闇黒日記

平成13年5月13日

No, sir, do you read books through?

Dr. Johnson

平成13年5月13日

平成13年5月13日

假名遣標準化計劃

當サイトの客層も、1年經つうちに、大分變りました。

平成13年5月13日

平成13年5月13日

ネタ仕入元:海を越えて。 @ にっき♪

平成13年5月13日

我々は、互ひに相容れない事から目を逸らせてゐれば良いのだらうか。それは「鎖國」の思想ではないか。

平成13年5月13日

引用した文章にまで、私は責任を取れませんので。

引用した事實には責任を取りますけれども、引用した文章の内容に關して責任は取れません。


落ち着けっ

平成13年5月13日

平成13年5月13日

スタイルシートを修正してみました。

blockquoteでpaddingを使つてゐると、Internet Explorer 5.5と6でレンダリングが凄まじい事になる問題を認識。

平成13年5月13日

引用レベルが崩れてゐる以前に、pの開始タグが終了タグになつてゐたのが問題なのでありました。

BAROQUEでも斬られてゐるし。

平成13年5月13日

芝居といへば、歌舞伎座からの中継の「膝栗毛」を見たら、これはまた女劍劇以下にある、いやはやといひたくなる、低級なものであつた。あの手この手の末は、今年は原作者の一九を何回も登場させて、かれこれいはせてゐるのであるが、その一九が白塗で、夏羽織などを着込んで、福岡貢蔵として済ましてゐるのは、羽振のいゝ、現代作家でもモデルとしてゐるのであらうか。その一九に「お嬢様」があつて、「おとう様はどこまでも庶民の味方となつて、庶民の喜ぶ作をして下さい」といふやうなことを口にする。これもいやはやものである。弥次郎兵衛、喜多八は勘三郎と松緑とでするのが、どちらもづんぐり型で、変化がない。喜多八はもと役者上りで、弥次郎兵衛の弟分なのだから、年若のへなへなした男にしなくては感じが出ないのに、いつからか弥次郎兵衛が二人出たかと思はれるやうな弥次喜多で、年齢の相違もないことにしてしまつた。古いことをいひ出すけれども、大正何年かに市村座で、菊五郎の弥次郎兵衛に、先代の勘弥が喜多八となつたのなどは、いかにも弥次喜多らしかつたといつていゝ。その勘弥以後に、喜多八らしい喜多八など、ついぞ見たこともない。それで済むのだから、よいのではないかといはれるかも知れないが、智慧のない話だと思ふ。

「雑記帳」森銑三(六興出版刊『木菟』所收・196ページ)

平成13年5月13日

平成13年5月13日

以前、閑馬氏が「シェルとゴーストの違ひ」の解説を、HTML文書のコメントに仕込んでゐた事實がありまして……。

平成13年5月13日

現在、世界市場でのブラウザのシェアは、

Microsoft
86.61%
Netscape
13.10%
Other
0.29%

……であるさうである。(2001年4月25日現在、WebSideStory調べ)


現在のMozilla Browserの完成度を見れば、AOLが簡單にブラウザを切換へられるとは思へないが。

平成13年5月13日

平成13年5月13日

平成13年5月13日

歴史教科書論爭について。

例の「つくる会」の教科書を非難する手合が屡々主張する事に、「日本・韓國・中國などのアジア諸國で歴史認識を共通にする」と云ふアイデアがある。私はこの意見が、左翼の側から出てゐる事實に驚く。これは「大東亞共榮圈」の思想とどこが違ふのだらうか。

イデオロギーに差異はあるにしても、戰前の右翼と、戰後の左翼のやらうとしてゐる事は結局同じではないのか。

平成13年5月13日

Port 5.Comは、結構「使へる」フリーホスティングサーヴィスです > Piro樣。問題は、たまにFTPが繋がらない事。

轉送容量に制限があるさうで、メインで使ふのは危なさうみたいですが。

平成13年5月13日

「レス」を附けてゐない方々へ、「便りのないのは良い便り」と云ふ事で(違)、決して無視・默殺してゐた譯ではございませんので。色々ご意見・ご支援を頂戴しまして、まことにありがたうございます。

岡田先生、U-Z樣、Makoto樣、ペトロニウス樣、木村樣、toka3aki樣、安芸川樣、カンちやん樣、えすとも樣、いつもお世話になります。もりさ樣、スパゲッテ井樣、任意たんらぶ☆樣、mal樣、seri樣、QZ樣、D.D.樣、どうもありがたうございます。

ちゃいちゃんパパ樣、近藤樣、COZY樣、今後ともよろしく御願ひいたします。しまりす樣、最近は何だか私がゴッドハンド状態です(謎)。古林樣、あれはああ云ふ話らしいです(謎)。

ではでは。

平成13年5月13日

文體の氣持ち惡さくらゐ、わかりさうなものだが。文體の善し惡しを決めるのが「趣味」だと云ふのはをかしい。

しかも、相手は「正字正かなだから氣持ちが惡い」と云ふ皮相な見方をしてゐる。和氏は感想に間違いもクソもないです。と言ふが、あるのである。そこには論理も何も必要はなく、それは、そう思ったというだけのこと。と言ふが、論理的にそもそも間違つた感想を持つ事があるのである。

また「気持ち悪い」とか「感性が異常」だとか言葉の選び方が悪いのに対して突っ込んでるのならばお互い様。

何でもお互い様にされてしまつてはたまらない。和氏は、公正なものの見方をしてゐません。「惡平等」と「公正」は違ふ。しかも、前提條件が斷定ではなく假定である時點で駄目です。

厳しいことを云わせてもらいますが、御自分の發言が議論のすり替えでしかないと評価されていましたが違います。議論にすらなっておりません。

その言ひ方ならば、私ではなくて、トビデバさんに向かつて言つてゐる事になりますが、少々冷静に考へてみて下さい。文句を言ふ相手を間違へてゐます。いや、間違へてゐないのでせうか。和氏はトビデバさんに向かつて言つてゐるのでせうか。

また、和氏は、私と閑馬氏のみが当事者であるかのやうな言ひ方をしてゐますが、これも誤りです。

これは当事者同士が話しあう問題かと思われますが如何? もっとも閑馬氏がそれに対して誹謗中傷であることを証明すべく法等の実力を行使することは無いですし、また、このページではそれが解ってて斬っているのだと思ったのですが・・・・(裏読み

なぜ閑馬教徒は、事態を混亂させたり、問題を矮小化したりして、本來のテーマから目を逸らさうとしますか。やつぱり、「新興宗教」なのでせうか。

あんまりにもあんまりなので・・ 投稿者:和  投稿日: 5月13日(日)04時13分15秒


それはともかくとして、誹謗・中傷を禁止していることは批判を禁止する原因にはならないのではないでしょうか。悪口を禁止しているから議論を禁止するというのは筋が通っていないように思えます。

W3C批判は禁止です。 投稿者:乃木  投稿日: 5月13日(日)06時54分53秒

批判誹謗・中傷とは別、と云ふ話ですが、全くその通りでありまして、このつつこみは合格。

然るに、私の閑馬氏批判を、恰も誹謗・中傷であるかのやうに喧傳してゐる連中に對して、乃木氏はいかが御考へでせうか。

最初は「HTMLの仕様に準拠することに意味はあるのか」というテーマだったはずが、いつのまにか議論のための議論になってしまっています。

横槍失礼いたします 投稿者:Fetialis  投稿日: 5月13日(日)08時04分18秒

この指摘は尤もなのであつて、HTMLの話をねぢ伏せる爲に「野嵜は正字正かなを使つてゐる」とか「野嵜は批判をしてゐる」とか、さう云ふ變な方向に多くの人が話を持つていかうとしてゐるのであります。

平成13年5月13日

論理學の入門書を紹介しておきます。

『論理學綱要(改訂版)』
須藤新吉著・内田老鶴圃。
『論理と哲學の世界』
吉田夏彦著・新潮選書。
『論理分析哲學』
G.H.フォン・ヴリグト著・服部裕幸監修・牛尾光一譯・講談社學術文庫

トビデバさんは、論理學を基礎から勉強なさつた方がよろしいかと存じます。


もつとも、「人は自分の知りたい事しか學ばうとしない」ものですので、これらの本を讀んでもトビデバさんの認識は變らないのではないかと思ひますが。

平成13年5月13日

それにしても、私のサイトの表記を「氣持ち惡い」と言つてゐる人の文體は、屡々非常に氣持ち惡い。さう云ふ人の感性は、やつぱり異常なのだらう。

「馬鹿って言ったほうが馬鹿」理論。お前は小学生か。

ますます非論理的 投稿者:トビデバ  投稿日: 5月13日(日)01時12分04秒

「『氣持ち惡い』と言ひたいのならば、氣持ち惡くない文體で文章を書いてゐなければならない」と云ふ事を私は言つてゐる。「馬鹿は馬鹿と言つてはいけない」理論でこそあれ、「馬鹿って言ったほうが馬鹿」理論等では全然ない。もつとも、トビデバさんには、兩者が同じものに見えるのだらうが。

兩者の違ひが、トビデバさんにはわかりますか?


それから、トビデバさんは、一體どこのどなたですか。あなたは掲示板の使ひ方が讀めますか。それから、あなたは時枝誠記も三浦つとむも、讀んでゐないのですね。

また、私に対して質問されているようなのですが、全て議論のすり替えでしかないので答える必要はないように思います。と言つて逃げるのは、卑怯ですので、ちやんと答へて下さい。「トビデバさんは、答へられから答へないのだ」と解釋されても仕方がないでせう。それでよろしいのでせうか。よろしいのでせうね。

或は、トビデバさんは、御自分の發言が議論のすり替えでしかない事實に、なぜお氣附きにならないのでせうか。氣附きたくないからなのでせうね。

讀みづらいならば、讀まなければ好いと思ひます。とかかれていることは、つまり、なぜヌードポスターを職場にはるとセクハラになるのか、ということがわかっていらっしゃらないようですね。

(無題) 投稿者:トビデバ  投稿日: 5月12日(土)03時08分33秒

「ウェブで正字正かなの文章を公開する事」と「職場にヌードポスターを貼る事」とは全然異ります。なぜ異るものを、トビデバさんが同一視出來るのか、不思議です。

平成13年5月13日

テキストをXHTMLに変換するPerlスクリプト

平成13年5月13日

平成13年5月12日

みなと
なに一人で壞れてんのよ。

平成13年5月12日

日本人にとつての「言論の自由」は、「あいつの文章は皆で無視しよう」と言ふ自由でしかない。議論をする自由や批判をする自由は「言論の自由」に含まれないらしい。

リンクをするのに許可を取らなければならない國だから、仕方がないのかも知れないが。


しかし、ここまで日本人を虚假にする私を「國粹主義者」と見る人がゐるのである。己の目を自ら曇らせる人にはなりたくないものである。

平成13年5月12日

やはり下の私はをかしかつたやうです、何がと云ふと、下のやうな事を日記として書いてしまつた事です、考へは人それぞれですから、どんなに馬鹿な主張であつても放つておけば良かつたのです、讀んで不快になつてしまつた人には謝罪します。

……と言ひつつ、自分の書いた事を撤囘もしないでそのままウェブに公開しておけば、全てが許されるらしい。


それにしても日本人は、議論のテーマを見失つて、論者の人格で議論の是非を決定しようとするのが好きだねえ。それも、自分の贔屓であるかどうかで決定されるのである。日本に於て、恣意は論理に優先する。

日本人にとつて、ウェブも「言論の自由」も有害なものであるやうである。少くとも、日本人に議論は出來ない。

平成13年5月12日

「簡潔な發言」と云ふものは、屡々根據のないスローガンでしかない。或は、根據がないから、その發言は「簡潔」になるのである。

世の中は單純ではありません。

平成13年5月12日

もうこの掲示板に書き込むことは避けた方が賢明です。

彼のサイトにおいてあるものは、彼が引用元の文章を得るための餌なのです。もし彼が本気で正かなづかいや正しいHTML文書を書くことを人々に広めたいと考えているのなら、このような反発を買いやすい方式には依らないはずです。

彼は、論理的な擁護が充分に成された題材をダシにして挑発的行動を行い、それを批判しようとする人を、既に用意されている論理によって叩きのめすことを目的としてwebサイトを開設しているのです。

それに気付いた、いわゆる「任意コミュニティー」の人々は、(当初はともかく)今ではほぼ完全に、彼の発言に何の反応も返さなくなりました。引用元となる文章を与えない限り、彼の挑発的行動はそれ以上展開できないのです。

それでも尚、「勝ち負け」に拘るのであれば、閑馬氏のあの簡潔な発言(何に対して成された発言かを知らなくとも充分単独の発言として成立しているあの発言)を否定するのに、彼があれだけの文量を費やさなければならなかったという事実を思い起こしてみて下さい。

閑馬氏支持者の皆さんへ 投稿者:一閑馬ファン  投稿日: 5月12日(土)14時31分56秒

……と云ふ、二重三重に矛盾した文章を書いてしまふ人がゐるのである。矛盾を氣にしなければ、その人に矛盾は存在しない。

しかし、これは殆ど「閑馬教」ですね。野嵜は閑馬教における最大のタブー。觸ると穢れる。閑馬教徒はサティアンに籠り給へ、自己完結してゐ給へ。教祖の言ふ事は絶對だ。笑ひ。


本當にこれで、掲示板の書込みや、各地の發言が止まるかどうかが見もの。

平成13年5月12日

私の名前はのざわではありません。

それにしても、私のサイトの表記を「氣持ち惡い」と言つてゐる人の文體は、屡々非常に氣持ち惡い。さう云ふ人の感性は、やつぱり異常なのだらう。

平成13年5月12日

ココにかかれている文章のすべては作者の独断と偏見に基づいています。

内容について議論する気はさらさらございませんので、文句がある、という方は東のほうに向かって祈ろう。ついでに西のほうにも頼みます。

5月のある男の日常 2001

かう云ふ事を書く人が、宗教家を罵るのだから、日本と云ふ國は面白い。

せりこと黒任意の中身はぐちやぐちやなんだらうな。


それにしても、「正しいHTML」の美点を見つけようともしない人に、 何か「いや〜ん」な感じですね。学生時代に人間関係学的現象学を学んでいた俺としては、相手を理解する為の手段に「批判(攻撃)」を選ぶと云うのが馴染めなくて。欠点を挙げるより美点を見つける方が楽しいのにね。なんて言ふのは、何なのでせうねえ。人は屡々、敵と身方を取違へる。

平成13年5月12日

「Netscape Navigatorでは表示が悲慘」と云ふ事實をどのやうに認識すべきか――「Netscapeが惡い」と考へるべきか、「自分の書いたHTML文書が惡い」と考へるべきか。

答は決つてゐる、らしい。日本人は自虐的な人種だからね。

平成13年5月12日

宗教を毛嫌ひする日本人が多いのは異常。動物に宗教はない。宗教を信ずるのは人間だけである。宗教を否定するのは、人間と動物の境界を一つ、突崩す事である。

實際のところ、何も信ずるもののない人間は、存在しない。

平成13年5月12日

オーサリングツールがいかにすぐれてゐようとも、ツールを使ふのは所詮、人。「正しいHTML」を必ず吐くツールであつても、人の使ひやうによつて、ろくでもないHTML文書を作成してしまふもの。

Wordで一太郎レヴェルの文書を作る人が多數ゐる事實を見れば自明。


人が何も意識しないで文書を作れるやうにしなければならない、と云ふ「信仰」は、好い加減、捨てるべき。コンピュータは意識を持たない。文章を書くと云ふ行爲が本質的に無意識の意識化の過程である以上、プログラムに全てを任せ切る事は出來ない。

ウェブ制作者に限らず、文章を書く人間は、「書く」と云ふ行爲にもつと意識的になるべき。意識的にならなければ、良い文章は書けない。

平成13年5月12日

HTML文法 (2001.5.11)

やけにHTMLの文法に厳しい人がいるらしいので、トップをチェックしてみたら、 W3Cにバナーを貼ることを許可されたので貼ってみた。

それはともかく、それなりに表示してくれるブラウザが多いのに、なぜその人は ソース見てエラー吐いてますか?

nise shiori diary

それなりに表示されれば良いのか、と云ふ事。西暦の下二桁しか見ないプログラムは、世紀が變らなければそれなりに動いてゐたが、世紀が變る時に大問題となつた。汎用性を重視しないで、「それなりに動く」事でごまかしてゐると、あとで苦しくなる。

HTML 4.01 Transitionalでしかないのに、XHTM 1.0でValidであるかのやうなバナーを貼るのは、感心しません。


「正しいHTML」を嘲笑ふプログラマは、ここも嘲笑ふのだらうか。

「あなたのHTML文書は駄目だ」と言はれたウェブ制作者が、「なぜ俺の書くHTML文書が駄目なのか」「駄目で何が惡いんだ」と答へるのは、そのウェブ制作者のスキルが低いから。

平成13年5月12日

私を攻撃する連中は、やつてはいけない(Web Site制作のタブー)を引合ひに出して、矛盾を叩かうとしてゐるが、「叩き臺」としては不適切。htmlメールは送らないやうにの方が、穴は多いので、本氣で攻撃したいのなら、こちらを攻撃目標に選ぶべき。

派手な文書に目を奪はれる時點で、批判者としての資格ナシ。

平成13年5月12日

そろそろ、「table v.s. スタイルシート」と云ふ論爭が、本質的な論爭でない事に、氣附いて貰ひたいものである。Cascading Style Sheetsが單なる「物理マークアップ」の置換へではない、と云ふ事は、何度も指摘してゐる。

或文書をプログラムが整形する過程自體が「スタイルシート」である譯で、tableが表としてレンダリングされる過程で既に「スタイルシート」が介在してゐる事實を考へれば、「table v.s. スタイルシート」と云ふ對立構造が成立しないのは誰の目にも明らか。

平成13年5月12日

平成13年5月12日

NAVER Japanは割と評判が良いやうですが、「スタイルシートコミュニティ」の人間は高く評價しない筈。「スタイルシート」で檢索をかけると、某杜甫々な先生のサイトが眞先にひつかかる。救ひは、デッドリンクである事。笑ひ。

平成13年5月12日

平成13年5月12日

なるほど、冗談であるというのなら他人があの文を批判するのは外れたことでしょう。

(無題) 投稿者:乃木  投稿日: 5月12日(土)06時46分43秒

いや……そこまで日本語の文章が讀めてゐないとは……まあ、良いです。退散して下さい。

平成13年5月12日

平成13年5月12日

次囘のテーマがわかつた。何となく。

平成13年5月12日

苦笑。

いや、私はシャアが嫌ひなので。

平成13年5月12日

議論が進むのは結構ですが、何がテーマなのかを、皆さん、見失つていらつしやるやうです。

無闇に話を擴げて議論を混亂に陷れ、私を自滅させようとしてゐるのなら、戰術的に理に適つてゐますが、さう云ふ戰術をどなたも自覺的に用ゐてはいらつしやらないやうです。と云ふ事は、現在の状況は、ただ單に混亂してゐるだけだと云ふ事ですので、皆樣、一度冷靜になつて下さいまし。

平成13年5月12日

今回で初めて野嵜さんの文を読んだ人らがあの頃のテンションの野嵜さんの批判を見ていれば卒倒したかもしれないなぁ。不謹慎な言い方だが、閑馬氏は幸運だ。

2001年5月11日 @ Latest topics - outsider reflex

今はテンションが下り捲つてゐると云ふ事實。


HTMLの議論は飽き飽き。「行儀良くしろ」と「行儀良くしなくて何が惡い」の「論爭」なんて、論爭の名に價しませんからね。「なぜ行儀良くしなければならないか」と言はれても、「さうするものに決つてゐるから」としか答へやうがありません。

しかし皆、「なぜ」と云ふ疑問を抱くべきところで抱かず、抱くべからざるところで抱く訓練を、どこでしてきたのですか。

平成13年5月12日

論理的でない意見の中で引用が楽そうなのは仮名遣QAの中の

Q
歴史的仮名遣の支持者は国粋主義者ではないか?
A
「現代かなづかい」の支持者が全員革新であると言へない以上、「正字正かなの支持者は全員國粹主義者だ」等とは言へないのではないですか。

さて、どこが論理的でないかわかりますか?

議論のすり替えでしかないから、とか云ふ「理由」をトビデバ氏は持出すのではないか。


ちなみに、私の上の「Q&A」が論理的とは無關係のものである事實は、常連さんならおわかりでせう。アフォリズムを餘りに糞眞面目な受取り方をする方が、誤りであります。

おそらく讀者のうちにはかれの逆説に反撥を感じるひともゐるだらう。たしかにある種のひとたちにとつては、ワイルドのことばは魚の骨のやうにのどにひつかかつて嚥みくだせぬものがあるのだ

と福田恆存は『ワイルド語録』の「あとがき」で書いてゐますが、私もさう云ふ魚の骨のやうにのどにひつかかつて嚥みくだせぬやうな言葉を書かうとしてゐるのであります。さらに同じ文章に、かうあります。

たしかに日本のインテリは逆説にたいして臆病でありすぎる。ことばの眞僞を實地檢證によつてしか判定しようとしない。といふのは、その實地檢證さへ徹底を缺いてゐるといふことにすぎぬ。ワイルドも「ドリアン・グレイ」のなかで、逆説の辯護をしてゐる――ことばの眞僞はお役的な實地檢證くらゐではわからぬもので、張りつめた綱のうへでアクロバティックをやらせてみないとはつきりしてこないといふのである。

トビデバ氏が、どこまで徹底的な實地檢證をするか、見ものですが、恐らく例によつてトビデバ氏は、「せせら笑ふ事によつて否定する」と云ふ「論法」を使つて、我々をがつかりさせて呉れるものと思はれます。

……と云ふ挑發に、トビデバ氏は乘つてくるでせうか。


しかし、私の反對者は、なぜ無關係のものを結び附けて、「野嵜の言つてゐる事は論理的に一貫しない」と罵らうとするのだらうか。無關係のものは無關係だ、と云ふ、當り前の事實を、なぜ事々しく言立てようとするのだらうか。「反對の爲の反對」を、彼等はしてしまつてゐるのではないだらうか。

平成13年5月11日

これ(暗黒日記の文章(5月11日)のこと)を読んで思ったのですが、正しい HTML で書かれてない文書は理論的におかしいからと言うより、不快だから止めろと言っているようにも聞こえます。

快不快ですか… 投稿者:乃木  投稿日: 5月11日(金)20時40分58秒

快不快が、私の「正しいHTML」の議論と無關係である事は、まともな頭の持主なら、誰にでも理解出來る事だ、と書いたのですが、それがどうして「正しいHTMLで書かれてゐない文章は不快だから止めろ」になるでせうか。

言つた事が逆に理解されるやうでは、何を言つても無駄ですね。

MIDIのBGMはうるさいのでhttp://members.jcom.home.ne.jp/pctips/www/Web.htmlと書いてありましたので。

この場合はその文の下に書いてある、 MIDI を鳴らす要素は一部のブラウザ専用だから(大体手段がないの項)、或は論理的では無いからという指摘のみで良かったのでは無いでしょうか。

…それとも、快不快云々は現在行なわれている議論(の様なもの)以外には適用されないのでしょうか。

MIDIのBGMはうるさいので、やめるべし。せめて、聽くか聽かないかの決定權を閲覽者に與へるべし。ですね。これは、嫌みです。例の論法では、必要以上に嫌みたらしくなつてゐます。と云ふ「斷り書き」があるから、この文書の「嫌み」は全て無視されて當然である筈です。(冗談ですから、眞に受けて、この項をつつかないやうに。まあ、つつきたい人は、まづ自己批判から始めて下さい)

それから、快不快の議論は、ほげほげお氏やにこ氏らが勝手に言出した事です。今囘の論爭はもともと、閑馬氏の「正しいHTML」を否定する發言に端を發したものですから、「快不快」の事を言立てるのは、「議論のすり替へ」以外の何物でもありません。

「正しいHTML」の理念は實に周到に作られてゐるのでして、かの杜甫々さんも否定出來ませんでした。その爲杜甫々さんは、「正しいHTMLを支持する人々」の「論法」をつついて嫌がらせをする、と云ふ戰法に出て自滅しました。が、その戰法を、再び「正しいHTMLアレルギー」の方々はとつてゐるのであります。

トビデバ氏の云ふ通り、「正しいHTMLを支持する野嵜は正字正かなと云ふ読みづらい表記を使つてゐる、だから正しいHTMLを支持するのは間違ひだ」と云ふ論法を彼等が使ふとしたら、それは論理的でない事でせう。

平成13年5月11日

かつて「98かDOS/Vか」と云ふ論爭があつて、そこで論じられたのが「PC-98+MS-DOS」か「PC/AT+Windows」かと云ふ事で、實は、アーキテクチャ依存か、汎用か、と云ふ事が本質的なテーマであつたのを懐かしく思ひ出す。

現在の、「不思議マークアップ」か「正しいHTMLか」の論爭も、結局のところ、特殊か、汎用か、が本質的なテーマである。見映えや使ひ勝手は、瑣末な事である。

平成13年5月11日

私が言いたかったのは、手前のHTMLを書く時だけ意識してりゃいいやんか、ということ。

元々はブラックボックス的なものだから、ユーザから観て、入力と出力が想定したものであれば問題無いかと。

ブラウザでソースが見えちゃうのは、オーバースペックとも思ってます。

無駄は明白すね。 投稿者:にこ  投稿日: 5月11日(金)18時58分01秒

この意見に對しては、「オープンソースの理念に反するものだ」と云ふ指摘をしておけばよろしいでせう。

平成13年5月11日

彼等(誰)の攻撃の矛先が私の假名遣に向いてきたのは、正統HTML派の實力を彼等(誰)が認めてゐる證據であります。悲觀する事はありません。また、假名遣と云ふ「壁」があつても彼等(誰)が私の文章を讀まずにゐられないと云ふ事實も、假名遣自體が本質的に相互理解の障碍となるものではない事を證明してゐます。

平成13年5月11日

假名遣は、閲覽者の努力次第で不快なものから快適なものとなる譯です。然るに、私がやつてはいけない(Web Site制作のタブー)で採り上げた事どもは、閲覽者の努力で解決されるものではありません。そこを勘違ひして貰つては困るのであります。

まあ、「理想の讀者」を相手にしてゐるので、transitionalな(或はlegacyな)讀者の方々に、私の文章は決して理解し易くはないと思ひます。その點はお詫びいたします。

平成13年5月11日

しかし、掲示板は、開設以來未曽有の盛況を呈してゐるが、いつまでこの盛況が續く事やら。

平成13年5月11日

理想のHTMLで作成されてるそうですが、何に対して「理想」なんでしょ?

少なくとも、人間ではないですな。HTML仕様から観た理想みたいに聞こえます。

観てる人は人間です。現代かな遣いに染まってしまった私には、大変読みづらいですよ。

ここって、御高齢の方向けっすね。 投稿者:にこ  投稿日: 5月11日(金)17時56分36秒

私は、理想的なUser Agentの爲に理想的なHTML文書を書き、理想的な讀者の爲に理想的な假名遣を用ゐてをります。


すみけんたろうさんは『スタイルシートWebデザイン』で、かう書いていらつしやいますね。

スタイルシートの設計は、あくまで"理想圖"に基いて行つてください。さうしなければ、スタイル調整の汎用性は得られません。

設計は「理想圖」に基いて行ふ(『スタイルシートWebデザイン』資料・246ページ)


ちなみに、當サイトが御高齢の方向けであるのかどうかは不明です。實際の閲覽者の年齡層がどの程度なのかは、調査してをりませんので。しかし、御高齢の方向けである事は、決して責められるべき事でもありません。それがどうだと云ふのでせうか。

まあ、精神年齢が高い讀者を想定してゐるのは事實です。

平成13年5月11日

「私はMicrosoftが嫌ひです。だから閲覽者はNetscape Navigatorを使はなければなりません」と云ふ「論理」に飛躍がある事くらゐ、誰でもわかると思ふのだが、それがわからないらしいのである。

平成13年5月11日

無關係のものを、いかにも重大な關聯があるかのやうに見せかけて、相手を騙さうとする人が非常に多い。論理の飛躍が、日本人は大好きである。何でかうも馬鹿が多いのだらう。

「論理的にをかしい」と云ふ事と、「感情的に不快」と云ふ事を、どうして混同出來るのだらう。頭は大丈夫かね。

平成13年5月11日

ブラウジングする側の立場として、

  1. 読みにくい日本語(現代語にどう考えても相当しないもの)で構成されていて、W3Cピッタリなページ
  2. 普通の日本語で構成されてて、W3Cピッタリではないが、ブラウザでキチンと表示されるページ

どっちが不快感を感じる人が多いかな?

通りすがり的で無責任な意見 投稿者:薙  投稿日: 5月11日(金)18時10分26秒

薙氏はまづ、他人を不快にさせるやうな文章を書かないやうにしませう。お説教したければ、それからするやうに。論理よりも、道徳的なお説教を、どうして日本人は好みますか。

或は、薙氏は私がなぜ「正しいHTML文書を書かねばならない」と言つてゐるのかを、忘れてゐる。快不快が、私の「正しいHTML」の議論と無關係である事は、まともな頭の持主なら、誰にでも理解出來る事だ。


「Aと云ふ條件下でaである」「Bと云ふ條件下でbである」と云ふ時、條件を無視して「aとbは矛盾してゐる」と指摘しても意味がない。幾ら、鬼の首をとつたかのやうに、喜色滿面の笑みを浮かべて指摘してみても、馬鹿を晒すだけである。やめるやうに。

平成13年5月11日

日本人は、冷徹な論理と、「血の通つた」曖昧なるものとでは、後者をより好むが、兩者を區別しないで同列に論ずる。

HTMLにしても、假名遣にしても、論理的な一貫性と云ふものを基準に私は論じてゐる。或は、レンダリング以前のHTML自體の形式と、人間が解釋した假名遣とを、何人かの人が混同してゐる。


それから、日本人はどうして自分が無知である事を威張つて見せるのだらうか。

私も知識無いですから・・・

無駄は明白すね。 投稿者:にこ  投稿日: 5月11日(金)18時58分01秒

常識的に考へれば、知識のない人間が、ものを言へる筋合ひではないだらう。或は、「私は馬鹿なので、もつとやさしく教へて下さい」と懇願するのならともかく、「俺は馬鹿だ、馬鹿にやさしく教へられないとは何だ、この野郎」と威張るのは何なのだらう。

平成13年5月11日

今次の大戰で、日本軍の殘虐行爲といふことがよくいはれる。ある程度の殘虐行爲は戰爭にはつきものであり、戰爭そのものの惡しき産物だといへないことはない。だが、ナチスのユダヤ人虐殺ははるかにそのやうな限界を越えてゐる。だれでもそれは戰爭そのものの罪悪であるより、ナチスの、さらにはドイツ民族の殘虐性といふことに想到せざるを得ない。

今次の大戰における日本軍の殘虐行爲は誇大に傳へられてゐるやうでもある。それにどういふやり方が殘虐で、どんなのが殘虐でないかといふ判定はきはめて客觀性に乏しい。私たちのあたりまへの行動でも、ヨーロッパ人にとつては殘虐になることもある。刀で首を切るといふ處刑だつて最高の殘酷な刑になるときがある。死體が完全でないと最後の審判の際、復活できないといふ信仰がある場合などである。

しかし、それにしても日本軍の殘虐行為は常識を越えるものであつた。もつともさういふ行爲の少なかつたといはれるビルマ戰線でも、私の經驗は日本人といふものの性格に絶望的な氣持を感じなければならないほどだつた。權力とか權威とか、集團とか、ともかく背後の力をたのみにしてゐて、しかも相手が無力なときには信じがたいほど暴虐になり、ささへる手がなくなつて個人の意思だけしか頼りにできないときは、これまた信じがたいほど弱く卑劣になる。それはどんな民族、どんな國民でも同じことだらう。しかし、日本人ではその度合ひがはるかに大きいやうに思はれる。それは戰國時代からで、敗軍の落伍者などがきはめて簡單に百姓たちに殺されたりしてゐるのもそのためであらう。かれらは自分で武具も刀も捨てて腑拔け同然になつてしまふ。前々は雀の上の鷹の如く、今はただ猫の下の鼠の如し『朝倉始末記』といふことになつてしまふ。ヨーロッパではさすがにこれほど落差ははげしくない。

ともかく虎の威を借りた、群衆意識をもてるときと、もてないときとの落差が日本人の殘虐行爲の基盤とすれば、それはやはりよく指摘されてゐるやうに、ヨーロッパ市民社會の基礎となつてゐる個人主義の未成熟といふことである。

だが、その説明だけではわからないことがある。日清・日露の戰爭で日本軍の殘虐行爲といふのが少しも傳へられてゐないことだ。報道統制といふこともあらうが、それだけでもないらしい。英人宣教師クリスチーの『奉天三〇年』にも、日清戰爭のときの日本軍は賞贊に價するほど立派であつたが、日露戰爭ではおごりたかぶつたところがあつて、かなり質が落ちてゐたことを述べてゐる。市民社會化するにつれ、道徳は落ちていつたこと、もつとも、明治時代は、よほど人間がましで、大正、昭和と急速に道徳が落ちていつたといふことになる。

中畧。

吉川幸次郎氏などの意見によれば、明治の将軍たちが立派であつたのは、それが下級であつたにせよ、武士出身者で武士道を身につけてゐたからだ。小農民出身者などがかたよつた軍人學校の教育を受け、武士道を貫いてゐたストイシズムを失つたのが昭和の將校たちだといふことになる。かういふ考へ方によれば、明治では兵士たちにも、この上官の武士道精神による感化が及んでゐたといふことになるのであらう。

つまり封建道徳が殘つてゐる間の日本は、立派で、市民社會が進展するとともに墮落したといふことになる。日本の市民社會は、基礎をもたないといふ理由によつて、市民道徳は實現せず、したがつて市民文化もほんたうの意味で發現しないといふ結論を下すのが正しいのではないだらうか。

「表文化と裏文化」會田雄次著(『日本の風土と文化』46〜47ページ)

平成13年5月11日

May 8, 2001 (Tue) 23:32 - つーかより

文法なんて知りません。誰も従わない規格に価値はない。重要なのは今この瞬間にビジターのブラウザでそのサイトがちゃんと見れているかどうかであって書式が形式的/理論的/伝統的に正しいかどうかではない。実際にちゃんと表示できないせいで苦情が来るならともかく「ちゃんと表示はされてるけど文法的に間違いが」みたいな指摘は俺は完全に無視します。

それはちょっと違うと思う。

手元のブラウザで意図した通りに表示されるから文法的に誤った書き方をする

ということは

手元の実行環境で動かしてエラーにならないからmalloc()の戻り値を確認しない

というのと同じことのような気がします。

2001-05-09の日記。

平成13年5月11日

日本人は、頭で喋らず、脊髓で喋るのではないだらうか。

條件反射的なものの言ひ方が、餘りにも多過ぎる。

平成13年5月11日

ガンダムの臺詞では色々語れるやうですが、私の場合、ガンダムよりもヤマトの方が好きなので、一言で話が終つてしまひます。

バカメ!!

平成13年5月11日

現在、各方面で起つてゐる論爭は、「第二次スタイルシート論爭」と呼ばれる事となるであらう。

平成13年5月11日

個人の Web サイトなんてマスターベーションだろ?

つーか 投稿者:D.D.  投稿日: 5月11日(金)13時29分27秒

いや、インターネットなんて(以下畧)。

平成13年5月11日

凄いAIKa。

平成13年5月11日

こんなものが登場したら、ファンは納得してしまふのだらうか。

シド・ミードデザインのHTML。

平成13年5月11日

豫想通り、「罵倒するな、馬鹿」の類の反應が結構ありますね。本當に日本人ッて馬鹿が多いですね。しかも、「大企業に寧ろその手の馬鹿が多い」と云ふのは、どう云ふ譯なのでせうか。大企業の人事課は駄目ですね。まあ、バブル期に出たら目な採用をやつた禍根なのでせうが。日本の將來は暗い。

「野嵜に罵倒されたくないだらうから、サイトを閉ぢるやう『何か』の閑馬氏や『侍魂』の健氏に忠告する」と言ふ、本質的で惡魔的な平和主義者は存在しない樣子。

しかしねえ、ここをバリバトウするサイトが隣に出来たらどんな反応を示すのだろうか?なんて下らない質問をする暇があつたら、自分でさう云ふサイトを作れば? と云ふか、すでに「2ちゃんねる」に當サイトを監視し、罵倒するスレッドが存在し、當サイトは日夜嘲笑され續けてゐる。さう云ふ事實を知らないで、この手の質問をするのは淺はか。


「はにゃ」さんッて、本當に「はじめまして」の方ですか。某Yahoo!方面で、良くさう云ふ名前の方と「お話」をしたやうな記憶がありますが。今後ともどうぞよろしく。

平成13年5月11日

富士通ゼネラルさんに續き、今度は富士通ビジネスシステムさんからも閲覽があつた樣子。

わけわかんね 投稿者:ほげほげふ〜  投稿日: 5月11日(金)11時19分38秒

自分の物差しで他人を計らないやうにしませう。


HTMLは出しにすぎない。

平成13年5月11日

今朝、忘れてしまつた漢字を一生懸命辞書で引いてゐる夢を見た。もちろん、忘れてしまつてゐる漢字なので、夢の中の辭書には載つてゐない。

頭が休まりません。

平成13年5月11日

正しいって何でしょう?

伝統?文法?

いったい何を基準にしているのでしょう?

わたしがここの文を読むにW3Cらしいのですが、それって絶対なんですか?

それからちょっとでも外れてたら、激しく罵倒したり、殺したりしてもかまわないんですか?

ただしい?2 投稿者:カイザードラゴン  投稿日: 5月10日(木)20時53分23秒

既に書いた通り、正義は相對的なものである譯で、絶対的なものではありません。しかしながら、相對的であるからと言つて、人間は正義に基いて他人を激しく罵倒したり、殺したりしないと云ふものではありません。

逆にお尋ねしますが、あなたは私を激しく罵倒をしてはゐませんでせうか。あなたは何を根據に激しく罵倒をなさつてゐるのでせうか。あなたは、あなたの正義に基いて、激しく罵倒してゐるのではありませんか。

或は、あなたは何も正義を信じてゐないのでせうか。さうしたら、正義に基いた罵倒は許されないが、正義に基かない罵倒は許される、と云ふ事になるのでせうか。


日本の「平和主義者」は「戰爭を起さうとする勢力」を打倒しようとする。「平和の爲の鬪爭」を平氣でやる。だがそれは、實に中途半端な「平和主義」ではないか。

『夫婦』(日本のかつてのテレビドラマ)と『ヘッダ・ガーブラー』との間には殆ど無限大の隔たりがある。それは日本の進歩的文化人と非暴力主義者ガンジーとの隔たりのやうなものだ。ユダヤ人を救ふ爲にヒットラーと戰ふべきか。平和主義者ガンジーは答へる。いや、戰ふべきではない、むしろドイツのユダヤ人が集團自殺すべきである。これも惡魔的な徹底であつて、私はガンジーを好かないが、敵ながらあつぱれだと思ふ。

「時に惡魔たるべし」(昭和53年7月8日「週刊誌時評」松原正・サンケイ新聞掲載)『知的怠惰の時代』所收

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