闇黒日記



戰時下

平成14年3月5日

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<DIV class="h2">だつて。

平成14年3月5日

いかなる文章も、言語によつて書かれてゐる限り、或人間の認識能力による抽象化の過程を經てゐる。言換へれば、言語によつて表現されたものは全て人間の主觀を通つてゐるのであり、言語によつて表現された事實は事實そのものではない。文章を書く時、その書かれつつある言葉を讀むであらう人間を作者は必ずしも必要とはしないかも知れない。しかし、作者は事物を認識し、抽象化した上で文章を書いてゐるものであり、他者にとつてその文章の眞意は理解し難い場合もあるが、少くとも作者本人は或程度まで自分の文章の意圖は把握してゐる筈である。讀者が文章を飽くまで作者から獨立した存在物として受けとらうとすれば、讀者は「勝手讀み」の陷穽に陷る事にならう。或は、讀者は文章を誤讀したり、時には曲解してしまつたりするだらう。文章は飽くまで主觀的な存在物である。もちろん、作者はいつか死ぬし、或は既に作者の死んでしまつた文章を我々は讀む事がある。しかし、作者の生死に關らず、文章は作者の主觀を通つて生れた抽象物である事に變りはない。そして、人間による抽象化の過程を經て生まれる文章は人工物である。人の生み出すものは人が意識して生み出す事によつてのみ人工物としての意義或は價値を持つ。意識して抽象化される事によつてのみ、文章はより良い文章となる。さて、文章を書くのは事物を抽象化する精神であり、抽象化された概念である文章を讀み解くのもまた抽象を理解する精神である。そこにある言葉の連なりは、確かに精神によつてより一般的な概念に所屬させられた事物・概念である。文章と云ふ結果から、原因となる作者による抽象化の過程を推察する事は、常に讀者に要請される。この事は、例へば小説に存在する物語もまた、小説家の精神による抽象物でしかない、と云ふ事を意味する。そこで言へるのは、小説の物語を樂しむのは讀者にとつて最良の讀書の樂しみである譯ではない、と云ふ事だ。小説を通して小説家の精神と間接的なコミュニケーションを取る事――それは、小説を讀む讀者にとつて一番の樂しみである筈だ。讀者は、小説のストーリーをそのままに味はふばかりではない。小説家の「書き振り」を、讀者は屡々樂しむものである。

平成14年3月5日

例の「謎バナー」の正しい使ひ方。なのですかね。

平成14年3月5日

「理窟で考へれば可哀想」な代物は、感情で考へると全然可哀想ではなかつたりする。

平成14年3月5日

お疲れ目さまモード。

平成14年3月4日

小學校や中學校の教科書に「新しい××」と云ふ書名のものがある。何の積りなのだらう。


公布・施行されて半世紀が經つ「新憲法」に「新字新かな」ですか。隨分新しいねえ。

平成14年3月4日

本日の買物。

『無花果日誌』
若合春侑著・角川書店
諸君!
2002年4月號・文藝春秋

「諸君!」4月號には、現代詩作家の荒川洋治氏による「言葉と世界」なるコラムが載つてゐる。「諸君!」は、この「駄コラム」を叩く爲だけに買つた。讀むところは全然ない。

一般的な文章と、小説をはじめ文学的な場所に置かれた文章で、使われることばがちがうものがある。たとえば「先鋭」は文学的な文章では「尖鋭」となることが多い。「回復」は「恢復」、「興奮」は「昂奮」、「奇跡」は「奇蹟」、「技量」は「技倆」、「注解」は「註解」、「絶賛」は「絶讃」になりやすい。すべてではないが、その傾向がある。このような文字の使い分けは、どうして起こるのだろうか。

どちらにしても意味は同じ。だが文学的な文章では、古くから使われるものを選びがちなので、常用漢字以外の文字が多くなる(また大半は画数が多いものである)。これにすると「常用」からはずれるから、特権的な雰囲気が生まれる。「尖」も「昂」も「註」も、おとなになったら一度使ってみたい、という感じのものだが、使いこなすのはむずかしい。

どうしてもかうしても、同音の漢字による書きかえ(昭和31年7月5日国語審議会報告)のせゐに決つてゐるし、そんな事は『新しい国語の表記』『新しい国語表記ハンドブック』その他の本を見ればすぐにわかる事だ。荒川は、何をとぼけてゐるんだ。とぼけてゐるのではないのだつたら、それはそれで問題がある。

續けて荒川は、「長篇」は「長編」、「中編」は「中篇」と書くけれども、「短編」は「短篇」の方を使ふ人の方が多い、と述べる。もつとも、それらしい理由は述べられてゐるが、それが事實であると云ふ根據はどこにも示されてゐない。そして荒川は言ふ。

ただ、ものを書く人は、文字の「美意識」の凝りがとりはらわれたときに、一人前になる。あまり文字のイメージにこだわるのは「青い」証拠。若いときにはなにも知らないから「短編」、少しすると、おませになって「短篇」、落ち着いてくると「短編」に、もどる。これがひとつの成長の、しるしである。

「編」という一般的な文字をつかって、りっぱなものを書く。それが書き手の「技倆」である。文字のこだわりからぬけでてこそ、文章も考えもおとなになるのだろうと思う。文章は、文字ではなく内容なのだから。

別に荒川が何を言はうが「言論の自由」だが、選りに選つて「諸君!」がかかる「革新的」な意見を載せる事はないだらう。ジョージ・オーウェルは『1984年』で、「ニュースピーク」によつて現代と傳統が斷絶させられた全體主義國家を描いたが、日本の國語國字改革はこの「ニュースピーク」を實現したものにほかならない。

「保守派」を名のる人間が屡々平然と「現代仮名遣い」「常用漢字」の支持を表明する。「保守派」と稱する雜誌が現代と傳統とを斷絶する國語國字改革を許容し、進んで受容れようとする人間の發言を載せる。「詩人」の癖に言葉にこだはるなと主張する荒川は所詮「現代詩人」であり、本物の詩人ではないのだが、多くの自稱「保守派」もやはり本當の保守派ではない。

「諸君!」は、「憲法第9條」が存在すると云ふ現實を受容れ、「保守」の看板はさつさと捨てて、「おとな」の平和主義雜誌になつたらどうかね。


まあ、今の世の中は右傾化してゐるから、「保守派」の看板は金を稼ぐのに便利なのだらうがね。しかし、「保守派」とは便利な言葉だ。「保守派は、過去を保守するのではなくて、現代を保守するのだ」と言へば、革新派が保守派のやうな顔を出來るのだから。


それにしても、荒川の駄文を、どうして「諸君!」の校閲記者は默つて通したのかね。誰か「やめろ」と言はなかつたのか。


そして、この文藝春秋社の文庫として、今月、福田恆存さんの『『私の國語教室』』が復刊されるのである。

平成14年3月3日

いつの間にか、うちが一番上に出てくるやうになつてゐる。

平成14年3月3日

平成14年3月3日

平成14年3月3日

同人誌にはISBNコードがない。


さう云ふもののURNつて作れないもんですかねつて話。「名無しさん」ぢや可哀想ぢやないですか。

平成14年3月3日

どうでも良いのだが、ミステリ畑の人間がSFの領域に入つて來て大きな顔をしてゐる最近の風調は、いかがなものかと思ふ。


しかしそもそも日本にSFなんざ、存在しないんでね。「SF作家」と呼ばれるが實はSFを書いてゐない作家に關するコメント。


アニメでもさうだけれども、「SF」作品で讀者の心を打つところは、實はSF的ではない、傳統的な或部分である。それに氣附いて以來、俺はSFを讀む氣をなくした。SFなんて、讀まなくたつて良いぢやないか。


ちなみに、俺はミステリが嫌ひである。だつて、ミステリなんて、全部同じ話だらう?

本格だらうが何だらうが、所詮ミステリはミステリ。

平成14年3月3日

ちなみに「楽古堂主人」さんは、SF界ではそれなりに知られた人です。と言うのも、楽古堂さんは、何度も「青雲賞」に輝いている有名な同人誌『パラドックス』の中心メンバーであり、この同人誌からは何人もプロの作家が輩出されているからです。『SFマガジン』(早川書房)の編集部でも、楽古堂さまは知られた人ですよ。

と、アレクセイ田中幸一氏は述べてゐる。


虎の威を借る狐。

平成14年3月3日

田中幸一氏は以前、自分に都合の惡い事を書かれたので、私の投稿を削除した。そして、田中氏は「野嵜は掲示板荒しだから」と、自分の行爲に理窟を附けた。しかし、田中氏が私の投稿を削除した事實は消えない。田中氏は、自分にとつて都合の惡い投稿を削除する「掲示板管理者」である。


「文章を削除するのは、自分にとつて都合が惡い事が書かれてゐたからに決つてゐる」と主張してゐるのは田中氏自身である。

屡々人は、自己を否定すべき文句で以つて他人を罵る。一方、他人を罵つた文句で以つて自分の言動を否定する人は滅多にゐない。「自分だけは特別」と云ふ觀念を、割と多くの人が確信犯的に抱いてゐる。

平成14年3月3日

戦うWebデザイン――制約は創造性をはぐくむ――』(ジェフリー・ヴィーン著・MdN)を讀み終へたのだが、全然惡い本ではなかつた。ユーザビリティ關係の本の中でも、ベストに近いものだ。何で見過ごされてゐるのだらう。なぜ今まで見逃してゐたのだらう。

平成14年3月3日

多くのサイト制作者が、HTML文書の末尾に安易にaddress要素や注意書、ナヴィゲーションバーの類を記述してゐる。

だが、屡々、文書の構造上、變なところにそれらの記述が出現してゐる事になつてしまつてゐる場合がある。

以下の例を見ていただきたい。

html
head
  • meta
  • link
  • title
body
h1
(div1)
h2
(div2)
p
p
p
h2
(div2)
h3
(div3)
p
p
p
h2
(div2)
h3
(div3)
p
p
p
address

この例では、address要素がdiv3に置かれてしまつてゐる事になつてしまつてゐる。このaddress要素は、適正な置かれ方をしてゐると言へるだらうか。


「言葉 言葉 言葉」その他のサイトにある俺の文書にも、をかしな場所にaddressの配置されてゐるものがある。と言ふか、先月までの「闇黒日記」もさうだ。

平成14年3月2日

この筆者は、扱(旧)なる文字列と扱(新)なる文字列とを比較してゐるらしい。或は、扱(旧)なる文字列は旧字であり、扱(新)新字である、と主張したいらしい。

平成14年3月1日

body直下にimgがあるのでISO/IEC 15445:2000に不適合。殘念だ。


改善されました。

平成14年3月1日

THE GREAT GAME - 言紡師の書斎が頑張つてゐる。

平成14年3月1日

エレキなリンク經由。

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