闇黒日記



戰時下

平成14年3月15日

一般人は「侍魂の健さん」を知らない。

いはんや「闇黒日記」をや。


あれれ、「14日分の記事」がないよ。

平成14年3月13日

平成14年3月13日

テレマーケティング、出版 株式会社スーパー・ステージ 銀行取引停止 負債45億円
リキッドオーディオ・ジャパンのグループ會社。

平成14年3月13日

マナーモードになってなかった携帯電話の呼び出し音で起こされた。

全然關係ないけれども、「モナーモード」附きの携帶電話が發賣されたら、「厨房」の諸氏は買ふのだらうか。

平成14年3月13日

imgは、例のMosaicに由來し、SGMLだの「マーク附け」だのの理念とは全く異る原理に基く「タグ」です。

imgが空要素なのは、SGML的に何か意味がある譯ではなくて、マーク・アンドリーセンがMosaic專用のタグとして提唱したからに過ぎません。MosaicはHTMLを、マーク附け言語としては扱はず、マルチメディアコンテンツの記述言語として扱ひ、頭から順次解釋(と言ふより表示)するので、SGML的に空要素であつても全然氣にしなかつた。

Mosaicの事實上の「後繼ブラウザ」であるNavigator(Mozilla Classic)は、やはりHTMLをマーク附け言語としては扱ひません。4.x以前のNavigatorは、例へばliに終了タグがある、と云ふ事も知りません。

liにCSSでスタイルが指定されてゐると、それを、liの中身ではなく、liの「頭につくdot」(Navigatorが勝手に附けてゐるだけなのだが)に對する指定だと、Navigatorは勘違ひします。


とほほ師やその他の「謎」なHTML文書もどきを公開してゐる人々は、恐らく「Mozilla Classicの仕樣」しか氣にしてゐない。そして、Mozilla Classicの仕樣は、DTDで表現すべき性質のものではない。

平成14年3月13日

「勞作」と書くと叩かれるので書かない。

平成14年3月13日

「DTD」「DTD」と言ひながら、DTDに書かれてゐない事について、我々は一生懸命爭つたのである。

平成14年3月13日

神崎さんの意圖は、「あの邊の連中は、つつくと何か出すからつつけ」と云ふ事だつたのではないかと推測。

平成14年3月13日

Wordはアウトラインモードが基本ですよね。


目が痛い。手も痛い。

「キーパンチドランカー」なんて言葉は、ないですよねー。謎。

平成14年3月12日

User's Guide が駄目だから ISO-HTML が駄目だとは言ってませんし、そもそも私は ISO-HTML が駄目とは言っていない筈ですが。

新規文書として起こす場合や、他のアプリケーションとの連動を考えると XHTML の方が圧倒的に有利であることや、W3C の方針的に今後 WWW の世界では XML を基盤とした技術に進んでいくので、新規に ISO-HTML を勧めることいいことではない、と言っているに過ぎません。

「ISO-HTML」が制作者の行着くべき終着點だとは言つてゐませんし、そもそも私は「ISO-HTML」が最高だと言つた事もありませんが。

W3Cが笛を吹けども、一足飛びにXHTMLに移行しない制作者がウェブには多數ゐます。彼らの殆どは、原則を持ちません。さう云ふ人々にXMLなりW3Cなりsemantic webなりの理念を理解して貰ふには、樣々の説得手段が必要ではないですか。

「ISO-HTML」は導入路に過ぎません。

一般の制作者を説得するのに、いきなりXMLはトレンドだだのこれからはXMLを使はないと困るぞだのと言立てても駄目です。さう言はれて素直に「轉向」する人もゐるでせうが、聞く耳を持たない人だつてゐるでせう。その際に、突放しても仕方がありません。その人は、ますます意固地になるだけです。

「搦手」から攻めるやり方も「あり」ではないかと思ふのですが、「XML一本槍」の人にはさう言つても通じませんか。

平成14年3月12日

私以外にも保證して呉れる人がちやんとゐるので、買ひなさい。

平成14年3月12日

内容は私が保證するから、買ひなさい。

平成14年3月12日

掲示板で何か隠謀が進行してゐる。


「http://ime.nu/からのアクセス」は、某掲示板からのアクセスなので、はじきませう。

平成14年3月12日

第五囘の「自由課題」と「チャレンジ」への解答きぼんぬとの事。

平成14年3月12日

こうしたユーザガイドは書き換えることを禁止して配布すべきものでは、というところが重要です。勝手に書き換えて不思議マークアップ推奨なユーザガイド化して再配布されても文句が言えないライセンスを選んでどうするのでしょうか。

仕樣ではなくて勸告と言つてゐる團體もあるやうですが。


と言ふか、何が論點なんでせうか。


近藤さんまで、ISO/IEC 15445:2000の仕樣の本質とは關係のない部分をつつくやうになるのだから、今囘の「論爭」も末期症状を呈してゐると言つてよいだらう。

平成14年3月12日

何か思ふんですよ。この論争ッて、FreeBSD vs Linuxと云ふ構図に似てゐるなあと。

FreeBSD と Linuxは、源流は同じUnixだし、其処から分化してゐるんでせう。

ダウト。4.4BSD-Lite2 起源の FreeBSD と、kernel しか存在せず、それも別に何らかの Unix と呼ばれる血を受け継いだソースを持っていない Linux とを比較するのは変です。比べるなら RedHat Linux とかの distribution レベル。

OS/2とWindowsNTと云ふ比較は如何。

ところで、User's Guide to ISO/IEC 15445:2000(E) Copyright notice を見ると、このユーザガイドは GPL version 2 もしくはそれ以降で配布されるそうなのですが、つまり書き換えて再配布しても構わないって事でしょうか。

というか、そもそもフリーソフトウェアなのでしょうか。This guide is free software とか書かれていて微妙な気分なのですが。

実行すると local な HTML が ISO-HTML 4 に書き換えられたりするのでしょうか (違)。

ちなみに、GNU は文書配布のためのライセンスも規定しています。普通、分かってるならこっちを選択する筈。この User's Guide 書いた人間は、単に GPL 言いたかっただけ (略)。この時点で脊髄反射的にこの User's Guide はステ、と言いたくなりますね。

とぼけて見せるのは、いかにも嫌みつたらしいので、やめた方がよろしいかと思ひますが。

一應、DTDを配布する、と云ふ事で、プログラムのライセンスを取敢ず採用したんぢやないですか。HTMLはともかく、SGMLは言語記述言語ですからねえ。で、「ISO-HTML」のDTDをオリジナルのSGMLアプリケーションに「組込んで」使ふ事を仕樣策定者は考慮してゐるみたいです。

と言ふか、ISO/IEC 15445:2000のユーザガイドは、仕樣そのものではないのですが。


脊髓反射的に、「XMLは糞」とか「XHTMLうぜえ」とか言ひたくなつた。「XHTML信者うざい」とか。

平成14年3月12日

「とほほのWWW入門」はソースにも解説にも、特定のDTDにしたがう旨が記されておりません。ということは、とほほ師はW3Cの勧告とは異なる、独自のDTDに従ってソースを書き、解説をしていると考えるのが妥当です。であるならば、特定のDTDを基準にした批判は意味がないことになります。

二重の意味で間違つてゐる。「とほほさんは獨自のDTDに從つた解説をしてゐる」と云ふ主張、「野嵜は特定のDTDを基準に批判をしてゐる」と云ふ批判は、いづれも的外れだ。

とほほさんは一應、HTML關係の仕樣書は見てゐるやうだし、それなりに仕樣書に從つた解説はしてゐる。「W3Cの公開してゐるDTDに基いた解説をしてゐる」と言つても良い。とほほさんは、檢證プログラムにはvalidと言はれる文書の書き方も、或意味教へてゐるかも知れない。

だが、檢證プログラムには判斷のできない「より良いHTML文書」の書き方を、とほほさんは絶對に教へてゐない。

私はだから、或意味「HTMLの規格」に基いてとほほさんの解説記事を「斬つた」譯ではない。「HTMLの規格に準據する事」は最低限守るべきであると云ふのが大前提であるが、そこから先の話を私はしてゐる。


とほほさんの解説には、「HTML文書のより良い書き方とはどのやうなものか」についての一貫した理論がない。「現實追隨主義」である。だから、理論面で矛盾が生じてゐる。解説に不整合があり、理論的に不自然である、と云ふ事で、私はとほほさんの「WWW入門」を批判してゐる。

私は、「自然言語による良い文章を理論的に自然にマーク附けする事」をベースに、「PC Tips」の記事を書いてゐる積りだ。


それから、「PC Tips」の「HTMLについての覺書」は、「トンデモホームページ入門を斬る」を書いてから、まづ「責任をとる」と云ふ意味で、次に「アンチテーゼ」として、書いたもの。「トンデモ」の方は、HTMLについての理論をかためる過程で生じた産物なので、未完成の部分が多いのも仕方がないと思ふ。作成した日附を削つてしまつたのでわかり難くなつてゐるが、「ホームページ講座」を斬るは2000年以前の古い記事。

まあ、歴史的記事なる記述だけでは註釋として理解不能だ、と云ふ事でせうから、そのうち何とかします。


「とほほさんは、DTDに從ふと書いてゐない」「だからとほほさんはDTDに從つてゐる」と云ふ「理窟」は、良く考へると變です。

平成14年3月12日

今囘の論爭は、文章の節構造を明示すべきかしなくても良いか、の論爭なのであつて、「ISO-HTML」とXHTMLとが對決してゐるのではない。

「ISO-HTML v.s. XHTML論爭」と言ふのは例によつて「羊頭狗肉」。


大體俺の文書、「ISO-HTML」化する前も後も、殆ど同じマーク附けだもの。divで節構造を明示してゐないもの。

平成14年3月12日

XHTMLリンク集は、一應XHTML 1.1準據ですがそれが何か。


かう云ふマーク附けは、「XHTML原理主義」的に、好ましからざるものですか。

平成14年3月12日

データベース的に表現してゐても、XHTMLは依然、「HTML」である。

というのもの、当たり前な話しすぎて一体何が言いたいのか。

この当たり前の事を、「XHTML派」の方々は理解してゐないのです。

私に文句を言はれても困ります。

HTML で表現したいから XHTML を使うわけで。 XML で表現したいなら XML を使えばすむ話だと思うのですがコレ如何に。

「XHTML派」の人は、「XHTMLはXMLだから良い」と言つてゐるのですけれども?


例へば、ブロック要素は全てdivで、インライン要素は全てspanでマーク附けしてゐたとしても、制作者が階層構造を明示してゐたとすれば、その制作者の態度を「XHTML信者」は批判し得ない。

というのも、「相手の意見をねぢ曲げて愚論をでつち上げ、それを叩く」式の批判そのものにしか見えませんがコレ如何に。本気でそんな人しかいないと思っているのなら、それは単に理解が足りないだけに思えます。(推論)

本気でそんな人しかいないと思っているのなら、それは単に理解が足りないだけに思えます、とは、一體何が言ひたいのか。私が「XHTML派の人はさう言つてゐる」と事實の話をしてゐると、どうして思へるのですか。「理論的に、XHTML派の人はさう云ふ風に考へる筈であり、さう考へないのは寧ろ、自分で自分の主張を裏切つてゐる事になる」と私は言つてゐるんですが。

ill氏の意見自體が、「相手の意見をねぢ曲げて愚論をでつち上げ、それを叩く」式の批判です。

平成14年3月12日

俺の「PC Tips」の記事は、どう見ても「整形式のXML文書を記述する基本」を教へてゐるものだが。

サンプル文書・血の復讐・序は、XML宣言等を追加すれば、正當なXML文書になる。

間違ひ(「嘘」と云ふ言ひ方は不適當)。この文書の内容を包含する要素html等の明示が必要。


HTML 4.01 Strictで「省略可」とされる要素を全て省略した文書が、XHTML 1.xに合致しなくともXMLの整形式の文書となつてゐる事はあり得るのだし、さう云ふ文書を「XHTML派」の方々は批判しますか。讀んで譯がわからないとは言はせない。


上のサンプル文書の内容がアレとか言ふ批判は却下。

平成14年3月12日

「これは定説です」しか言はないのでは、信者呼ばはりされても仕方がなからう。

平成14年3月11日

XHTMLでも、HTML的發想からは脱却出來ない。「フラットでリニアな構造は古い」とは言つても、マーク附けされる文章は屡々、フラットでリニアな自然言語で書かれてゐるからだ。


XML的な發想では、同じ階層にぶら下がつてゐる要素は全て對等だが、自然言語による文章をマーク附けして生成されたXHTML準據の文書は、從來のHTML文書の場合と同樣、やはり頭から順に解釋されなければならない。

或は、同じ階層にぶら下がつてゐるからと言つて、利用者がその文書の或段落を他の段落と交換する事は出來ない。或は、そんな事をすれば、その文書の意味するところが變る。


データベース的に表現してゐても、XHTMLは依然、「HTML」である。

平成14年3月11日

例へば、ブロック要素は全てdivで、インライン要素は全てspanでマーク附けしてゐたとしても、制作者が階層構造を明示してゐたとすれば、その制作者の態度を「XHTML信者」は批判し得ない。


XHTMLのDTDでは、見出し要素を含まない或HTML文書がよろしくないものである事を決められない。


或文書のマーク附けが、良いものであるか、惡いものであるかを、「XHTML信者」は「常識」を根據にしてしか決定出來ない。


もちろん、「ISO-HTML」も、さうだと言へばさうなのではあるが、仕樣書の段階で見出し及び文書の構造まで説明がなされてゐるのだから、ISO/IEC 15445:2000準據の文書を公開した制作者は「見出しなんか知らない」と言へない。

平成14年3月11日

マーク附けなんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです。


「body直下にaddressを置けない」から「ISO-HTML」を使ふべきでない――何を言つてゐるんだ。自分の書きたいやうに書けないからと言つて、文書型に文句を言ふのは筋違ひだ。

てめへで勝手に別の文書型を使へば良いだけぢやねえか。


はじめてとほほ師に贊同したくなつた。

W3Cの仕樣書に定義されてゐるから……ではなく、それぞれ一人一人が、自分の考へで、或文書型を使ふ、使はないを考へ、自分のサイトを作成して欲しいと思ひます。(……つてなことを書くと、また怒られさうだな´`;)


XHTML 1.0もXHTML 1.1も、HTML 4.01も、ISO/IEC 15445:2000も、HTML 3.2ですらも、現行の規格なのだし、現行の規格に從ふ分には何の問題もない。その規格に從つて、いかに良い記述を行ふかが問題なのであつて、或規格を採用するかしないかが問題なのではない。

繰返すが、「XHTMLを採用しない事自體、惡である」と云ふ主張は、現時點では間違ひである。もしそんな事を主張したいならば、W3Cに早いところHTML 3.2のobsolete化を行ふやう要請すべきである。W3Cが依然、HTML 3.2を(推奬の規格ではないが)現行の規格としてゐるのは、一體全體どう云ふ譯なのか。

平成14年3月11日

なぜそうなのか、という点は SGML ベースでは UA の作りが複雑になってしまうから XML を作った、という一点で説明されませんか。

それはわかつてゐるのですがー。わかり過ぎるほどわかつてゐるのですがー。わかり切つた事を一々説明されても仕方がないのですがー。


「なぜW3Cは、HTML 4.01で一部のタグの記述を省略出來るやうに定義したのか」を、どうして答へて貰へないのですかー。「さう決つてゐるから」は説明ではないのですがー。


A
なぜさう決めたのですか。
B
その方が都合が良いからさ。
A
なぜその方が都合が良いのですか。
B
さうしないと、不都合だからさ。

禅問答と言ふよりは、蒟蒻問答と言ふべきですな。

平成14年3月11日

と言ふか、Semantic Webつて、HTMLとは別の次元の話ぢやなかつたでしたつけ?

平成14年3月11日

「HTML鳩丸倶楽部」2001-01-01 〜 2001-09-01 までの更新履歴の2001-07-04「モジュール化された XHTML」が興味深い。

平成14年3月11日

こういった定義は、当然ながら、DTD (さらに場合によっては SGML 宣言)を読まなければ人間にも理解できません。しかし、まず文書インスタンスを見た時点で、ある程度意図の読み取れないようなマーク付けは好ましくありません。

或意味、XMLの存在意義を否定してゐるとも取れるのですがー。

平成14年3月11日

そこで、僕は ISO-HTML を推奨するならその根拠を明確に示して欲しいし、そもそもそんな根拠は存在しないと思う、ということを述べて、適切な根拠を示さずに ISO-HTML を推奨することを批判しました。論旨は主に次の二つです。

部分的な反論には僕が再度反論しており、その限りでは、前者に対する実質的な反論は今のところなされていないように思います。

HTML 4.01 Strict で明示を「省略して良い」とされた要素がどうして「省略して良い」のかを、「XHTML 派」の人は全く考察してゐないのではないか。

手拔きパーサで處理出來るやうに XML ではタグの省略が意味もなく一律に禁止された。だから、XML ベースの XHTML では省略出來るものも出來なくなつた。それだけの事だ。

これは明らかに XML/XHTML に対する批判であり、前述の(時間的には後述ですが)「ISO-HTML は XHTML への橋渡しとなるべき(= 本質的/将来的には XHTML の方が ISO-HTML より好ましい)」という記述と矛盾しています。野嵜さんは、XHTML を肯定なさっているのか、否定なさっているのか、どちらなのでしょうか。

もう一度、「ISO-HTML が XHTML への橋渡しとなりうる」ということについては同意であると繰り返しておきます。ただし、この理屈は当然「『商業的な理由などから ISO/JIS の権威が必要である人』相手に ISO-HTML を推奨すること」の根拠にしかなりません。「仕様そのものの内容」を推奨する理由や、「一般のウェブ制作者」に対しても推奨する理由にはなりません。

理窟は結構ですが、實際の「PC Tips」における記述で、私は對象を切り分けてゐる積りです。

そもそも、私が「言葉 言葉 言葉」「PC Tips」で「ISO-HTML」を使つてゐる事が「ISO-HTMLを推奬してゐる明かな證據である」と石川さんは決め附けました。これでは「言葉狩り」と一緒です。

PC Tips の記事を見る限り、野嵜さんは明らかに「権威」以外の部分の「仕様」そのものについても推奨を行っており、戦略のターゲットも企業より個人制作者向けであるように感じました。また、その「仕様そのものについての推奨」も、かなりおかしなものであるように思います。例えば次のような「好評価」がそうです。

address 要素が div 要素の中に必ず含まれてゐなければならないと云ふ妙な癖がありますが、全體として極めて素直な仕樣です。

妙な癖があるのに素直とはどういうことなのでしょうか。というか、それなら XHTML 1.1 はどうなのでしょう。何かおかしな癖があったり、ひねくれたところがあったりしたでしょうか。

妙な癖は、「addressがdivの中にしか置けないのはをかしい」と云ふ固定觀念に私が支配されてゐた頃の記述が殘つてゐるだけです。單に、私が記述を直し忘れてゐるだけです。當該記事は2001.9.11以前の記事――かなり以前の記事です。

僕は XHTML 1.1 を「癖もなく素直な」DTD であると思うのですが、「素直で癖もない」DTD より「素直だが妙な癖のある」 DTD の方を推すというのであれば、それは「馬鹿な子ほど可愛い」という「親馬鹿」以外の何ものでもないと思います(ある意味真理ではありますが)。

それあ癖もなく素直な仕樣でせうが、文書の節構造を明示すべき義務も、今のところ、XHTMLにはないのであります。

タグの書き方より以前に、文書の構造と云ふ概念自體を理解するのが、初學者には必要な事です。既に習慣として、文書の節構造を明示する癖を身につけてゐる人がXHTMLに準據するやうに文書を書けば、良い文書が出來ます。

上記の「妙な癖があるが素直である」というのは、セールストークにおける基本的なトリックです。ちょっと冷静に判断すれば、上記のように「素直だが妙な癖がある」と換言し、内容を改竄することなく逆の印象に変えてしまうことができます。どちらの文言も、主観的に陽ないし陰の印象を与えたものです。

この文言の客観的な意味は、あくまで「癖もあるし素直でもある」に過ぎません(言うまでもなく部分/全体という条件は付いていますが)。しかも、こう言い換えてみると、この文言は矛盾してはいないでしょうか? (こういうことを、読者の方には気に掛けていただきたいのです。)

「素直で癖もない」DTD より「素直だが妙な癖のある」 DTD の方を推す、と云ふ事を、私はしてゐません。「相手の意見をねぢ曲げて愚論をでつち上げ、それを叩く」式の批判は、やめて下さい。それこそ「詐欺師の論法」です。


どうも、「HTMLファイター」の方々は、急進的すぎる。

平成14年3月11日

メモ。


「言葉 言葉 言葉」にしろ「PC Tips」にしろ、「最低の規格」でどこまで表現が可能であるかを實證する實驗の積りで「ISO-HTML」を採用したのであり、「ISO-HTML」を全ての制作者が採用する事を期待して「ISO-HTML」を採用した譯ではない。


で、できちやつたものだから、「ISO-HTML」だつて良いぢやないか、と言つてゐるだけなのである。

平成14年3月11日

「ISO-HTML」がどうして策定されたか。

a)
SGML応用のための最小の表示体系を提供する。
b)
HTMLの詳細とSGMLの詳細(SGML宣言,最小化など)との関係を明確にする。
c)
ISOの規格が要求される環境でHTMLを使用可能にする。
d)
他のSGML応用の基本体系としてHTMLを使用可能にする。
備考
基本体系としてHTMLを使用するための技法は, JIS X 4155 HyTime が提供する。
e)
この規格に適合する文書は, 標準情報TR X 0033(又はその規定の適切な以降の版)に適合するブラウザによって閲覧できる。
f)
標準情報TR X 0033(又はその規定の適切な以降の版)の有用なサブセットを定義する。

平成14年3月11日

ISOはXMLの母体となったSGMLを規格化した国際標準化組織であるが、最近、SGMLの規定を拡張してXML1.0を完全に包含するようになった。従ってXML関連規格のJIS化にあたっては、参照規定として、ISO 8879:1986 (JIS X 4151)を挙げることができるが、XMLへの拡張が記述された、ISO 8879:1986/Cor.2:1999 (JIS X 4151 追補2)を含む必要がある。

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