「××の自由」を主張する人々の中には、自由によつて「好ましからざるもの」の出現する事を認める人がゐる。しかし、その人の言ふ「好ましからざるもの」は、好ましからざる全てのものではなく、飽くまで當人が好まない極一部のものに過ぎない。即ち、その人は、當人にとつてどうでも良いものをスケープゴートとして差出す事によつて、「一般的には好ましからざるものだが、當人にとつては大事なもの」から一般の目を逸らさうとしてゐるのである。これは欺瞞である。
エロゲや猥褻文書、猥褻圖畫を「文化」と言張る馬鹿。
本物の文化を守る爲に、贋物の「文化」を認めてはならない。
望月氏がやつてゐる事を見ると、氏の聲明に關らず、氏が東大自治寮の鬪爭から何を學んだかに關する私の推測は正しいやうである。
と言ふか、少くとも望月氏は、「被害者面して敵對者を脅す」と云ふ鬪爭手段が惡い手段である事を學ばなかつたやうだ。
本日は5・15事件のあつた日。
犬養毅首相が「話せば分かる」と語りかけたところ、襲撃して來た青年將校らは「問答無用」と言つて、首相を撃ち殺したのださうだ。
黄色い身のグレープフルーツを何年かぶりに喰ひましたよ。
森監督では勝てない。
かと言つて、いまさら権藤監督を呼び返しても、駄目に決つてゐますが。
一度壞れてしまつた球團がもとに戻るには、長い時間がかかる。だから、壞してはならないのだが、球團の經營陣も、ファンも、取敢ず人材を「強化」すれば良いと思ひ込んでゐる。
繼續こそが重要なのだが、日本人はとかく、歴史を斷ち切る事に意義を見出したがる。
「××の自由」を主張する人は屡々、「自由に行はれる物事全て」が好ましいものであるかのやうに言ふ。これは欺瞞である。
或は、價値觀が狂つてゐる。
「創作物のキャラクターならば幾ら虐待しても良い」と云ふ論理は疑問。と言ふか、反對。實在しないものをいたぶつて良いと考へる人間が、實在のものをいたぶつて良いと考へない譯がない。
犯罪を行つてから妄想に陷る犯罪者よりは、妄想に陷つてから犯罪に走る犯罪者の方が、どう考へたつて多い。
どうでも良いが、治安維持法は當時の「エロ・グロ・ナンセンス」ものを取締るのに使はれたのか? 寧ろ、共産主義活動家を取締るのに用ゐられた筈だが。
と言ふか、「變態に非ずんば人に非ず」と云ふ風調が世界を覆つたら、「治安維持法」の時代の日本よりも嫌な世界が出來しないか。
野嵜は、アングラがアングラに潜らない世界は異常だと思ひます。アングラがアングラに潜る社會は、アングラが晝日中、大通りを闊歩出來るやうな社會よりも、寧ろ好ましいと考へます。
隱すべきものを隱すのは、人間として當り前の事です。隱すべきものをおほつぴらにし、匿すべからざる事を匿すのは、好ましい事ではありません。
良く考へれば、「望月」氏も、個人でドメインを持つてゐるにもかかはらず、好き放題に人の事を罵つてゐるのだから、根性と覺悟があると言へばあるんだらう。
今の萌え萌え文化は四半世紀前、既に吾妻ひでお大先生が豫言なさつてゐたのです。
私はこれから當分、「宇宙戰艦ヤマトIII」(@カートゥーンネットワーク)を録畫する。
あと「どれみ」。ANIMAXの「初代」と、テレビ朝日のあれ。グッズを賣らうとする努力が素晴らしい。
と言ふか、望月氏があんなに怒つた理由が、私には全くわからないのだ。私は精々、望月氏が政治主義的であると言つたに過ぎないのだし、その望月氏は、自分は政治主義的ではない、と囘答した。ならば、望月氏が傷つく筈がないではないか。
「もし〜ならば、〜である」式の言ひ方を私はしたが、望月氏だつて同じ事を何度も言つてゐるではないか。
望月氏によれば、私は望月氏の發言を曲解したさうだが、私に言はせれば、望月氏こそ私の發言を曲解したのである。
私は、「相手に曲解させたから」と言つて謝らない。寧ろ、曲解した人間の方が惡いのだと思ふ。だから、私の批判を曲解した望月氏に謝罪して貰ひたいと思ふ。
もちろん、人を逆恨みするやうな人間に理窟は通じないから、望月氏が私に謝罪する事はあり得ない。
とにかく、望月氏の逆恨みには迷惑してゐる、と云ふ事だ。
ちなみに、某まほろまてぃっくヲタで偽春菜制作者信者である某氏の逆恨みにも迷惑してゐる。
「批判されたくないから、アクセスを拒絶する」のは結局、他人が自分を批判する自由を認めないと云ふ事であつて、結局のところ、他人の言論の自由を認めないと云ふ事である。
で、さう云ふ批判を浴びたくないものだから、「あれは批判ではない、嫌がらせだ」と言觸らす譯である。だが、批判者の批判が「批判ではない」と判定される根據が主觀的なものである場合、「嫌がらせである」と云ふのは嘘なのだが、さう云ふ嘘を言觸らすのは嫌がらせではないですか。
言ひ負かされたからといつて、相手に陰濕な嫌がらせをしかけたり、風説を流したりするのは、許される事なのだらうか。いや、そもそも、嫌がらせをされたから、仕返しをする、と云ふ事ですら、許された事ではないのではなからうか。
敵討ちで問題解決をはかる事を、明治以來、我々日本人は止めたのではなかつたか。我々は法治主義を採用し、客觀證據によつて物事の是非を決める事にしたのではなかつたか。
客觀を信用しないと主張したり、「私はこう思った」とか云ふ事を根據に議論しようとしたりする人々は、近代以前の人間なのではないか。
「私見を述べて何が悪いのですか」と言ひつつ、私見の根據は全く提示せず、にもかかはらず私見を認めない他人を罵倒し捲る人は論外。さう云ふ横着な議論をしようとするのは止めて貰ひたい。説明する努力くらゐは常にすべきだ。
角川書店、平成14年3月期連結決算は59億円の赤字
角川グループで良いのはメディアワークスだけと云ふ噂。
しかし、もともとメディアワークスは角川脱出組の會社で、それがいまさら角川傘下にされてもと云ふ事で水面下では以下略。
http://www.adachi.ne.jp/users/lindwurm/ディレクトリの中身が丸見えなのは、結構痛いのですが。
http://www.adachi.ne.jp/users/lindwurm/walhalla.htmlの問題點。
BODY{color: 00cfff; background-color: black;}
とやつてゐるが、#
が拔けてゐます。Operaは、當然のやうに誤つた既述を無視するので、bodyのテキストがOperaデフォルトのスタイルになります。で、特にデフォルトスタイルを指定されてゐないうちのOperaでは、デフォルトのテキストの色が黒であり、指定されたbodyの背景色と一致してしまふので、結果として何も讀めなくなつてゐます。(閲覽形式を[user mode]に切換へれば閲覽可能にはなる)今日のバカ語りなる日記みたいな文書が、JavaScriptによるアンカーもどきによつて、ポップアップウィンドウとして開かれるやうになつてゐるのですが、[Refuse pop-up windows]を指定してゐるうちのOperaでは當然オープンできません。noscriptで代替のアンカーが用意されてゐるのですが、ポップアップウィンドウが開かないとは言へ、JavaScriptは有效なので、うちのOperaではその代替アンカーは表示されません。(ソースを見れば、一應閲覽可能)
style="display: inline;"
が指定され、noscript要素の中身がただの文字列になつてゐます。StrictなHTMLの場合、noscript要素はブロック要素で、中身もブロック要素でなければなりません。(が、何のDOCTYPE宣言も記述されてゐない謎文書について、こんな指摘をするのは無意味かも知れない)外部*.cssにスタイルを追出さず、個別のHTML文書にstyle要素やstyle屬性でスタイルを記述するのは效率が惡いとか、ブラウザのデフォルトスタイルに對する差分のやうな形で不完全なスタイル指定をするのは感心しないとか、一々言ひたいのですが、「宗教的」な指摘はうるさいですか。さうですか。
當方のメールアドレスを使つて、メーリングリストに登録し捲つたり、何やらしたりして、嫌がらせを働いてゐる人物がゐるみたいですが。
餘りしつこいやうならば、警察呼びます。
言論で對抗できないからと言つて脅しと云ふ手段を用ゐる人間が世間にはゐるのだから、「言論の自由」はあつても意味がないのではないか。
現代は善意と云ふテーゼに基いて社會が構築されてゐるけれども、マルクス主義と一緒で、善意も存在しないのではないか。
もし、人間が全て善人であつたら、匿名で告發する必要はない。一方、人間が惡意を持つ限り、匿名は、必ず惡用されるから、有效に機能する事などあり得ない。
――匿名は無意味である。
本當の名前を言當てられると、惡魔は魔力を失ふさうである。
身がオレンジ色のグレープフルーツをここ數年食はされてゐるのだけれども、黄色の美味しさうなグレープフルーツはもう市場に出まはつてゐないんですかねえ。
Mozilla browserの[View]-[Apply theme]-[Get New Themes]で行ける、もじらのテーマ置場は、themes.orgが不調でへろへろになつてゐた爲、xulplanet.comに移動してゐたが、今度はこちらが轉送量過多の問題に見舞はれてゐる。xulplanet.comによれば、「閉鎖」「ミラーサイトへのアクセス分散」「有料化」のいづれかの方策を取らねばならない状況に陷つた。
10日附けxulplanet.comの聲明によると、themes.orgがfreshmeat.netの傘下に入つたので、そつちに聯絡をしてゐるとの事。話がうまくいつて、themes.orgのもじらテーマ・ダウンロードコーナを再生させられれば、それがベストな解決になるだらうと、さう云ふ事であるらしい。
Netscape社が何とかして呉れても良いのではないかと思ふんですがねえ。
具體的にどこがどんな理由で間違つてゐるのかを具體的に指摘して下さい。
ただ單に「反省しろ、反省しろ、反省しろ、反省しろ、反省しろ、反省しろ」と喚きつつ、どこをどんな理由で反省しなければならないのかを指摘しないのは、嫌がらせ――と言ふよりも、自己啓發セミナーの洗腦と一緒です。
取敢ず「どこ」と云ふ問ひに反應して、目についた氣に入らない文言をぽんと抛り出して「どうだ、恥づかしくないか」と決め附ける人がゐますけれども、客觀的な理由を述べなければ批判になりません。
論理はユニヴァーサルだから、論理的に話をする努力くらゐはしたら何うかと思ふのだが、個人の主觀だの恣意だの自由だのの方が現代では人氣があるので、相互に理解可能な主張をしようと云ふ努力と、相手の主張を適切に認識しようと云ふ努力は、滅多になされず、結果としてコミュニケーションは屡々成立しない。
えと、「現に」不利益を被ったという根拠がわからないです。そもそも、黒田さんのサイトはアクセス拒否該当サイトにいっさい入っておりませんし、入れる理由も全くありません。もし何らかの不具合によって黒田さんが幣サイトへのアクセスができなかった場合、それはほぼ間違いなく回線の輻輳が原因です。たまにつながらないことがありますので。
黒田氏が「現に」不利益を被った
と言つてゐるのだから、根拠
は明白ではないですかねえ。
少なくとも俺から見れば「議論」じゃなかった。あれは「嫌がらせ」と俺は今でも思ってる。
「俺がそうだと思っているからそうなのだ」と望月氏は言つてゐるのだが、黒田氏が同じ事を言ふと、平氣で望月氏は根拠がわからない
と決め附けるのである。
望月氏のサイトは有害だと、俺は思ふ。根據は、俺がさう思つたからだ。あー、有害と云ふ言ひ方は問題ですか。ならば、別の言ひ方をすれば、同じ内容であつても全然問題ナシと、さう云ふ事になるんですか。
言葉を弄べばそれで濟むと。それが配慮だと。それが「ネチケット」だと。素晴らしい話ですな。
論理的に反論出來ない時は、主觀に基いて卑劣なやり方を行ひ、それを「自己防衞」と定義すれば正當化されると。
さうですか。さうなのですか。
それと、黒田さん、あまりに曲解しすぎです(;_;)。
曲解し過ぎは、望月さん、あなたの方でせう。少しは反省したら何うですか。「自分の行爲は絶對に正しい」とでも望月さんは思つてゐるのではないですか。だから望月さんは、自分の主觀に基いた言動は全て正しいと言ひ \、客觀的と云ふ事を否定してゐるのではないですか。\
俺的には、安易に「客観」を持ち出すのは危険な行為だと思ってるので、できるだけこの言葉や考えは自分のサイトで持ち出さないようにしている。
俺は、安易に主觀を持出す事こそ獨裁と恐怖政治に繋がる危險な行爲だと思つてゐるので、出來るだけ「私は思つてゐる」「これは私の主觀です」と云ふ逃げは打たないやうにしてゐる。
一方で、逃げの爲の「主觀」とは區別する意味で、「私は信じてゐる」と云ふ言ひ方は屡々用ゐる。信念を述べた時は、その信念を補強する客觀的な證據を出來るだけ見つけようと努力してゐる積りだ。
管理者の裁量次第
だつて。どこかで、またもし、自作自演だったとしても、それを自分のサイトでやるのは自由です。これは当たり前でしょう?
と言つてゐた人がゐましたねえ。サイトの所有者だからと言つて、身勝手な言動はとつてはならないものではないですか。もしサイトの所有者が自分のサイトで身勝手な言動を行つてゐれば、外部から批判されて然るべきではないですか。さう云ふ批判を傲慢
呼ばはりするのは、寧ろサイト所有者の傲慢と言ふべきでせう。
「他人の自由を認める」方に向はず、「自己の行爲を自由と言つて正當化する」方に向ふのは、大變に危險。と言ふか、自己中心的。
望月氏が當方の批判を根據ナシに嫌がらせ
と決め附けてゐるのは、それこそ中傷にほかならない。しかし、望月氏の頭の中では、「心を傷つけられた」と主張してゐる人間の言動は絶對のもので、さう云ふ人間が批判者を中傷するのは善事である、と云ふ事になつてゐるのではないか。かうなると、望月氏は確信犯であると言はざるを得ないのである。望月氏は、自分が正しいと確信してゐるのである。
- 掲示板がらみで起こるトラブル
- 参加の仕方がわかっていない人と、事態解決に右往左往する他人をみたい愉快犯と、管理者その他に暗く粘着な情熱を燃やしている不幸な人と。
- 文章表現力の問題と、他人の文章を読む力の問題と。
- 読む人に理解してもらおうという態度の欠如(客観的にみて)
- 自分と違う他人を理解しようという姿勢の欠如(客観的にみて)
- 他人の文章の意図がわからない場合の、円満な解決方法が普及していない事実。(「わからない」と言われて、まるで全人格が否定されたかのように怒り出す人とか。)
- 文章を読んで理解するということができない人に遭遇することが多くなった。ゆとり教育と基礎学力の低下、の一例だろうな。
「取敢ず怒る」「取敢ず泣く」「取敢ず嘲笑する」みたいな、取敢ず感情を剥き出しにする投稿者が非常に多い。
「ウィーン條約に反してゐる。約束を破つたのだから支那は惡い」と云ふ意見が、日本では大勢を占めるだらう。しかし、國家が約束を破る事は道徳的に惡い事ではない。國家の行動原理は政治であり、道徳ではない。
もし支那が日本に謝罪するとしたら、アメリカの壓力が要因となりこそすれ、道義だの何だのが要因とはならない。(米国はウィーン条約の義務を非常に真剣に受け止めており、他国にも同じことを期待する
)
支那に限らない、國家は政治の論理と、政治の延長である軍の論理にのみ從つて動く。
誰も連れてかれた北朝鮮の亡命希望者の心配をしてゐないと云ふのが。
9日、衆議院の武力攻撃事態対処特別委員会において、民主党の末松義規議員が質問に立ち、最悪ケースへの対処マニュアルという観点から政府の有事法制を批判した。
末松議員はまた、「北朝鮮から核や生物兵器を載せたミサイルがあと6分で飛んでくることが判明したらどうするのか」と質した。小泉首相は「そういうものは想定しておらず、一撃を受けたあとでないと対応できない。もしそのような攻撃を受ければ、自衛隊と米軍が共同して対処することになり、大きな抑止力になる」と答えた。
攻撃を受けておいて抑止力も糞もないだらうと思ふが。
金正日がテポドンを、太平洋でなく、仙臺にぶち込んでゐればねえ。
http://www.nc4.gr.jp/ を XHTML1.0 Transitional としてチェックしました。
45個のエラーがありました。このHTMLは 11点です。タグが 31種類 122組使われています。文字コードは Shift JIS のようです。
「まほろまてぃっくファン」の偽春菜ユーザと、「望月久代ファン」の偽春菜ユーザが、全く同じ事をやらかしてくれてゐるんだが。
で、掲示板では「榎本昌一」だし。
この手の嫌がらせ・個人攻撃が合法である日本國で、「言論の自由」なんて主張しても無意味だと思ひまーす。
と言ふか、最期のメッセージは、前から考へてあるので、「言葉 言葉 言葉」はいつでも閉鎖出來ます。
うちの近所では、右翼の街宣車がタイムボカンの曲を流して走りまはつてゐた事がある。何なんですかねえ。
Yahoo!掲示板方面で俺の言つた放言の數々を、ACCAでADSL接續なさつてゐる東京在住の「榎本昌一」さんには、御見せしたいものです。が、Yahoo!掲示板は過去ログが殘らないからねえ。
「哲學・思想」カテゴリにおける「Fankee_Jr、傳説の一夜」のログつて、殘つてゐませんかねえ。
と言ふか、zak_kやfutakoto_mikoto_yokoto(@JT)以下の馬鹿つて、日本にはいつぱいゐるんですねえ。日本はもう一度、滅びた方が良いみたいです。まあ、國が滅んだら、山河だけではなく、馬鹿も殘つてしまふんでせうが。
「闇黒日記」だけ見て歸るのは、哀しいからやめて下さい。
と言つてみるテスト。
「嘘を嘘と見拔けるやうになれ」と云ふ意見があるけれども、人間は大體、嘘が好きなので、嘘を嘘と見拔きたがる人間はそれほど多くないし、嘘を嘘と見拔いた人間を苛めたがるものだ。そして、嘘は嘘であるがゆゑに多くの人から支持される。
嘘を嘘だとはつきり言ふと、嘘を樂しみたがる多くの人が「マナー違反だ」と言ひ出す。
もうぶちきれですよ。
あのな、「言論統制反對」なんて今日び流行らないんだよ。ぼけが。
得意げな顏して何が「言論統制反對」だ。
おまへ、「言論統制」と言ひたいだけちやふんかと。
フレームマニアの俺から言はせて貰へば、フレームでの流行りはやつぱり「相對化」、これだね。
馬鹿にする。虚假にする。おちやらかす。揄ふ。これが通の「相對主義者」のレトリック。
日本に言論統制狂が復活するかも知れぬ。が、現代といふ無氣味な怪物はそれすら戲畫化し、僞物化してしまふだらう。
しかし、相對主義者を自稱すると、次から俺に「相對化を絶對視するのは矛盾だ」とつつこまれると云ふ危險も伴ふ、諸刃の劒。
素人にはお薦め出來ない。
まあ、おまへらど素人は、閉鎖的なグループ内部で陰口叩いてゐなさい、つてこつた。
「抗議したいならまづメールでしろ」と言ふのは、如何なものか。「裏取引」を強要してゐるみたいで、非常に嫌なのだが。
「リンクお断り」を「××からのリンクは遠慮いただいております」と言換へて、どうしようと言ふのだらうか。どつちみち「おまへなんか嫌ひだ」と言つてゐる事に變りはない筈だが。
と言ふか、特定のサイトからのアクセスをはじくのは、相手先からのリンクを拒否してゐるやうで、實は閲覽者の閲覽を妨碍してゐるに過ぎない。望月氏は私(野嵜)に嫌がらせをしてゐる積りでゐても、結果としては、閲覽者に嫌がらせをしてゐるだけである。
と言ふか、「見られたくない」「リンクされたくない」と言ふのは、自分に後ろ暗い所があるのを無意識のうちで認識してゐるからではないか。
人の心てのは案外デリケートなもんです
望月氏によると、デリケートでない心の持主は人間ではないらしい。そして、或發言者の心がデリケートかさうでないか――即ち、その發言者が人間であるかどうかを、望月氏は斷定的に述べる事が出來るらしい。
そして、望月氏は、當てこすりのところに、讀むのに認證を必要とするコメントへのアンカーを設置し、當方を罵倒する意圖が望月氏にある事實を暗示してゐる。
望月氏のやり口は、法に牴觸しないだけで、ネチケットには明かに反してゐる。そして、ネチケットに反した言動は許されないと云ふ望月氏自身の主張が、望月氏の言動を否定してゐる。
「言論の自由」を主張する人間は、自己の言論が却つて自己の言論を束縛する事實をなかなか認識しようとしない。もつとも、さう云ふ能天氣な所がなければ、「言論の自由」等と暢氣な事は言へない。
と言ふか、望月氏の當てこすりは、低レヴェルな當てこすりです。
懲りずに「低レヴェルなパロディ」を繰返しておかう。
本當に纖細な精神の持主が、自分の心の弱さを――示唆的にでさへ――表明する事等出來るだらうか。いけしやあしやあと「わたしは心を傷つけられた」と曰ふ人間の精神は、圖太いに決つてゐる。はつきり言ふ、望月氏はふてえ野郎だ。
一昔前、SFマニアは武部本一郎のデジャー・ソリスに萌え萌えだつたのだ。
いろいろとサイトを見てゐたが、つい先程、私の書いたパロディを嘲笑するオリジナルの作者の文章を見た。
「自分の書いた文章は程度が低い」と言ひつつ、「程度の低い文章のパロディを書くのは、パロディ作者の程度が低いからだ」「パロディの程度が低い」と言つてゐた。
自分の氣に入らないものに關聯したものは、自分自身の作り出したものも含めて、とにかく全てを罵らなければ、オリジナル作者氏、氣が濟まなかつたものらしい。
「私のやうな程度の低い人間の批判をするのは、私と同じやうに程度の低い人間のする事です」と決め附けるのは、單に「私を批判するな」と言つてゐるに過ぎません。
かう云ふ人物は、やつぱり取締られるべきだと思ふ。
と言ふか、「リンクは自由にどうぞ」とか、「リンクは著作権の侵害に当らないと考えています」とか書いてゐる人物が、「自分を批判する人間のやっているサイトからリンクされた時には、自己防衛のためにアクセスをはじきます」と平氣で曰ふのである。
ここが過去帳行きにならないと、直接アクセス出來ない筈だが、リファラを見て當方からのアクセスをはじくと云ふ、單に閲覽者のデメリットになるだけの行爲をしてゐるのは先方なので、當方は一切關知しません。(http://mikage.milkcafe.to/はhttp://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.htmlからのアクセスをはじいてゐないみたい?)
こんな事を述べてゐる人だつたんですね、望月さんと云ふ人は。そして、望月さんは、當方がこの手の「中傷系サイト」と同じレヴェルであると言つてゐる譯です。
しかしながら、當方が「メディア3法」に關して書いた「望月氏批判」は、果して訴えられてもおかしくない
名誉棄損として立派な犯罪
であつただらうか。
事實を申し上げると、「論爭」の過程で、望月氏は當方の主張のどこがどう間違つてゐるかを具體的に指摘出來なかった。當方の發言のどこが中傷であつたかを具體的に指摘出來なかつた。ただ、「わたしは心を傷つけられました」と叫んだだけだつた。その擧句、「野嵜は礼儀を知らない人間で、わたし(望月氏)を中傷した」と決め附け、「ウェブ日記」の更新を停止して「野嵜はサイトを潰すやうな惡質な人間だ」と云ふ印象を周圍に與へようとした。
望月氏は、裁判に訴へて當方を有罪にする事など出來ない。逆に、當方を根據なしに誹謗したので、望月氏は、はつきり言つて名譽毀損として立派な犯罪を行つたと言へる。望月氏こそ、訴へられてもをかしくないのである。
望月氏は、反論や否定をするのにはルールが要る、と主張してゐる。なるほど、それはその通りだが、そのあとがいけない。しかし、これらのやりかたには、当然「礼儀」ってものがある。「反論」くわえるにも、「否定」入れるにも、そして「肯定」「支持」するにも、「ルール」というものがある。 まぁ、いわばこれが「ネチケット」ってやつであろうか。
と、望月氏は述べる。
ここで望月氏に問ひたいのだが、もちろん、答へて欲しい人ほど答へないから望月氏がわたしの問ひにまともに答へる事は絶對にあり得ないのだが、望月氏の所謂礼儀
やネチケット
とは、一體どのやうな事なのか。そして、反論
や否定
、肯定
、支持
が望月氏の所謂礼儀
やネチケット
に適つてゐるか否かを決定するのはどこの誰で、その判定の基準は何なのか。
礼儀
だのネチケット
だのと言つた曖昧な「根據」に基いて他人の言論を判定しようとする望月氏に、「メディア3法は根據が曖昧だから危險」と主張する資格はない。
まあ、よくよく讀めば、望月氏、世界中に自分の耻を晒してゐるやうなものですからね。望月氏のやうな人物はいろいろと批判したいのですが、とてもばからしいので、やめておきます。時間とウェブのスペースの無駄。と言ふか、こんなパロディを書くと「程度が低い」と嘲笑しますか。自分の程度が低い事を愧ぢる氣のない人間は、生きていくのが樂で良いですね。
望月さんよ、あんた、心なんて全然傷ついちやゐないだらう。嘘吐きめ。
と言ふか、當方の批判に對する望月氏の「反論」の仕方は、ネチケットに反したものだ。或は、望月氏は、禮儀を知らない。望月氏にとつて「禮儀正しい」とは、望月氏の御氣に召すやうな意見を述べる事であり、どんな言ひ方であれ望月氏の主張に反する意見は全て「禮儀に反する」のである。そして、望月氏の政治的な主義主張を否定する意見は全て望月氏にとつて「わたしの心を傷つけた」と云ふ事になるのである。
政治的な主張にこだはる態度が、政治主義的と云ふ事だ。望月氏は、自分は政治主義的でない、と反論したが、やつぱり嘘を言つてゐたのである。
既に述べたが。
「闇黒日記」に、政治に關する建設的議論への提示はありません。政治運動に夢中になるのは馬鹿馬鹿しい事だ(からやめろ)と云ふのが私の立場です。
ご忠告ありがとうございます。・・・が、私にとって(残念ながら)それはご忠告じゃなくて余計なお世話になっちゃいます。過去の経験\から、そのへんのことはすでに身を以て学んでるので。
余計なお世話
と云ふ言ひ方は、「反論の際のネチケット」に適つてゐる、と望月氏は信じてゐる譯である。このやうな歪んだ「ネチケット」の觀念に基いて、望月氏は他人の文章を判斷してゐる譯である。
条文を一瞬見た限りではそうなのですが、よくよく読むと(多くのひとが指摘してますが)、 NGの基準が明確にされていない、すなわちこれは恣意的な適用が可能であるということです。
それ以外にも問題点は多数あります。反対を掲げているサイトが日に日に増えているのもそのあらわれです。私があれこれ書くよりは、該当サイトをご覧になったほうがわかりやすいです。
こういうのは「いかにわかりにくくして」というのが、奴ら政治ドキュソの目論見っす。
望月氏の「ネチケット」も、NGの基準が明確にされていない
、恣意的な適用が可能
な、「いかにもわかりにくい」代物だ。望月氏は、自分を否定すべき文句で以つて他人を罵つてゐる。
或は、政治ドキュソ
は望月氏自身の事だらうに。
望月さんは、當方を「程度が低い」と決め附けたのですから、その「程度の低い」當方に反論する事は出來ません。そんな事をしたら、望月さんは、自分で自分を「程度が低い」と言はなければならなくなります。程度の低い當てこすりもやめておきませう。或は、望月さんが當方に何か反論をしようとした瞬間に、その反論は全て程度が低いものになります。もちろん、アプリオリに望月さんの程度は低いのでせうが、\笑ひ。
あー、望月さんは、自分の程度が低い事を全く恥ぢないタイプの人ですか。さうですか。
本日の買物。
買つたもの @ BOOK OFF橋本駅前店。
BGMに「おさかな天国」がかかつた。そのあと「あい〜ん」云々なる歌がかかつた。死ね。
買つたもの @ 青山ブックセンター橋本店。
買つたもの @ BOOK OFF橋本津久井街道店。
借り物 @ 相模原市立橋本図書館。
文教堂書店橋本店で、「あい〜ん」の本があるよと喜ぶ子供を目撃。子供に罪はない、と思ふが。
一週間ウェブを見なければ、肩凝りなんて癒るんでせうが。
軍隊を虚假にする國民の住む國を、支那人が馬鹿にしない譯がないのでありまして。
「議論する」と云ふ事がわかつてゐない人がゐて困る。一方的に主張を垂れ流す自由が言論の自由ではないだらうに。
「メディア3法」反對派に、さう云ふ一方的な「反論封じ」を當然の事と看做すタイプの人がゐるのは、何か變だと思ふ。
「自己を守る爲に他者の言論彈壓は否定する」「他人を攻撃する爲に自分の言論彈壓は肯定する」と云ふのは、「言論の自由」を根據にすると「をかしい」と云ふ事になるが、「自己中心主義」を根據にすると全くをかしくない事になる。
問題は、さう云ふ「自己中心主義」は認められるか、認められないか、だ。もちろん私は、そんなもの、認めない。
「心を傷つけられた」と言ふ人に同情する人は多い。しかし、本當にその人が心を傷つけられたのか否かは、本人ですら證明出來ない事だし、他人にも當然出來る事ではない。
だから、議論で批判された側が「私はあなたの批判で心を傷つけられた」等と言出すのは、間違ひなく、相手の批判を問答無用で叩き潰すのが目的である。
事實として弱者であるのならばともかく、弱者でも何でもない人間がわざと弱者の立場に立たうとするのは、謙虚なのではなく、狡いのです。
そもそも、弱者は弱者であるがゆゑに正しいのでもなければ善い存在であるのでもないし、強者は強者であるがゆゑに間違つてゐるのでもなければ惡い存在であるのでもない。にもかかはらず、弱者を氣取る事で、相手を強者に見せかけ、惡人に見せかけようとする人間は少くない。
強者と弱者の對立がそもそも間違つてゐるし、その對立を故意に作り出すのもやはり間違つてゐるのだが、さう云ふ間違つた論法に間違つた論法を重ねて結論を引出す人間が論理的な説得に應ずる事はない。
全てが正しい事で出來てゐる社會は非人間的な社會だ、と屡々言はれる。しかし、全てが僞善的な事で出來てゐる社會こそ、非人間的な社會なのではないか。
Webが「HTML文書もどき」でいつぱいなやうに、音樂業界も「CDもどき」だらけになるんですか。さうですか。
睡眠不足かな?
と云ふフレーズを見て、どんな假名遣なのかと一瞬想像した。毒されてる。
グレープフルーツにマヨネーズを掛けて喰ふと或意味美味いと云ふ事に氣附いたのですが以下略。
多分試さない方が良いです。
Zガンダムをげらげら笑ひながら觀るのはやめなさい。