「USO!?ジャパン」で、「童謡『裏いろは唄』の噂l」と云ふのをやつてゐたのだが。
いろは歌を
いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
と並べると、末尾が「とか(咎)なくてし(死)す」になる、だからいろは歌は、歌人のダイイングメッセージだ! と云ふまあ、「トンデモ」な話なのだが。
歌人をしよつぴいていく役人が、どう見ても江戸時代の恰好をしてゐるんですが。
いろは歌つて、もつと前からあつたと思ふんですが。
「嘘」は良いけれども、もつとリアリティのある演出をすべきではないかと思つたのですが。
歌人が、權力者への怨みを抱いて死んだ、なる解釋は、露骨にマルクス主義以後のものなんですがー。
「嘘」を標榜しつつ、變なイデオロギーを宣傳してやまないTBSの罪は萬死に價する。
PC Tipsの「とっぷぺーじ」が非道い事になつてゐたので修正。
人がPCと附合ふ上では、机と椅子が極めて重要なファクターとなる。
それから、部屋の照明。
http://futaba.mikage.to/が、アンカーポイントの色を變へる爲だけにCSSを利用してゐるのに今頃氣附いた。
ATOK標準のキーバインドは、ユーザに連文節變換をさせない爲に採用されてゐるのではないだらうか。
たのしいXML: XML/XHTML入門ページですの掲示板で、例によつて「ホームページ入門」を斬るコーナ@PC Tipsが話題になつてゐて、すごい
tokaいくらネットを介してでもあれだけ言うのは感心しました
toka恐ろしげなサイト
toka散々な言はれやう。苦笑ひ。
@NetHomeが勝手に取つてゐるアクセスログによれば、慥かにあの記事はそこそこ讀まれてゐるんですが、PC Tipsで一番人氣のあるのは、意外な事にWindowsをうまく使ひこなすの方だつたりします。
「ヤマト」の本放送は昭和49年。當時は視聽率が伸びず、打切。その後、マニアの間で話題になり、再放送を經て映畫化。
この最初の映畫化の際、テレビで打切られた作品であると云ふ事で、當初は配給元が決らなかつた。
最初、西崎氏(プロデューサー)は、ファンたちのあまりに熱い要望に答えるために、自主上映という形で上映を決意。前売り券の販売を始めた所、口コミによりファンが殺到。急遽、東急レクリエーション系4館での上映へと拡大することになった。ところが、押し寄せるファンの波はとどまることを知らず、ついに東映洋画部が配給を買って出たため、一挙全国公開になった。
最初の上映の際、結末はTVシリーズとは異り、ヤマトがイスカンダルに到達した時、スターシャは既に死亡してゐると云ふ事で、ファンを驚かせた。一方、デスラーは死なない。
TVシリーズの映像を繋ぎ合せたダイジェストであり、それ程クオリティの高い映畫でなかつたと言へばなかつたのだが、しかし見る価値の無い駄作だった
とまで言ふべきではないだらう。
實際のところ、「さらば」こそが駄作であつた、と言へるだらう。庵野秀明氏が「さらば」を見て失笑したと云ふエピソードは有名。そして、そのリメークであるTVシリーズ「2」が、ヤマトシリーズにとどめを刺したと言つて良い。
しかし、TVシリーズのダイジェストである最初の映畫「ヤマト」と、完結篇を標榜した「さらば」をセットで考へると、「イデオン」や「エヴァ」の先取りを「ヤマト」はしてゐた事になる。(さう考へると、「2」はひよつとして「學園エヴァ」に相當しますか)
やつぱり、「ヤマト」は或意味、もつとも偉大なアニメであると言へるのではないか。
昭和49年の最初の「ヤマト」は、今見ると、明かに旧世代のアニメーション作品で、「ヤマト以後」の新世代の作品と比較するのは可哀想だ。むしろ、「非科學的」な側面を多分に含んだ設定をもとに、10年間シリーズを維持し續けた、と云ふ「功績」をこそ、評價すべきであらう。
宇宙世紀の「ガンダム」が、シリーズとしてそこそこ一貫してゐるのは、「ヤマト」を反面教師としたからであらう。「ヤマト完結編」公開が1983年。その2年後に「Z」でガンダムは復活してゐる。ガンダムの制作者は、ヤマトの榮枯盛衰を全部見てゐるのである。何も學ばなかつた筈はなからう。
と言ふか、いがらしさんは、最初の「ガンダム」TVシリーズが不人氣で打切られた事を書いてゐない。子供にはあまり受けなかったそうな
、と云ふのは、「ヤマト」も「ガンダム」も同じ。
あんまり熱く語らないで下さい。
ここからがHTMLエライお兄さんオタの話す場であって、これ以前は問題にならないものと思われる――ですよね、"言葉 言葉 言葉の" 野嵜さん。
つきねこさんに話を振られてしまつて、お兄さん
は困つてしまひましたよ。
オタ
としては、いがらしさんにはまづ、宇宙船艦ヤマト
と起動戦士ガンダム
を取敢ず直していただきたいと思つたんですがー。びしばし。
野嵜謹製WX-3用正字正かな辭書を導入すると、「宇宙戦艦ヤマト」も「機動戦士ガンダム」も、簡單に變換出來ます。しかも、ついでに正字正かな入力なんて事が出來てしまふ。これ最強。しかし、いまどきWX-3用と云ふ危險も伴ふ、諸刃の劒。素人にはお薦め出來ない。
なぜか「死ね死ね団」が登録されてゐたりする。何なのだらう。我ながら。
それから、南田操
を紹介するのは結構ですが、『シリウス・コネクション』と『シリウス・レボリューション』にしか觸れてゐないのは片手落ちであるやうに思はれます。
南田操の代表作といつたら、やつぱり『コミケ中止命令!』でせう。
いがらしさんの文章は、形式が一貫してゐるから、HTML化は本來、極めて容易である筈。と言ふか、この邊りの文章を書いてゐる最中に、いがらしさんのマターリ、12月のソースが書き變つてゐたりするし。
いづれにせよ、マジレスは恰好惡いですな。特にヲタ話。
Googleグループより。
ところどころに誤字がある。
「連續する<p><p>は無視しろ」とW3Cの勸告にはありますけれども、Internet Explorer 6はこの「規定」に從つてゐませんねえ。どこが「W3C準據」なんですか。
またこの「闇黒日記」の記述でミスをやらかしてゐた。逆切れ。
というわけで、作中の「田中」は「平凡な容貌」ということでご了承下さい。でも、「平凡な容貌」であれだけモテるんだから、よっぽど魅力的な人柄なんでしょうね(笑)。
なんかもうメタメタな状況に陷つてゐるが、取敢ず田中氏にも耻を知つて貰ひたいものです。
と言ふか、素人さんはどうして耻を知らないんでせうか。自分が素人だと自覺してゐないからです。
「ここをクリック!」には辟易させられるが、(カチッ)
、(日本のカチッ)
、(日本のカチッ!)
には一瞬、殺意を覺えた。
耻を知れ。
Internet Writers Association略してIWAが、いつの間にか正式採用されてゐてげんなり。
作家志望の人々が、ああも「普通」の作品をオススメ
してゐるのには、少からず失望した。選擇眼があれば良い小説を書けると云ふ譯でもないけれども、作家志望の人はもつと獨自の「物の見方」を持つやう努力すべきではないか。
FFFTPつて、なんですぐ固まるんですか。
確實な事。
「補完さくら」が微妙な感じで進化してゐる。
例のウイルスによる添附書類附きメールがメールボックスに屆いたのだが、電八で落さうとすると、サイズがどんどん増えて電八が落ちる。
再起動後、メールボックス内から直接さつくり削除。
發信者名が「なんとかちゃん」だつたやうな氣がする。お心當りのある方は、PCのウイルスチェックをして下さいまし。
添附書類附きメール
つて、「馬から落馬する」みたいですな。
「諸君!」2002年1月號が「有識者」78人に、「眞珠灣攻撃の報を聞いて何を感じたか」についてアンケートを行つた。
猪木正道が必敗を予想
と云ふ囘答を寄せてゐる。
真珠湾奇襲の報を聞き、海軍航空隊の実力に感心しながらも、「大変なことになった。必ず惨敗するから、家族の生活を守れるかどうか、わからない」と心配しました。
今も一九四一年十二月八日の私の考えは、完全に正しかったと信じています。
ただ若干意外だったのは、米国の占領政策が私の予想していたものよりは、さらに一層寛大だったことでした。
占領はやはり占領ですから、残念なこともありましたが、敗戦日本は天皇の下吉田首相の指導により、占領を利用して、日本の民主化と近代化を推進しました。
林健太郎氏の囘答。
その頃私はマルクス・レーニン主義を信奉する左翼青年でしたから、これが日本帝国主義の侵略戦争であるということに何等疑いを懐きませんでした。
今日の私はマルクス主義にもレーニン主義にも反対でありますが、この戦争に対する私の態度には変りがありません。
猪木よりも、林氏の方が正直である。或は、そもそも保守なのかどうかが怪しいにもかかはらず保守と稱する猪木は、信用出來ない。
「本の雑誌」で木村晋介氏が、ブッシュ大統領をなめるな、と云ふ主張を展開してゐる。
本日の買物。
筆者は高校教師で、左翼の正かな派。
贊同し兼ねる意見。かかる本則
が正しい、と云ふ證據は何處にもない。
本來の日本語は、
語源を基準として綴るものなのださうだが、語源を基準に發音を表記する規則を切換へてゐるだけであるやうに私には思はれる。
萬葉時代の音を基準としてゐると云ふ説を筆者は唱へてゐる。しかし、「本來の表記を追求した契冲假名遣は、結果として上古の發音と一致するやうになつた」のであつて、「契冲假名遣は上古の發音を表記する爲の假名遣である」と考へたら大間違ひである。
契冲は、萬葉集を研究して、語の本來の表記を研究したに過ぎない。契冲は、萬葉集等、上古の文献の表記が當時の發音に基づいたものだとは想像もしなかつた。
同じ江戸時代末の研究者・石塚龍麿の著した「假字遣奥山路」には、作者が「わかつてゐない」事による記述の混亂が見られる。石塚が「發音」と云ふ事に氣附かなかつた爲に生じた混亂であると言はれてゐる。(「上代假名遣」説は、橋本進吉によつて提唱された學説である)
江戸時代の國學者は、純粹に表記の面から「本來の假名遣」を追求してゐたやうだ。
逆に、定家假名遣を發展させた人々は、表記と發音とを何とか合理的に結び附けようと努力してゐたやうに思はれる。彼らは、混亂した表記を何とかまともな姿に戻さうと努力した。それは認めなければならない。しかし、彼らの研究方法は、現代の我々から見ると、甚だ「非合理的」なものであつた。
彼らの作つた定家假名遣は、異る複數の原理に基いてをり、論理的に一貫してゐない。或は、根據の薄い假説をもとにした表記の體系である。だから、定家假名遣は、「現代かなづかい」と同じやうに、強引に成立させられた、必ずしも正しくない假名遣であると、私は見てゐる。ただ、「現代かなづかい」のやうに、卑怯な手段でスタンダードとなつたものでない事だけが救ひである。趣味的には面白いかも知れないが、定家假名遣は今更本來の日本語
と呼んで稱揚せねばならないものでもないと思ふ。
契冲假名遣は、「正しい表記」を目指す、と云ふ點では定家假名遣の精神を受繼いだものであり、「正しい表記」の撰定方法がより合理的で緻密なものとなつてゐる。從來の定家假名遣の研究が發音に傾いてゐた事への反省が、契冲假名遣を成立させた要因の一つだと、個人的には見てゐる。
永山のBOOKWORMはまだやつてゐますか。
「W3C 子の HTML 講座!」執筆希望。
「萌え萌えHTML講座」の先驅者と言へば芳美と彩可+1のHTMLでいこう!!ですな。こちらには一気に改訂
を希望。
「Oracle入門」執筆希望。
「フォント弄り系サイト」に關する基本文獻。
先日行つたBOOK OFF永山店を出る時、イヴェントみたいなものをやつてゐて、籤を引いたら2等賞だつたと云ふ話を書き忘れ。景品は携帶電話。
「まだ開發中」の新製品を呉れるんださうで、「欲しかつたらここに聯絡して呉れ」と云ふ電話番號の載つたチラシを貰つたのだけれども、放置中。
一太郎の「罫線」は、20世紀の「負の遺産」としては最大級のものだ。WordとNavigator 4に與へた惡影響を考へれば、JustSystemの罪は萬死に價する。