闇黒日記



電撃作戰

平成13年11月15日

平成13年11月15日

散々反米感情を煽つた擧句、しかしながら、どうか反米感情――とりわけ「米政府の世論操作の結果」をアメリカ人一般へ の嫌悪に勝手に拡大すること――だけは、思いとどまっていただければ、と思います。とぬかす馬鹿。

單なる責任逃れの言ひ譯に過ぎないと云ふ意見に一票。

平成13年11月15日

PC Tipsでは、HTMLの定義のための覺書の記事よりもWindowsの研究の記事の方が良く利用されてゐるらしい。


KSmiracle Web Directoryでもつともリクエスト數が多いリソースは、antinn.cssだよ。笑ふしかない。

平成13年11月15日

實驗。


>ホランド。

花園掲示板が開設されて以来、そこに展開されてきた光景を一言で表現するならば「人は歴史に学ばない」ということになるだろう。ご存じのとおり、私はこの言葉を、これまでに何度もくり返してきた。だが、人は同じ過ちを、同じパターンを踏んでくり返し続けてきた。こうした光景を目の当たりにして、木村貴氏が苛立つのは止むを得ないことかも知れない。だが、結果主義に陥らず、ただ淡々と自分の務めを全うするという覚悟なしに「衆愚」を批判すれば、それは結局のところ単なる「大衆憎悪」にしか行き着かないだろう。批評家は「神聖なる敗北者」でなければならない。人の支持に頼まず、ただ天命にのみに生き、天の加護なくとも「天よ、照覧あれ」とつぶやきながら、己が言葉を紡ぎ続けなければならないのである。


>アレクセイ。

貴方は、まだ自分の「甘え」に気づかれていませんね。

いいですか。『技術力皆無の頭をしぼって、実験』をするんなら、身のほどをわきまえてください。恩着せがましく、実験だということだけは自己宣伝しておきながら、実際にその責任をとることもせず、勝手に「ホランドには本物と贋物がある」などと主張しないでください。貴方はそれが許されるものだと端から決め込んで、勝手に他人を『掲示板荒し』呼ばわりしていますよね。これは絵に描いたような「甘え」です。そして、この際『掲示板荒し』という言葉が、肯定的な意味を持つのか、否定的な意味を持つのか問題ではありません。なぜなら、その意味を貴方自身が説明なさってはいないからです。貴方が「不完全な実験」すなわち「誤解を招く実験」を自ら進んで行なっているからです。だから、それは「当然、否定的に取られても仕方のないもの」なのです。誤解されるのがイヤならキチンと説明すべきですし、「実験の責任は取れない」という自覚があるのなら「実験すべきではない」のです。にもかかわらず、貴方は「いいかげんな実験」を「いいかげんに発表」しています。これは貴方が「アマチュア」であり「実験」であることに甘えているからです。無論、その自覚はないでしょうが、私のこの指摘が間違っていると思うのだったら、その理由を説明してごらんなさい。きっと出来ないはずだから。……自分のサイトに書く暇と勇気が無かったら、うちの掲示板に書いても構わない。筋の通った文章なら、私は、それが批判だろうと何だろうと、厭いはしませんよ。


貴方は、近藤さんが「Remote Hostによってアレクセイとホランドが同一人物である事を推定した」ことについて『「(同一人物と)看做しうる」という事と「同一人物である」という事とは、まったくの別 物である』と非難なさっておられますが、これは貴方の見当違いです。なぜ近藤さんが、あのような「推定」をしたのかと言えば、それは貴方がご自身の『実験』の理由をまったく語らなかったからです。

例えば、少数派である原発反対派である政治家が、複数のペンネームで原発賛成派を攻撃する本を書きまくれば、その理由を「良く考えてみれば」などという説明にならない説明で済ませれば、人は当然「原発反対派を多数派に見せかけるためじゃないか」と疑るんです。「(不自然な言動に対しては)人の言うことを『鵜呑み』にしない」というのは、「健全な批評精神」の前提条件なのです。

貴方の『実験』も、この政治家の場合と同じです。誰もが納得のいく説明をしておけば、貴方は「痛くもない腹を探られずに済んだ」のです。なのに、貴方は「公的言論発表者」としてのご自分の「怠慢」を棚に上げて、人の「疑義表明」を「掲示板荒し」だと曲解し、これを的外れに非難した。これは明らかに貴方の「過ち」です。では、貴方がなぜこういう「過ち」を犯したのかというと、それは貴方が「説明しなくても、わかってくれて当然だ」という「甘え」に浸りきっているからです。『道義的義務』という言い方は、要するに『説明しませんが、自覚して下さい。』と言うも同然の言葉なのです。そして、そういう無茶を平然と書けるというのは、貴方がご自分の「甘え」にまったく「無自覚」だという証拠なのです。


>ホランド。

貴方を「アマチュア」でも「実験」でもなく、「一人の公的言論発表者」として突き放して評価するなら、貴方は『文章能力皆無』という以前に、「自己相対化能力皆無」「論理的思考能力皆無」「知的誠実皆無」「対他者的誠実皆無」であり、それ故「まともな(説得的な・内容のある)文章が書けない」のだということになるんです。貴方は問題を「才能」即ち「先天的」要素や「技術的」要素に還元して、自分の「誠実さ」だけは確かなことのように(自己陶酔的に)語られていますが、事実はそうではない。

いいですか? 「現実を直視できない」人間がすることは、いつだって「観念的自己回復」なんです。他人の評価や批判で揺らいだ「自己像」をただ修復しようと「レッテル貼り」に奔走するんです。無論この時、この人には「本当の自分」を直視しようなどというような意識は微塵もありません。そして「観念的自己回復」の一番安直なパターンが「責任転嫁」です。自分が批判されるのは、自分に非があるためではない「相手が「ならず者」だったからだ」とか、私に文章能力がないのは私のせいではない「親のせいだ」というパターンです。

例えば、私のこの説明を第三者は「身も蓋もないが、わかりやすい説明」と読むでしょう。ですが、自分の非を認めたくない当事者なら「誹謗中傷」と言うでしょう。当事者にとっては「事実」が問題ではないんです。あくまでも大切なのは、その「解釈」が「感情的に自分に受け入れられるもの」であることだけなんです。だから、私はこれを「甘え」だと言うのです。

もちろん「甘え」は「若い」人や「実験」にだけあるものではない。田中幸一氏のように「いい歳をした男性」にだって見られます。田中氏の「野嵜健秀の汚い尻尾」は、一言で言うと『泣き言』です。幼い子供が「野嵜くんが僕を虐めるんだ。僕は何も悪いことをしていないのに、僕のことを馬鹿呼ばわりするんだ。もう我慢できないよ」を涙ながらに、親や先生訴えているのと同じです。泣けば同情をひけると思っているんですね、彼は。でも、その親や先生が常識のある人なら、そういう一方的な言い種が全然当てにならないというくらいのことは、当然承知していることでしょう。同様に、田中氏が「期待する」ほど、世間も馬鹿ではありません。「いい歳をした男性」が泣いて見せたって、大抵の大人は「みっともない」と思うだけなのです。


ホランドさん、「自分に甘い人間」というのは「他者には厳しい」んですよ。ただ「自分を甘やかしてくれる人間にだけ甘い」んです。つまり、これは「自分のための、一種の取り引き(投資)」でしかないんです。「自分に甘い人間」の「仲間意識」とは、いつだって「高め合うための批判を欠いた・もたれ合い」でしかないんです。

私は、そういう友人関係を「気持ち悪い」と感じます。「傷を舐めてあげるのは、自分が舐めて欲しいから」というような、ベタベタした人間関係。大西巨人は『なんじら他人を審け。審かれんためなり』と書きましたが、これはその対極にある「消極的自己愛精神」に他ならないのです。だから私は、貴方への友情の証として、仮借なく批判するのです。泣きたければ泣くが良い。怨むのなら怨めば良い。もともとその覚悟無くして、評論家などやるべきではないのですから。


>アレクセイ。

今の貴方が公開しておられる「野嵜健秀の汚い尻尾」とやらは、所詮、貴方の「弱さ」を糊塗するための「自己への隠蔽工作」「観念的自己回復」に過ぎません。オウムの信者が「「警察」はサリン事件をして我々を犯罪者呼ばわりするけれど、それは違う。むしろ我々は被害者なのだ。尊師は嵌められたのだ」と考えるようなものなのです。彼らにとっては「事実」は問題ではない。まず「我々は正しい」ということが前提条件であり、「論理」はそこへ向かって「手前味噌に」組み上げられていく「観念遊戯」でしかないのです。……本人はそれで満足かも知れないが、それは傍目には「情けない」「馬鹿馬鹿しい」ものとしか映りはしないのです。


貴方は、私の言動を『「モノ・マニア」丸出しの執拗な攻撃』と言いましたね。「まぐれ当たり」にしろ、この『直観』には「一抹の真実」はありましょう。私の言動は、ある意味で「攻撃」です。貴方方のような「自分に甘い・弱い人間」のなれあいを「議論」と言うのなら、私のした事は「非情な攻撃」なのです。ただし、私は「モノ・マニア」ではありません。私は田中幸一と出会う前から「攻撃的」でしたからね。もっとも私は田中に惹かれませんでしたがね。


……と云ふパロディを「卑怯」と決め附けるのは、自己を防衞する爲の「甘え」にほかなりません。しかし、田中はあらかじめ、自己の發言が互ひに矛盾してゐる事實を隱蔽する爲に、かう云ふパロディを「卑怯な批評」と決め附けて逃げてゐます。


田中よ、あなたの「覚悟」は、「真面目」と云ふ事ではなくて「遊び」「実験」と云ふ事だつたのか。

元ネタ
大西巨人のサイトの掲示板過去ログ

平成13年11月15日

見出しを作ると、コンテンツを作る氣がなくなると云ふ羂。

"正字正仮名論争"のまぼろし

掲示板荒しをしないやうに私を説得出來なかつたホランドとアレクセイ即ち田中幸一には、道義的責任があると言へないか > 田中。

もちろん、田中は默殺と云ふ手段を取るに決つてゐる。田中幸一は、本多勝一的な「言論人」であり、確信犯的卑怯者である。

平成13年11月15日

恥さらし。

平成13年11月15日

Opera 6(ベータ版)は凄い。私はOperaに乘り換へました。


メニュー・コンテキストメニューをユーザが自由にいぢれたら最強なんですが。

平成13年11月15日

「東京裁判史觀」を肯定する人も否定する人も、G.H.Qの「神道指令(國家神道、神社神道ニ對スル政府ノ保證、支援、保全、監督竝ビニ公布ノ廢止ニ關スル件)」が日本に與へた影響を全然考へようとしない。「東京裁判」よりも「神道指令」の方が、重大かつ深刻な影響を、日本の文化に與へてゐる。


昭和24年の「新生活運動」と云ふものを、誰か詳しく知らないか。

平成13年11月15日

またSircamによる添附ファイル附きメールがうちに來てゐるので、「闇黒日記」の讀者の方はウイルスチェックをして下さい。

添附ファイルは、非常にやばいファイル名です。電八では開けないのですが。

平成13年11月14日

如上のような主旨で始った『「正字正仮名」論争』は、ホランド氏が木村貴氏の主張の独善性を批判したことが切っ掛けとなって、木村氏の「正字正仮名」の盟友であり「掲示板荒らし」の常習犯である野嵜健秀氏の参入と、それに追随した木村氏の議論の放棄により、「正字正仮名」に関してはもとより、議論そのものが成立しなくなりました。

アレクセイ田中幸一の嫌がらせ。田中幸一の頭の中では、嫌がらせが即ち「眞の言論」であるらしい。

  1. 勘違ひに基いて木村氏を批判したホランド(即ち田中幸一自身)の獨善を閑却してゐる。
  2. 「掲示板荒し」と決めつけた私の行爲を、田中自身が先にやつてゐる。
  3. ホランドの言ひがかりが議論を崩壞させたと云ふ事實を隱蔽してゐる。

それにしても、自分の分身であるホランドに「氏」を附ける田中幸一の厚顔無恥ぶりにはあきれた。


田中幸一よ。

自分の胸に手を當てて、考へてごらんなさいまし。

あの「議論」では、あなたが一番惡質だつたよ。

平成13年11月14日

Opera 6.0 for Windows Beta Released

所謂「日本語」のウェブサイトもちやんと表示出來るやうになつた。素晴らしい。

平成13年11月14日

 自作のオンラインソフトを世に提供するということは、公園を整備してジャングルジムを子どもたちに提供するのと確かに似ている。利用する側にはそれなりのスキルが求められるが、一方で提供する側にも利用者を守るという責任はあるはずだ。少なくとも利用者を制限せず誰でも利用できるようにして世に公開する限り、誰が利用しても大きな危険がないよう最低限の整備をすることは、提供する側の責務ではないかと思う。

フリーウェア・シェアウェアをジャングルジムに喩へるのも無茶だが。

 しかし、現在のオンラインソフトの中には、この最低限の整備にあたる責任の部分までも“利用者の自己責任”という言葉でその責任を放棄し、結果としてユーザーに負わせてしまっているものが多いように見える。これがぼくには気になって仕方がない。最低限の作者責任をも放棄してしまうことが、今後オンラインソフト社会で問題になる可能性はあっても、果たして社会をよくすることにつながるとは、とても思えない。

多いように見える、つて、何だそれは。

自分の主張に都合良く、檢討の對象にとつて都合惡く、解釋をするのは勝手だが、先日も言つたやうに、「かう解釋出來る」と云ふ事と、「この解釋は妥當である」と云ふ事とは別なのであつて、殊にその「解釋」が自分の主觀に基いたものである限り、その「解釋」は極めて疑はしいものとなる。

「思ひ込みに基いた勝手な解釋を滔々と述べた擧句、相手を嘲笑する或は憂慮して見せる」と云ふ態度は、感心出來ないものだが、日本人が誰か或は何かを馬鹿にする時、屡々用ゐる「手」である。


ひぐち氏の主張は、それほど非道いものであるやうには思はれない。ただ、矢鱈とイメージに頼る事、矢鱈と心配をして見せる擧句、ただの假定を恰も事實であるかのやうに述べてしまふ事が、ひぐち氏の文章を「誤解」させる原因になつてゐる。

それから、ひぐち氏は安易に物事を一括りにして論ずる傾向がある。ひぐち氏は、オンラインソフトとか、作者とか、ユーザとかを、一概に論ずる。しかし、例へばオンラインソフトと言つても、良いオンラインソフトもあれば惡いオンラインソフトもある譯で、それを「オンラインソフト」一般として論ずるのは、よろしくない。そして、さう云ふ「一般化」には、屡々論者の獨斷が入り込む。

平成13年11月13日

オレの頭ン中にW3Cにコケにされた記憶があってよぉ〜、 ソイツを消しちまいてェンだよぉ〜!

恐らく情報操作。

W3C=Word Word Word Criticism?

平成13年11月13日

そもそも HTML で、文書の意味的な構造を明快に表現するのは結構無理っぽいです。 論理的な構造の表現にとどまってしまうのが何とも。

HTMLとはさう云ふ物です。HTMLは、意味的な構造を表現する爲のものではありません。それどころか、實は論理的な構造を表現する爲のものでもありません。

HTMLは、文書の形式的な構造(或は、形式:フォーマット)を記述する爲のものです。

平成13年11月12日

「敗北」にはなぜ「北」が含まれているのか、どたなかごぞんじありませんか?

字義
    1. きた。←→南
    2. きたする。きたに行く。
    3. そむく。=乖
    4. にげる。「敗−」
    1. わける。=分
    2. そむく。=背
解字
會意。二人の人が互ひに背中を向け合つてゐる形で、「そむきあふ」「にげる」意を示す。後に、字を借りて方角の「きた」の意に用ゐる。

平成13年11月12日

金田一春彦[ホンモノの日本語を話していますか?](角川oneテーマ21)を読んでいる。この中で、「感謝感激雨あられ」が元は軍歌で「連射連撃雨あられ」だと知った。

同書によれば、英語では男と女の間に言葉の違ひはないんださうだ。本當かね。


金田一はあてにならないので要注意。

平成13年11月12日

杉野はゐずこ。

ゐずこつて何ですか。


何処の讀みは「いづこ」ですね。

平成13年11月12日

11/09附Property : Diaryが良く出來てゐる。

平成13年11月12日

「ほーむぺーじはデザインだ」と云ふ主張は「女は顔だ」と云ふ主張と同レヴェル。(意味不明)

平成13年11月12日

癌撲滅projectと病気のない世の中を.......、と云ふSubjectのメールが屆いた。

癌撲滅projectを世の中からなくしたい人は以下のサイトへ。

と言ふか、怪しい、怪しい。

平成13年11月11日

思はず正かなで打込んでエラーにされた。一應246位に食込んだが。


と言ふか、口語の崩れた文章を打込まされるのは極めて不快。もつとまともな文例ならば、俺はもつと速く打込める。

情報仕入元
大袈裟評価 11/8 @ [agenda]

平成13年11月11日

たまにはtempディレクトリの掃除をしませう。

平成13年11月11日

今朝見た夢。


夢の中で、私は小學生。校庭で體操か何かをしてゐると、飛行機が飛んで來て爆彈を落したので、私は頭を抱へて逃げる。すると飛行機はうしろから何やら白い粉をばら撒き始めて……。


そこで目がさめたんですが、私の無意識は何を語りたかつたのだらう。

あー分析しないで良いです。

平成13年11月11日

田中宇の『タリバン』に、例の佛像破壞事件の記述のあるのを確認。あの事件を知つた日本人は、「佛教徒」としてのアイデンティティを自覺して怒つたのださうだ。嘘を書くなよ、田中さん。

タリバンが佛像を破壞したのに怒つた日本人は、佛教徒として怒つたのではなく、「信教の自由」の信者として怒つたのに過ぎない。

平成13年11月11日

麻弥さんによる掲示板運営の話。參考になります。

平成13年11月11日

iswebの「初心者QA掲示板」つて、何か凄い。

平成13年11月11日

あの仕樣は、errattaなんですかねえ。

平成13年11月11日

「さう解釋出來る」と云ふ事と、「その解釋が妥當である」と云ふ事とは、違ふ。

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