本日の買物。
コンセプト的には恐らく現状、もつとも先進的な内容。かなり良い本だと思ふ。
ただ、addressをインライン要素と勘違ひしてpの中身にしたり(201ページ)、終了タグを記述してはならない空要素(br、img)と終了タグを省略出來る要素(p)とを一緒くたにして説明したり(229ページ)、「htmlの記述は必須」と嘘を書いたり(229ページ)、HTMLの現在のバージョンは4.0
と説明したり(229ページ)、XHTMLでHTML文書の擴張子は「.html」「.htm」の両方が許されています
と言つたり(229ページ)、そもそもXHTML 1.1に關する記述がなかつたり、divのclass名・id名がよろしくなかつたり、「HTMLタグ簡易リファレンス」なるよろしくないコーナがあつたり、と、HTMLヲタ的には感心しない記述もそれなりにある。
一般的な「ウェブデザイン」の本に比べたら格段に優れた内容を持つので、、HTMLに關する記述にミスが結構澤山あるのは非常に殘念。「テキストをマーク附けしてHTML文書に仕立てる」と云ふ解説が書籍でここまで懇切叮嚀になされたのは恐らく本書が初めてであり、その點は評價すべきだが、基本的な部分に間違ひがある爲、手放しで本書を禮讚出來ない。
「ネタがないのは良いネタ」と云ふネタ。
以下略。
CSS關係者に37の質問の囘答@PC Tipsは、CSS2のcounterプロパティで定義リストの項目の頭に數字を追加してゐます。
しかし、何でもかんでもHTMLやCSSの記法でやらうとする必要はない譯で。
<dt>1.ウェブサイトはいつ頃から作つてゐますか?</dt>
、<dt>2.CSSを採用したのはいつ頃?</dt>
、と數字を中身に一々書込んでも、一向構はないのではないですか。
CSS關係者に37の質問は、必ずしも最善の質問内容ではありません。その後、「獨自仕樣」の「質問」が多くの方々により追加されてゐますが、それらにもやはり、必ずしも良いとは言へない質問も含まれてゐるやうな氣がします。また、依然、必要な質問が漏れてゐるやうな氣もします。
23.CSSでは、どの位、MSとかMozillaとかの獨自仕樣を使用してゐますか?は、餘りよろしくない質問です。御批判を頂戴してゐるもので、eratta扱ひにすべきです。ブラウザヴェンダによる獨自仕樣は、CSSではありません。
「37の質問」は個人的なものであり、「CSS關係者への質問」の標準の策定が望まれます。御意見を募集します。聯絡は、例によつて色々な方法で。
まあ、「質問標準化」なんて、どうでもいいんですが。と言ふか、「37の質問」は、たしか10分くらゐででつちあげた代物。眠くて仕方がない状態で作り始めて、我慢できなくなつて作成途中で寢てしまつたので、37しか質問がない。
上の説明……犯罪行為には「故意」の認定が必要だ。つまり故意(悪意・害意)がなけれ ば、(一般に)犯罪とは言えない(過失犯という例外もある)。「掲示板荒らし」は、その文章だけをとらえて「あれも同じじゃないか。あれが荒らしでなければ、私のも荒らしにはならない。故意なんて主観だろう」などと言うんだが、「故意」の認定は「文章そのもの」だけではなく、「前後の状況」を勘案して認定されるんだ。「主観」と言えば無論「主観」だが、裁判における裁判官の「心証の形成」とは「妥当な主観の形成」ということに他ならないんだよ。要は、その「書き込み」が前後の状況から判断して「悪意」をもって書き込まれたと、第三者的に看做しうるか否かが 問題だということだ。ともあれ、君は私に害意を持つほど、愚かではないはずだ(笑)。
(一般に)
、(過失犯という例外もある)
、と云ふ邊、根據が薄弱であるのは自明ですが、にもかかはらず、園主こと田中幸一氏は自信をもつて犯罪行為には「故意」の認定が必要だ
と言切る。この手の論法を用ゐれば、根據の薄い主張であつても全て通つてしまふ。
しかし、だ。
私は常々、「惡意よりも善意の方こそ、屡々たちの惡いものである」と主張してゐる。
「善意の絶對主義者」くらゐ、たちの惡いものはない。彼らは、他人を道徳的に裁くからである。
田中幸一氏に御尋ねするが、あなたに他人の善惡を決定する權限があるか。掲示板の管理人である事は、他人を道徳的に裁く根據にならない。
きちんと<blockquote>要素で引用部を明確にしておきますので。
blockquoteの直下にインライン要素のimgや生のテキストを記述するのは、HTML 4.01 Strict的にNGです。
「畫像を引用する」のも、考へてみれば、blockquoteすべきなのでせうかねえ。と言ふか、福田恆存さんのコーナや國語國字問題を考へる爲の文獻資料で公開してゐる書籍の表紙を取込んだ畫像も、blockquoteにしておかないと、よろしくないんでせうねえ。
本日の買物。
PC Tipsの記事が甚だ不親切なのは承知してをります。その邊は、將來改善したいとは思つてゐるのです。
良い感じ。
実は野嵜さんがインターネット上で非常に評判が悪いのは存じ上げています。
と、はつきり言はれてしまひました。
「キッズステーション」版「Weiß kreuz Giuhen」のアニメーション制作は、サイトが死んで久しいトライアングルスタッフだと云ふ話だが、どうなつてるんですかね。
議論専用掲示板 ARUGMENT で、「リントラ」さん(こんちは 投稿者:リントラ 投稿日: 1月23日(水)08時15分03秒)と田中幸一さん(木村 貴さんについて。 投稿者:アレクセイ 投稿日: 1月23日(水)11時52分30秒)が「仲良く」話をしてゐるのを見て、思はず「ほのぼの」としてしまひました。田中さんは本當に「素晴らしい」人です。
大人の対応
、と、周圍の評判も上上。我々の期待を裏切らないアレクセイさんを、野嵜は應援してゐます。
24日追記。(RE:明日はヴィデオ上映會! 投稿者:木村貴 投稿日: 1月24日(木)14時18分06秒/駄目だね 投稿者:リントラ 投稿日: 1月24日(木)14時21分25秒)
木村の奴、俺の文章を轉送する時に、名前を書き換へ損ねたやうですな。
某「Yahoo!掲示板」で、「Fankee_Jr」の「正體」が「ばれた」時の「騷動」を思ひ出しました。
WindowsXPのコントロールパネル。「音声認識」のアイコンにもiMac似のPCが存在。
「音声認識のプロパティ」を見ると、Microsoft Samなんてのが入つてゐる。どんな風に讀上げて呉れるのかは、このプロパティの入力欄にテキストを打込めば確認できる。
TTS 再生音声が読み上げるサンプル テキストが表示されます。テキストは一時的に変更できますが、その後は既定である元の内容に戻ります。
アルファベットしか讀上げないが、適當に打込んだ文字列も無理矢理喋つて呉れるので、暇潰しには或意味最適。
HTMLとは、簡単にいえばプログラミング言語のことで、パソコンの機種やOSに関係なく、インターネットに接続できる環境さえ あれば表示できるファイルの作成に使われています。
プログラミング言語ではなくて、マークアップ言語。
<html> 〜 </html> は 「ここからここまでがHTMLで記述されています」 という内容を示し、このHTMLタグでウェブページの文書全体を囲んでやる必要があります。
html要素は暗示的に全てのHTML文書に存在します。開始タグ・終了タグの明示は、HTMLレヴェルでは必須ではありません。
この <body> 〜 </body> の間に書かれている内容が、ウェブページとしてブラウザに表示されている部分です。
body要素の中身としてマークされてゐる以外の部分にテキストがあるのは不正です。しかし、さう云ふテキストも、多くのブラウザが平氣で表示します。
布団をあげようとしたら押し入れに猫が。
寝る準備をしようと押し入れを開けたら布団の上に猫が。
その猫くんは、ふとん蒸しにされたいのだ。きつと。
色づかひの惡い事で有名なすみけんさんのサイト。
旺文社のポケット版
とゼンリンの(名称忘れた)
が「アンダーライン+紫色の文字」と云ふアンカー紛ひのスタイルになつてゐる。
何度もクリックした擧句、「ジャンプできないのはOperaの何かの不具合だらう」と思ひ込みつつ、ソースを見るとアンカーでも何でもないただのdt。すみけんさん、何とかして下さい。
Operaよ、疑つて惡かつた。
続いてウェブのデザインを手がけるZSPCの大藤幹さんがエンジニアの立場からアクセシブルなウェブの記述法について解説した。大藤さんはまず、アクセシビリティの上でしばしば批判される「テーブル」(表)の使用についてW3Cのトップページを見事なテーブルの使用例と評価し「レイアウトにテーブルを使うことが問題なのではなく、テーブルの記述時にセルの読み上げ順序を考慮しないことが問題」と説明した。
W3C信者たるものかくあるべし、と云ふ見本。
本日の買物。
「第三版」では、大きな変化はないけれど、つぎの諸点で改修されているのが目だった――「応用」の新材料によるさしかえ・固有名詞の新時代的入れかえ・注のつけくわえ・段落の書きくわえ・そして第5章と第6章の入れかえ。
無理に和語で表現しようとして、異樣に諄くなつてゐる例。
スタイルに頼り切つたWordの文書作成は樂ですねー。あとで文句を言はれませんやうに。
ATOK。今日の迷變換。
何となく少年ジャンプ風。
團子蟲は落ち葉も食べるがするめ等の動物性の餌も食べる。
青空文庫の、表記の變更に關する見解。
原文にあくまで沿いながら最小限の書きあらためをおこなうことには、確かにその作業にたずさわる人の判断がかかわってきます。書き換えは、編集の力量や見識を問われる知的な作業です。ただし著作権法は、この程度の表記の変更に著作権を認めてはいません。
日本の著作権法は、保護の対象となる著作物を冒頭で次のように定義しています。
著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
保護されるのはあくまで作者の創作的な表現であり、誰かが書いたものの表記をあらためることは、この定義に当てはまりません。
著作権法は第二章、第一節で、著作物にあたるものをより細かく示しています。第一二条には、著作物の範囲を広めに規定した、編集著作物に関する次のような定めがあります。
編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。)でその素材の選択又は配列によって創作性を有するものは、著作物として保護する。
この規定によって、論文集やアンソロジー、歳時記の構成といったものは、それ自体が著作物として保護されていると考えるべきでしょう。
これらに関しては、たとえ収録されている個々の作品の著作権がすべて切れていたとしても、編集に当たった人の死後50年を経ないうちは、組み合わせや並べ方をなぞることは許されません。
ただし、表記の改変が、ここでいう
素材の選択又は配列によって創作性を有するものに当たらないことは明らかです。
正字正かな表記の文章を略字略かななどの表記に書換へる行爲は素材の選択又は配列によって創作性を有するもの
ではないから違法ではないと云ふ事。當然、略字略かな表記の文章を正字正かな表記に書換へる行爲も合法である。