、『見知らぬ者たちの船』を讀めません。


ステンレス・スチール・ラットをハヤカワは復刊して呉れませんか。呉れませんね。以下略。

平成14年6月17日

はふう……何やら色々語つてますなあ……まあ私も少からず影響を受けてちよつと勉強してみようといふ氣になったんですがね。皆さんRagnarokがお好きなやうです。ネットゲームつてのはそんなにいいものなんですかねえ。

以下略。


平成14年6月17日

携帯端末のためにTABLEレイアウトを使わないとかさ、 誰が携帯端末でわざわざ通常のサイトを見たがるのだろう?

「闇黒日記」を携帶で見てる讀者から、報告を貰つた事がある。

平成14年6月17日

「○○」と主張してゐる人は、「なぜ○○なの?」と問はれると、嬉しさうに「△△だから」と答へる。そこで「なぜ△△なの?」と問はれると、非道く面食らつたやうな顏をして、「それあ××だからだらう?」と答へる。そこでさらに「なぜ××なの?」と問はれると、必ず怒る。

平成14年6月16日

平成14年6月16日

ふーん。

平成14年6月16日

MdNから『Webスタイルシート・デザインガイド』と云ふ本が出てゐる。結構まともな内容だつた。が、値段が2800圓と、やけに高い。


『暗黒日記1』はちやんと出てゐました。ABC橋本店で確認。

平成14年6月16日

平成14年6月16日

ただ,ある程度の人数の非戦闘民をまとめて殺したと言うのはあり得るのでは? 尤も,それはとりたてるべきことではないかもしれない.それが,戦争と言うもの.だからやって良いと言うわけではないが.南京を特別扱いする必要はないということ,「戦争で中国国民を大勢殺した,責任がある」と言うなら,それは恐らく事実だろう.ただ我々の世代に責任をとれと言うのには同意しない.なお,私の意見としては,虐殺と言うなら,アメリカによる空襲も,「虐殺」ではないかと思う.特に原爆投下の件だ.しかし「東京虐殺」なんて言い方はしないようだ.その意味で南京の事件は「虐殺」でないというのもありだろう.

「戦争で中国国民を大勢殺した,責任がある」、と云ふ事に對するTi氏の認識、即ち、それは恐らく事実だろう、には贊同し兼ねる。この邊りはレトリックの問題だが、責任と云ふ概念を主語にしてゐる時點で話は曖昧になつてゐる。

人は他人の運命に責任をとる事など、本質的に出來ないのであつて、それを現代の日本人は勘違ひしてゐる。その勘違ひは、明治以來のもので、夏目漱石が『こゝろ』でやらかしたものだ。そもそも責任と云ふ概念は、西歐由來のもので、日本固有のものではない。だから我々日本人は、責任と云ふ概念をなかなか正しく理解出來ない。

アメリカ人にも、原爆投下は間違ひだつたと考へる人はゐる。しかし、殆どのアメリカ人は、原爆投下の責任問題など、考へない。戰爭は政治の問題で、要は、自國が勝つか負けるか、結果として自國の利益となつたかならないか、だけが問題だ、と、道徳と政治を峻別するクリスチャンであるアメリカ人は當り前のやうに認識してゐる。程度に差はあれど、西歐のクリスチャンは皆、マキャベリストである。


東京大空襲も、廣島・長崎への原爆投下も、虐殺ではない。ただ單に、戰爭に勝つ爲、アメリカのとつた戰術である。

ここで、ヒットラーのやらかしたユダヤ人虐殺について觸れておく。ヒットラーは、ユダヤ人を道徳的に許せなかつたから、殺すやうに命令した。我々日本人は「ユダヤ人虐殺」と言つてゐるが、英語ではHolocaustと言ふ。holocaustは、日本語に「虐殺」と譯してゐるが、原義では「火による虐殺」の事である。「火あぶり」と言つたら聯想されるのは「魔女狩り」だ。火による淨化の概念は、多分に宗教的なもので、holocaustには實行者の「淨化の意志」が強く見られる。

假に「南京大虐殺」があつたとしても、その意圖に「皇民化政策に基く淨化」などと言つたものは無かつたであらう。天皇の名の下に戰はれた戰爭であつても、天皇の名が名目だけのものであつた事は、「南京大虐殺あつた派」自身が認める所である。大體、當時の大部分の日本人が、天皇は絶對的な神ではない、天皇は人だ、と知つてゐた。「南京大虐殺」があつたとして、天皇を信じて、或は、神國・日本を信じて、日本人以外の人間として許し難い支那人を殺すべきである、と信じて殺戮した日本人は皆無であつた筈だ。

ならば、「あつた派」の言ふ「南京大虐殺」が、假にあつたとしても、holocaustの名には値しない。目的が、金品掠奪だの「婦女暴行」だのであつたとしたら、それはholocaustではない。價値觀拔きのholocaust等と言つたものは存在しない。「ユダヤ人虐殺」と同じやうに「虐殺」などと呼ぶから、わかり難くなるのであつて、と云ふ事は、「南京大虐殺」と云ふ言ひ方自體がレトリックである、と云ふ事である。


私は基本的に戦争には反対である.国益? 理由は単純である.

人は自己中心的だと思う事だろう.しかし,死にたくない,痛いのが嫌だ,というのはいけないことなのだろうかね.

生延びる事が至上の價値である、と云ふ大前提がある限り、Ti氏の主張は論理的に正しいでせう。しかし、人はパンのみにて生くるに非ず――生延びる事だけが人間の價値ではない、と云ふ事を認めるならば、Ti氏の主張は「あなだらけ」と云ふ事になります。

生延びる事は政治の領域に屬します。より善く生きる事は道徳の領域に屬します。政治的な動物である日本人は、道徳的に生きると云ふ事をなかなか理解出來ません。歐米諸國のクリスチャンは生れた時から生延びる以上の價値を重視する習慣を持つてゐます。

クリスチャンの連中は、現世に寶を積むよりも、神の國に寶を積む事を重視してゐます。實際の行動はともかく、建前はさう云ふ事になつてゐます。だから、建前では、神の爲ならば、即ち、道徳的に善い事の爲であるならば、命を捨てるのは當り前であります。

「死にたくない」と言ふ日本人の臺詞を、クリスチャンは嗤ふでせう。生延びたところで、どうせ壽命はすぐにやつて來ます。そして、生延びる事ばかり考へてゐれば、必ず道徳的に好ましくない事をやらかしてゐる筈です。すると、現世の命を惜しんだばかりに、永遠の命を失ふ、と云ふ事になる譯であります。

もちろん、日本人は目に見えない理想を信じませんから、「永遠の命」と云ふキリスト教の概念を理解しません。


日本人の精神は、「死なねばならぬ」「死ねば良い」ではなく、「死んでも良い」であるべきだ、と保田與重郎は書いてゐる。もちろん、根據は全然ない。現世利益しか求めない唯物的な日本人に、生命以上の價値は理解し難い。

が、それを何とか知らうとしない限り、日本人が西歐の人間と附合つていく途、西歐の文明を受容れる途はない。夏目漱石が「上滑りに滑つて行くしかない」と言ひ、福澤諭吉が「痩せ我慢の説」を唱へた所以である。

平成14年6月16日

中島義道は贋物の哲學者だと、俺は思つてゐる。


中村雄二郎さんの哲學書は面白いよ。取敢ず、讀んで理解出來る。

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