闇黒日記

平成13年4月15日

 皮肉が皮肉として受け取られないどころか逆に感謝されてしまうと、こちらとしては情け無さで完全に立つ瀬がなくなってしまう。あるいはこの『逆に感謝する』というのが、皮肉への新しい対抗策であるかも知れない。

 件の相手が意図してあのような返事をしてきたという可能性もあるわけだが、それまでの言動を眺めている限りはとてもそこまで頭の回る人物であるとは思えない。ゆえにあの言葉は誇張でこそあれ嘘ではないと思われる。甚だ迷惑な話である。

平成13年4月15日

geOShellが、どうもうまく動作して呉れません。日本語は出てゐますが。

平成13年4月15日

Windows Meはそんなに駄目ですか。うちでは、Windows 98 SEよりも、何か安定して動作しますが。

シェルを變へてゐますけれども。

平成13年4月15日

平成13年4月15日

どっちがヘンかは単なる多数決の問題だったんですねー、相対の世の中のはかなさを伝えるニュースでした。それにしても、妖精の時代になっても政治家の言うことは、のらりくらりしてますな(笑)2001.04.14 - ひよこニュース

のらりくらりは、妖精現実氏自身の事だらう。

ついでに言つておくが、キリスト教は絶對者を戴く宗教である。相對主義の世界に對する最大のアンチテーゼがキリスト教である。

平成13年4月15日

あるサイト(ないし聖典とか「権威ある本」)にAという思想が書いてあった。わたしはそのサイトのファンなので、書き手を信じて、ただちにAだと信じる。 → × (書き手はただの人間です)2001.04.15 - 当たり前のこと

この人は、どうしてそのサイトのファンとなつたのでせうか。書き手が先か、Aが先か。分類法以前のところで間違つてゐる。

先手を打つて、逃げようつたつて、さうはいかない。出たら目な事を言ふ奴は根本的に駄目。そもそも、豫め逃げを打つ根性が氣に食はない。何がだからその気持ちを信じてネ(はぁと)だ、ふざけやがつて、卑怯者めが。

何だかんだ言ひながら、妖精現実氏は結局、發言の責任を囘避してゐるだけぢやないか。この人の發言の嫌らしいのは、全部自分の利益となるやうに話を持つていきつつ、相手に恩を着せるところにある。


どうも妖精現実氏は、平素からお遊びがすぎるやうである。根つからふざけた性格をしてゐるに違ひない。輕佻浮薄は日本の「大衆」に共通する惡弊である。だから、日本の「大衆」は、信用出來ない。


「私は駄目な人間です」「私の言つてゐる事は絶對ではありません」と云ふ逃げ口上が、その人間の主張を正當化する事はあり得ないし、それ以上にその人間を立派にする事はあり得ない。また、「私の言ふ事を信じない」だから「あなたは立派」と云ふ論法は成立たない。さう云ふ論法で讀者を騙す(或は誑かす)のは「言論詐欺」。

一つだけ言へる事がある。イエス・キリストは、巫山戲た人間を絶對に愛さない。イエスは、自分(イエス)を本氣で信ずるか、本氣で憎むかする人間のみを愛する。

平成13年4月15日

酒井隆之・康之兄弟は、主宰してゐた同人誌「文芸への帰還」が分裂した時、分れていくメンバーを坊主にする(含む女性)等、やくざみたいな眞似を散々やらかしたと云ふ噂。

平成13年4月15日

生前の福田恆存さん宅から歸つて來た西部邁が、事務所で福田さんの惡口を言ひたい放題に言つて、周圍があきれてゐたと云ふ噂。

平成13年4月15日

Windows 9xの虚飾を引つぺがしてWindows 3.1並のGUIにするユーティリティはないものかね。

平成13年4月15日

この学校を爆破したらどれほどの「何か」が起きるのかなー、などとベンチに腰掛けながら考えてみた。

「何か」は雷で実体化ぢやなかつたつけ、と一瞬思つた駄目な私。

大學1年の頃から、クラスの連中と仲が惡かつたよな、と囘想。

平成13年4月14日

段落アンカーの「■」と似て非なるもの。

平成13年4月14日

平成13年4月14日

平成13年4月14日

M社から4箱目の荷物が屆いた。

平成13年4月14日

國際正義と國内正義は一致するか。清沢冽

平成13年4月14日

革新とは何だ。警視總監や、高官が始終かはることなのか。清沢冽

平成13年4月14日

日本人は經驗主義者だ。計畫的でない。清沢冽

平成13年4月14日

我等は生きるために、かう一日中働いてゐねばならぬものなのだらうか、誰もかれも。清沢冽

平成13年4月14日

英國はスペインの問題で佛國がイニシアチヴをとつたといつた。日本は自主外交が主張されると皆で喜ぶ。徳富蘇峰の如きも然り。清沢冽

平成13年4月14日

誰もかれも他人の頭で生きてゐる――誰かがやつてくれないかと考へる。清沢冽

平成13年4月14日

我々ヨーロッパ人は、いはば常にまづ「我」といふ形式によつて思考する。これに反し日本人は根本において常に「日本」といふ言葉において思考する。セルパン十月――ファンク

平成13年4月14日

モーラル・カレージの缺乏が最も日本の弱點だ。清沢冽

平成13年4月14日

日本の弱點はイタリアがさうであつたやうに、中産階級の下層部が常に動搖してゐることだ。今日は右に、明日は左に。清沢冽

平成13年4月14日

日本に保守黨が要る。その存在は國家を急激に動かさないために必要だ。しかし日本の保守黨は保守黨の役をつとめて居らぬ。それがチェックせねばならぬものをチェックして居らぬ。清沢冽

平成13年4月14日

皇室中心主義でなくてはならぬ。日本においては議會に諸勢力が現はれて居らぬ。そこで軍部と、官僚と、議會の勢力が相會する皇室が中心になることは當然だ。皇室を政治圈外に置きながら、そこでまとめようとするのは、始めから無理があつた。清沢冽

平成13年4月14日

左翼は理屈をつけすぎる。統べてを社會的根據に置きすぎる。二・二六事件も、その重大な原因は軍部の人事の行詰りだ。その後、庶政が一新されないで、人間だけが一新されたのでも分る。社會的でなかったから、社會的に爆発しなかつた。清沢冽

平成13年4月14日

日本人は何といふ疑ひ深さだらう。一つのことをいふと必らず裏面の動機をさぐる。清沢冽

平成13年4月14日

時勢をいふのは強いものに對する屈伏姿勢だ。清沢冽

平成13年4月14日

不平は考ふるべからず、考へても書くべからず、書いても發表すべからず、もし發表したらすぐ取消すべし――ロシアの諺。清沢冽

平成13年4月14日

日本の特點は附近に強國が居らぬことだ。しかしその危險は來て何人も調停に立たぬことだ。國際聯盟脱退はここに問題がある。清沢冽

平成13年4月14日

英國の新聞はリンドバーグのことを書かない。プライバシーを尊重するのだ。(新聞)清沢冽

平成13年4月14日

日本に對して、どこの國も攻勢になつたわけではない。非常時は日本が作つたものだ。清沢冽

平成13年4月14日

日本の選擧記事には解説が少しもない。清沢冽

平成13年4月14日

新聞を見よ。軍縮會議、若妻殺し、北支事件。そこに一つの獨立性があるか。清沢冽

平成13年4月14日

今囘の總選擧においても國民の眞要求といふものはどこにも出てゐない。これは信ずるところの出現と、政治行動とを全然別に考へてゐる證據だ。清沢冽

平成13年4月14日

何ていはうかと迷ふくらゐなら本音を吐く方がましだ。トウェーン

平成13年4月14日

西洋崇拜はいけないが、日本崇拜だつていけない。清沢冽

平成13年4月14日

間違つたことでも行動的ならいいといふ考へが深い。それが非常時だ。清沢冽

平成13年4月14日

外交論、政治論から感情を取り去れ。それが日本の國策を危ふくする。清沢冽

平成13年4月14日

日本人は樂觀論者だ。行きあたりバツタリは樂觀だ。清沢冽

平成13年4月14日

政黨の喧嘩は惡口を言ひあひ、軍人の喧嘩は殺しあふ。清沢冽

平成13年4月14日

西歐文明は日本にとつてはハーキュリーズの死を招いたネッサスのやうなもので、それを脱ぐには骨と身を引き裂かねばならないであらう。スタッダードの黄禍論

平成13年4月14日

Never explain ; never complain. Disraeri

平成13年4月14日

我等は今たよるものがない。われ等は議會主義者だ。しかし政友會にも民政黨にもゆけぬ。清沢冽

平成13年4月14日

感情の政治だ。内田鐵相が深夜、望月を訪うた。それに感激した望月は、更に岡田首相の訪問に感激した。そして審議會に入つた。政策はどこにあるのだ。清沢冽

平成13年4月14日

目的はいいが手段が惡いといふ。少年血盟團員もいつたし、警察部長會議でもそんなことが問題になつた。だがこの二つはそんなに別ちうるものなのか。目的が惡いといふことが世の中にありうるのか。清沢冽

平成13年4月14日

國防、外交の審議がいけないといふのはどういふことだ。實行ならともかくも。清沢冽

平成13年4月14日

内閣審議會において外交、國防を除くといふことも、この國が、その二つに不可侵的なものを感じて居るのが見られる。かれ等はそれを絶對なものだと心得てゐる。そこにかれ等の迷信がある。清沢冽

平成13年4月14日

議論するなかれ。汝の斷定を繰り返せ。ロバート・オーウェン

平成13年4月14日

日本主義をいふものも、禮服に裃をつけるものはない。自分に不便なものは採用しない。清沢冽

平成13年4月14日

權力に對する絶大の價値を置くからこそ、力で押へつけられても敗北だといふのだ。清沢冽

平成13年4月14日

久しぶりに相模原市内の書店參り。

『暗黒日記』
清沢冽著・復初文庫
『思想との對話10 文明のかたち』
吉川幸次郎著・講談社
『映畫藝術論』
今村太平著・創元文庫
『マキアヴェッリ語録』
塩野七生著・新潮文庫
『私の幸福論』
福田恆存著・高木書房

寓話館、恐るべし。BOOK OFF 相模原驛前店、侮るべからず。

「言葉 言葉 言葉」の閲覽者は清沢列の『暗黒日記』を讀む事。これは義務。讀者は、今の日本が、戰前の日本と酷似してゐる事實に、氣附くだらう。そして、將來の日本は、戰前の日本のパロディとなるだらう。

福田恆存の『總統いまだ死せず』も讀まねばならない。


新しいヘッドフォンを買つた。前の奴よりも、格段に音が良い。でもビクター製。

平成13年4月14日

平成13年4月14日

M社から荷物が3箱屆いてゐる。

平成13年4月14日

或特定の思想を徹底的に攻撃し、その思想を信ずるのは愚かだの惡い事だのと決めつけながら、「私の言ふ事を無闇に信じないで下さい」と言ふのは、不誠實だと思ふ。

「自由」と言ひながら、相手の自由を實質的に奪ふのは、自由主義者のする事ではない。自由主義者は、相手が自分に同意するか、反感を抱くか、の自由を認める。


ユダは、接吻(くちづけ)でイエスを賣つたのである。妖精現実氏は、接吻で自由を賣つてはゐないか。


日本語の文章は、詞のみでは、何も言ひ表はされた事にならない。日本語では、詞と辭の兩方があつて、はじめて何かを言ひ表はした文章となる。「自由」と云ふ語だけをぽんと放り出しても仕方がない。「自由」「自由」と言つても、それが、「自由にして下さい」なのか、「それは自由ですがね……」なのか、を、はつきりして貰はなければ、読者は困る。

平成13年4月14日

M女史の遺したものを読む。説明不足のためにろくな回答が得られないのを相手のせいにして逆ギレするという、コンピューター系に良くある話である。しかしなぜコンピューター系に多いのだろうか。コンピューターに関わる人々の性格がことごとくアレなのか、それとも正確な説明を必要とするということが、普段は気づかれないようなそれを白日の下に晒してしまうのだろうか。
ともかく、どうも大きな御世話になりましたという捨て台詞は素晴らしい。あの(笑)の使い方も実に絶妙だ。

コンピューター系に良くある話との事ですが、さうでせうか。「知識のない人間は、自分の知識の缺落を根據に、知識のある人間の發言を否定する」と云ふのは、一般的な事實ではないでせうか。

平成13年4月14日

2001-04-10

トレードオフ

アクア=エリアス冒険結果mac.comに残す為にHTML3.2ベースのHTMLファイルをHTML4Strict相当のモノに書き換えるPerlスクリプトを書いた。もともとプログラムの書出したものだから解析して書き換えるのにそんなに労力は必要無い。fontbiの組み合わせに従ってliclass付けしていく。

その作業をしながら思ったのだが、時々日記等で色やサイズを好き勝手に変えて表現している所があるのがなんだか羨ましかった。代換スタイルシートを指定しているとどうしてもemやらstrongやらclassやらに縛られた表現しか出来なくなる。その場で思い付くままにスタイルを指定してしまうとスタイルシート間で互換性がとれないからだ。互換性を保ったままでそう言う表現をしようとすれば一つ一つにidをつけてスタイルシート毎に適した指定をする必要がある。それはかなり面倒臭い作業だ。

スタイルシート間での互換性は無くなるが、タグ一つで色んなスタイルが指定出来て、それを文章のあちこちにちりばめられると言う表現の幅が、僕には魅力的に思える。

トレードオフと云ふ見出しがあるので、先刻承知の事なのでせうが、タグ一つで色んなスタイルが指定出来て、それを文章のあちこちにちりばめられると言う表現の幅魅力的に思えるのならば、何も無理して代替スタイルシートに拘はらないでもよろしいのではないでせうか。


「物理マークアップ」の「ホームページ」を基準に考へると、「論理構造と見映えの分離」なんてやつてゐられませんよ。infoseekがリニューアルする度に、泣きながらkotobaseekの記述を書換へてゐる私が言ふのですから、間違ひはありません。

無秩序で場當り的な表現には「物理マークアップ」は有效です。一方、サイト全體で一貫した表現を行ひたい場合、Cascading Style Sheetsによるスタイルの共用は有效です。そのどちらに魅力を感ずるかは個人の資質に據るのでせうが、今の時代、無秩序の方が好まれるのでせうかねえ。「無秩序こそが自由」と云ふ勘違ひが「常識」と化してゐますからねえ。

平成13年4月14日

アンカーを抜き出すUAとして私が想定したのは、あるリソース中に含まれるアンカー部分を抜き出して、索引的に利用するとかそういう事です。W3C信者と言うか、html原理主義者の脳内UAとしてよく知られる(?)見出し抜き出しUAと同じ様なものと考えてくれても構いません。

そんな、ありもしないUAを前提に話を進めるのも妙な話ですが、そこで拾った文字列に意味がないとが連続したりする訳です。a要素の内容が、リンク先を簡潔に説明する文字列であった場合なら、その内容を人間がある程度予測する事が可能となります。つまり、拾った文字列に意味がないと困るのはUAではなくて、人間と言う意味で書いたのですが、言葉足らずと言うか、文章構成力の欠如で伝わらなかったか……申し訳ありません。

見出し抜き出しUAですが、偽春菜のヘッドラインセンサがそれですね。

平成13年4月13日

スタイルシートに関していろいろ調べていて、リファレンスじゃなく、うまい具合いにレイアウトしている(と紹介されている)ページを見に行くと、こういうところだったりこういうところだったりする。確かにうまくスタイルシートでレイアウトしているとは思うけど、ページの内容が偏ってないか(^^;)? 「スタイルシートがすごいページ」でリンク集を作ったら、他の意味で通じるものができてたりして…。

できてゐるかも。

平成13年4月13日

きょうの森首相

記者
(森派の)小泉会長の派閥離脱についてはどのようにお考えですか。
首相
……。
記者
では、小泉さんが提唱している派閥解消については。
首相
……。

(4月10日午前9時47分、国会)

記者
歴史教科書問題で韓国が駐日大使を召還するようですが、どうお考えになりますか。
首相
何回言ったら分かるんだ。歩きながら話さないと言っているでしょ。

(午前9時49分、官邸)

記者
李登輝前総統の訪日問題ですが、ビザ(査証)を発給する用意はありますか。
首相
何度言ったらわかるんですか。
記者
お答えいただけませんか。
首相
……。

(午後0時すぎ 官邸)

對話になつてゐない。

平成13年4月13日

やつぱり、プロテスタントは胡散臭いね。

平成13年4月13日

水川書房ロボットと言う夢が「パクリ」呼ばはりされて消滅。

偽春菜關係のサイトがどこも「パクリ」呼ばはりされなかつたのとは對照的。

 まず、僕自信が「先行者」を初めて知った時期についてです。

 これは12月ごろでした。この時期、複数のニュースサイトで既に先行者は取り上げられています。

 次に、「侍魂」を知った時期に関してですが、これは特集を組んだ2日後でした。ReadMe読者の友人から教わりました。

 そして次に、黒バックであることに関してです。これはもう一つのサイトであるロボット中心ページ「テクノポリス出張所」のデザインをそのまま使っているだけであり、それ以上の意はありません。

 次に、最初のページのデザインです。これは落武者狩り様の仰る通り、造りなおした際、あえて侍魂を意識したデザインにしています。これは本文に出ているとおり、「有名になりすぎた」ので「先行者を解説する」のを主体としたコンテンツに変更したためです。その為にあえてあのスタイルをとらせて頂いたのですが、思慮不足であったと反省しています。


 以上の旨より、僕自身は「ロボットと言う夢」と言うコンテンツ自体には「侍魂のパクリ」と言うほどの問題点は無いとは思います。しかし、事実不愉快に思われている方が多数いる以上、一時的に消去します。また、ネット環境が復活し次第、以上の旨を「侍魂管理人=健様」にメールでお伝えし様と思います。ご多忙な方であられるので、気兼ねするところではありますが、そうするのが筋であると感じましたので。

ちやんと調べてあつて良い内容でしたけれども、人は内容を見ないんですねえ、見た目で判斷するんですねえ。

平成13年4月13日

平成13年4月13日

先行者ブームの立役者侍魂が愈々國際問題に(?)。

平成13年4月13日

うちのマウスパッドなんか、段ボールですよ、段ボール。

平成13年4月13日

言ひ譯でも何でもして自分の正當性を主張するのは、ただ默つて相手を馬鹿にしたやうな目で見つめるよりも、善い事だと私は思つてゐる。


私は「良い」と「善い」を使ひ分けてゐます。

平成13年4月13日

企業の「ホームページ」を制作してゐる下請が、HTMLの事なんぞ、理解してゐる譯がありません。彼等は「現場」の仕事で大忙しです。勉強をする暇などありません。


下請業者の「現場」の人間に下手な註文を出すのはやめませう。連中は屡々、何かを言はれると、居丈高に「何を偉さうに」と言ひ返す「やくざ」です。「現場」である事は連中の「誇り」です。理念なんぞ何一つわかつてゐなくとも、「現場」で働いてゐるのだから、それゆゑに自分達は偉い、と考へてゐるのが、下請の人間です。「現場」の仕事を批判すれば、それが如何に正しい批判であらうとも、批判をした人間は非道い目に遭はされます。ビジネスの世界では、手段は何であれ、相手を默らせた方が勝ちです。

勉強をない下請に、平然と仕事を頼むのが、大企業であり、お役所です。大企業も、お役所も、下請の質など氣にしません。大企業にせよ、お役所にせよ、擔當者がきちんと勉強をして、下請をきちんと管理して、ネットワークを組ませり、ウェブサイトを作らせたりする事は滅多にありません。

企業やお役所の人間も、下請も、「現場」で働いてゐるがゆゑに、屡々知的には怠惰となつてゐるのであります。互ひに互ひの「知的不誠實」に目を瞑らないと、仕事が成立しないのであります。世の中、怠惰で面倒くさがり屋の人間が威張つてゐるのであり、怠惰である事、面倒くさがり屋である事を批判されると、さう云ふ人間は怒り狂ふものです。怒り狂ってばかりでは、仕事になりませんから、お金の行つたり來たりする世界では、互ひが互ひを許し合ひます。そして、皆で「俺たちは勤勉だ」と言つて、自分達だけで納得してゐれば、仕事になるのです。

ビジネスの世界では、皆が「緩褌」にならないと、やつていけません。下請も企業やお役所も、「共犯關係」にあるのです。

もつとも、それゆゑに大企業もお役所も外部から叩かれる譯ですが、叩かれて當然と言へば當然です。叩いてゐる側も、叩くだけの事をやつてゐるのかと云ふと、さうでもないのですが、知的に怠惰な人間が、自分の行爲の正當性なんぞ、自分で檢證出來る筈がありません。自分の事は棚に上げ。


まあ、商人根性が精神の底邊まで巣食つてゐる連中に、意見をすると非道い目に遭ひます。普通の人は、さう云ふ「愚かな」眞似はやめませう。その代り、大企業だのお役所だのを目の敵にするのもやめませう。そしてみんな、駄目になれ。

日本はもうじき駄目になります。日本は金を儲けて、金の爲に滅ぶ。

平成13年4月13日

横槍。

それと、P要素のid属性じゃ、A要素のname属性の代わりにはならないでしょう。 そもそもPのid属性ってW3C的にすらHTML3.2まではなかった物ですし。 たとえそのドキュメントがHTML4.0xだとしても、今までのHTMLとの互換性は無視しても構わない、ってことにはならないかと。

HTMLとの互換性ではなくて、Usr Agentの互換性が問題なのではないでせうか。或は、「或HTML文書が從來のHTMLと互換性がある」と云ふ言ひ方は意味をなしません。

そして、User Agentの互換性の問題と云ふ點で言ふならば、P要素のid属性を用ゐる事は既に問題がありません。市場シェアの九割以上を占めるブラウザであるInternet Explorerで、P要素のid属性は扱へます。


また、現状のブラウザの制約のため、 href属性がないと圧倒的に使いにくくなってしまいますとの事ですが、「段落アンカーを使ふ」とは、一體どう云ふ事なのでせうか。

平成13年4月13日

もう吸血昆蟲が出て來てゐるよ。蚊だけれども。

平成13年4月12日

この本(『空想より科學へ」)が書かれてからすでに八十六年もの歳月がたつた。ビスマルクの鎭壓法にたへて、世界の最も進歩的な政黨として社會主義の將來のホープをになつてゐたあのときのドイツ社會民主黨も、いまは羽根打ちからしてしまつて、世界資本主義の侍女となつた。そのドイツではエンゲルスに笑殺されたデューリング君の亡靈がいま復活して「ドイツ經濟の奇蹟」の離陸に拍手をおくつてゐることと思ふ。エンゲルスはこのパンフレットの後段においてとくに力をいれてドイツ資本主義の帝國主義への轉化、その萌芽であるカルテルとトラストを論じてゐるが、その獨占資本は、今日いよいよ成長をとげてドイツ經濟の完全な主人公となつてゐる。かういふ現實を見て、社會主義は敗北した、マルクシズムのまちがひが證明されたといふ人がゐる。そこで今日の西ドイツにおいてはこの本も昔のやうには讀まれてゐないといふ話でもある。しかしメダルには裏がある。いまや世界資本主義はドイツの國境をのりこえて大きくなつてをる。同樣に、社會主義も、ベルリン、パリ、ロンドンのスラム街だけにあるのではない。既に、ソ聯、中國の支配の主軸となつた社會主義は世界のいたるところに、すなはち、モスクワと北京はもとより、東京にも大阪にも三池にもジャカルタにもカイロにも公然とその姿をあらはしてゐる。すなはち、エンゲルスの死後において、第一次、第二次の世界戰爭といふ巨大な歴史とその歸結とが、エンゲルスのいふところの「科學的社會主義の發展」の檢證としてわれわれの前にある。現代の讀者はさういふ事實をもつて、この本に對し、その辨證法を自ら檢證するであらう。そのとき、この本はいよいよそのかがやきを増すであらう。この本の上にある活字は昔もいまも變らぬが、その活字のもつ光りのルックスは歴史の檢證によつていよいよ大きくなつてゐる。そしてその光りはさらに反射して讀者の歴史の眼の光りとなるであらう。(以下畧)「譯者序」(『空想より科學へ』エンゲルス著・大内兵衞譯)

大内氏は戰後の東大に學閥を築き、東大經濟學部を左翼の巣窟とした「元兇」として、『惡魔の思想』(谷澤永一著)で批判された左翼學者。この「譯者序」の書かれたのは1966年3月の事である。

しかしメダルには裏がある式の詭辯は、左翼特有のものだが、未だに彼等はその手の論法を良く使ふ。彼等にとつて自らの「誤り」は、常に解釋によつて對外的に「正しい」ものに摩り替へられるべき對象である。共産主義に於て、「敵」に對して弱みを見せない事は、「イデオロギーを守る」と云ふ事を根據に、正當化される。

この「したたかさ」は一面、自由主義者も見習ふべきものと言へるだらう。政治に於ては、マキャベリズムが一番重要である。

それだけに、左翼の言ふ「歴史」には、注意しなければならない。普通の意味での歴史と、彼等の「歴史」との間には、意味の上で懸隔がある。同じ用語も、用ゐる人間の立場によつて、異る意味を持つのだが、自由主義に於る用語と、共産主義に於る用語は完全に對立する。

左翼の言ふ「歴史」だの「檢證」だのと云つた用語の背後には「共産主義史觀」がある。「共産主義は最後に勝利する」と云ふイデオロギーに基いた歴史觀である。共産主義ではイデオロギーに歴史は從屬する。共産主義或は左翼思想を正當化する爲に、右翼思想を機械的に否定する事は、共産主義の價値觀に於いては正常な行爲である。

そして、共産主義は、空想的な社會主義ではなくて、科學的な社會主義である。繰返すが、科學的なのである。彼等の言ふ「歴史」は、最終的に共産主義が勝利する必然論を前提とした「歴史」なのである。

平成13年4月12日

人の意見を全く聞入れない事は、人の意見を全て受容れる事と同じである。

平成13年4月12日

重要な布石。

平成13年4月12日

ひつくり返したパロディをさらにひつくり返されても。

平成13年4月12日

社會を結び合せるのは警官ではなくて普通の人間の善意なのだが、この善意はこれを支へる警官がゐなければ力を持ち得ない。ジョージ・オーウェル

平成13年4月12日

「先行者」關係のサイトが軒竝死んでゐるが、誰かが攻撃してゐるのか。

平成13年4月12日

Mozillaの表示フォントをビットマップフォントにすると、レンダリングがとんでもなく速くなる。

平成13年4月12日

やつぱり、ガンダムよりもヤマトですね、私の場合。

平成13年4月12日

ちなみに私が前提としているのは「見栄えが少なからず意味を持っていること」です。見栄えに意味がない、という立場をとるのであれば、ユーザスタイルシートを使えばいいだけなので、まったく問題はないと思います。ちなみに私は、書き手が特に宣言しない限りは、見栄え(書き手が意図的に指定した見栄え)には意味があると思います。そういう立場をとっています。一応書いておくのですが、他人に私と同じ立場を勧めるつもりはありません。私個人がそう思っている、というだけのことです。

以下の一聯の「論爭」について。

<音聲や文字の種類>としての表現が言語表現なのだから、音聲や文字の感性的な面は、言語表現ではなく、<概念にむすびついてゐる感性的な手がかりの模寫といふ、言語とは別な表現の系列>、すなはち非言語表現に屬してゐることになるのである。言語表現が超感性的な概念の表現それ自體による認識の表現であるのに對し、非言語表現は<概念にむすびついてゐる感性的な手がかり>の形式の變化、たとへば聲音字體の變化による認識の表現なのである。『言語過程説の研究』(川島正平著)109ページ

HTMLの所謂「論理構造」は言語表現に屬し、「見映え」は非言語表現に屬する、と私は見ますが如何。或は、兩者を同じ「意味」だと言つてしまふのは、混亂の元だと思ひますが如何。

平成13年4月12日

あなたは冗談の通じる人ですか、通じない人ですか。

平成13年4月12日

細かい部分をつつくのは良いけれども、さう云ふあなたの主張は全體として筋が通つてゐますか?

平成13年4月12日

結局LiteStepに戻してゐるし。

平成13年4月12日

geOShellに乘換へてみた。一應動いてゐますが、何が何やら。

平成13年4月11日

平成13年4月11日

LiteStepのヴァージョンを上げようとしたが、良くわからないので取敢へず0.24.5に戻す。

LiteStepを扱ふ日本語サイトの消長が激しい事實に氣附く。

平成13年4月11日

國家權力を警戒する人間が、權力者である政治家を笑ひものにするのは、どうしても解せない。權力者が駄目であればあるほど、彼等にとつてはありがたい事であるやうな氣がするのだが。どうして彼等は、駄目な政治家を駄目でなくしたいのだらうか。

平成13年4月11日

uso888は、未だに偉さう。自分が何樣だと思つてゐるんだらうか。ただの嘘吐きの癖に。ハンドルからしてuso888ぢやないか。uso888は、「自分は左翼ではない」と大嘘を言つてゐる。非道い嘘吐きだ。昭和史の語り部を騙るのはやめて貰ひたい。

JOHN VOIDも未だに、「南京大虐殺」と「南京事件」が同一だと信じてゐる。その癖、自分は「事實」を知りたいのだ、等と拔かしてゐる。正しい歴史の事實を知りたければ、正しく歴史用語を使へ。馬鹿。或は、歴史用語を故意に「誤用」してゐる時點で、JOHN VOIDは事實など知りたがってゐない、と云ふ事は明白。言葉の用ゐ方で、その人間の本心は明かである。それにしてもVOIDは、他人の「過失」を「罪」として告發するのが好きだね。自分の過失は許して欲しい癖に。

Bokujinは責任者の松井大将が責任をとって東京裁判で刑死というのは妥当な線でしょう。と言つてゐるが、その「責任」とは何の責任なのですか。或は、「東京裁判」で松井大將が問はれた「責任」と、あなたが言つてゐる「責任」とは、同じ意味ですか。好い加減な言ひ方をするものではありません。


歴史を論ずる手合に、言葉の「聯想ゲーム」を好む馬鹿が多いと云ふのは、嘆かはしい事だが、彼等の「ホームページ」のアクセス數が我が「言葉 言葉 言葉」よりも少いやうであると云ふのは、せめてもの慰めである。

平成13年4月11日

まあ、「ホロコースト」だの「大虐殺」だのと言つてゐる連中は、日本の「封建制」と西歐の「封建制」とがまるきり同じものだとでも思つてゐるのでせうな。ナチスのホロコーストが事實だから「南京大虐殺」も事實である、と信じてゐる連中の、何と多い事か。

「用語が同じなら、中身も同じ」と思つてはいけません。歴史學の落とし穴です。

平成13年4月11日

 以後、南京攻略作戦の司令官、松井石根大将が東京裁判のおりに語った言葉より。

「南京事件はお恥ずかしい限りです。・・・・私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは支那人に対してはもちろんだがロシア人に対しても俘虜の取扱、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのにあの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまったと。ところが、このあとみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。」

(自分も軍総司令官として、日露戦争の時とは違っていることをまるで理解していませんね。事態の原因が自分に有ることをまるで理解していない言葉です。)

この「松井大將の言葉」が屡々「南京大虐殺」の「證據」として擧げられるのだが、何處が「南京大虐殺」の證據なのだらう。松井大將は飽くまで「南京事件」に就いて語つてゐるだけであり、「南京大虐殺」に就いては一言も語つてゐない。

「捏造派」は屡々「南京事件」と「南京大虐殺」とを混同するが、兩者は同一のものであるのか。そもそも「南京事件」とは何か、「南京大虐殺」とは何か。歴史を論ずる人間は、定義もせずに、安直に用語を用ゐ、安易に似たやうな用語を同一視するが、それは危險である。

そして、「南京事件」が現地徴発に伴ふ現地軍の勝手な行動を指すのであるならば、松井大將の發言をまるで理解していませんね等と言つて斬つて捨てるやうな眞似は出來まい。しかし、さう言つて切つて捨てておきながら、その發言を恰も貴重な資料であるかのやうに扱ふのは、筋が通りません。

「捏造派」のやる事は、屡々筋が通つてゐません。それを「捏造派」は、認識すらしてゐないのですから、處置なしです。まあ、連中は「認識」等どうでも良い、と思つてゐるのですが。歴史とは即ち歴史認識である、と云ふ事を連中は理解してゐません。

平成13年4月11日

私は、「戰時中、日本軍は澤山間違ひを犯しただらう、しかし、大虐殺等と云ふ事はやらかしてはゐない」と言つてゐる。それだけの話なのに、なぜか「大虐殺捏造派」の人間は私の事を「大虐殺を否定する惡い奴だ」と言ふ。

平成13年4月11日

平成13年4月11日

 恐るべきことに、これらの文章は、本多勝一の論評全体の主旨や、同じ論評の中の他の部分の記述を完全に無視し、論点とされる記述の前後の文脈を削りとり、特定の部分だけを抜き出して、まるで本多勝一が「カンボジア大虐殺」を否定したようにデッチあげているわけです。

 そう、本多勝一愛読者であるみな様はもうおわかりですね。これはベトナム報道に対して、改竄をしてまで本多勝一を攻撃してきた文藝春秋社『諸君!』の手口となんら変わるものではありません

寧ろ、本多勝一本人の手口そのまま、と言ふべきだらう。

本多勝一が論評全体の主旨や、同じ論評の中の他の部分の記述を完全に無視し、論点とされる記述の前後の文脈を削りとり、特定の部分だけを抜き出して、「敵」を惡者に仕立て上げる遣り口を、そつくりそのままやり返されただけの話ではないかね。改竄をしてまで他人を攻撃するのは本多が得意とする手口ではないかね。

本多の汚い手口を、本多の信者は平然と眞似するが、その手口が本多自身や本多信者自身に向けられると、彼等は猛然と反撃をし、恥ぢない。異常である。

平成13年4月11日

『マルコ』廃刊をめぐる秀実との論争を見ていても、にはっきり問題点を指摘された途端に、ら論争をしかけながら相手の反論の掲載を意図的に遅らせ、挙げ句の果ては「この回答では、とても『論議の進展・深化』はできません」という捨て台詞を残して幕を引くという回じ手練手管が透けて見える。これを見ても同じだが、本多には昔から論議・争点を明確にするだけの「頭脳的資質」が欠けている。思考力に欠けているのである。従って、常に詰まるところ「見てきた」「行ってきた」「どっちに味方する」という子供じみた論拠しか出せないのである。

平成13年4月11日

やみくも 闇黒日記より

『南京大虐殺捏造論 13のウソ』

「捏造論に13個のウソがある」と言っている。

  1. 「東京裁判によるデッチ上げ」に対抗するための「『東京裁判によるデッチ上げ』説こそがデッチ上げ」説

これを嘘と言っている。つまり、 「『「東京裁判によるデッチ上げ」説こそがデッチ上げ』説はデッチ上げ」説

物事はひつくり返して考へるべし。

二回ひっくり返すと元に戻ります。

さらにもう一度ひつくり返すと「『「『東京裁判によるデッチ上げ』説こそがデッチ上げ」説はデッチ上げ』説はデッチ上げ説」となりますが。

一囘ひつくり返す事と、二囘以上ひつくり返す事とは、意味が違ふやうな氣がしますが。元に戻してどうするんですか。

平成13年4月11日

と言はれましても正字正かなは難しく、野嵜さんのテキストの引用部分へ lang="正字正假名-ja" を指定する事にして事無きを得てもよいですか。(笑)

そんなあなたに僞丸谷(謎無)。

平成13年4月11日

最近のMozilla BrowserのNightly Buildは、outsider reflexのアンカーをつつく度に、落ちる。

平成13年4月11日

金が絡むと、皆さん、目の色が變りますな。

平成13年4月11日

私の書いた文章からテキストをコピーして使つてゐる方がいらつしやいます。別にそれは構ひません。

ただ、略字略假名の文章の中に突然正字或は正かなのテキストが出現してゐるのを見ると、一瞬ぎよつとします。

私の書いたテキストを流用なさる方々へ御願ひします。よろしければ、全ての文書を正字正かなに改めて貰へませんか

平成13年4月11日

 先日リリースされたNetscape 6の正式版ですが、インストール時に何度もエラーが発生してどうにもならなかったのですが、昨日ようやくインストールすることができました。青に統一された画面を眺めながら、ボタンや設定をあれこれと構ってみたのですが、きっと私は一生使わないような機能も追加されていて、よく判らない部分もあったりします。(汗)

 まぁ、私の場合使い勝手は二の次(IE使いですから)で、早速自分のサイトの表示確認を行ってみたのですが……。どうもNetscape 6は、CSSで書いた「text-align:center」(つまりはセンタリング)がおかしく、テーブルだけがセンタリングされないと言う凶悪な動作(っちゅーか、動作してないんですよね)をしてくれます。

 これ、NC4.7までは問題なく動いていた(ちゃんと解釈していた)タグなんですが、Netscape 6になったらどうにも認識してくれません。試しに「text-align」以外のCSSを使わず、単純にテーブルだけをセンタリングさせようとしてもまったく動いてくれませんから、他 のタグとの絡みとかではなさそうです。(あ、もちろん"right"もダメです)

 しっかし「text-align」を使わずに、どうやってテーブルを動かせって言うんでしょう? 「margin」でなんとかするんでしょうか? 「float」でしょうか? それとも「position」を使えってことでしょうか? ホント、なんでこんなタグさえもまともに動かないんでしょう? それともNetscape 6にはテーブルを配置する特殊命令が存在するんでしょうか? 私の書き方が悪いんでしょうか? 使っちゃいけないんでしょうか? もー頼むってぇ……(涙)

 そんなわけで、現在ウチのページはNetscape 6で閲覧するとテーブルがセンタリングされません。おかげでトップページがエラク悲惨な状態になってますが、Netscape 6の為に書き直すのもイヤなので、しばらくはこのままにします。(誰か情報持ってませんかぁ?)

Netscape Communicator 4.7の擧動が誤りです。Netscape 6の擧動が正解です。 しっかし「text-align」を使わずに、どうやってテーブルを動かせって言うんでしょう? 「margin」でなんとかするんでしょうか? ッて、marginでやるに決つてゐます。ブロック要素を、どうしてtext-alignで動かせるのでせうか。

平成13年4月11日

平成13年4月11日

平成13年4月11日

平成13年4月11日

ほかに、Appearanceも要參照。

平成13年4月11日

まともになるやう制作者が苦勞してゐるらしい「ホームページ入門」。ただ、「とほほ」なところの記述を下敷きにしてゐるので、幾ら足掻いても無駄であるやうな氣が。

平成13年4月11日

平成13年4月11日

インターネットによる「情報化」というのは、じつは「情報発信の寡占(かせん:一部のメディアのひとりじめ)構造」の解体であって、「情報化」で情報産業が栄えるというより、むしろ情報産業の既得権があやうくなるへんがポイントかも……。情報を発信する権利についていえば、本質的では、ない理由(本質的にすぐれた発信者だから、というより、テレビや新聞の大会社を運営できるお金がある、という理由)からのひとりじめは、もうできず、個人サイトも大新聞社のサイトも、ともにワンクリックの距離になってしまったわけで、「内容そのものの勝負」の度合いが高まったと思います。で、やりとりされる情報も、ひとびとの思考も、内容が深く、また洗練されてゆくのでは、ないでしょうか。

2chを見ればわかる通り、インターネットで公開されてゐる「思考」は、程度も淺く、洗練されてゐないもの許りである。そして、匿名社會に自淨作用は働かないし、文章の内容など誰も氣にしないのが現代である。サイトの平均的なクオリティは今後、どんどん低下するに決つてゐる。洗練されたサイトは、氣違ひに叩かれるから、生殘れない。

平成13年4月11日

ネタの仕入元:Artemis☆ Side

平成13年4月11日

最近のMozilla BrowserのNightly Buildは、Dies iraeの讀込みをすぐに諦めて呉れる。何故だらう。

平成13年4月11日

アスキーを利用して関口氏に壓力をかけるのが許されるのならば、私はニッセイが2ch潰しにかかつたのを斷乎として支持する。

平成13年4月11日

私はユーザよりも企業の言ふ事の方が、多くの場合は正しいと思ふ。ユーザの意見が通るのは、多くの場合、聲が大きいからであり、必ずしも正しいからではない。企業が屡々謝るのは、「お客樣は神樣」だからであり、必ずしも間違つてゐるからではない。

「神樣」は屡々理不盡である。


「ユーザの立場」を強調する市民團體の御節介な「市民」がユーザ自身である事は滅多にない。ならば、その手の「市民」は嘘吐きである。私は「市民團體」を殆ど憎んでゐる。

或は、赤の他人の癖に、何で威張つて非難するか。何樣の積りかね。

平成13年4月11日

PC雜誌の編緝者がユーザの利益となる事以外の何も書いてはいけない、と云ふ法はない。

おまけに、雜誌の編輯者が雜誌以外で他人を批判する事は許されない、と云ふ法はない。


関口氏がサイトを休止し、コンテンツを削除してゐるが、殘念である。これでは「失言閣僚」と一緒である。

世間の人間は、以前の發言を撤囘した人間は負け犬だ、と見る。發言の眞僞を、世間の人間は氣にしない。ならば、ひたすら自己の意見に固執した方が勝ちなのである。

平成13年4月11日

匿名による誹謗・中傷を「言論の自由」と僞り、犯罪的書込みを肯定する東京都北区赤羽北2-31-16-1311在住の西村博之(090-9840-9821)は、自由主義の敵である。西村は自分のやつてゐる事がいかに犯罪的であるか、認識せよ。

西村博之は住所と電話番號を自ら公開してゐる。住所と電話番號を自分で公開してゐるのだから、そこにどのやうな形で「批判」が來ようとも、西村は何も言へない筈である。

西村は自分の掲示板で、誰かが他人のプライヴァシーを暴露する行爲を認めてゐるのだから、私が西村の住所と電話番號をここに書くのを禁止する權利がない。


犯罪的な人間の運營する掲示板で、匿名で他人を誹謗してゐる連中は、自分が犯罪者の仲間である事を否定する事が出來ない。2chで匿名で他人を誹謗してゐる人間を否定しない限り、そいつは犯罪者の仲間である。

そして、「笑ひ」で話を「相對化」しようとしても、そいつが犯罪的な人間である事には變りがない。或は、他人を笑つて相對化した氣になつてゐる人間は、自分のしてゐる事がごまかし以外の何物でもない事に氣附きたくないだけなのである。情けない自己欺瞞である。

平成13年4月11日

繰返し申し上げますが、そもそも、「闇黒日記」はおまけです。

平成13年4月11日

自己申告は、必ずしも當てになりません。

だから、自己辯護も當てになりません。

平成13年4月11日

関口氏とミヤザキ氏の「事件」について、幾つか言つておく。

ミヤザキ氏の最初の反應について

まづ、ミヤザキ氏が関口氏の事を「名譽毀損」で訴へる、と言つたのは、不當。なぜなら、ミヤザキ氏は関口氏の批判によつて、社會的な信用を失つた事を証明出來る筈がないからである。

具體的に社會的な信用を失つた事を証明出來なければ「名譽毀損」にならない。

「外野」の遣り口について。

「Mac雜誌の編輯者がアスキーと云ふ會社の權威を利用して個人ユーザを叩いた」と云ふデマを流した人間がゐる。関口氏の發言に、アスキーと云ふ會社の力を背景にしたものが存在してゐない事實を見れば、デマはデマである事が自明。寧ろ、このデマで「犯人」は、関口氏に壓力をかける爲、アスキーと云ふ會社の「ブランド」を「人質」にとつて、逆に利用してゐる。関口氏ではなく、「犯人」の側がアスキーと云ふ會社の名前を利用してゐたのである。

また、アスキーに「質問書」を送りつける、と云ふ事を言つた人間もゐたやうである。もちろん、外野の人間にさう云ふ事をしなければならない必然的な理由は存在しないから、彼等が「嫌がらせ」が目的でさう云ふ眞似をしようとしたのは明かである。

名譽毀損は親告罪であり、今囘の場合、ミヤザキ氏以外に訴へる權利のある人間はゐない。外野の人間が騷ぐのは、無意味な事である。或は、せいぜい関口氏に壓力をかける事位の意味しか存在しない。そして、言論に壓力をかけるのは、言論の自由を犯す事である。

また、もしかう云ふ惡質な「外野」の「いちやもん」をアスキーが眞に受けて、関口氏を解雇したら、勞働法違反である。從業員を、思想を根據に企業が解雇する事は出來ない。勤務時間中にインターネットで遊んでゐたり、掲示板を荒してゐたりした場合ならば話は別だが、関口氏は仕事を怠けてゐた譯ではないから、雇用者側に関口氏を解雇する理由がない。


「関口氏叩き」をした連中は、自分達の發言が不當である事、法的に無意味である事を自覺すべきである。そればかりか、自分達の行爲が犯罪的である事を認識すべきである。

人は、自分を批判すべき言葉で以て、他人を罵る。関口氏の「批判」を否定したいのならば、「外野」は自分達が批判できる立場にない事を反省し、默るべきである。


そもそも、誰一人法律を見ようともせず、ひたすらわあわあ言つて許りゐるのは、異常。日本は法治國家ではないらしい。

Valid HTML 4.01!
inserted by FC2 system