匿名で誰かの事を根據ナシに愚弄するのは許されるが、或程度個人として特定出來るやうな情報を提示してゐる個人が誰かの事を根據を擧げて批判すると「中傷」と決め附けられる、と云ふウェブの風習は、何なのだらう。きだみのるの用語を借りて「ウェブ部落説」を提唱したい。
と言ふか、「ウェブ日記」で互ひに相手の文章を參照しあつて、コメントを附けあつて、なんてのは、掲示板でのなれ合ひ行爲と一緒で、御喋りみたいなものですから、「引用」なんて御大層な言ひ方をするのはをかしいとすら思ひます。
電車の中で携帶電話のボタンを一生懸命ぷちぷち押したりジョグダイヤル(と言ふんですか)を弄つたりしてゐる女性がゐたので、何をしてゐるのかと思つたが、メールを讀んでゐるんですな。
朝日が液晶に反射して眩しいので、携帶を弄るのは、やめて下さい。
DeskJet 505Jで、モノクロテキストをカラーインクで印刷するには、どこをどう設定したら良いのだらうか。カラーインクしかないので、カラーのドライヴァを使ふやうにしてゐるのだが、エディタから印刷するとDeskJet 505Jが「黒インクに交換しろ」と言張つて言ふ事を聞いて呉れない。
以前は成功したのだが、今日はどこをどう弄つてもうまくいかない。
10年前のプリンタなのだが、どうもこのDeskJet 505J用は、ハードウェアもドライヴァも癖が強くて困る。
OS/2用のDeskJet 505Jドライヴァには、ページの印刷順を正順に設定すると逆順に出てくるバグがあつたりした。XPのドライヴァも、なんかデフォルトで印刷順が逆順。
テキストの色を紺色に設定して、ワードパッドから出力。
ISO/IEC 15445:2000を宣言してゐる文書では、a要素にもbase要素にもtarget="_blank"
を書いてゐてはならないと云ふ羂。
「ISO-HTML文書」では、bodyにtext、link、vlink、alink、bgcolor、backgroundの各屬性を記述してゐてはなりません。
Fastwaveサーヴァの管理者さんから。例の「段落アンカー」の問題について。
私、Fastwaveさんにもそこの方々にも個人的な怨みの類ひは全く持つてゐませんので、それだけ申し上げておきます。ここでの議論は、一應純粹に技術的な問題について、と云ふ事で。「不正」と言つてゐるのは、「犯罪的」等の意味ではなく、「invalidである」「妥當でない」と云ふ意味です。
さて、野嵜さんが不正な引用を増長する」と評した「段落アンカーとCITE属性」は、日記鯖だけでなく段落アンカー一般に纏わることです。そこで「HTML原理主義的段落アンカー」を考えてみたのですが、
- 1. 文章の1文字目に「段落アンカー」を設置する
文章が <a href="〜">その話題</a>は みたくリンクで始まっていると対応できない。その場合、先頭文字のみ「段落アンカー」に置換する方法もあるが、リンクで指し示すものが「その話題」ではなく「の話題」になってしまう。
そもそも <a href="〜">彼</a>といっしょに みたいな1文字リンクの場合はどうするのか
- 2. 「段落アンカー」と呼ばず「段落直前アンカー」と呼ぶことにする
直前の文字を指す意味で整合性が取れるが、「リンクを張っても段落にリンクを張ることにはならない」状態には変わりない
- 3. 「段落」アンカーだから文章全体を <a>で囲む
問題外(笑)
…とまあ、こんな状態で。「段落アンカーなんかなくしちゃえ」っていうのはお題の大前提を壊しちゃうのでダメだし。
ということで野嵜さんに質問なのですが、HTML原理主義の立場から「段落アンカー」はどのように実装すべきだとお考えでしょう? つーか、マジでわからん…。
「文章の一文字目の文字に名前を附ける」と云ふのは、意味がありません。その名前は、その「一文字目の文字」だけを「引用」する際にしか、利用出來ないからです。
「發想を變へて、段落直前アンカーと呼ぶ」と云ふアイデアの問題點は、「述べられ濟み」です。
一應妥當と言へるのは、三番目の「段落全體をa要素として、name屬性で名前を附ける」と云ふアイデアですが、そのaの中にはaを書けなくなるのでして、當然、その段落内部の文字列をリンクの出發點としてのアンカーに出來なくなる問題が生じます。
「自然なマーク附け」の理論によれば、自然言語によつて書かれた文章の段落はp要素として明示されます。
<p>今日、東京では局地的に豪雨がありました。</p>
この段落をリンクの終着點として使へるやうに、p要素に名前を附けるには、id屬性を記述します。
<p id="diary2002-05-24">今日、東京では局地的に豪雨がありました。</p>
この段落が、http://www.example.com/diary.htmlに記述されてゐたとします。この時、この段落をリンクの終着點として指定する時には、http://www.example.com/diary.html#diary2002-05-24と云ふURIを示せば良い、と云ふ事になります。
Internet Explorer 4/5/6はid屬性を知つてゐます。Mozilla Browser/Netscape 6、Operaも知つてゐます。Netscape Navigator 4.x以前は知りません。「HTML原理主義」の立場から言へば、Navigator 4.xは存在自體が否定されますので、「id屬性で段落に名前を附ける」のが一番良い方法である、と云ふ事になります。
Hack Or Die 2002/ 5 - Ancient libraryの近藤さんは、:before擬似要素としてid屬性の値をブラウザにレンダリングさせてゐます。id屬性の値を示すのに「裝飾」扱ひしてCSSによるのは、「段落アンカー」をHTML文書に埋込むよりも、「HTML原理主義」的に全うな方法です。
Mozilla Browser/Netscape 6/Operaでは、このid屬性の値がきちんと表示されます。Operaではマウスでなぞつてコピー出來ます。
Internet Explorerユーザは、その他 - スクリプト置き場で配布されてゐる「コンテクストメニュー追加セット」で、HTML文書の或要素にあるid屬性或はname屬性を、比較的樂に取出せます。
ご指摘の通り、HTMLという規格としてはcite属性だけでも十分な明示といえます。しかし実際にレンダリングされたページを見た時では明示元がわからない場合がある。数の論理になってしまいますが、blockquote内cite属性を認識し処理できる(たとえばリンクとして飛べる)ブラウザはそうでないブラウザより少ないと思われる状況下でも それは十分有効なのか? という疑問なのです。
ブラウザの擧動がどうだらうと、HTML文書に出典の明記されてゐる事は事實なのですから、文句を言はれた時に説明する事は出來ます。そして、きちんと説明出來るならば、裁判で負ける事はありません。
それに、引用關係で裁判沙汰が生ずるとしたら、出典を明示する方法よりも他の事が多くの場合、原因でせう。
つまり、引用だと分かっても引用元の取得方法が分からない もしくは引用であることすら分からない人が多いのでは? それで十分な引用と認められるのか? もしくは既に「認められる」見解がどこかであるのか? という疑問なのです。
「認める」主體が問題でして、「世間一般の人々」か「裁判官」かで、話は全然變つてしまふのであります。そして、著作權――法律――の話をするならば當然、この主體は「裁判官」でなければなりません。
この考えの下地には、HTMLに詳しくない、ひいてはコンピューターに詳しくない人にとって、<!-- -->でコメントを書くことだけでも暗号化された文章になると私が考えているということもあります。えらく解読されやすい暗号ですがね(笑)。
私は、HTMLのコメント(註釋宣言)は「暗號」でもないし、法的に引用を禁止されるべき文章でもない、言及する事を許されない文章ともなつてゐない、と考へます。
「讀まれたくないからコメントにする」と云ふ制作者の態度は、「讀まれたくない文章は公開すべきでない」と云ふ原則から否定されます。「コメントを引用するのはマナー違反である」と云ふ意見もありますが、「マナーと言つて批判を封殺しようとする態度自體が反社會的であり、より重大なマナー違反である」と言へるでせう。
「コメントを引用すると云ふマナー違反を行つた惡質な人物」呼ばはりして、人をあたかも犯罪者であるかのやうに決附ける人もゐますが、これは殆ど名譽毀損です。
話と全然關係ないんですけど、「日記鯖」つて、重くないですか?
默つて更新停止しても、閉鎖ではありません。閉鎖メッセージは考へてあります。メッセージなしに閉鎖はしません。
ウイルスメールはまだ増しである。
Cascading Style Sheets (CSS) is a language used to render structured documents like HTML and XML on screen, on paper, and in speech.
詳しく教へていただきました。ありがたうございます。
簡単に日記鯖に投げたらどうなるかを書いておきます。
- 一段落投げる場合。
フォームのtextareaには
うぐぅ
とだけ書いて[追記]を押します。そうするととなります。- 複数段落投げる場合。
フォームのtextareaにはとだけ書いて[追記]を押します。そうするととなります。
しかも日記鯖はタグの閉じ忘れ等があると(XMLで言うwell-formedでないと)不正なHTMLとしてエラーを返します。なので
</div><p>段落</p><div>
なんていうのは不可です。ということでpで書くと(変な方法を使わない限り)divなのです。
何か、想像以上に異樣な處理をされてゐるんですな。
<div><br></div>
は、非道過ぎ。
段落アンカー
なるものも、無茶な所に變な形で插入されてゐて氣持ちが惡い。自分自身を指示するアンカーなんてものに、何の意味があるのだらう、と思つた。
と言ふか、この形の「段落アンカー」は、■や-に名前を附けてゐるのであり、段落に名前を附けてゐるのではない。この形の「段落アンカー」にリンクを張るのは、■や-にリンクを張る事であり、段落にリンクを張る事ではない。「段落アンカー」と云ふ名稱は、虚僞である。
上記の引用をする際、blockquote要素のcite屬性でhttp://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/misuzilla/200205c.html#20020522-6を指示するやうにしてゐたけれども、このURIは日記鯖のPOST
と云ふ文字列の直前にある■
と云ふ文字列の持つ名前であり、<q cite="http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/misuzilla/200205c.html#20020522-6">■</q>
と云ふ使ひ方をするのならば正當ですが、上の引用で使ふのは不正である事に氣附きました。だから、上のblockquoteでは、cite屬性の値であるURIから#20020522-6を外しました。
えーと、結論だけ申しますと、「日記鯖」は「段落アンカー」なるものを生成して不正な引用を助長するので、非常によろしくない、と云ふ事になります。或は、「日記鯖」の「段落アンカー」は、http://www.foo.com/のリソースに「このリソースへのリンクはhttp://www.baa.com/に張つて下さい」と書くやうなもので、不適切です。
四階会議室で久々のボスの『激』弾をくらう。避け不可能。画面いっぱいの波動砲という感じ。と同時に『ザ・ワールド』も発動しているっぽい。しっかし、やっぱ上に立つ人というのは凄い。 言葉の重圧感があまりにも凄い。
世間では、聲の大きい順に出世するみたいです。
三方は同じ形状で、一方だけ違うボーダーをひきたいとき、皆さんはどうしてますか?
こういう指定をしたい場合は、ちょっと困ったり。
border-top: 1px dotted #999; border-bottom: 1px dotted #999; border-left: none; border-right: 1px dotted #999;
俺の流儀では……。
...
border-style:dotted dotted dotted none;
border-width:thin thin thin 0;
border-color:#999999;
...
何か間違つてゐますか。
『ウェブ・ユーザビリティ ルールブック 顧客を増やすサイト設計』を讀んでゐたら、以下の記述に遭遇。
次に、インデントだが、これは箇条書きや引用句、具体例などを他の文章と区別する際に効果的な方法である。HTMLでスペースを使ってインデントしたものは、文字の大きさを変えたり、ブラウザーサイズを変えたりするとインデントが崩れてしまうため、<BLOCKQUOTE>タグを使ってインデントすると綺麗に仕上がる。
執筆者である(株)ビービットの武井由紀子氏も、監修者である篠原稔和氏(@ ソシオメディア)も、HTMLの事は何も知らないらしい。だから、平氣で「モザイク系のブラウザによる整形結果」を根據に全てを判斷しようとするのである。しかし、特定のブラウザに依存したHTMLの書き方をする事では、ユーザビリティの良いサイトは實現出來ない筈だ。
殊、「blockquoteでインデント」は最惡の記法である。この記法を採用した場合、引用は一體、どのやうにして表現すれば良いのであらうか。ここに、ローカルルールがまた一つ、發生する。そして、ローカルルールは、そのサイトのユーザビリティを少からず低下させる。
ウェブ・ユーザビリティの關係者がHTMLに關して無知なのは困る。
議論では、間違つてゐるのは大概、言葉の使ひ方の曖昧な方だが、態度の大きいのも大概、言葉の使ひ方の曖昧な方である。
高坂さん、どうもありがたうございます。
苦言。
個人的には、「XはAである」と云ふ言ひ方は受容れられるが、「AであるX」と云ふ言ひ方は受容れ難い。
「園部町民のための教養講座」と云ふネーミングに、どうも私は馴染めない。
同じ理由で、ペトロニウスさんの「何かの日記」と云ふネーミングにも馴染めない。
私は小林秀雄のファンである。山本夏彦氏が中野重治のネーミングセンスを襃めてゐたが、小林秀雄のネーミングセンスを私は評價したい。
と云ふ譯で。
あー、日記鯖使ってないとわからないことですね。日記鯖の段落書き込みにはフォームからHTMLを生で書き込むのですが、一つ一つPOSTするのでは効率が悪いのでpで囲むことでまとめて段複数落をPOST出来るようになっています。そんなわけで実質上普通にpを使うことは出来ません。
……と、説明していただいたのです。
が。
HTMLを生で書き込む
のに、どうしてpを使ふ事が出來ないのか、やつぱりわからないのです。
と言ふか、プログラマはユーザが「生のHTML」ではなくて「生のテキスト」を書込む事を前提に、「日記鯖」のCGIを作つてゐるのではないですか。例のminibbsと一緒で、「日記鯖」のCGIは、生のテキストと、せいぜい裝飾の爲のインライン要素のみをユーザが書込む、と云ふ前提で作られてゐるやうな氣がします。
日記鯖についてを見ると、「掲示板感覺で日記を作れる」と云ふのが「日記鯖」の「賣り」であるやうに思はれます(推測)。ただ、「日記鯖」のプログラマは、minibbsのプログラマよりもHTMLの仕樣に配慮してゐるのでせう。出たら目なユーザの書込みを、それなりに「まとも」なHTML文書に整形しようとはしてゐるのだと推測します。しかし、(恐らくは)出たら目な書込みに對處する爲に強制的にdivをかます、と云ふ仕樣は、HTML原理主義的によろしくありません。まあ、「一般的」なサーヴィスだから、仕方がないのでせうが。
昔々、「闇黒日記」のHTML文書を、CGIで生成してゐた事がある(freeweb時代)。ブラウザのフォームから生のHTMLソースをぶち込むと、それがそのままHTML文書の部分に書込まれる、と云ふ仕樣のCGI。日附と時間は自動生成。本文は全部手書き。CGIが抛り込まれたHTMLソースのマーク附けを弄る事はない。
どこぞの超低機能掲示板(と言ふよりは「サイトの更新」記録用)のCGIを改造したものなのだが、ブラウザ上から修正出來ないと云ふ制約があつた。間違つた書込みをしたら、FTP經由で修正した。
結局、HTMLのソースを直接記述する事には變りがない事に氣附いたので、CGIによる日記の生成は中止。以來、私は「日記CGI」否定派である。
と言ふか、「日記鯖」のCGIは、書込まれるソースの頭に<div>
、改行に</div><div>
、尻尾に<div>
を、機械的に附けるのではないですか。ならば、段落であるべきテキストをpで括り、改行を入れない「生のHTML」をフォームから投げれば、CGIに「餘計な御節介」をされないで濟むのではないですか。推測なので、確實な事は言へませんが、この手の「技」はGaiaX方面のサーヴィスを利用した事のある人間ならば良く知つてゐたりします。
推測なので、的外れかも。
どつちみち、この手の「技」を使はなければまともなHTML文書を作れないサーヴィスは、使ふ氣になれない。どうやつてもまともなHTML文書を吐出さないCGIによるサーヴィスならば、或程度割切る事も出來るのだが。
PC雜誌すら「積讀」になつてゐる現状。
∀ガンダムは最終囘の録畫を失敗したのだが、どうせそこまで我慢して見續けられないだらうから問題ありません。
「エルゴノミック」て、「よく判らないモノ」という意味ですか?
私はずつと「ガミラス風」の意味だと思つてゐました。
よくみんな、働く氣になるね。
ママレモンとキリンレモンは、名前が似てゐるけれども、全然別ものなので、注意が必要です。
例の「ウェブ日記」關係の「駄目ですねー」「惡い」發言が、近來稀に見る反響を。
と云ふ譯で、Fastwaveの「日記鯖」は、惡い所もあるけれど、今囘の件では惡くないさうです。失禮いたしました。
blockquoteの次に生な文字列を置いたのは段落を分割したくなかったからです。
との事。この件、Internet Explorer(Win32)で讀めなくなるのですが、blockquoteをobjectの中にぶち込む事で、HTML原理主義的には問題のない記述に出來ます。
それにしても、日記鯖ではpは「段落」とみなされdivになってしまいます
、と云ふ御説明を戴いたのですが、私には何が何やらさつぱり。
pは段落に決つてゐます。divは段落ではありません。自然言語の段落はpとしてマーク附けするのがHTML原理主義的には餘りにも當り前の事なのですが、「日記鯖」がどうしてそれをdivでマーク附けしてしまふのか、HTML原理主義者の私には、全く理解出來ません。で、野嵜さんがご指摘されたのは実はこの事で、「pをpのままにしないのは悪い」「ユーザーの希望通りに書けないのは悪い」というのでしたら、「申し訳ありませんが勘弁してください」としか言いようがないです…。
との事ですが、實際のところ、當方の勘違ひの原因が「日記鯖」の缺陷であつただけで、私が直截的に指摘
した譯ではないのでありますが。(←日本語として變だが、疲れてるんで直さない。腦内補完して下さい)
いづれにせよ、「ウェブ日記」を、世間に出まはつてゐるCGI、或は一般に公開されてゐるサーヴィスを利用して書くのは、HTML原理主義的には極めて好ましくない、とは言へるでせう。
引用元をCITEで表すとソースを見るまで引用元がわからない場合がある → 引用元を明確にしてないと考えられ法律上引用の条件を満たさない → 著作権違反 という議論があるそうで。結構CITEでの引用を見かけるのですが、その辺どうなんでしょうね?
某方面關係者くらゐしか、その手の引用の方法をとつてゐる制作者はゐないかも知れませんが。
例へば、書籍や雜誌等に、長い長い論文が載つてゐたとします。その論文では、引用の文章が何箇所もあつて、その出典が註として文末にまとめられてゐたとします。この時、論文を讀んでゐる最中には出典がわからない、論文の文末を見ないと出典がわからない、と云ふ事になります。すると、この論文は、出典を明示してゐないと看做され、法律上、引用の條件を滿たしてゐない、著作權法違反である、と云ふ事になるでせうか。ならないでせう。
閲覽者が、HTML文書をブラウザで見る事は自由ですし、ブラウザを選ぶ事も自由です。そして、多くの閲覽者が、WindowsのInternet Explorerを利用してゐます。しかし、だからと言つて、Internet Explorerでの見ばえにのみ基いて、HTML文書の整形結果が判斷されなければならない、或は、HTML文書はInternet Explorerで整形された結果をもとに判斷されなければならない、とは言へません。
Netscape 6/Mozilla Browserでは、blockquoteのプロパティでcite屬性のURIを參照出來ますし、そこから出典の文書にジャンプする事も出來ます。
そもそも、HTML文書は公開されてゐるのであり、全ての閲覽者はHTML文書のソースを直接閲覽する事が可能です。ソースを見れば、出典ははつきり書かれてゐます。また、出典が「それとなく」示唆されただけで、引用が引用と認められるかどうかは、それこそ疑問です。引用文と出典とは、はつきり關聯が明示されてゐなければならない筈です。blockquoteのcite屬性に出典が書かれてゐれば、引用と出典は必然的に結びつけられてゐます。しかし、blockquoteの近邊に、出典のURIを明示してゐたとしても、そのURIは必然的に或blockquoteとは結び附きません。この場合、寧ろ出典が明確に示されてゐないと判斷する事も可能です。もちろん、後者のやうな場合を正當な引用と認めないほど、裁判官も意地惡ではないでせうが、意地惡ではない裁判官ならば、cite屬性に出典を記述してゐるだけのblockquoteも正當な引用と認めるのではないでせうか。
CSSは洋服みたいなもの?@ [おさんぽさんぽ(2002-05-17)]
CSS=ふりかけ@ [おさんぽさんぽ(2002-05-17)]
化粧の位置づけは?@ [おさんぽさんぽ(2002-05-20)]
私は、「CSSふりかけ説」「CSS洋服説」のいづれにも贊成出來ません。だつて、CSSはHTML文書に先行するものです。あらかじめスタイルを用意しておいて、そこにHTML文書を嵌め込むんです。CSSは變らないが、HTML文書はその場その場で違ふものになるんです。
CSSを食器に、HTMLの各要素を食材に喩へる方が良いかも知れません。ブラウザは、食材であるHTMLの各要素を食器であるCSSに盛附けて、「ほーむぺーじ」と云ふ食卓を閲覽者の爲に用意する。
なんかしつくりこないのがこの比喩の問題點。
CSSはHTML文書のテンプレート。
Diary list - Ancient libraryで、「2002 年 5 月の日記」のリンク先が「2002 年 4 月の日記」のリンク先と同じものになつてるんで、直して下さい。
旅行会社の広告を見ていてうんざりしました。
アジア諸都市の紹介文だというのに、「東洋のベニス」「東洋のローマ」「東洋のパリ」といった表現がもりだくさん。ベニスやローマ、パリに仮託することでしかその地域の魅力を語れないのだとしたら、いったいそこには何の意味があるというのですか。ベニスの劣化コピーで我慢するよりは、いっそ「本物の」ヴェネツィアに行きたいと思いますよ、私なら。
「日本アルプス」「日本ライン」以下略。
「戸越銀座」とか「調布銀座」とかも好い加減、やめるべきですか。