本日、NHKニュースで「NTTグループ最終赤字1兆円近くに」という内容でNTTの2002年3月期の連結業績予想について報道されておりますが、現時点において具体的な方針・数値が固まった事実はございません。
クライアントの制作會社に對する不滿。
- デザイン先行、技術先行で、Webサイトの目的や顧客ニーズに対して総合的かつ専門的な視点から的確な判断ができない。
- サイト利用者の使い勝手を考慮できず、役に立たないサイトを自己満足で平気に作ってしまう。
云々。
- お詫びと訂正
- 記事掲載時に、今回公開された修正プログラムで(株)ラックが18日に指摘したセキュリティ問題が修正される旨の記述がございましたが、編集部の取材に応じたマイクロソフト(株)の広報担当者による誤認であることが判明いたしました。事実と異なる記述がありましたことを深くお詫び申し上げます。
PC Tipsで良く讀まれた記事。@NetHomeが勝手に記録してゐる「WebSpace:統計」によると、ベストスリーは以下の通り。
詳細は略すが、總じて、Windowsをうまく使ひこなすの記事の方が、HTMLの定義のための覺書の記事よりも讀まれてゐるやうだ。
闇黒日記は先月から今月にかけて、閲覽數が半分に落ちた。わらひ。
KSmiracle Web Directory(kotobaseek)で良く利用されたリンク集は以下の通り。
と云ふ事で、どう考へても、KSmiracle Web Directoryのとっぷぺーじからディレクトリを辿つてゐる人よりも、檢索エンジンやリンク集、或はどこかの掲示板から直接個々のリンク集に來てゐる人の方が多い、と云ふ結果になつた。
と言ふか、ジョイスの小説を讀む意義、丸谷才一の小説を讀む意義を誰か教へて下さい。教へて君モード。
無意義な讀書はしたくないもので。
最近、本を讀む意義が見出せない。櫻花さんなら平氣で「本は輯めるために存在する」などと斷言するだらうが、俺にそこまで言ひ切る自信はない。
唯美主義を知りたければマラルメを讀めば良い。
フローベールとジョイスで小説と云ふジャンルは終つてゐるのであり、ジャンルとしての小説が終つてしまつたゆゑんを知る目的以外に彼らの小説を讀む意味はない。
ネタとして『ダブリン人』『ダブリン市民』をダブらせた馬鹿。
ジェイムズ・ジョイスなんて讀む價値ねえ。
『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀が完譯した、柳瀬は偉い、と言つてゐる連中は、『フィネガンズ・ウェイク』が本當に優れた文學作品だと思つてゐるのだらうか。
謎解きは所詮謎解きに過ぎない。
少くとも、日本人が最優先で讀まなければならない文學者ではない。
この数日ほうぼうで岩崎さんのBookish Review Onlineの話題が出ていて、間瀬さんの掲示板でも書いたのだが、どうして彼の書いた文章のあのいやらしい腰の弱さに腹を立てる人がいないのだろうと思う。
- 基準
- (形式)
- 小説としての体裁がある/ない
- 文章力がある/ない
- ジャンル内包的/外延的
- (内容)
- 主題が判明/不明
- 表現が難解/平易
- 著作意図が明瞭/不明
- (関係)
- 語り手の読者に対する理解可能性/感受可能性/超越可能性
- (様相)
- モチーフが日常的/非日常的
- 表現が趣味的/平凡
- バランスが適当/不適当
- 感想
- 「おもしろい、かつ論評の意義あり」
- 「おもしろくない、しかし論評の意義あり」
- 「おもしろい、しかし論評の意義なし」
- 「おもしろくない、かつ論評の意義なし」
實際の「評」に、これだけの事しか書かれないのだから、腹の立てやうがないのではないかと。
次に、<body></body>の間に、<blockquote></blockquote>をいれてください。重要なことは、<body><blockquote>内容</blockquote></body>というように、<body>と<blockquote>、</blockquote>と</body>を連続させて、サイトの内容はすべて<blockquote></blockquote>の間に入れるということです。さて、この作業をしますと、ページの左右の端にスペースができ、文章がかなり読みやすくなります。
かう云ふ「アドバイス」はやめて貰ひたい。
自分が著作権放棄
してゐるから、引用とかその邊の事には無頓着なのだらうが。
間違つた「アドバイス」をしてゐる人物は、耐久テストモードちゃちゃいれボード @ [日これ(2002-03-20)]でおなじみ徳保氏。
しかし、流石に文法チェッカは必要な氣がしてきた。何か變換ソフトを流用して作れないかな?あと「っ」や「ゃゅょ」で入力する必要があるのも修正したい。多分、辭書を置換するだけで濟むと思ひますが。
正字正かな文法チェッカは私も欲しい。
漢字のチェックは「校閲君」で出來る。
旧字ファイル中に紛れ込んだ新字・俗字を洗い出すためのツール
假名遣のチェックに使へるツールはあるんですかね。
正字正かなの文獻を探してきて、入力すると、かなづかひの勉強になります。IMEの辭書も「賢く」なります。入力する文獻は、著作權が切れてゐれば、そのまま電子テキストとして公開出來るので、サイトのコンテンツを増やす事が出來ますし、電子テキストを公開すれば、誰かが幸せになります。
「一石三鳥」。みんな正字正かなに移行しよう。
入力する底本は、著作権の消滅した作家名一覧で探すのが便利。
例えば古神道の重要な文章である「竹内文献」にはこういった内容のことが書かれているそうだ。
「竹内文献」は「トンデモ本」であり、そつち方面の人々は愛好してゐますが、古神道の重要な文章
でも何でもありませんので、神道關係者は無視してゐると思ひます。
しかし、なんでこの本のライターの方々はこれをド真面目に紹介できるのかなぁ。すげぇ精神力だよ。僕だったら確実にに300カ所にはツッコミを入れているところだ。
それなら、つつこまれるやうな事を言つちやいけません。
神社本廳は『現代神道研究集成』などのまともな研究書を出してゐる。
以下、野嵜による紹介記事。
どう云ふ譯か、神道を批判したり神道を知らうとしたりする人の多くは、かう云ふ本を讀まうとしない。代りに、「トンデモ本」や通俗解説書で滿足してしまふ。本當に神道の事を知りたいのかどうか問詰めたい以下略。
Windows 3.0と比べたら、XPもMeも素晴らしいですよ。
暴れん坊Windows。titleは原リソースのまま。
それと、こんなメールが。
弟(中学生)の技術の教科書の資料で情報のところを見ていたら変な記述がありました。
(僕たちの頃は「情報」の分野が、10ページもなかったような気がしますが、80ページ近くを占めています。)
■HTML基本用語(タグ)
- (前略)
- <BR></BR>
- 改行の範囲を示す。
- (後略)
で、「改行の範囲」とは何ですか?
まぁ、HTMLの解説書の雑なのなんて、こんなもんですからね…。しょうがないです。きっとコレも「ゆとり教育」教科書なんでしょう。
教科書は既にXHTML對應となつてゐる?
Windows/IEパッチのまとめ・
2002年3月19日現在の最新情報(3月22日、3月29日更新)。
Israel Attacks Arafat Compound in West Bank
理解できないのならば教えてやろう。 Piro さんが「尚更」という単語を一般的な意味とは異なる意味で用いる性質があるという事実をその文章を書いている時点で知ったということを全世界の皆さん(誰)に伝えるためだ。それを
僕の神経を逆なでする意図(つまり、それ以外に意味がない)によるものとしか受け取れないのならば、もしかしたら精神が病んでいるのではないのか? あらゆる発言は自分に対する攻撃だという被害妄想などがあるのではないか? 一度適切な機関などでカウンセリングなどを受けることをお勧めする。
岩井氏の人の神經を逆撫でする意圖が無いにもかかはらず人の神經を逆撫でし捲る文章。いやー素晴らしい以下略。
酒飮みながら「ゴーショーグン」を觀てゐる馬鹿。
赤いボタンも青いボタンも知らん。
Opera 6.02のベータ版は、Build 1066が出てゐます。
日本新聞協会が、新聞での漢字の使用について、從來の方針を見直すらしい。NHKが「あすを読む」で「新聞と漢字表記」をテーマに放送してゐた。
小池保解説委員は、常用漢字そのものも見直すべき時期が來てゐるのかも知れないと述べてゐた。
Iriaが頑張つてゐる最中は、地震に來て貰ひたくないものである。
だから私が本質を論じるときには慎重でいたい。それでもついつい「本質」と書いてると思います。いい加減な本質論の裏には独善がある。醜い自己正当化がある。私の文章にも。
いい加減な本質論
を叩くのは結構だけれども、どのやうな文章がいい加減な本質論
で、どのやうな文章が本當の本質論なのかを定義してゐないので、本質的に無意味な文章です。わらひ。
「本質」を論じると、客観的で精緻な思考を経たものであるかのような印象を与えます。その印象を書き手に都合良く利用している文章に私は嫌悪感を持ちます。
私の場合、何であれ、書き手に都合良く「印象」を利用してゐる文章に嫌惡感を抱きますね。と言ふよりは、本質論
に對する嫌悪感
と云ふ印象
を鞠小路さんが利用
してゐるので、私はこの「本質の問題、程度の問題 (その1・本質編)」と云ふ文章に嫌惡感を抱きました。
ドラ僕えもん 2002-03-28 @ [東方不敗]への反應。『ドラえもん最終回』。
昨晩はCATV+ヴィデオで「こみパ」→「ドルバック」→「ゴーショーグン」→「どれみ」→「プリーティア」→「かれかの」→「サクラ大戦」(順不同)とか言ふアニメ大鑑賞大會をやらかしてゐたのだが、地上波にチャンネルを變へたら「Kanon」の最終囘スペシャルをやつてゐた。と云ふ譯で「Kanon」最後の10分間を鑑賞。
何が何やらさつぱりでしたが、當り前か。
おまけ。
てつぺんの「ナビゲーションバー」は、マイクロソフトのパクリでせうか(絶對違)。
ついで。
基本的にHTMLの文法・思想に忠実に書けば最低限のアクセシビリティは確保できるが、それ以外の方法が全く無いというわけではないだろうし、逆にHTML DTDに忠実に従ったところで必ずしもアクセシビリティの抽んでたリソースが出来上がるというわけでもない。方法論だけで片付けられるような問題ではないのだ。
「設定」で「キャプションいじり」を外してもInternet Explorerのタイトルのみが元に戻らない症状について。
ヤマトの例の裁判の判決文。ざっと読んでみると、事実認定がこれで正しいのなら、なんのことはない、ごく順当に出た判決ってことなんだなぁと。
アニメーションは協同作業で作られるものだから、藝術と云ふ觀點から見れば「個人の作品にはならない」と斷言出來る。アニメーション作品をめぐる著作權關係の爭ひは所詮、お金をめぐつての爭ひでしかない。
T.S.エリオットは「檢閲を許可すると、檢閲をパスした書物は良い書物だと思はれる。だから私は檢閲に反對だ」と言つた。今、日本では、檢閲を許可すると、檢閲をパスしない書物が良い書物だと思はれる。T.S.エリオットの豫想を遙かに超えた社會が日本に出來しつつある。
- 正字正かな
あえて書いちゃえ。
……気持ちわるい。
新字新かなは氣持ち良いものであるらしい。
おれは、宮沢賢治や中島敦や中原中也の文章を旧かなづかいで読むのは好きだ。明治くらいに書かれた擬古文を読むのも好きだ。平成の人間が、わざわざ口語で、旧かなづかいで書いた文章は滑稽だと思うが、それは偏見かもしれない。明治の木に仁王は埋まっていない、というやつか。
かもしれない
ではなくて、偏見そのものだと思ふ。
「批評」の顔をした感想文や、無知に基いた意識せざる偏見は、たちが惡い。反論を封ずる爲の愚者の開き直りだからだ。
「主觀的な感想や偏見」が「常識」と化してゐる現代の日本において、「客觀的な根據」は、當座は無效である。
日本では、論理よりも、言つてゐる人間の人格だとか職業だとか(以下略)の方が、文章を判斷する基準として妥當であるらしい。
それはそれで結構と言ふか勝手にしろとしか言ふしかないが、だからと言つて、筆者の人格を惡く見せかけようとして、筆者とは全然無關係の愚かしい人格を創造して嘲笑する、と云ふ人が、日本にはやけに多いやうに思はれる。「藁人形で呪ふ」の「藁人形」が「愚かしい人格」に代つただけで、前近代の發想がそのまま生き續けてゐると言つて良い。
日本は未開の地である。
野嵜の良く當る豫言。
今年の流行語大賞には「ワークシェアリング」がノミネートされるだらう。
例のWeb Frontierが復活してゐるのだけれども。
それと言い忘れましたが、自分のページは「FrontPage」製です。ですので、あまり中身は綺麗ではありません。MS製品なのでそこらへんは勘弁してください。元に戻しても、また元に戻ってしまうのです。DOCTYPEなんてものも付けてくれません。
作者が自分のサイトを更新するのにも使つてゐないez-HTMLつて以下略。
なんか作者にez-HTMLの名前を捨てる氣が無いみたいですがそこはあたたかい目で見守つて行くとして、ヴァージョンが變つても「ダウンロード」出來るアーカイヴのファイル名が同じなのはどうかと思ひます。
本日の買物@神保町。