瞬間

平成13年5月18日

最近、資本主義經濟とか云ふものに嫌惡感の樣なものを抱き始めてくる。資本主義經濟だと本當に生活が良くなるのだらうか? 「賣つてなんぼ」なんですよね。

資本主義社會が住みづらいのではない、この世と云ふものが住みづらいのだ。


格言めかして、言つてみる。

平成13年5月18日

やけに雰圍氣の盛上る「引用に於る假名遣の變更」論爭ですが、どうやらD.D.氏は特定の「改竄」だけが攻撃目標であるらしいので、一般論はやめた方が良いのかも。

で、その特定の「改竄」がどれかは、D.D.氏が獨り合點してゐる模樣。

平成13年5月18日

>D.D.さん

我々は「改竄ではない、引用だ」と言ひ、D.D.氏は「引用ではない、改竄だ」と叫んでゐる譯ですが、我々が引用の引用である根據を呈示してゐるのに、D.D.氏は改竄の改竄である根據を全然示しませんね。


そちら掲示板に書きましたが、
「假名遣の變更」=「改竄」=「不正」
のうち、D.D.さんは、「改竄」=「不正」が自明だ、と思つていらつしやるやうです。しかし、これが非常に疑はしいと私は思つてゐるのであります。全ての「改竄」は不正である、と云ふ事が證明されない限り、全ての「假名遣の變更」は不正である、と云ふ事は言へません。これは形式論理學を齧れば、誰にでもわかる事です。

「改竄」と云ふ語には不正の意味が含まれてゐる、と云ふ主張は、全く意味をなしません。なぜなら、それでは「假名遣の變更」と云ふ行爲に「改竄」と云ふ表現を適用する理由が全く説明されてゐないからです。或行爲を或語で表現する必然性を示して下さい、と私は言つてゐるのであります。言換へれば、或行爲を表現する爲に、既に意味のある語を全く根據なしに用ゐるのは、決めつけであり、「レッテル貼り」に他なりません。

ちなみに、「變更」=「改竄」ではありません。さう云ふ幼稚な説明は、しないで下さい。改竄には、多くは、惡用する目的の場合に使ふ、と云ふニュアンスがあり、變更にはさう云ふニュアンスがありません。


日本語の文法を考へないから、D.D.さんの主張は淺薄なのです。

平成13年5月18日

16日付の日記、今回の日記の画像表示に手間取って削除を繰り返しているうちに消えてしまったみたいです。CGIにしてからテキストがローカルに残ってないので復旧不可能。なんだかなぁ。

またしても黒歴史。

苦笑ひ。

平成13年5月18日

「W3C信者」と呼ばれたくないので、「言葉 言葉 言葉」のHTML文書をISO-HTML準據となるやう變更中。笑ひ。

平成13年5月18日

http://sakura.mikage.to/omake.html を HTML4.01 Transitional としてチェックしました。
142個のエラーがありました。このHTMLは 0点です。タグが 19種類 631組使われています。

カヅサツさんのご教示によつて作成した例のブツHTML 4.01 Transitional強制ヴァージョンの動作テスト。

平成13年5月18日

「アンチW3C」の人も、「W3C信者」の人も、讀んでゐないだらうと思はれる基本文書。私も讀んでゐない。笑ひ。

平成13年5月18日

ブラウザのフォントの設定を、Internet ExplorerではMS P明朝、Mozilla BrowserではMS UI GOTHICにしてゐる私は旋毛曲り。

平成13年5月18日

というかむしろ,\s[id]なのが問題で,たとえば,\s[smile]とかいうふうにどんなサーフェースを表示させたいかを明示できるようにできればSSTP経由とかで来ても大丈夫なわけで.本体側ではsmileが何番のサーフェースであるかを解釈できる仕組みがあれば良い.

閑馬氏に思ひ切り否定されてゐますが、ならばDOIchan氏はSSPに獨自にその仕樣を實裝すれば良いと思ひまーす。競爭して勝つた方が、と云ふのは詰り、より多くのghost製作者に支持されたり、よりすぐれたghostが出現したりした方が標準、と云ふ事でよろしいのではないですか。自由競爭萬歳。


サーフィス問題の根源は、閑馬氏の當初の仕樣が十分抽象化されてゐなかつた事にあります。HTMLのclass名に.1とか.migiとかつけてゐた樣なもので、さう云ふ事をすると、後々困る、と云ふだけの話であります。仕樣の設計は最初が肝腎。

平成13年5月18日

左翼的な教科書に洗腦された生徒を、説得して轉向せしめ得なかつた不甲斐ない右翼を見續けてゐるからだらうけれども、左翼が「右翼的」な教科書を何とかして潰さうとしてゐるのは、左翼の自信のなさを示してゐる事にほかならないのではないか。

自らの思想に自信がある思想家は、「どんなに洗腦されてゐる人であつても、自分の説得で十分納得させ、轉向せしめ得る」と信じてゐるし、他人の「洗腦行爲」を絶對の障碍とは認めない筈である。

韓國や中國が、日本の弱體化を狙つて、日本の教科書檢定に干渉するのは、當然の事であつて、咎めるに値しない。隣國を弱體化させようとするのは、防衞の觀點から言つて當然の行爲である。言はば、平和の皮を被つた侵掠が外交なのであり、韓國も中國もさう云ふ常識を忘れてゐないだけである。

だから、問題は、日本人にあるのである。「日本人の敵は日本人」。

ここに反應してゐたの : 5月17日 まだ教科書 @ 不浄に日記


「私はあなたの意見に反對だ、だがあなたが自分の意見を云ふ自由は命にかけても守る」と言つたのは、誰でしたつけ。

ヴォルテールですね。との事です。どうもありがたうございます。

平成13年5月18日

文系の大學受驗生へのヒント。センター試驗で高得點を狙ふなら、生物、地學、確率・統計は選擇しておくべき。

平成13年5月18日

CSS なれそめ時期の罠 @11:25 AM

.torikeshi{text-decoration:line-through;}
.aka{color:red;}
.shiro{color:white;}
.kuro{color:black;font-style:normal;background-color:white;}
.migi{text-align : right;font-size: small; }
.hidari{text-align : left;font-size: small;}
.naka{text-align : center;font-size: small;}

[ gobbledygook/Update Log+Dairy より ]

いわずもがなの事をあえて申しますが〜、そのような class のつかいかたはよろしくありません。

私は、lastlineなる、いかにも怪しげなclass名を、なれそめの時期以來、長い事使つてゐる。自戒。


adramineさんの日記のHTMLソースを見ると、h3→h5→h4と云ふ順序で見出しが出現してゐますが、構造化の觀點から言つて、よろしくありませーん。

平成13年5月18日

引用は本來、人を取り立てる登用するを意味する熟語だが、quote、或はciteと云ふ概念が西歐から傳來して、他人の文章や古典の言葉などをひいてもちゐることの意味が附け加はつた。

即ち、現行の引用の概念は、西歐の文章に於るquote或はciteの概念が日本語の文章に流用されたものと言へる。

ここで我々が注意しなければならないのは、quoteとciteにおけるニュアンスの差異もさうだが、西歐言語と日本語の差異である。quoteが嚴密に表記の變更を許さない引用である場合、その前提として、西歐言語の表記が單純で、變更の必要がないと云ふ事が擧げられる。これに對し、日本語の表記は「不安定」である。もとよりこの「不安定」と云ふ事は、西歐の流入によつて生じたものであるが、西歐と日本の言語事情を無視して一概に「表記の變更は絶對に許されない」と言ふのは、それこそ「いかがなものか」と言ひたいのである。

西歐のquoteは、西歐の特殊事情に基いて成立したものである以上、そのまま日本の特殊事情に適用可能であるとは言難い。即ち、日本語に於る引用の概念は、日本語の表記の「搖れ」を前提に、再構築されなければならない。

言換へれば、「表記の變更は許されない」と云ふ意見は、相對的な正義に過ぎないのであつて、そこに「絶對に」と云ふ修辭は附き得ない。もし附くとすれば、その時、論者は、相對的な正義を絶對的な眞理と取違へてゐるのであり、或は、「西歐崇拜」と云ふ「宗教」に陷つてゐるのである。


「日本の特殊事情に基き引用の概念を再構築せよ」と言つたところへ、「いや、西歐傳來の引用の概念はかうである」と批判を投げかけるのは、「江戸の仇を長崎で討つ」のインターナショナル版と言へよう。もつとも、西歐思想に基く批判者は屡々、自分の考へが普遍の眞理であると信じて疑はない。

平成13年5月17日

バレたら,何か書かれるだろうか、との事で、何か書かなければなりませんでせうか。取敢へずこれは私への挑戰だと受取りますので、「言葉 言葉 言葉」をそのうちISO-HTML(JIS-HTML)化します。多分、文書型宣言の書換へでOKの筈。

2001-05-17T21:50:33+09:00 @ Hello World!!!


「言葉 言葉 言葉」のスタイルは、見やすいですか。慥か、今のスタイルを作り直した當初「Internet Explorerは切捨て」とか言つてゐたやうな記憶もないではないのですが、慣れれば見られなくもないですねえ。

お役に立つやうでしたら、私のスタイルシートはどんどん利用してやつて下さいまし。


特記事項のバグ修正いたしました。どうもです。

平成13年5月17日

何か凄い。Japanese Language How to Wow! Interesting Wordsとか。

Learn Japanese language, culture, kanji and more for free!とか言はれても、これで日本語を學習出來るのかね。

平成13年5月17日

DOSの頃は、VZで何でもやつたもの。

平成13年5月17日

掲示板や日記同士の「論爭」が、それ自體、不毛であるのは明かである。ただ、その「論爭」を經て、自分の意見を纏めてみるのは、無益ではないと思ふ。或は、後で意見を纏める爲の論爭ならば、不毛だらうが何だらうが、するが良いのである。

逆に、掲示板自體、日記自體に、私は價値を認めない。論爭をするならば、成果を殘せ。

平成13年5月17日

「原理主義者」なら、怒るべきなんだらうけれども、私はまづ、笑つてしまひましたよ。

これでは、「HTMLとはいかなるものであるか」と云ふ疑問を抱く事自體が「馬鹿馬鹿しい」と思はれるのも當然。

リンク先、*.pdf(×3)を參照の事。

ネタ仕入元:EXPLORE MONOGAMY BBS

平成13年5月17日

正しい
  1. 道理や法にかなつて、誤りが無い。「――行ひ」「――答」
  2. きちんとしてゐる、整つてゐる。「――姿勢」

私は「2」の意味で「正しい」を使つてゐるのだが、「それは本當に正しいのか」と云ふ指摘をする人々は「1」の意味で「正しい」を使つてゐる。この時點で、話はすれ違つてゐる。議論が噛合はないゆゑんは、常に用語法の違ひ。

言葉の用ゐ方に人々がもつと意識的になれば、不毛な議論は確實に減る。

平成13年5月17日

「引用」と言へば……。

昔、Yahoo!掲示板で、正しくない引用を繰返してゐた人物Oに、「これは正しくない引用の仕方です、こんな引用の仕方はしてはいけませんよね」と言つて、Oの文章を不正な形で引用して見せたところ、「それは正しくない引用だ、謝罪しろ!」とOが怒つたのには唖然としましたね。だから、「正しくない」ッて言つてゐるぢやないの、と言つても、O氏、聞く耳持たない。擧句、「野嵜は正しくない引用をした、これが證據だ!」と言張る始末。

その後、「『野嵜一派は、かげで連絡を取り合っている』と、仲間がメールで連絡してくれました」とそのOが大威張りで掲示板に書込んだのに、再び唖然。蔭で聯絡を取合つてゐるのは自分だらう、と指摘されても、Oは反省せず。


かう云ふ馬鹿を、野放しにしておく法はないよ。

平成13年5月17日

「お絵かき掲示板」は、「質問掲示板」に最適なのではないか。

何でも文章で表現しようとするから、話がすれ違ふ。

平成13年5月17日

これには世話になりました。

平成13年5月17日

Operaがダブルバイト對應して呉れればねえ。

平成13年5月17日

ネタ仕入元:2001年05月16日(水)現在微調整してゐるところ

平成13年5月17日

むう。Mach は Mach です。BSD は Mach の上にのせるためにひっぱってきたものです。それから BeOS は BeOS であって Mach じゃないです。系譜には並べられますけど同一視はあかんでしょう。それを言うなら WinNT も以下略。

OS/2も以下畧。

平成13年5月17日

コペルニクスの地動説を知つた時、ルッターは激怒した。地動説が聖書の記載と矛盾するものだつたからである。ルッターは言つた、「天空や太陽や月ではなく地球が囘轉するなどと、なんたるたはごとか! 聖書には何とあるか、ジョシュアは太陽に向かつて止まれと命じたのだ、地球に向かつてではない」。

平成13年5月17日

「金持ち父さん、貧乏父さん」100万部突破

筑摩書房は4月末、同書を20刷して発行部数を100万5000部とした。同社では初のミリオンセラーとなる。6月上旬には著者の来日、同下旬には第2弾も予定しており、一層の拡売が見込まれている。

そんなに筑摩の本は賣れてゐなかつたのか。

平成13年5月17日

告知。取敢へず。

「闇黒日記」→「瞬間」。

平成13年5月17日

消費が低迷してゐるさうですが、かつて百萬圓したPCが今では十萬圓も出さずに買へる譯で、しかも價格が十分の一になつたからと言つてPCを十臺買ふ奴はさうさう出現しない。

「價格破壞」が消費低迷の最大の原因。


ユーザが10倍になれば云々のつつこみが入らない。

平成13年5月17日


昨日の記事が全部15日附となつてゐたのに氣附いて鬱。

平成13年5月16日

日付別の日附のアンカーの終了タグが缺けてゐます。

平成13年5月16日

この「假名遣を變更してゐるが正當な引用」に關する圖を參照して貰へばわかる通り、D.D.氏の注目してゐる部分と、私の注目してゐる部分は異る。

D.D.氏は、「假名遣の變更」が「改竄」に含まれてゐる事に注目してゐる。私は「假名遣を變更してゐるが正當な引用」と云ふ領域が存在する事に注目してゐる。

話がすれ違ふのも當然である。見てゐる部分が違ふのである。兩者はただ、「假名遣の變更」と云ふ部分に接點を持つに過ぎない。


ちなみに、圖が巨大なのは、アクセシビリティと云ふ觀點からは感心しない事だと思ふが、それを言出すと話が餘計ややこしくなるので、文句を言ひたい人は事態が落着くまで暫く待つていただきたい。

平成13年5月16日

論理學的には、かう表現出來る。

平成13年5月16日

ことに物を評価するにあたり、客観的な姿勢を取ることは単なる逃げに過ぎない。物を評価する、つまり何が好きで何が嫌いかはっきり意思表示するということは、逆に言えばその評価者が一体どの程度のセンスを持っているかを外部に示すことでもある。センスが正しければ判断は周囲の賛同を得られ、正しい判断を繰り返すことで価値のある人物と見られるようになる。一方正しくない判断を繰り返せば使えない人物として墓場行きになる。

匿名社會では、殘念ながら、發言者が墓場に行く事はない。墓場に行くのは、使ひ捨て可能なハンドルか「名無しさん」のみである。發言者は、己の人格をどこかにとつておく事が出來る。使えない人物使えない部分は、匿名社會で名を變へて生延びる。使えない人物人物自體を墓場に送りたければ、發言者に匿名を許してはならない。

匿名社會に自淨作用が働かないゆゑんである。


使へる奴よりも使へない奴の方が世の中には多いが、その使へない奴が全く脱落しないのだから、匿名社會が駄目人間の集りになり、腐れていくのは當り前である。

平成13年5月16日

D.D.氏に言つておくが、假名遣の變更は著作權法の條文を見る限り、正當な行爲である。それを否定するのに詭弁ですなと云ふ根據のない決めつけしかしてゐないのは、D.D.氏の論證の重大な缺陷である。

そして、D.D.氏は假名遣の變更を「改竄」と決めつけ、非難してゐる。

この手のレッテル貼りでしか「反論」出來ない事を、D.D.氏は反省すべきである。

D.D.氏の主張は根なし草である。だからD.D.氏は居丈高になるのである。

平成13年5月16日

それは論理のすり替えです。改竄された状態の出版物から引用して評するのもいいでしょうし、原典から引用して評するのもいいでしょう。先の発言で僕が述べているのは引用時に改竄を行うことについてです。そのことと出版社が行っているらしい新假名遣への改竄とはレイヤーが異なるのは自明です。

D.D.氏が引用時に改竄を行うことと言ひ、新假名遣への改竄を引つ張つて來てゐる邊り、D.D.氏が「假名遣の變更は改竄だ」と云ふレッテルを貼りたがつてゐると推測する事には、或程度の妥當性があると言へるのではないか。

改竄と云ふ言ひ方に、既に價値判斷が含まれてゐる。價値判斷は結論である筈で、結論を出す爲には結論の正當化が必須なのだが、D.D.氏はその結論の正當性を説得する爲の努力を全くしてゐない。

D.D.氏は「改竄は改竄であるがゆゑに惡い」、そして「假名遣の變更は改竄であり、改竄であるから假名遣の變更は許されない事である」と云ふ循環論法を平氣で使つてゐる。或は、「假名遣の變更=改竄」が自明の事實だと言ひたいのだらう。然るに、それは未證明なのである。

平成13年5月16日

誤つた日本語である「新假名遣」を正しい假名遣に直して引用する事も、

それ、引用じゃないやん。正しいものに直そうが、誤ったものに直そうが、結局は改竄だろ?人として正しくない行為なのでは?

そもそもの、D.D.氏のこの發言自體、檢討の餘地がある。

ここでD.D.氏は、大前提を人として正しくない行為なのでは?と云ふ疑問文の形式で提出してゐる。

人として正しくない行為なので、假名遣の變更は改竄だと言ひたいのであるならば、D.D.氏は、假名遣の變更が人として正しくない行為である事を證明しなければならない。

だが、どうもここで、D.D.氏の論理が無限ループに入りさうな氣がする。「改竄は良くない」→「良くないから改竄だ」→「改竄だから良くない」と云つた事になりさうなのである。さうなると、D.D.氏の一聯の發言は結局、「假名遣の變更は改竄だ」と云ふ、一種のスローガンに過ぎない、と云ふ事になる。

平成13年5月16日

繰返し言つておくが、裁判と言ふ語を持出した以上、D.D.氏は著作權法に定められた著作物の扱ひについてのみ、話をしなければをかしい。

私が法律によつて結論の妥當性を證明しようとしてゐるのに對して、D.D.氏が詭弁と云ふ言ひ方をしたのは、その時點でD.D.氏が法律問題からそれ以外の何かへ話をすり替へた事にほかならない。

D.D.氏には、一貫した論理に基いて、或は論理的に一貫した、發言をしていただきたい。

平成13年5月16日

D.D.氏には一言「D.D.氏の言つてゐる事が論理的でないのは自明である」と言へば良いのかも知れない。

或は、「D.D.氏の發言は論理的に一貫してゐない」と云ふ事は言へるだらう。


根據のある意見を信ずる人間は少いが、根據のない斷定を信ずる人間は多い。根據のある意見には反論出來るが、根據のない斷定には反論出來ないからである。

平成13年5月16日

それは論理のすり替えです。改竄された状態の出版物から引用して評するのもいいでしょうし、原典から引用して評するのもいいでしょう。先の発言で僕が述べているのは引用時に改竄を行うことについてです。そのことと出版社が行っているらしい新假名遣への改竄とはレイヤーが異なるのは自明です。

それならば、D.D.さんの發言が論理のすり替えです。他者の意見を評するために引用することとそれらはまたちょっと違うのでは?、とD.D.氏が發言した時點で、論理のすり替えがなされてゐたのは自明です

既に私は、同じ著作物に屬するものであるならば、著作權法は同じやうに適用されて然る可きだと指摘しました。「學術論文」「個人サイトの主張」「出版物」と云つたレヴェルではなく、著作物と云ふレヴェルで、著作權法に關する議論は行はれる筈のものであり、行はれるべきであります。と指摘しました。

そして、D.D.氏は、著作物と云ふレヴェルではなく、他者の意見を評するために引用することとそれらの違ひと云ふレヴェルに拘つてゐる。即ち、D.D.氏は、著作權法の問題とは異るレイヤーに拘つてゐる。

ならばD.D.氏は話をすり替えてゐるのであります。


裁判だの何だのと言ふのなら、法律の話をしなければなりません。道義の問題を持出すべきではありません。法律は、適用される對象には常に同じやうに適用されるべきであり、恣意的に適用されたりされなかつたりすべきではありません。適用される對象は、適切に認識されなければなりません。

裁判と言ひ、引用と言ふのならば、當然問題は著作權法の問題となります。ならば、著作權法の定める著作物の定義以外のいかなる基準によつても、著作物を差別してはならず、全ての著作物は同等に扱はれなければなりません。それなのに、D.D.氏は同じ著作物の中に、著作權法によつて定められてゐない差別を生ぜしめんとしてゐる。この態度は誤りであります。

D.D.氏は、法律問題であるべき話を、別の話にすり替えてゐるのであります。


と云ふか、

改竄された状態の出版物から引用して評するのもいいでしょうし、原典から引用して評するのもいいでしょう。

が、話のすり替へなのである。

評す引用して評すとは異る、と云ふ事を、「適当に」と「適当だ」を同一視するD.D.氏は例によつて同一視してゐる。ここでD.D.氏は、(自分勝手に挿入した)引用して評すと云ふ語を媒介に、評す引用してとの間で話のすり替えをやつてゐるのである。

平成13年5月16日

これは私への挑戰だな(謎)。

チェック結果

1.チェック結果

※ファイルサイズ圧縮のヒント(超基礎編)

2.チェック対象URL:

http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/

3.ファイルサイズ(byte):

※10,000byte以上のファイルは重過ぎる可能性があります。

※5,000byte以上のファイルも必要に応じて見直すことをお勧めします。

4.備考

実際には回線スピード等に大きく左右されます。

cgi等のプログラム処理時間は含まれていません。

PC TipsはA-でした。

ネタ仕入元:うちのトップページは重いです… 2001年5月16日5:00 PM @ ねこめしにっき

平成13年5月16日

恐ろしいのは、そういう先入観を持つことより、それに無意識であることです、と云ふ結論に贊成。

日本人にとっては、科学というのは論理的な思考とは別物であるらしい。何か上から与えられたひとつの権威として、科学的な学説があるのである。そういう権威に異議をとなえるのは、たとえ論理的な主張であっても科学的とは見なされないらしい。 、と云ふ結論に贊成。ただ、現在までカンが的中してゐない事、妙な小説を書いてゐる事もあり、堺屋太一は信用ならないやうに思はれる。井澤さんも全面的に信頼出來る譯ではないが、tnaka氏もその邊は先刻承知だらう。

平成13年5月16日

もじ子さんですか。

平成13年5月16日

で、そのみんなで作ったというページ。ホームページビルダーで作ったらしいんですが。見事にフレームのリンクが無指定で「TOPに戻る」ボタンを押すたびに入れ子になってました(苦笑)コレくらいは指摘しておかないとと思い言うと、皆でそれは「作ってるPCがおかしいよねー」という結論に勝手に達していたらしいです(笑)。オーサリングツール否定派では無いんですが、HTMLの名前も知らない人まで作れてしまうのはちょっと考え物ですね。

非道い言動だと思ひます。少くとも私にはさう思へまーす。笑ひ。

人は自分を否定すべき文句でもつて他人を罵る事があります。お互ひ注意しませう。

平成13年5月16日

「わかつてゐて惡い事をする」は許されて、「わかつてゐないので知らずに間違つた事をしてしまつた」は許されないらしい。日本は面白い國だ。

平成13年5月16日

それは兎も角、D.D.さんやその他の「改竄絶對反對派」の皆樣は、出版界に横行する近代日本文學・思想書の新假名遣への改竄に、日頃よりさぞや激しい憤りを燃やしてをられるに違ひありません。

他者の意見を評するために引用することとそれらはまたちょっと違うのでは?

すると、D.D.さんは「出版物を評するな」と言ひたいのでせうか。個人サイトの文章であれ、出版物であれ、言論であり著作物であると云ふ點では「同じ」ではないでせうか。

或は、同じ著作物に屬するものであるならば、著作權法は同じやうに適用されて然る可きであります。「學術論文」「個人サイトの主張」「出版物」と云つたレヴェルではなく、著作物と云ふレヴェルで、著作權法に關する議論は行はれる筈のものであり、行はれるべきであります。


筆者Aが意圖的に或假名遣を選擇して記述した文章の假名遣を、筆者Bが引用時に無意味に變更したのならば、それは問題です。しかし、筆者Aが意味もなく或假名遣に從つて記述した文章の假名遣を、筆者Bが引用時に或意圖を以て變更したのならば、それは問題のない事です。この事は、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし、と云ふ條文で以て説明出來る事です。

もしこの私の法解釋を否定したいのであれば、私の法解釋を否定する法律の條文なり何なりを呈示するのが筋であり、道義論や人格論、或は單なる「決めつけ」を以てするのは誤魔化しです。法律に關する議論なのだから、法律の條文を以て爭へ。


まあ、「あれれ、野嵜ごときが『法律』だとよ」とか言はれるかも知れませんが。しかし、法律の條文で以て私の主張を否定しにかかつた人間がこれまで一人もゐないと云ふのは事實。或は、人は今囘の私の文章を「法律を持出す權威主義」とか言ふんですかね。

平成13年5月16日

20010515a 野嵜氏

平成13年5月15日

正字正かなを支持する人間が、正字正かな普及と云ふ目的の爲、畧字畧かなの文獻を引用する際、表記を正字正かなに改めるのは、やむを得ないと認められる改変であると見るのが妥當であります。

詭弁ですな。

詭弁であると云ふ根據の呈示がありません。ゆゑにD.D.氏の詭弁ですなと云ふ言ひ方は決めつけ以外の何物でもありません。

しかし、まあ、カヅサツさんご本人におききしなければ、確かなところはわかりませんが。とのこと。じゃあ、結局TNN氏にはわからないってことですね。何故こんなにこだわってたんでしょうか?

私はカヅサツさん本人ではありませんからね。カヅサツさんと私とが同一の認識をしてゐる必然性は(ソシュール言語學的には)ありませんから、まあ、カヅサツさんご本人におききしなければ、確かなところはわかりませんが。と斷つただけです。

もつとも、社會的通念的に「適当」と云ふ語がどのやうな認識をされてゐるものであるかを考へれば、分かり切つた事ではある、と云ふだけの話だつたのですが、表面的に同じ「適当」と云ふ語が使はれてゐれば常に同じ意味である筈だ、と云ふ觀念を抱いてゐるD.D.氏には理解出來なかつたのでせう。

或は、D.D.氏には、「嫌み」「皮肉」の觀念がないのかも知れません。もしさうなら、D.D.氏はピュアな人なのでせう。

class の属性名をいいかげんにつけることを勧める時点で終っているというかなんというか。

カヅサツ氏がどこでclass の属性名をいいかげんにつけることを勧めてゐるのでせうか。勧めてもゐないのに勧めてゐる、だから駄目だ、と決めつけるのは、「勝手讀み」ですよ。

decoration とでもしておきましょうがD.D.氏にはclass の属性名をいいかげんにつけること勧めに見えるのかも知れませんが、もしさうなら、D.D.氏には日本語の文章を讀む能力がないと云ふだけの話になります。


「自分の理解出來る範圍で愚論をでつち上げ、それを論破して勝つた氣になる」のはやめて下さい。或は、D.D.氏は適当と云ふ語の意味を理解してゐなかつたではないですか。どうしてD.D.氏が日本語や日本語の文章について、語れるのでせうか。

全く、「休まない馬鹿」には困つたもの。(つつこまれると煩いので書いておくが、馬鹿は前段落で證明濟みなので、根據のない誹謗や中傷には當らない)

平成13年5月16日

最近の何か、動作が重すぎ。「たかが」デスクトップアクセサリにこんなに CPU パワーをまわせるほどうちはお大尽ではありません。あんまり考えずに思いつきだけで実装してるから SSTP やゴーストまわりの仕様もぐちゃぐちゃでとても見られたもんじゃないしね。


しかし,なぜ「何か。」は落ちない?結構他にもこういうケースがあって,なぜか「何か。」では落ちないから正しく動いていると思っているのが結構あるっぽいです.SSPだと動かないものはたいていそういうの(;_;)

「何か」が混亂した仕樣を持つ事は、プログラム自體が複雜である事を豫想させる。そして、「何か」が案外寛容な作りになつてゐる事は、私の以前の指摘が「的外れ」であつた事を意味してゐる。


「偽春菜とうにゅうの掛合ひ」が「ghost同士の對話」に抽象化されると云ふ事は既に論じたが、さらに抽象化すると「オブジェクトとオブジェクトの關係」と言ふ事も出來る筈。然るに、「猫どりふ」「きのこ」もまた「オブジェクトとオブジェクトの關係」と抽象化出來る譯で、さうなるとSakura Scriptは「オブジェクトとオブジェクトの關係を記述する言語」のアプリケーションとして再定義する事が可能とならう。


XSLでは表示に關して、何も出來ませんな、確かに。

平成13年5月16日

「現代かなづかい」が表音主義者と「表意主義者」の妥協の産物である事は福田恆存が夙に指摘してゐる。妥協の産物であるならば、「現代かなづかい」を支持するにしても、その支持は消極的なものとしかならない筈である。

平成13年5月16日

ZDNetやCNETの海外記事の飜譯を讀むと、ライターが自分の思想に基いて極めて強い語調で對象を批判してゐる事がある。同じ事を日本のライターがやると、干される。

もし、歐米と日本とでは事情が異ると言ふのならば、日本人は歐米製のPCなど使はぬが宜しからう。

平成13年5月16日

「かう云ふ根據があるから、○○氏の××と云ふ發言は間違ひだ」と云ふ言ひ方が許されず、「お前のやつてゐる事は誹謗・中傷だ」と云ふ決めつけや「お前のやつてゐる事は、人として許されない行爲だ」と云ふ道徳的説教、或は「他人を批判するな」と云ふ言論彈壓や「いつか火傷するぞ」と云ふ脅しが許される、と云ふのは、不思議な事だ。

平成13年5月16日

ビル・ゲイツ批判やMicrosoft批判を「誹謗中傷」と言つて攻撃する人間はゐないが、個人サイトオーナ批判やフリーソフト制作者批判を「誹謗中傷」と言つて攻撃する人間はゐる。

平成13年5月16日

Cascading Style Sheetsによるデザインのテクニック紹介。慥かに今迄この手のリソースが存在しなかつたのは不覺。

ksmiracleのデザインはposition使用です。floatは昔、「言葉」の方で試した事があります。

平成13年5月16日

「過失」と「故意」を混同する人間に、説教をされる筋合ひはない。

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