これはW3Cのシステムチームが検索エンジン「Namazu」をベースに開発したもので、
云々。
米AskJeevesはサーチエンジン「Teoma」を2日、正式にリリースされた。AskJeevesに敬語を使ふImpress。
Teomaは、まずデータベースの中にあるWebサイトをその内容に応じてどれだけ多くの“権威あるサイト”からリンクされているかという情報に基づいて仕分けする。これはGoogleなど多くのサーチエンジンが使ってる方法とよく似ているが、Teomaはこの手法をさらに一歩推し進めて、同じ内容を扱っているサイトの「コミュニティー」を構築し、その中からその分野のエキスパートを発見するという方法をとった。
と云ふ事なので、取敢ず檢索――Teoma Search: CSS/Teoma Search: Cascading Style Sheets CSS。
例のコミュニティは出て來なかつた。
一方でTeomaは日本語をはじめとして外国語にほとんど対応できていないという重大な問題もある。
當然の結果。
【徹底レポート】大井しょうこが斬る==XPのここがスゴイ!!==斬つてゐねえぢやん。と言ふか、かう云ふいかにも宣傳風の文體はやめろと、俺が言つても信用出來ないと云ふのなら、ヤコブ・ニールセンが言つてゐる。(Alertbox: ユーザはウェブをどう読んでいるか(1997年10月1日))
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なるアンカーが山のやうにある。clickの誤植ではなくて、「ダウンロードにかかる時間」を計測するツールへのリンク。
昔書いたな。
もちろん,争はねばならないことは往々にしてある。しかし,はじめから自分たちの信じる「正しさ」を武器に戦ひをしかけるといふ姿勢では,相手を身構へさせてしまふのではないか。
結局何が言ひたいんだオレは,自分でツッコミを入れたくなつてきたので強引にまとめにかかることにするが,要するに「北風と太陽」なのではないかと思ふのだ。
この種の單純化が、實は話を曖昧にしてゐる。
「論爭を仕掛ける」と云ふのが寸゛氏の所謂「北風」の意味だと思はれる。しかし、「正かなは正しいから使はなければならない」と言つて押し附けを行ふのと、論理的・歴史的な正當性・正統性を立證した上で「正かなを使ふべきである」と主張するのとは、同じ論爭であつても、本質的な部分が異る。
問題は、結果と云ふ現象をとらへて論ずるか、理論と云ふ本質をとらへて論ずるかの違ひになければならない。
と言ふか。
最大の懸案は,小文字による拗音を認めない旧かなづかひで,どうやつて「にょ」を表現するかといふことなのだが。
「にょ」をつけるなー! と云ふ「つつこみ」を期待してゐるんでせうな、これ。
チェック豫定だつた.hack//SIGNを見逃してゐたのに氣附いた。今期も新作アニメを一本もチェックしない事が確定。
政治的な抑壓や彈壓、或は差別・迫害が一般的である社會で、言論における匿名は必要である。
匿名の發言を擁護する意見の多い日本國は、もしかしてさう云ふ嫌な社會なのだらうか。
日本人が匿名でする發言の殆どは、犯罪的な内容のものか「××萌えー」のやうなものである。
バーチャルネット道路と云ふコンセプトが面白い。コンテンツをちやんと作つたり、たまに更新したりすると良いと思ふ。
- %10 旧字旧かな
- _ううむ
元の文からすると『レンタル』では浮きすぎで、『貸与』にすべきではないかという意図なんすけどね。
かような文体で書くなら、カタカナ言葉は『カッコ』でくくるくらいのことをしてもいいのではないかと思いますよ。
- _ 以下暴言注意
野嵜注:コメントを非コメント化
旧字旧かなづかいで書くのを強制するくらいなら漢文で書けばいい。旧字旧かななど、所詮『平安時代の言文一致』にすぎんのだ。話す言葉と異なる言葉で書く緊張がほしければ、異なる言葉である中国語(漢文)で書けば良いだろう。実際、ほんの最近までは漢文を書くことが必須だったわけだし。残念ながら、かなは現代日本語を書き表せるほど自由ではないので、ある程度の擦り合わせを行った結果が、現代国語であると、わたしは思う。わたし的ではあるが、現代国語は落としどころとして不適切ではないと考える。適切かどうかは議論の余地があるだろう。中国(共産中国)が行った大胆な略字化、あれはすごいね。形声文字は『意味を担う』部分と『音を担う』部分とが異なることを流用し、ざっくりと略字化を行う。良いか悪いかはさておき、実に現代的。書き文字の漢字ならば、あの程度の簡略化は『あり』だと思う。むしろ推奨されるべきだ、手順を減らすという意味では。
「つつこみどころ」があり過ぎて困る。かう云ふ粗雜な頭腦の持主は、「つつこみ」を入れられても、理解出來ないから、益々居丈高に相手を罵る。
それでも「つつこむ」。
話す言葉と異なる言葉で書く緊張がほしければ──
ほしければ!
わたしは思う──
わたしは思う……。
適切かどうかは議論の余地があるだろう──
議論の余地があると言ふ割に斷定的な主張をするのは何なのだらう。
良いか悪いかはさておき──
さておき。さておくなよ。馬鹿。
素晴らし過ぎる。
かような文体と言ふ無知。假名遣ひと文體の區別くらゐ、きちんと附けて貰ひたい。
中国語で書け、と云ふ「解決法」を提案するのは根本的に的外れ。そもそも漢文は
中国語ではないのだが、そんなことも井川氏は知らないのだ。
旧字旧かななど、所詮『平安時代の言文一致』にすぎんのだ。と云ふのは、私も江洲さんも現代語で書いてゐるのを見れば、誤解である事が自明。
http://vi.platina.sakura.ne.jp/diary/d200204a.html#02-8で井川氏、ITPro 記者の眼:ただいま,未熟な技術者が急増中をとりあげてゐるのだが。
新字新かなは「簡略化」と云ふ御題目の下(どこまで簡略かと云ふ點には異論があるかも知れないが)、實施されてゐる。問題は、まともな日本語の文章を書かうとしてゐる若い物書きへの惡影響にある。彼らが「簡略化」されてゐるとされる新字新かなの使ひ心地に溺れてしまふと、なんとなくだらだらと文章は書けるが、「なぜさう考へなければならないのか」をうまく説明出來ない物書きになつてしまひやすい。
飽くまで、自分は日本語の文章を書く人間である、と云ふ姿勢が大事なのである。
日本人なら、日本語の原理を或程度知つてゐるべきだ、と云ふプライドでも良い。日本語の物書きは、この點をより強く意識してゐないと、未熟なまま成長出來なくなる危險性が高い。
ちなみに、新字新かなの「簡略性」(と言ふより、好い加減である事)に溺れてしまつた物書きは、「わたしは思う」や「必ずしも不適切ではないと考える」と云ふフレーズをよく口にすると云ふ。また、自分が巧く理解出來ない國語の問題に出會ふと、すぐ日本語や假名が惡いとぼやく傾向があるさうだ。
おまけ。
復刊.comのユーザビリティ エンジニアリング原論(ヤコブ・ニールセン) 復刊リクエスト投票は現在16票。
某方面では、「落胆者」の閉鎖が惜しまれる。
とある小さな雑居ビル。
各フロアに取り付けられた監視カメラに映ったイタイやつらの13分間。
ただ、作者が観念を言語から独立したものであるかのように扱っているのは 間違いだと思う。
どこの文章をさう解釋したのだらう。福田さんは本の後半で、かう述べてゐます。
これは「私の國語教室」の初めのはうで既に申したことですが、言葉は客體であると同時に主體であります。
まず現代の新仮名遣いが旧仮名遣いと比較して口語に表面上 似せたという程度の不満足なものであり、考えなしに 作られたものであるという主張には全く異論なし。
さうではなくて、「現代かなづかい」が、もともと「表音主義」を目指したものであるにもかかはらず、さうはつきり言ふと反對されると云ふ理由で「表音主義」と「表意主義」の二つの原則を同時に導入してゐる爲、言語學的に出たら目な代物になつてゐる、と云ふのが福田さんの主張だ。似せる似せないと云ふ現象面での問題ではなく、原則と云ふ本質の問題を、福田さんは論じてゐる。
このように書かれた内容にはおおむね賛成するが、この本は「正字正かなを使う意義」については 触れてない。そして、現在では新仮名遣いが完全に普及し、旧仮名遣いが 読めない人がほとんどである以上、正字正かなをあえてつかう必然性は 見いだせない。正字正かなの意義として、以下のようなものが すぐに思いつく。
- 正字正かなは変化が緩やかであった。そのため、 正字正かなを使えれば過去の文章を読むのが容易であり、 また正字正かなを使いつづければ将来の人々も同様の 恩恵に預かれる。しかし、50年にわたって正字正かなを使わないできた以上、 この意義は極めて薄くなっている。覆水盆に帰らずといったところ。
- 旧仮名遣いは方言と標準語に対して比較的公平である。逆に言えば 標準語の文法と「正確な発音」を模して新仮名遣いは作られており、標準語の 普及の促進を目的としているのではないか、とさえ考えられる。
- 旧仮名遣いは日本語の破壊を(変化を)食い止める。新仮名遣いは 日本語の発音をそのまま文字に書き写せるという幻想に拠っており、 国語教育によってその思想は広く普及している。そのため、新しい口語表現が 出現しやすい。旧仮名遣いにおいて新しい表現を作るには読者の存在をより 意識的に考えないといけない。
もちろんこれらの意義は逆転させれば新字新仮名遣いの意義となる。 僕は旧仮名遣いを習得する努力を費やすだけの動機を これらの項目から見いだすことはできない。
いや、そもそも、現在では新仮名遣いが完全に普及し、旧仮名遣いが 読めない人がほとんどである以上、正字正かなをあえてつかう必然性は 見いだせない
、と云ふ言ひ方が間違つてゐる。JAGARLさんの言ふ必然性
は、必然性とは無關係である。それなのに必然性
と言つてゐるところにごまかしがある。さう云ふごまかしを重ねなければ、新字新かなは成立たない。
「都合が良い」とか「皆さうしてゐる」とか云ふ事が、必然なのではない。論理的にそれ以外に考へられない、と云ふ事が必然である。即ち、必然的な結論に至るまでには、嚴密に論理的な思考が要求される。JAGARLさんの主張は論理よりも現象に基いてゐる。だが、趨勢は常に流動的であり、輿論に必然的な結論は存在し得ない。
現在では新仮名遣いが完全に普及し、旧仮名遣いが 読めない人がほとんどである以上、正字正かなをあえてつかう必然性は 見いだせない
、とは、僕は旧仮名遣いを習得する努力を費やすだけの動機を これらの項目から見いだすことはできない
、と全く同義なのであつて、もつとはつきり言へば、「他の人がやらないのだから僕もやらない」と云ふ事である。そこには論理のかけらもないのであり、必然性
も動機
も單に言葉を飾つた言ひ方でしかない。
さらに言ふならば、ここでJAGARLさんが否定可能とする正字正かなの意義
は、すぐに思いつく
と云ふものなのであつて、福田さんの述べてゐる事とは本質的に關係がない。
『私の國語教室』の結論部分に、以下の文章がある。
以上のことからも、正しく書かうといふ言語主體の態度が國語問題の重點であつて、客體としての言語の難易は二の次だといふことが解るでせう。
JAGARLさんに限らず、正字正かなに反對する「保守派」(連中は何を保守したいのだらう?)もさうだが、福田さんの説明を完全に無視して、自分の都合で正字正かなの「價値」を決定しようとする向きが多過ぎる。
受付を再開しました。[2002.04.01]
まづ、div class="navi"の中のdiv class="navifield"の中の箇條書きは、定義リストにすべきだと思つた。次に、カウンタを記述する場所が異常。
- 2002.01.31
- 今日偶然すごいことに気がつきました。MS IME2000をお使ひの皆様、おこなふ、おこなひ、...と入力してみてください。なんと、行ふ、行なひ、....つて変換されてしまひます。は行四段活用に対応してゐます!でも、違ふ、振るふ、....全然だめです。単語登録にも四段活用はないですね。どうなつてゐるんでせう。どうして、“おこなふ”だけ正確に変換されるんでせう。ご存知の方、お教へください。
MS IME2002で試すと……「言ふ」はOK、「かふ」「あふ」は駄目、「いはう」も駄目。
讀書には、大きく分けて、二種類の讀書がある。
一つは、何かを得るための讀書。
もう一つは、娯樂としての讀書。
つまり教養主義あるいは情報主義的讀書と面白主義的讀書。
だが、その二種類の讀書を合はせ、しかも越える、もう一つの讀書が、ある。
面白くて、タメになる、といつた、そんな程度のものではない。
どこかに連れ攫はれてしまふ讀書。日常の中を流れてゐる物理的な時空とは異なる、自分の内側に潛在的にしまひこまれてゐる別の自分と出會ふための讀書。である。
かう云ふ書出しで始まる坪内祐三さんのエッセイがある。バーナード・マラマッドの短篇小説「夏の讀書」を紹介したものだ。
坪内さんのエッセイは、何かを學ぶためでも、單なる時間つぶしでもない、讀書の喜び
とは何か、を述べた、短いけれども讀んで嬉しくなるやうな良い文章である。晶文社の『ストリートワイズ』に收められてゐる。非常に短い文章なので、一讀をおすすめする。私は岩波文庫の「読書のすすめ第4集」で讀んだ。
マラマッドの「夏の讀書」は、角川文庫版『ニューヨーカー短篇集』に入つてゐる。古本屋で探してきて(神保町で1000圓位だつた)讀んだら、それほど面白くなくてがつかりした覺えがある。坪内さんの紹介が餘りにも面白さうに書かれてゐて、期待し過ぎたのだ。
29日のBookish Review Onlineのことで野嵜さんが疑問を出していたが、そういえば僕がリンクしておいたファイルにはあの続きの文章へのリンクがないのだった。NIEMAND下部のリンクで2002年1月13日から3月28日までの記事を全部読んでいただいて、その上で間瀬さんの掲示板の記事と、ウォールで岩崎さんの名前で語句検索をかけその記事すべてを読めば文脈はおわかりいただけるのではないかと思う。
と云ふ事で、漸く「文脈」を理解。と言ふか。
改行がないので讀めない。
あと、「正しいHTML文書」にしてほしい、と思つた。
「現代仮名遣い」を廢止して歴史的假名遣を復活して良い理由。
……それにしても終戰まで、五十何年間といふものやつてきた假名遣ひといふものを一擧にこはしたんであるから、いまたとへどんな犧牲者がゐたつて、こはしても一向差支へない。一度さういふことをやつた以上は、いま改革をやることを否定する論理は一つも成立たない。革命と同じで、革命を一度やつてそれを認めるならば、それをまた叩き壞す革命も認めざるを得ない。だから二十年の實績があるとか、おれたちが迷惑するつていふことは、反對の理由に全然ならない。それが反對の理由になつたならば、戰後の改革は行はれなかつたはずですから……。
常識として知っておきたい日本語 / 柴田武
柴田武は、國語國字改革推進派、言語統制派、或は表音主義者です。信用出來ません。
いつの頃からか、うちではトレンドマイクロ オンラインスキャンを動かさうとするとオンラインアップデートに失敗してウイルス檢索エンジンが入らなくなつてしまつた。
仕方がないので、Symantec Internet Securityの[Symantec Security Check]-[Scan for Viruses]でチェック。
何にも感染してゐないみたいでした。
Symantec Security Check日本語版も、探したらあつた。
エイプリルフールなので、KSmiracle Web Directoryの更新作業を中止。
ちゆ12歳が早速エイプリルフールネタに入つてゐるが、更新されたのはどうやら03/31 23:59
であるらしい。