野嵜さんのスタイルを試してみようと入手しようとしたのですが、Cascading Style Sheet 關係のデータやスクリプトの、「User Style Sheet 「言葉 言葉 言葉」「PC Tips」風」のリンク先の資源が存在しない樣です。
處で、tntstyle.cssで
@import url(tnanchor.css);
が記述されて居ますが、tntstyle.cssでインポートされたtnstyle.cssでも@import url(tnanchor.css);
が記述されて居るのはどう云ふ事だらう。私の理解が足りないのかな。
擴張子の大文字小文字がいつの間にか食違つてゐたと云ふ羂。
tntstyle.cssの記述が變なのは昨晩修正濟みと云ふ羂。tnanchor.cssを二囘importしても意味がないので、tntstyle.cssではコメントアウトにしました。
Cascading Style Sheet 關係のデータやスクリプトで配布してゐる「言葉 言葉 言葉」スタイルシートは古い、と云ふ羂は、今晩中くらゐに直します。
何と言ふか、現在流行してゐるものを即最良のものと判斷する思考囘路が、日本人の腦には遺傳的に組込まれてゐるのではないかと思つたよ。
でなければ、「旧かなを、俺たちの使っている現代仮名遣いに改変して引用するのはOK。その逆は不可、うぜえ、殺す」などと平然と言放つ尻の穴の小せえ馬鹿野郎がそこいら中にごろごろ轉がつてゐる理由は説明出來ない。
私は誰の挑戰でも受ける。
と云ふ譯で、伊勢丹の古本市へ。
※『"憂國"の論理』には福田恆存の講演が收録されてゐる。
唐木順三全集が何册かありました。土居晩翠譯の『イーリアス』がありました。何で誰も目をつけないんでせうね。
小田急古本市。
日本の將來シリーズが何册も並んでゐました。『人間・この劇的なるもの』單行本もありました。
古本市の醍醐味は、初日に一番乘りして、「凄い」本を取合ふ事に非ず。日が經つて、それなのになぜか見過ごされてゐる名著を掬ひ上げる事にある。
福田恆存著『建白書』1966年、塩出版社
「潮(うしお/うしほ)出版社」です。
わかるかな、わからないだらうなあ。特に千秋。
@NetHomeのサーヴァが勝手に取つてゐるKSmiracleのアクセスログを見た。こちらの豫測を超える利用のされ方をしてゐる。
JIS-HTML:実体,要素型及び属性に関する私的メモみたいに,書くのに頭使う文書ほど,デザインに凝る気がしないです。
この認識は斷乎として正しい!
私のスタイルシートをパクつてそのまま適用可能なHTML文書は、案外多くありません。このスタイルシートを適用できる文書を書いていらつしやる方は、御自由に御利用下さい。
當サイトのスタイルシートはオープンソースです。
そういえば,職場内の掲示文書のCSSも闇黒日記のだ。
どうでも良いと言へばどうでも良いのですが、「闇黒日記のCSS」と云ふ言ひ方は、必ずしも妥當とは言へません。
「言葉 言葉 言葉」の本館・別館・物置・東屋・「メディアミックスは可能か」・「PC Tips」・「蜜子さん番外地」は全て同一のスタイルシートを流用してゐます。「闇黒日記專用」のスタイルシートは存在しません。
繰返し申し上げますが、當サイトのスタイルシートはオープンソースです。その爲、色々な方法で修正すべき點の御指摘を受けたり、野嵜自身が「拙い」と思つて書換へたりした結果、一見大して變化してゐないやうで、實は微妙に變つてゐたりします。
取敢ず、tnstyle.cssはそれ自體で完結してゐません。幾つか重要な記述を別のファイルに分離してゐます(Navigator 4對策が主な理由)。特に、a要素關係の記述は、tnanchor.cssを持つて行くか、ご自分で何とかして下さい。
このように、ウェブは極めて能動的なメディアであると言えます。そしてそれはウェブの主たる利点もであるため、製作者が閲覧方法やその順序を指定することは困難であり、かつ、嫌がられるわけです。
「無斷リンク禁止」とか「假名遣を變更した引用禁止」とか言つて、享受者の能動的なリソースの利用を制限したがる制作者は、屡々異樣なまでに居丈高である。
ネタ仕入元:2001年8月11日 (土) - ぼちぼち @ [結城浩さんの日記]
hrにborder:0.2em;
を指定したのが、何かまづかつたらしい。display:hidden;
にはしてゐなかつた。
私が「自分の『正しい』を押し附けるな」と言ふ人は默れ、と言つてゐるのでない事に注意。「自分の『正しい』を押し附けるべきではない」と云ふ論理は、矛盾であるから、論理的にものを考へる眞摯な人間ならば眞面目な顔をして提出する事など出來ない、と言つてゐるに過ぎない。
『そこまで解つてゐながら、なにゆゑ碧川氏が「新字新假名の文章を引用時に正字正假名に變更する事」をあつさり非常識と決めつけ得るのか』・・・この問いに対するボクの端的な答えは「例外として承認できる程の、合理的な説明がなされていないから」というものです。
野村雅昭と同じ事を言つてゐる。
なぜか知らないが、ホランドは、「假名遣の變更」に「改變」と云ふレッテルを貼つてから話をしようとする。爲にする議論であると言ふほかない。要は、嫌がらせである。
考えても見て下さい。大西巨人さんの「改変」は、今現在の「一般多数の読者」が「新字新かな」に馴染んでおり「その方が読みやすい」という「妥当な情勢判断」とその「メリット」に対する認識が正しく働いた上での「改変」です。ですから、大西巨人さんの「改変」は、木村さま風に言えば「いちいち断らなくても良い」ような、断らなくても「一般 多数の読者」が納得するような「合理的な改変」なのです。
例によつて、質の議論であるべきところを量の議論にすり替へる論法。
結局それは「親切な私」の「押しつけ」であり、「自己満足」に過ぎないんですよ。
このホランドの居丈高な口調を見よ。何樣の積りなのだらうか。今現在の「一般多数の読者」が「新字新かな」に馴染んでおり「その方が読みやすい」という
判斷が妥当な情勢判断
でありその「メリット」に対する認識が正しく働いた上での「改変」
であると言ふ一方で、「正字正かな」で書かれているご自分の文章に合わせて、何の注釈も付さずに「正字正かな」に「改変」
するのは「親切な私」の「押しつけ」であり、「自己満足」に過ぎない
と決め附けるのは、「質の議論であるべきところを量の議論にすり替へる論法」でしかない。ホランドは勘違ひをしてゐる。
「大多數の爲」と云ふ言ひ方が「親切な私の押附け」でない、と、なぜホランドは斷言できるのか。「正字正かな」の効用
を、ホランドは知りつつ、わざと無視する。これは、大多數を「人質」にとつて本質の議論を封じ込めようとする、言はば「言論彈壓」「言論統制」である。
もう「相手の意見を少しでも認めたら、自分の世界は決定的に損なわれてしまう」というような感覚に囚われているんですね。
ホランドこそ、相手の假名遣を少しでも認めたら、自分の世界は決定的に損なはれてしまふ、とでも思つてゐるのではないですかね。
この、「言論統制狂」で自由主義の敵であるホランドが、こんな事を書く。
戦争の責任は、A級戦犯などの「戦争遂行責任者(指導者層)」にだけあるのではありません。戦争に協力した国民全体(加担実行者層)にもあるんです。ただA級戦犯になった人というのは「立場上の責任」が大きかったからスケープゴートにされたというだけのことで、本来問われてしかるべき「道義的な責任」は国民にだってあるんです。ヒトラーやスターリンや東条が「殺人鬼」だった、「国民は被害者だったのだ」では済まないんです。
ボクは人間を「殺人鬼のような人間」と「虫も殺さぬおとなしい一般人」に二分するような考え方は持っていません
、とホランドは書く。それはそれで結構な事である。しかし、私にしてみれば、こんな「二分法」は(或は、こんな「二分法」をでつち上げて否定する事は)無意味である。
例によつて私は、人間の行爲には、政治的なものと道徳的なものとがある、と云ふ「二分法」を信じてゐる。そして、私の目に、ホランドはこの兩者を區別してゐないやうに映る。国民全体
の「戰爭責任」について述べたホランドは、續けて以下の樣に述べる。
ボクたちだって戦場へ行けば、この手で見も知らぬ相手を殺すんです。生き残るために、レジスタンスの子供を木に吊るしたりするんです。そうした事実を抜きにして、一部の人に責任を押しつけているようでは、「平和」を考えているなんて、とても言えないと思いますよ。
さう云ふ想像を始める邊が左翼の惡趣味たるゆゑんだが、それはまあ、良しとしよう。しかし、個々の人間がいかに殘虐か、と云ふ事と、殘虐なる個人の集團としての國民の「戰爭責任」、と云ふ事との間には、絶對的な懸隔があるやうに私には思はれる。私にしてみれば、「國民全体に戰爭責任がある」と云ふ言ひ方は、「國民全體に道徳的な責任は無い」と云ふ言ひ方と同義である。
「ホランドはモラリストである」と「アレクセイの花園」では受けとめられてゐるやうだが、ホランドの「モラリズム」は、政治と道徳を峻別しないで、ひたすらホランド自身の全ての判斷を「道徳的」と決め附ける爲のものでしかないやうに私には思はれる。そして、政治と道徳とを峻別せず、自分の全ての意見が「道徳的」であると言ふのなら、それは自分の全ての意見が「政治的」である、と言ふ事と同じである。端的に言ふならば、「モラリスト」のホランドは、極めて政治主義的なのである。
私は二元論の信者だから、政治の事は政治に任せ、道徳に屬する事は道徳的に判斷する、と云ふ原則を守りたいと思ふ。さうすると、政治の領域に屬する國民全體と、道徳の領域に屬する個人とは、同一の考へ方に基いて判斷を下す事は出來ない、と云ふ事になる。即ち、「國民全體の戰爭責任」と云ふものを、道徳的な理由で支持する事は出來ないのである。それは、道徳に基いて判斷出來るものではない、と云ふ事になり、即ち、道徳的な善惡で捉へられないもの、捉へてはならないもの、と云ふ事になる。
それゆゑに、私は道徳的に、國民全體の戰爭責任なるものを肯じ得ない、と言ふのである。
すると、「國民全體の戰爭責任」なるものの判斷は政治の領分に入る譯だが、その時、道徳の原則と政治の原則とは異る、と云ふ事に一言觸れておく必要がある。道徳に於てはより善く生きる事が最大の課題だが、政治に於ては單に生延びる事が最大の課題である。道徳に於る責任と云ふ言葉と、政治に於る責任と云ふ言葉は、本質的に異る意味を持つ。政治に於る責任となると、話は相對的なものとなる――そこで私は申し上げるのだが、今我々が生きてゐると云ふ事實をもつて、それもそこそこ結構な暮しをしてゐると云ふ事で、戰爭責任等どうでも良い事になつてゐるではないか、今更論ずる事もないではないか。
政治の原則にのみ基き、道徳を無視した言ひ方をすると、我々が現在生きてゐる、と云ふ事實は、過去の戰爭でどれだけ人が死んだか、と云ふ事を「全く取るに足らない事實」とする筈である。「誰かのせゐで澤山人が死んだ」と云ふ事は、「しかし我々は生きてゐる」と云ふ事實の前に、全く無意味である。そして、現在の人間が生きてゐる、と云ふ事が重要であるならば、過去の戰爭で澤山の死者が出た事實自體は、否定してはならないものである。もし、澤山の死者が出た戰爭が無かつたならば、今とは異る歴史が存在する事になり、さうなると、今現在生きてゐる筈の人間はそもそも生れても來なかつた事になり兼ねないのである。
だから、政治の原則は、我々に死者を出さしめた戰爭の責任を問ふ事を許さない。代りに、死者が出たと云ふ事實を是認し、それを運命として受容れる事のみを命ずる。死者は運命に滅ぼされた犠牲者であり、彼らの死を悼み、彼らに感謝する事のみが、現に生きてゐる現在の我々に許されたわづかな事である。政治の爲に死んだ人を殺した責任を問ふ資格を、政治の原則は、或は運命は、我々に認めない。
そして、道徳は、自らの定めた領域をはみ出して、人が判斷を下す事を認めない。
J-COM@NetHomeのユーザ、twドメイン、cnドメインからCode Redのアクセスが來てゐる。
ISO-HTML で見出しが
body
直下にしか置けないのは、見出しごと引用したいときに困る。掲示板の投稿をまるまる引用するにも、題名と本文をリスト扱ひするか何かしなければならず、非合理的だと思ふのだが。
title屬性に「見出し」の類はぶち込むのです。
或は、見出しを含む長い長い「引用」を避ける事で、引用の範圍を越えた不正な「轉載」をしてしまふのを防げるのです。
「闇黒」と云ふ表記が實は怪しいと云ふ羂。
森銑三著作集の中で、明治の頃の新聞に「闇黒」と云ふ表記があつた事實を知るまで、自分自身、「闇黒日記」と云ふネーミングを信用出來なかつたもの。
『国語例解』『新字源』には「闇黒」も載ってゐますが。
さういふ意味ではないのかな。
と云ふ事で解決。
どうもありがたうございます。
hrをdisplay:hidden;
にしたのはどの*.cssだつたのかを忘れてしまつたと云ふ羂。
例のバナーの改變はどうぞ御自由に行つて下さい。ただし、當サイトのバナーコレクションはオープンソースプロジェクトですので、改良を行つた場合、必ずフィードバックして下さい。――要は、改良版を頂戴したい、と云ふ事です。
float利用による「マルチカラムデザイン」。
hrでclear:left;
しようとするとMozilla Browerではまる、と云ふ羂。なぜdivでclear:left;
するとOKなの? しかも、clear:left;
指定するセレクタだが、div#hogeと云ふセレクタではなぜかMozillaの表示が壞れると云ふ羂。セレクタは#hogeにしなければならない。
わからん。
float:left;
するセレクタをdiv#fooとすると、Navigator 4.xに無視されると云ふ羂。
hr { display: block; }
を指定してやるとうまくいく事があります。
と云ふ事で解決。
どうもありがたうございます。
http://ne.jp/は取れるんだらうか。
「メールユーザ」つて、メールなんか、放つておいたつて、事ある毎にISPから送られてくるぢやないか? 利用するも何もないと思ふけれども。
「先行者」に續く「人民網日本語版」のスクープ記事。
ネタ仕入元:やじうまWatch
時代は重いページを求めてゐる、らしい。
「Netscape 6.1」の開発者、Jennifer Mulcaster氏に聞く
レンダリングエンジンの性能を、開発者
がさつぱり氣にしてゐないと云ふ事實。
Windows XP 日本語版RC1ファーストインプレッション
なんて品の無いデスクトップ。
CNET Japan Tech News:CNET Japan発:「トンパ文字」で遊ぶ『超漢字トンパサイト』オープン
やつて呉れやつて呉れ。わしは知らん。
CNET Japan Tech News:CNET Japan発:パーソナルメディア、一般ブラウザーで17万超の文字表示を可能にする『超漢字ウェブサーバー』
文字コード問題では、質の問題が完全に無視され、量の問題許りが問題にされてゐる。
ZDNN:IE 6限定の新機能で,Microsoft Passportにさらなる火種?(1/3)
ZDNN:すべては「IBMのマニュアル」から始まった――PC業界の20周年
年末にはDOS/V10周年なのです。
かつてテレビ東京(深夜)で見た「ありす イン サイバーランド」にヴィデオで再會。ただし1本目のみ。
高いスキルを持つ「サイバーナキスト」ではなく、スキルも何にもない「厨房」にネットが侵蝕されると云ふ現實を、小中さんもさすがに豫見出來なかつた。
「大磯がし」@PC Tips。
IE を使っていたら、ユーザースタイルシートに次の記述だけをしてみてください。
blockquote{padding:0.3em}
そして、 暗黒日記 などを訪れると、あら不思議。 左側にはみ出しちゃってます。 何が悪いのでしょう? とりあえず、ユーザースタイルシートからこの記述を外しておきますが……。
blockquoteのpaddingプロパティを指定すると表示がどんどんずれる、と云ふのはInternet Explorer 5.5/6のバグです。すみけんさんもびつくり(事實)。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/antinn.cssの尻尾に以下のやうな記述をしてゐます。
blockquote
{
border-style:none none none solid;
border-width:medium;
border-color:#eeeeee;
margin:0.5em 1em;
/*
padding:0.5em;
*/
}
實に嫌みたらしくpaddingをコメントアウトしてゐます。もつとも、誰に對しての嫌みなのかは謎。
そもそも、時間つて何ですか。
「強制スタイル」した時、Internet Explorerのキャンバスの一番上にh1が出現しないサイトを、私は「CSSコミュニティ」の一員と認めたくない。h1に續いてh2、それに續いてh3……と云ふ風に階層化されてゐないHTML文書を平然と公開してゐるサイトを「CSSリンク集」に登録したくない。
歴史家のトインビーも似たやうな事を言つたさうである。
トインビーの考へでは「英雄」とは野蠻人にすぎず、野蠻人とは「成人とは認められても、そのメンタリティは子供にすぎない者」、つまり青年のことである。ホメーロスの詩によつて美化されたアキレウスはこのやうな青年野蠻人なのである。だからアキレウスを理想とする社會が亡び、「イーリアス」が聖書としての意味を失ひ、「バイブル」がそれにとつて代つたのも當然である。藝術美にかこつけて、このやうな蠻行に對する怒りを抑へつけるわけには行かないのである。
ギリシア神話のアキレウスは、トロイヤ戰爭中、敵方であるアマゾネスの女王ペンテシレイアを殺した。いくら武藝に勝れてゐるとは言へ、相手は女である。女を殺した男を英雄として讚美するとは何事か、とトインビーは怒るのである。ギリシア文化とクリスト教文化の相剋を歴史的に解説した本を讀みたくなつた。
メディアミックスは可能かのアランの文章は『信仰についての談話』からとつたもの。
ギリシア文化とクリスト教文化の相剋
と云ふ事を端的に指摘なさつた木村さんはさすがでいらつしやいます。
第二次「引用論爭」
。「引用に於る表記の改變は止めろ」と主張する連中を相手に、木村さん再び困惑。
「無斷リンクはやめろ」と主張する連中と同樣、非常識
と云ふ「道徳的」な根據を基にした批判は無意味なのだが、ホランド碧川蘭氏はさう云ふナンセンスな「批判」を平然と行ふ。「道徳的に惡」と云つた類の批判は、「この人を見よ」詰り「俺は善人、だから惡人のお前を見下す權利がある」と云ふ事に過ぎないのだが、思ひ上りが心の中にあるだけに、論者は絶對に反省しない。
もちろん、その手の論者を反省させようとしても無駄だと云ふ事で、著作權法の出番である。著作權法によれば、被引用者は、引用者に「引用するな」と言へない。それを楯に、批判者の「道徳的」な批判はつつぱねる事が出來る。
ちなみに、「現代かなづかい」で書かれた文章を、誰かが英文の論文で引用する場合、表記どころか飜譯がなされる譯だが、それは著作權法に觸れる事だらうか。飜譯はOKで、假名遣の變更はアウトだ、と主張すべき論據はどこにもない。そして、常識に基かうが道徳に基かうが、法的な根據の無い批判をつつぱねる爲に法はある。
はつきり言つて、それで話が濟むのなら、「引用の際に表記の變更をするのは正しい事である、と主張する自由」なる譯のわからないものすら、私は主張したいくらゐである。詰らない事でいちやもんをつけて喜ぶんぢやない。
……などと言ふと、野嵜こそ詰らない事でいちやもんをつけて喜んでゐるんぢやないのか、と揚げ足を取る人間が必ず出て來るのだが、私が詰らない事でいちやもんをつけた事實はない。私は常に、批判すべきよろしくない事を批判してゐるのであつて、批判すべきでないどうでも良い事を批判してはゐない。單なる揚げ足取りもしてゐない。
「匿名に據る意見だから駄目だと決め附けるのは非論理的だ」と指摘するのは結構、「匿名に據る意見は論理的に正しくなければならない」と主張するのも結構。
で、實際、あんたはどれだけ良い意見を言つてゐるの?
「匿名は威張れない」と云ふ事も、匿名で物を言ふ人は肝に銘じておくべし。匿名の場合、或發言が自分の發言である事を證明するのは不可能である以前にナンセンス。或は、同じ匿名による發言に良いものがあつたとして、それがあんたと何の關係があるの?
匿名同士で連帶するのは無意味。匿名の發言者は孤獨である。
「闇黒日記」の見出しを全部「某月某日」とやりたいと云ふのが本音。
京王古書店には戰前版の『古代國語の音韻に就いて』(カヴァ附き美本)も出てゐたと云ふ事實。うちには昭和17年版の箱附きのものがあるのですが、何とか賞受賞と書かれたカヴァの附いた版は未所持。ただ、上代假名遣の一覽表で「み」の甲類・乙類の記述が拔けてゐますので、「著作集」か岩波文庫で補完しなければなりません。私の手許にある戰前版には、以前の所有者が青インクで嬉しさうに拔けた記述を書き入れてゐますが。
辰野隆がフランス革命に就いて書いた本もあつたのだが、略字略かななので福武書店版で讀めば良いやと云ふ事で購入しませんでした。辰野さん、國語國字改革をあんなに呪つてゐたのに、略字略かなで結構本を出してゐます。好い加減なおつさんだからねえ。
現代人の惡徳の一つに、怠惰を權利と看做す、と云ふ事がある。
根據なき平和主義は迷信であり盲信である。
日本の平和主義者が頑ななのは、日本の平和主義が宗教だからであらう。「平和主義を信じない奴は人間ぢやない」と連中は思つてゐる。だから、平和主義者は自分たちへの反對者を人間扱ひしない。白人が黒人奴隷を人間扱ひしなかつたのと同じ。
「正しければそれで良いのか」と言はれれば、本當に正しいと云ふ事を信じて常に自分の事を反省してゐる人間はたぢろぐのであつて、それを承知で「正しければそれで良いのか」と詰問し續けるのは嫌がらせである。
もつとも、それゆゑ私はたぢろがない。
TCupの掲示板に以前のtntstyle.cssの内容を投稿しようとしたら、「アンタのプロキシからは投稿できねえよヴァカ」(意譯)みたいなメッセージが出て、投稿がはじかれた。
CGIの制作者は、餘程スタイルシートが嫌ひであるみたいだ。(推測)
tntstyle.css(「言葉 言葉 言葉」とっぷぺーじ專用スタイルシート)は8月3日附けで大リストラが敢行されました。
間違ひを指摘された時、「間違ひの指摘の仕方が惡い」つて怒るのは、「逆切れ」と言はない?
83JISの改正を行つた野村雅昭氏が、「表音主義史觀」に基いて記述した「國語問題論爭史」。
相模原市立圖書館から借りてきて、斜め讀みしながら入れ捲つたつつこみを、リアルタイムにテキスト化したものなので、恐らく異常なまでに讀みにくい代物。
@NetHomeのWWWサーヴァがやけに重い。
TITUSをどこかの企業が再度買收しないかね。今よりは増しな状態になるだらう。
インターネットには、檢閲はされたくないが、自分は他人の文章を檢閲をしたい、と思つてゐる人間が澤山ゐる。
さう云ふ連中は、氣に入らない事を書いてゐるサイトを潰す爲に、ISPだのそのサイトの制作者の會社だのに「ちくりメール」を送りつける。或は、2ちゃんねるで騷ぐ。それが「言論の自由」なのだと。
自分では何も責任を取らないで享受する「自由」。
同じ事をされ返すと、逆恨みするし。自分が人の嫌がる事をしてゐる事實は連中、良く自覺してゐるのだ。
右翼にしろ左翼にしろ、獨善的な人間しか日本にはゐませんが。自戒。
「待てそこのW3C信者!」
支和辭典。
和支辭典。
……?
當サイトの*.cssファイルは、「直リン」禁止です。お持ち歸り下さい。
とか書いてみたりして。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/tnstyle.cssにリンクすると、一發でうちのサイトのデザインをパクれます。が、今の@NetHomeのWWWサーヴァは異常なまでに重いので、やめて下さい。笑ひ。
現状、アクセスログをとつてゐないので――と書かうとしたが、@NetHomeのサーヴィスに「アクセスログ」のあるのを確認。6月までのログは見てゐなかつたのだが、取敢ず7月・8月の分を保存。でも、アクセス元がエラーでわからないよ。「闇黒日記」にアクセス集中。
と言ふ事で、Shock-O-Day!!をISO-HTMLリンク集に登録いたしました。
今後とも、お互ひ、精進いたしませう。
「お互ひ」と書いたのは、私自身も、氣を拔くと、駄目なソースを書く事があるから。読者の方のご指摘により、「PC Tips」の誤を訂正。
「ネタ」だつて明記しないと駄目ですか。ヒントは某方面の某日記。
7/18から「★世界一マイナーなプロ作家・水無月ばけらの星宿サイト Bakera Now!★」になりました。8月下旬には再度変更の予定です。
本當ですか。
ISO-HTML養成ギプス作戰。
http://www.mito.ne.jp/~shokodei/ を ISO/IEC 15445 としてチェックしました。
2個のエラーがありましたが、このHTMLは 100点です。タグが 23種類 68組使われています。になりました。
文書型宣言を<!DOCTYPE HTML PUBLIC "ISO/IEC 15445:2000//DTD HTML//EN">
と書換へると、ISO-HTMLリンク集に登録されると云ふ噂。
ISO-HTMLを中心としたバナーコレクションも御利用下さい。
XHTML準據の場合はともかく、素直に書かれてゐる普通のHTML文書ならば、imgのheight/width屬性を排除し、address要素をdivにぶち込むだけで、案外簡單にISO-HTML準據の文書に直せると云ふ事實。
目撃されてゐた模樣。嫌な豫感はしたんだ。笑ひ。
その後、抱へてゐた日本語關係の本を殆ど棚に戻してしまつたと云ふ話。戻しに行つた先で平泉澄の本を發見したと云ふ事實。
『文章研究序説』(山田書院)が3000圓で出てゐたのですが、ペトロニウスさんもお買ひにはならなかつたやうですね。私は水道橋驛前日本書房の店頭ジャンクコーナで拾ひました。明治書院から新版が出てゐるとの由。
『言語學原論』(岡書院版・岩波書店版)、『一般言語學講義』とでは、細かい部分で譯語が異ります。案外内容には變更は無いやうな氣もしますが、原書は一緒ですから當り前と言へば當り前です。
次の古書市オフは、8月13日から19日の高田馬場BIGBOXの納涼古書市か、8月24日から8月29日の東急澁谷大古書市です。が、私が必ず行くとは限りません。私の行き先は財布の中身が決めます。
<div class="footer"><a href="NN4.html" title="ブラウザについて"><acronym title="NetScape Navigatorのコト">NN4.x</acronym>、<acronym title="NetScape Communicatorのコト">NC4.x</acronym>以下をお使いの方へ</a></div>
<div class="footer"><a href="about-link.html" title="リンクについて">リンクについて</a></div>
と云ふ記述が氣になります。ul/liでリストにしてしまつた方が美しい。
ついでにaddressと一緒にdivで括つてしまへば、美しいISO-HTML適合の文書になります。
「メディアミックスは可能か」と「PC Tips」に問題のある記述を抱へてゐる俺に偉さうな事を言ふ資格があるのかどうかは疑問。
和漢辭典ってないのだらうか。和語から漢字を引ける辭典。と云ふか、無いこともなささうな気がするが、僕は知らない。どなたか、ご存知ないでせうか。
「わかんない」と云ふ駄洒落の出てくる事を期待してゐませんか。(ゐませんね)支那の出版社が出してゐさうな氣もしますが、「和漢辭典」と「日中辭典」とは別物と云ふ噂。
「中日辭典」は中國語→日本語の字引であつて中日ドラゴンズの辭典ではないと云ふ羂。
「和漢辭典」がなかつたり、和英辭典の内容が貧弱だつたりするのは、表現の爲の辭典を日本人が長い事輕視してゐたのが原因かと思ひます。英和辭典にしろ國語辭典にしろ漢和辭典にしろ、既に書かれてゐる文章の意味を調べるのに用ゐる辭典です。
うーん、解ってくれていると思いますが、文法チェックで100点満点イコール良いHTML文書だと思っている訳ではないです。それから私のサイトを磯チェキすると見事マイナスです。駄目ですか……
見出しをdivで括つてゐるとISO-HTML的にエラーと云ふ羂。
divはaddressを括るための存在であり、デザインの爲の存在ではない! デザインの爲のdiv撲滅の爲、ISO-HTML信者よ立上がれ! デザインの爲にdivを使つてゐるCSSユーザの家に放火せよ!
一々「これはネタ」と書かないと、本氣に取られると云ふ羂。
野嵜の言ふ「放火」が「偽春菜」由來である事を理解出來る人も、もう少いんでせうねえ。
實は日本は左翼の國家であり、左翼こそが權力者側の存在なのであります。
日中間の青少年交流事業を運営する父から聞いた話によると、かの中華人民共和国においては、国家体制に反逆する者は忌むべき反革命分子でありブルジョワ的保守勢力であり、人民の敵として弾劾されるとか。
「日本では共産主義が理想的な形で實現されてゐる」と言つたのは誰でしたつけ。
中國共産黨の指導原理は「新民主主義」と言ふのださうです。広辞苑第三版