闇黒日記

平成13年3月10日

サポート擔當者の負擔許りが増えるやうな氣が。給料はどうせ据置なのである。


コスト削減で、ユーザが必ずしも幸せになれる譯ではない、と云ふのは常識だが、メーカの人間は確實に不幸せになる、と云ふ事實は意外と知られてゐない。


「ダウンサイジング」或は「IT革命」とは、今まで專門家がやつて呉れてゐた事をこれからは素人が自分でやれ、と云ふ事である。專門家は、のんびりしてゐては仕事を失ふし、より專門的になる爲、さらに勉強をしなければならない。素人は、實力がないのに勉強をして何とか技能を身につけなければやつていけない。

技術が進歩する事で、世の中はどんどん住みづらくなる。人間の頭は簡單に進歩しない。

平成13年3月10日

「闇黒日記」は今日更新してゐますが、昨日又は明日届くかも知れません。

平成13年3月10日

平成13年3月10日

醫者は言ふ、「これは嘘だ。だがこの嘘がないと民衆は生きていけないし、またこの嘘は歴史的に神聖化されてゐるのだから、いま直ちにこれを撲滅するのは危險だ。まあ幾分の修正を施すぐらゐのところで、當分は抛つておく方がいい。」天才は言ふ、「これは嘘だ。だから存在してはならぬ。」『チェホフの手帖』

平成13年3月10日

10日に買つて來た『歴史とはなにか』(岡田英弘著・文春新書)を讀む。

平成13年3月10日

人は一面の眞理を屡々すぐに否定する。相反する複數の「一面の眞理」を知つてバランスをとれば良い、とは思はない。困つた事である。

平成13年3月10日

日本人は、定義の話と、事實の話とを、常に混同する。

平成13年3月10日

日本は、なぜ日本と云ふ一つの國として纏まつてゐなければならないのか。よくよく考へてみると、不思議な事である。

平成13年3月10日

「あれ以外の何か」は、舊任意(Phase 40.01互換/SSP)系列と、新任意(inverse)系列とに分離するのかな?

いよいよ本家(何)そつくりに。

平成13年3月10日

と云ふか、あの「論爭」は、無斷リンク云々がテーマではないですよ。アンカーのコメントの是非がテーマですよ。>夜叉樣

平成13年3月10日

喜多氏 v.s. 野嵜の「論爭」が、やつと一部で話題になり始めたが、『キノの旅』を讀んでゐない、と云ふ「嘆き」の聲(?)が多數。何囘も「闇黒日記」で『キノの旅』の宣傳はした積りなのだが。

「2」方面でも當然話題にして呉れるものと期待。しかし結論はどうせ「喜多氏と野嵜は仲良く馬鹿」と云ふものになるのだらう。

平成13年3月10日

貴方のサイトを私色にの件。

  1. 基本的できちんとしたHTML文書の正しく表示された例。
  2. きちんとしてゐるけれども少し特殊なHTML文書でうまく表示出來ないところのある例。
  3. ダメなHTML文書なので見事に表示が崩れる例。

……と云ふ風に分類してスクリーンショットを入れたら如何でせうか。

なぜ、自分のサイトのスタイルで余所のサイトを見なければならないのか、が、かうすれば讀者に傳はり易くなるのではないでせうか。

平成13年3月10日

餘り知られてゐない事實だが、共産黨は實は「改憲派」である。旧帝國軍の復活となる方向での「改憲」よりは増しだ、と云ふ理由で、現在は「護憲」の立場を取つてゐるに過ぎない。

平成13年3月10日

σ(^^)は問題の「キノの旅」を読んでいないので論点の内容を云々する立場にないのでしゅが
気になったことを少々。

3月6日の最初と思われる喜多氏のメール(A)。それに対し喜多氏と同じロジックを使って反論を
展開している野嵜氏の文章(A')が続くでしゅ。
3月7日、2度目と思える喜多氏のメール(B)。それに対し喜多氏の文をいくつかに分けて反論を
している野嵜氏の文章(B')が続くでしゅ。

で…2度目と思える喜多氏のメール(B)には、恐らく野嵜氏が送ったであろうメールの文が
引用されてましゅ。

ところが、その引用文が「野嵜氏の文章(A')」に見当たらないんでしゅ。

ん?どういうこと?で…σ(^^)は考えましゅ。
野嵜氏は、喜多氏のメール(A)に対して、文章(A')とは異なった内容の返答(A'')を送っており
本来はその返答であるはずの喜多氏のメール(B)を、いくつかに分けて文章(B')で
反論してる…と想像しましゅ。その後の3月9日のやりとりも同様かと思ったりしましゅ。

もし、そうであるなら議論の方法として疑問を持ちましゅ。喜多氏のメールは、「闇黒日記に
書かれた野嵜氏の反論」に対するものではないことになるからでしゅ。

議論においては流れというものもありましゅ。Aに対しA’、A’に対しBと反論するという
ように…。時系列を無視したり何に対する反論か(A’)をあいまいにして「A」と「B」の
意見だけを流れから拔き出し分解して批判するのは『公平な議論の公開』という意味においては
違うと感じましゅ。議論の全体を示した上で個別の意見に異議をたてるべきなのでは思う次第。

「闇黒日記」以外のページにA'は存在するのか、σ(^^)が不注意で見落としてるのか…
そうであるならσ(^^)の早合点でしゅので何卒ご容赦くださいませませ。m(__)mはは〜

ほなほな

喜多氏とのやりとり 投稿者:とっつぁん  投稿日: 3月10日(土)02時46分39秒 @ 掲示板

と云ふ事で、喜多氏宛の最初の返信メールを追記

平成13年3月10日

正かなづかひの話。

「××づくめ」は誤りで「××ずくめ」が正しいのださうである。「づくし」は「盡し」で、「ずくめ」は「竦め」なのださうである。

『キライなことば勢揃い』(高島俊男著・文藝春秋)參照の事。

平成13年3月10日

ちなみに私は眼鏡フェチではない。その代り「眼鏡依存症」である。

生れてから今に至るまで、眼鏡をかけてゐない時間よりも、かけてゐる時間の方が長い。そのせゐか、眼鏡をかけられない状況に陷るのを、私は極度に恐れる。

平成13年3月10日

噂の『屈折リーベ』購入。

この漫畫を論ずる際には、篠菜が單なる眼鏡ッ娘ではなく、ショートカットだの「つるぺた」だのと云つた「屬性」を兼備へたフェティッシュなキャラクタである事を、無視してはならないと思ふ。個人的には、口の惡い暴力少女であるのがポイント高し。


眼鏡の話。

吾妻ひでおの影響をもろに受けた漫畫家ッて、案外ゐませんね?

平成13年3月10日

「餌食」の件。

掲載して下さつて全然問題は無いのですが、ただ、巧い事表示が出來てゐる畫像を出した方が良いのではないかと。

平成13年3月10日

珍しく、素朴な疑問。

東京は「とうきょう」と讀むのに、どうして京王は「けいおう」、京成は「けいせい」とよむのだらう。

東京+横濱で「けいひん」だよ。「わけわかめ」だよ。

平成13年3月9日

時雨沢氏がキノをああ云ふキャラクタとして描いたのは、讀者を驚かせる爲ではない、趣味に基いての事である。

真鍮の書」の作者である私が言ふのだから、間違ひはない。

平成13年3月9日

まあ、慥かに私も肝腎の事を書いてゐませんでしたからね。書評に必要なのは、愛だけではありません、憎しみも必要です

書評家は人間的な書評を書くべし。筆者が素顏をあらはさない文章は、讀んでも面白くないし、何より不潔である。

平成13年3月9日

何を今更。

發端。

平成13年3月9日

自己申告を眞に受ける馬鹿。

平成13年3月9日

「闇黒日記」が餌食に。と云ふか、HTMLの素材を日記から採つてはよろしくないのでは。日記は特殊なコンテンツですから。

「國語國字問題解説」の記事等ならば、増しな表示になるやうな氣が。

平成13年3月9日

喜多氏が書くであらう「水戸黄門」の要約。

越後の縮緬問屋の隱居「光衞門」が手代の助さん格さんを引連れて旅を續ける中で、樣々な町にたどりつき、いろいろな人々に出會ふ。その樣子を面白をかしく描いてゐた時代劇。

平成13年3月9日

續報。

野嵜健秀様へ。

前回のメールにて「私が喜多さんのメールを公開する事を、喜多さんは豫期していら
つしやるのでせうね」と書いてらっしゃったのが気になり、野嵜様の日記を読みまし
た。
私は「私信の公開はお断りします」と返答したにもかかわらず、全文掲載していらっ
しゃいますね。
非常識なお方であるなあと感じました。
また、日記にお書きになっている内容に関しても、いちいち指摘はしませんが、論点
をすりかえながら断定的な物言いで私を挑発しているように感じられました。とはい
え、ここまで拙文をご愛読いただいているということに関しては感謝の極みです。
なお、メールで要望を書くと「裏で手を回し、批判を封殺する」ことになるという解
釈は、私には理解できません。私は圧力をかけられるほど力はございませんし、まし
てや野嵜様が書いておいでのように「賣れっ子」の書評家でもございませんから。
先のメールにも書きましたが、私は野嵜様と論争するつもりはなく、ただ、リンクに
関して要望しているだけです。メールの返事として「喜多の要望にはこたえられない
」と書いて下さればそれですんだことなんですが。日記の論調を拝見すると私の要望
を受けていただける様子はなさそうですので、私としてはすみやかに要望を引き下げ
ることにいたします。
野嵜様のお書きになっている批判については、今後の文筆活動への糧としてお受けい
たします。
今後も、私の至らぬ点などをご指摘いただければ幸いです。
私の側からはこれ以上野嵜様に言うべきこともありませんので、ここらあたりで失礼
いたします。
それでは、季節がらご自愛下さい。

喜多哲士
tetsuji-kita@ma4.justnet.ne.jp
http://www4.justnet.ne.jp/~tetsuji-kita/

返信。

喜多樣

私の言ひたい事を全く御理解いただけなかつたやうで、誠に殘念です。

>前回のメールにて「私が喜多さんのメールを公開する事を、喜多さんは豫期していら
>つしやるのでせうね」と書いてらっしゃったのが気になり、野嵜様の日記を読みまし
>た。
>私は「私信の公開はお断りします」と返答したにもかかわらず、全文掲載していらっ
>しゃいますね。
>非常識なお方であるなあと感じました。

メールを送りつけていきなり「謝罪しろ」と言放つ事こそ、非常識極まる事だと思ひますが。

>また、日記にお書きになっている内容に関しても、いちいち指摘はしませんが、論点
>をすりかえながら断定的な物言いで私を挑発しているように感じられました。とはい
>え、ここまで拙文をご愛読いただいているということに関しては感謝の極みです。

なぜ「いちいち指摘」しないのですか?

出來ないからですね?

他人の批判を輕く受流すのが、書評家をやつて行くこつなのでせうか。

>なお、メールで要望を書くと「裏で手を回し、批判を封殺する」ことになるという解
>釈は、私には理解できません。私は圧力をかけられるほど力はございませんし、まし
>てや野嵜様が書いておいでのように「賣れっ子」の書評家でもございませんから。

要望では無かつたですね、あなたは「謝罪」を要求したのでしたね。

プロの書評家が「コメントを撤囘しろ」「謝罪しろ」と云ふメールを送りつける事は、圧力をかける事そのものである、と云ふ事實に喜多氏は氣附いてゐない。恐らく、氣附いてゐてとぼけてゐるのだらうが。
もちろん、喜多氏の事だから、意外と氣附いてゐないのかも知れない。喜多氏は、嫌みを言ふ才能はあるやうだが、文章に對する感覚は鈍いやうであるから。

>先のメールにも書きましたが、私は野嵜様と論争するつもりはなく、ただ、リンクに
>関して要望しているだけです。メールの返事として「喜多の要望にはこたえられない
>」と書いて下さればそれですんだことなんですが。日記の論調を拝見すると私の要望
>を受けていただける様子はなさそうですので、私としてはすみやかに要望を引き下げ
>ることにいたします。

嘘を書くのが「書評家」の仕事であるやうで、メールでも平然と嘘をつくのですね。 あなたは「謝罪の文章」を掲載しろ、と書いたではないですか。

ちなみに、私は喜多氏と論爭をする積りで、リンク集のコメントに「挑發的」な文章を書いた。私の意圖を、喜多氏が全く讀取れなかつたのは、殘念である。

或は、喜多氏には、文章を的確に讀み取る能力がないのか。だから頓珍漢なメールを送りつけて威張り返つてゐられるのか。

>野嵜様のお書きになっている批判については、今後の文筆活動への糧としてお受けい
>たします。

嘘をおつしやい。

>今後も、私の至らぬ点などをご指摘いただければ幸いです。

本氣で言つてゐるのですか?

私の側からはこれ以上野嵜様に言うべきこともありませんので、ここらあたりで失礼
>いたします。
>それでは、季節がらご自愛下さい。

ずいぶん失禮なご挨拶ですね。「季節がら」ですか。

もうすぐ春ですからねえ。

江戸つ子流に飜譯すると、今囘の顛末は以下のやうに要約されよう。

私は「あんたの言つてゐる事は間違つてゐる」と言つた。喜多氏は「何が間違ひだ、お前は馬鹿か。謝罪しろ」とメールを寄越した。私は「間違ひは間違ひだ」と言つた。喜多氏は「間違つてゐるのは、敢てやつた事なので、批判される筋合ひはない」と返答した。

それにしても喜多氏は、相變らず自分が「物書き」である自覺が無いやうである。公開の場で論爭を出來ないだなんて、喜多氏は何と腰拔けの「物書き」なのだらう。これだから喜多氏は「賣れっ子」の書評家にもなれないのである。


定義。

書評家
論理的な文章を書くのは苦手だが、嫌みつたらしい文章を書くのは得意な人種。

平成13年3月9日

どんな気違ひじみたことでも、大勢と一緒であれば、人々は自分は正常と信じながら、やつてのけます。(渡辺一夫・本巻45「狂」より)

『随筆名言集』

平成13年3月8日

平成13年3月8日

賢明な人間Aに謝罪を要求する人間Bは、Aよりも賢明でなければならない。

平成13年3月8日

入試で出題される國語の問題で、感性を問ふものは皆無である。國語の全ての問題は、文章に書かれてゐる事を的確に讀取る事によつて、正解を引出す事が可能である。

平成13年3月8日

平成13年3月7日

 ヴァン・ヴォクトというと、「宇宙船ーグル号」「スラン」「非Aの世界」「イシャーの武器店」ともうSF史上燦然と輝く作品が知られてるけれど、私はちょっとひねくれて「火星のネアンデルタール人」あたりの失敗作の方が印象深い。

『宇宙船ーグル号』です。

平成13年3月7日

あれれ。

論争は面白い。考え方も立場も異なる者が一つのテーマを軸にあれこれ意見を開陳し、様々な角度からそのテーマを見ていき、また掘り下げていくことができるからだ。但し、野暮な足の引っ張り合いはやめましょう。外部から野次馬的に見ている分には面白いが、最終的には全滅の危険性もある。というわけで、私は今回、ヤング・アダルト小説担当の書評家、特に伝奇アクションと架空戦記を中心に扱うものとしての立場から、また、ジャンルを問わず大衆文芸を愛する者として、ささやかな一石を投じたいと思う。

こんな事を書いた人が、私は野嵜様と言い争いをしたいとは思っておりませんし、それを公にしてもさして意味はないでしょう。などと言ふんだ。

平成13年3月7日

私見だが、大阪辯は「東京語」に比べて、文章語として成熟してゐないのではないか。

平成13年3月7日

「論爭は嫌」と言ふ人に限つて、強引に自分の意見を押通さうとするのは、どう云ふ譯なのだらう。

恐らく、論爭すると負けるからなのだらうが。

平成13年3月7日

平成13年3月7日

恐らく「闇黒日記」の讀者は、私と喜多氏の「論爭」に關して、見て見ぬ振りをする事だらう。

平成13年3月7日

續報。

野嵜健秀様へ。
お返事をありがとうございます。
喜多哲士です。

>私は、喜多さんが「少年」と書いた意圖が全くわかりませんでした。
>意圖があるのならば、はつきり書くのが、文士の義務です。
>意圖を説明する勞を省き、「讀み取れないのは讀者が馬鹿だからだ」と言張るのは
、
>傲慢です。

なぜ私が意識的に「少年」と書いたかを御理解いただけないのは、寂しい限りです。
わかりやすく説明しましょう。「キノの旅」という作品では、物語の当初は主人公の
性別がわからないように、いや、イラストも含めて「少年」とミスディレクションす
るように書かれていると感じました。終盤で主人公の性別を明らかにすることにより
、読者に驚きを与える意図があったと感じました。
ならば、その感想を書く際に種明かしをしてはいけない、それよりも作者の意図を尊
重するならばあえて「少年」と書いた方がよいのではないかと、熟考の末にそういっ
た結論に達しました。
その理由をくだくだしく書いたのではわざわざ「少年」と表記した意味がありません
。
また、「讀み取れないのは讀者が馬鹿だからだ」などとは一切思っておりませんし、
そんなことを書いたことは一度もありません。野嵜様は相当想像力の豊かな方とお見
受けいたしました。

>私は喜多さんを非難する意圖で、ああ云ふ紹介の文章を書きました。
>喜多さんは、作品を理解してゐません。
>喜多さんの「書評」に愛情が感じられない事は、はつきりわかつてゐます。

このことに対しては私は野嵜様のことを失礼な方だと判断せざるをえません。なぜ、
メールなり、私の掲示板に書き込むなりの対応をなさらず、私の目にふれるかどうか
定かでないご自分のリンク集にそのような文章をお書きになったのでしょうか。私を
非難するなら、もっと正々堂々とおやりなさい。
私が作品を理解していないか、野嵜様が作品を理解していないか、どちらも作品を理
解していないか、断言できるものではないと思います。同じ作品でも、読み手によっ
て受け取り方が違うのは当然のことではないでしょうか。
私の「書評」に愛情が感じられないと「はつきりわかつて」いるのはもしかしたら野
嵜様だけかもしれませんよ。少なくとも私が個人的に作家の方からいただくメールに
は「ご指摘の通りです」というものがほとんどです。私が真摯に作品に対して向き合
っているからこそ、そういった反応が返ってくるものだ私自身は受け止めています。
ここをこうしたらもっとよくなる、ここまで書いていてあと一息で息切れしてしまっ
ているのは残念だ、だから、次作こそはもっとよいものを書いてほしい。その気持ち
がああいう書き方になるのです。作品世界を盲目的に受け入れることが作品への愛情
だとは思っておりません。
そこを御理解いただけないのは非常に残念です。

>なほ、喜多さんは、メールで「公開するな」と書いていらつしやいません。
>私が喜多さんのメールを公開する事を、喜多さんは豫期していらつしやるのでせう
ね。

全く予期しておりませんでした。メールはあくまで私信です。私信を無断で公開する
こと自体、非常識ではないでしょうか。私は日記でメールを引用する時は、必ずお相
手の了解を得てからにしています。当然のことです。「公開するな」と書こうが書く
まいが、メールを相手の了解もなしに公開するつもりでいらっしゃる野嵜様には、正
直なところ驚いております。
私のメールを公開する必要はないでしょう。それよりも野嵜様が「リンクしました」
というメールを下さらず、こそこそと非難している姿勢に問題があると思っておりま
すから。
礼儀知らずもたいがいにしていただきたいものです。

このお返事で野嵜様のお人柄をほぼ理解できたような気がいたします。あとはお好き
にして下さい。ただし、私信を公開することに関しては、お断りいたします。私は野
嵜様と言い争いをしたいとは思っておりませんし、それを公にしてもさして意味はな
いでしょう。
私の要望を一点に絞ります。日記などでどのような批判をしていただてもけっこうで
すが、リンク集のサイト紹介文で一方的な非難を書くようなことだけはやめていただ
きたい。失礼であり、非常識であります。あなたが私の書くものに嫌悪感があるのな
らば、リンク集から外していただきたい。
私はそれ以上の要求はいたしませんし、おそらく平行線をたどるであろうと推測され
るやりとりを続けたくはありませんから。
なお、リンク集から外された、または紹介文を書き換えた旨、御一報いただければあ
りがたく思います。

それでは、失礼いたします。


喜多哲士
tetsuji-kita@ma4.justnet.ne.jp
http://www4.justnet.ne.jp/~tetsuji-kita/

なぜ私が意識的に「少年」と書いたかを御理解いただけないのは、寂しい限りです。わかりやすく説明しましょう。「キノの旅」という作品では、物語の当初は主人公の性別がわからないように、いや、イラストも含めて「少年」とミスディレクションするように書かれていると感じました。終盤で主人公の性別を明らかにすることにより、読者に驚きを与える意図があったと感じました。

ならば、その感想を書く際に種明かしをしてはいけない、それよりも作者の意図を尊重するならばあえて「少年」と書いた方がよいのではないかと、熟考の末にそういった結論に達しました。

餘りにも豫想通りの囘答。

 キノという少年と、人と会話のできる自動二輪車エルメスが旅を続ける中で、様々な町にたどりつき、いろいろな人々に出会う。その様子を淡々と描いていた連作長編。

キノの性別を匿すのは、筆者の第一の目的ではありません。ですから、書評でキノの性別が「ばらされてゐた」からと言つて、その書評の讀者は怒りません。それなのに、惡魔できのと云ふキャラクタにのみ的を絞つて、「感想」だかなんだか知りませんが、書評を書くのは間違つてゐます。

また、推理小説で、犯人がAである場合、その感想を書く際に種明かしをしてはいけないからと言つて、「犯人はBである」などと書く事は、許されますか。喜多氏は勘違ひしてゐます。

百歩讓つて、性別を匿すべきだと言ふのなら、「主人公キノは、人と会話のできる自動二輪車エルメスと旅を続ける中で云々」と書けばよろしい。わざわざ嘘を書く(そして、讀者を騙す)必要は全然ありません。

このことに対しては私は野嵜様のことを失礼な方だと判断せざるをえません。なぜ、メールなり、私の掲示板に書き込むなりの対応をなさらず、私の目にふれるかどうか定かでないご自分のリンク集にそのような文章をお書きになったのでしょうか。私を非難するなら、もっと正々堂々とおやりなさい。

私がウェブと云ふ衆人環視の場で意見を發表してゐると云ふのに、メールなんぞで蔭から手をまはさうとした喜多氏こそ、物書き失格であると言はざるを得ません。或は、喜多氏は、『僕のを吸わないで』の感想で、かう書きました。

散々な書き方をしたけれど、作者よりも出版社に対して言いたい。この作者はまだまだ作家デビューするほどの力量を備えていない。センスはなくはないが、もっともっと力をつけてからデビューさせるべきだろう。この話がこうやって本になったことは本人のためにはならないのではないだろうか。まだまだ若い。そんなに急ぐ必要はない。安易に賞を乱発すべきではないと思う。

どうして喜多氏は、出版社の人間や、阿智氏のデビューにかかはつた人間に直接文句を言はなかつたのですか。どうして喜多氏は、關係者の目に觸れるかどうか定かでない、御自分のサイトでこのやうな文章をお書きになつたのですか。私はまさにその「關係者」です。喜多氏は、阿智氏の作品の感想で、スタッフを非難した事を私に報告しませんでした。

喜多氏には、私を非難するなら、もっと正々堂々とおやりなさい、などと言ふ資格がありません。喜多氏自身が、喜多氏の定義する處の「正々堂々」とした態度をとつてゐないからです。喜多氏は、自分の頭の蝿を追へ。

私の「書評」に愛情が感じられないと「はつきりわかつて」いるのはもしかしたら野嵜様だけかもしれませんよ。少なくとも私が個人的に作家の方からいただくメールには「ご指摘の通りです」というものがほとんどです。私が真摯に作品に対して向き合っているからこそ、そういった反応が返ってくるものだ私自身は受け止めています。

それこそ、喜多氏だけが受け止めてゐるだけの事かも知れませんよ。

全く予期しておりませんでした。メールはあくまで私信です。私信を無断で公開すること自体、非常識ではないでしょうか。私は日記でメールを引用する時は、必ずお相手の了解を得てからにしています。当然のことです。「公開するな」と書こうが書くまいが、メールを相手の了解もなしに公開するつもりでいらっしゃる野嵜様には、正直なところ驚いております。

私のメールを公開する必要はないでしょう。それよりも野嵜様が「リンクしました」というメールを下さらず、こそこそと非難している姿勢に問題があると思っておりますから。礼儀知らずもたいがいにしていただきたいものです。

私こそ、喜多氏の身勝手な「解釋」に唖然としてをります。喜多氏は、私のサイトを少しでも見てまはつたのでせうか。「闇黒日記」の過去ログや、その他のリソースを少しでも見てまはつたのでしたら、私が自分に向けられた批判に對して、どのやうな態度を取つてゐるかが、おわかりになつたでせうに。

そもそも、メールに就いてリンクに關しての二つの文章を、喜多氏は御讀みになつたのでせうか。書評家が、人の文章を讀まずにケチをつけるだなんて、笑止千萬。ふざけるのはお止し下さい。

このお返事で野嵜様のお人柄をほぼ理解できたような気がいたします。あとはお好きにして下さい。ただし、私信を公開することに関しては、お断りいたします。私は野嵜様と言い争いをしたいとは思っておりませんし、それを公にしてもさして意味はないでしょう。

私など、喜多氏の文章を讀んだ時點で、こいつは書評家失格だな、と理解してをりました。大體、批評に禮儀も糞もないでせうに。他人に批判されたくなかつたら、文章を書いて公表したりするのは止せば良いのです。

喜多氏が、他人からは襃められたい、批判は絶對に受付けない、と云ふ、自己中心的な人物である事を、私は疑ひません。

私の要望を一点に絞ります。日記などでどのような批判をしていただてもけっこうですが、リンク集のサイト紹介文で一方的な非難を書くようなことだけはやめていただきたい。失礼であり、非常識であります。あなたが私の書くものに嫌悪感があるのならば、リンク集から外していただきたい。

私はそれ以上の要求はいたしませんし、おそらく平行線をたどるであろうと推測されるやりとりを続けたくはありませんから。

なお、リンク集から外された、または紹介文を書き換えた旨、御一報いただければありがたく思います。

私は喜多氏に、「感想」と稱して偉さうに、作家や編集者にお説教を垂れるのはやめていただきたい、と言ひたいですね。失禮であり、非常識であります。大體「俺の書いてゐるのは書評ではない、感想だ、だから反論不可」と云ふ姿勢が卑劣です。


喜多氏へ。あなたが私のリンク集のコメントに嫌惡感を感じたとしたら、私は喜多氏の文章に嫌惡感を感じてゐるのだ。なんであなたは、裏から手をまはして、自分に對する惡い評判を世間から隱匿しようとするのだ。あなたは物書きだらう。物書きなら、「私信」で脅しをかけるのでなく、正々堂々と公開の場で反論すればよろしからう。

あなたは物書きだらう。

平成13年3月6日

そもそも「■平成日本語ローマ字論」がローマ字で書かれてないじゃん…(笑 σ(^^)も読んだお〜 投稿者:とっつぁん  投稿日: 3月 5日(月)02時48分35秒

御久しぶりです。相變らず、急所を衝いたコメントで。

「■平成日本語ローマ字論」は、私が筆者に代はつて、ローマ字文に譯してやりませうかね。


正かな派で『お言葉ですが…』の筆者である高島俊男氏も、漢字とかなの書き分けに關して、ローマ字論者と同じやうな事をするので、時々私は困惑します。

平成13年3月6日

私は追ひ越された(かも知れない)。

平成13年3月6日

 排他的な宗教は私も嫌いです。私も、こんな文化遺産破壊するような宗教よりは八百万の神の方が好きだし、豚だって牛だって食える宗教がいい。絶対神とか唯一の神とかいう考え方が、そもそも自分の趣味に合わない。このイスラム教だけでなく、キリスト教だって唯一神の宗教だよねぇ。

さう云ふ態度は、イスラム教やキリスト教に對して排他的ではないでせうか。


人は、一番言はれたくない言葉で以て、他人を罵る。

平成13年3月6日

私は書評が大嫌ひである。紋切型を組合せただけの、下らないものしか存在しないからである。

喜多氏の「書評」も、例外ではない。


80年代末から90年代初頭にかけて、SFの書評を澤山讀んで、私はSFに絶望した。


大森望氏の「煽り」氣味の文章は、當時、唯一「讀める」ものだつた。

平成13年3月6日

有償サポートはお金というつながりがあるためユーザーとしても確実な回答を要望されますしサポート側でも確実な回答を出すよう努力しなければいけません(回答出せない場合はサポート費用を返金、となるわけです)。しかし、無償サポートだとユーザーが「わかってもわかんなくてもいいから」とサポートに質問投げることもあれば、サポート側が回答しても問題解決したかしないかわからないまま質問が自然消滅ということが日常茶飯事だったり。「お金」「気持ち」...ユーザーと作者/サポートをつなぐものは何であれ、つなぐものがなければお互いが空回りするだけ。そして空回りが増えている気がするいろいろなオンラインソフトの近況。それが筆者の気のせいかもしれない不安の原因と思います。

實を言ふと、私は商用アプリケーションとオンラインソフトとを差別しない。そして、商用アプリケーションでも、オンラインソフトでも、惡い態度をとるユーザの數はどんどん増えてゐると思ふ。

国産オンラインソフトの灯が危ない?と、PCTNTのardryさんは書いてゐる。しかし私は、商用アプリケーションもオンラインソフトも、先は長くないと見てゐる。

平成13年3月6日

私は正則と云ふこと、正しいと云ふことを認めて置きたいのであります。假名遣意見

平成13年3月6日

「正しいHTML」が全然流行ってないのは一般ユーザーにとって有用でない言語だから。「ダメなHTML」が巷に溢れてるのは一般ユーザーの怠慢でも、マスコミがウソを教えたからでもないと思います。

ちよんまげが江戸時代に流行したのは、有用だつたからでせうか。

上げ底厚底サンダルが流行したのは、有用だつたからでせうか。


大流行に流行つた渡辺淳一の『失楽園』よりは、今時全然流行らないミルトンの『失樂園』の方が、よつぽど有益でせう。

平成13年3月6日

あとレイアウトを整えるためにスタイルシートなるものがあるみたいですが、一般の人は使う必要ないと思います。実際、あれでレイアウトを整えてるページは少ないです。テーブルで十分じゃないでしょうか?僕は最初に大まかなレイアウトをテーブルで整えて、細かい部分はテーブルの入れ子を作っています。更新しやすいし。

tableッて、更新しやすい、ですか。異常なまでにメンテナンスしづらい、と云ふのが實感ですが。

私が唯一天才漫畫家だと認める真柴ひろみさんの著作リスト。テーブルを使つたものだから、「Birthday」と「ウィズ」をどうやつて追加しようかと三箇月くらゐ惱んだものです。

tableで眞似出來るものなら、してごらん。

平成13年3月6日

昔々、日本では税金をちやんと一定額以上拂つてゐれば、選擧權を持てました。

逆に、税金を拂はなければ、選擧權を持てませんでした。


「ケチ」と云ふ極めて常識的な價値觀を持つてゐた我等が御先祖樣は、選擧權を持たうとしませんでした。

平成13年3月6日

物書きに求められる唯一の資質とは、正直である事、である。

平成13年3月6日

「從軍慰安婦は性奴隷だ」と言つて、半世紀前の日本人を非難する連中は全員僞善者である。

歌舞伎町には今も「性奴隷」が澤山ゐる。僞善者諸君は、斯る現實を看過して耻ぢない。

平成13年3月6日

返信したメールの内容。

喜多哲士樣

「言葉 言葉 言葉」「kotobaseek」の野嵜です。
はじめまして。

私は、喜多さんが「少年」と書いた意圖が全くわかりませんでした。
意圖があるのならば、はつきり書くのが、文士の義務です。
意圖を説明する勞を省き、「讀み取れないのは讀者が馬鹿だからだ」と言張るのは、
傲慢です。

私は喜多さんを非難する意圖で、ああ云ふ紹介の文章を書きました。
喜多さんは、作品を理解してゐません。
喜多さんの「書評」に愛情が感じられない事は、はつきりわかつてゐます。


なほ、喜多さんは、メールで「公開するな」と書いていらつしやいません。
私が喜多さんのメールを公開する事を、喜多さんは豫期していらつしやるのでせうね。

それでは。

平成13年3月6日

kotobaseekのコメントについて、以下のやうなメールが届く。私は向かう見ずで喧嘩ッ早いから、黒衣氏のやうにすぐに自分の意見を引つ込めたりはしない。

野嵜健秀様へ。

はじめまして。
喜多哲士と申します。
私の名前はご存知だと思います。なぜならば、野嵜様のサイトのリンク集でしつこく
私が書いた「キノの旅」の感想文の内容を引用しておられますからね。
野嵜様は「言葉言葉言葉」というサイトを開設しておられるのですから、読解力がな
いとは思われません。したがって、私が「キノの旅」の感想文で敢えてキノを「少年
」と表記した理由は御理解いただけるものと信じております。キノの性別が実は女性
であることははっきりと作品の中で書かれておりますから、私も当然承知しておりま
す。しかし、私は「少年」とわざわざ書きました。
その理由は賢明な野嵜様ならばおわかりのことと存じます。
作品に対する愛情からであることは申すまでもありません。
それがおわかりであるはずなのに「愛のない書評はいけません」などと大嘘を書かれ
る理由がわかりません。
その上でリンク集にまるで私が作品を理解していないと思わせるような紹介文を書い
ていらっしゃる理由が私にはつかめません。
また、野嵜様が悪意をもって私のページにリンクをはってらっしゃるのであるならば
、私としては不本意ながらリンクを停止していただきたいのです。
私は野嵜様がリンク集を作っていらっしゃる理由をはかりかねています。あなたの作
成していらっしゃるリンク集の目的はなんなのでしょうか。
これ以上放置しておくと、誤解を招くこともあり得ますので、もし悪意があるのであ
れば、即刻リンクを停止していただきたいと思います。
リンクはフリーとしておりますが、できれば御一報いただきたい。それもできずにあ
のような紹介文を書いていらっしゃるということに対して、無礼な行為であると感じ
た次第です。

ところで、まさか、野嵜様は私がキノをあえて「少年」と表記したことに気がついて
ないということはありませんよね。私が小説に書かれていることを読み飛ばしてあの
ように書いたと真剣に考えておられるわけではありませんよね。
もし、そうなのであれば、自分の不明を恥じ、謝罪の文書をリンク集の紹介文に載せ
るくらいのことをしても罰は当たりますまい。

以上、私の要望です。野嵜様が迅速に善処していただくことを信じております。



喜多哲士
tetsuji-kita@ma4.justnet.ne.jp
http://www4.justnet.ne.jp/~tetsuji-kita/

喜多さんは、私の愛のない書評はいけませんと云ふコメントを讀んで、メールを送つたのだから、讀解力がないとは思はれません。從つて、私が不許可ですと書いた理由は御理解いただけるものと信じてをります。

その理由は、賢明な喜多さんならばおわかりの事と存じます。

喜多さんは作家の「頭越し」に編緝者の惡口を言つてゐるのですから、作家を馬鹿にしてゐる事は明かであり、自分の書評には愛がある、と主張なさる喜多さんの意圖がわかりません。

その上、私が喜多さんを非難してゐる事はわかり切つてゐるのに、すつとぼけて脅迫めいたメールを送りつけるとは、どう云ふ事なのでせうか。

喜多さんが惡意からかかるメールを送りつけた事は明かですが、かう云ふ婉曲で嫌みな文章を喜多さんが常にお書きになるのであれば、私としては不本意ながら、喜多さんには「書評家」を廢業していただきたいのです。

喜多さんはSFマガジンその他の紙上で「活躍」する「賣つ子」であり、私は「どこの馬の骨」でしかありません。しかしながら、知名度を背景に、無名の人間を脅しつけるやうな眞似をするのは、無禮である以上に、傲慢な態度であると言はざるを得ません。

ところで、まさか喜多さんは、私が喜多さんの書評をあへて愛のない書評だと評した事に氣がついてゐないと云ふ事はありませんよね。私が喜多さんのサイトに書かれてゐる事を讀み飛ばしてあのやうに書いたと眞劍に考へてをられる譯ではありませんよね。

もしさうなのであれば、自分の傲慢を恥ぢ、書評をやめ、堅氣の人間になるくらゐの事をしても、罰は當りますまい。


物事を判然り書かず、讀者に行間を讀む事を要求する――そんな書評家は要らない。さう云ふ「高度な文章の讀み方」を出來る讀者がゐたとしたら、そもそも書評など全く不要である。

必要な説明をしないのは、筆者が無能だからである。或は、怠慢だからである。


ついでに言つておくが、著者に默つて書評をする人間に、「リンクする際に報告しないのは無禮」と言ふ權利はない。或は、私にかかるメールを送る喜多氏は、書評をする際、必ず全ての作家に承諾を取つてゐるのだらう。あきれた「書評家」である。

平成13年3月5日

大戸島さんごの誕生日。

おめでたう!

平成13年3月5日

「笑わぬでもなし」は雑誌「諸君!」にしばらく連載して、今も連載中のコラムである。「諸君!」はまじめいっぽうの雑誌だから、すこしは笑いをと願って「笑わぬでもなし」と題した。『笑わぬでもなし』あとがき(山本夏彦)

「言葉 言葉 言葉」も、眞面目一方では困るから、「闇黒日記」では笑ひを採入れてゐる。ありがたい事に、たまに笑つて呉れる讀者がゐて、私は安心する。

平成13年3月4日

「廣辭苑」は民主主義を「人民が權力を所有し、權力を自ら行使する立場」と定義してゐる。が、この定義では民主主義の何たるかはたうてい理解出來ない。多數の「人民が權力を所有」するなどといふ事はあり得ないし、不特定多數が「自ら」事をなす事も無い。知的に怠惰ならざる日本人なら必ずさう考へる。私が所持する最も大部の國語辭典は「日本國語大辭典」だが、それには「政治の原理や形態についてだけでなく、社會集團の諸活動のあり方や人間の生活態度についてもいふ」と記されてゐる。産經の特派員は「民主的」といふ言葉を「社會集團の諸活動のあり方」もしくはクリントンの「生活態度について」用ゐた譯だが、それは誤用であつて、「オックスフォード英語辭典」にもさういふ定義は載つてゐない。「廣辭苑」よりも小型の「ロングマン現代英語辭典」も引いたが、そこには「選出された人民の代表による統治」と簡潔かつ適切に定義されてあつて、やはり「人間の生活態度について」も用ゐるなどとは記されてゐなかつた。辭書は須く「保守的」であるべきで、輕々に流行語や誤用を輯録すべきではない。嘘を吐いたり、親友を裏切つたり、若い女と「不適切な關係」に陷つたりするのは道徳的な問題であつて、それと民主主義なる政治的な問題との間には何の關係も無い。北朝鮮は民主主義國ではないが、孝子もゐれば女誑しもゐるに決つてゐる。「保守とは何か」第一囘(松原正)

平成13年3月4日

「日本國憲法」で、憲法尊重擁護の義務が課せられてゐるのは、天皇又は攝政及び國務大臣、國會議員、裁判官その他の公務員だけです。第99條

平成13年3月4日

  1. 「(笑)」「(嘲笑)」の親戚か。
  2. 知性或は教養の無い人間が他人を嘲笑する意圖で用ゐてゐるものと思はれる謎の表現。他人を馬鹿にする資格もないやうな人間の用ゐる表現だけに、その眞の意圖は不明。同義語:「ププ」
  3. きつい表現を誤魔化す為の表現であると云ふ説もある。
  4. いづれにせよ鬱陶しいと云ふ點では識者(誰)の意見は一致する。

平成13年3月4日

選挙権を持つまでは「国民」でさえないわけだし。国民でない人間があれこれ政治の問題に口出しする事がそもそもの間違い。

選擧權の有無とその人が國民であるか否かとは無關係。もし選擧權のない人が國民でないとしたら、明治時代、日本には日本國民が殆ど存在しなかつた事になる。そして、選擧權のない明治の人間が、政治について論議したり、皮肉を言つたりしてゐたのは事實。

「政治意識」なる下らないものを身につけようとするくらゐなら、論理的な思考能力を身につけようとした方がよろしい。

平成13年3月4日

他人の惡事を許せないと思ふ人間は、常に「惡事とはいかなるものであるか」を身をもつて知つてゐるものである。

平成13年3月4日

急いで書いておく。天皇を讃美する文章は全て見事であり、右翼は全て立派である、と私は言はない。日本では、右も左も屑ばかりだ、と言ひたいのである。


天皇に本氣で服從する人間も、本氣で反抗する人間も、日本には滅多にゐない。

本氣を嗤ふ人間は澤山ゐる。戰略だか戰術だか知らないが、要領良く自分の意見を通すやり方ばかりを考へてゐる(或は、考へる振りをしてゐる)人間は澤山ゐる。

平成13年3月4日

國家權力が嫌なものなのではない。

人間自身が嫌なものなのだ。

平成13年3月4日

西歐で、神と云ふ絶對者に逆らつた連中が、近代を實現し、世界の覇者となつたのは、驚嘆に價する事實である。

日本で、天皇と云ふ人間に逆らつた連中が、にたにた笑ひしか殘さなかつたのは、落膽すべき事實である。

平成13年3月4日

運命に逆らふのは刹那的な樂しみに過ぎないのだし、それによつて感ずる「自由」は自由ではない。人は運命を味はひ盡す事でしか自由を感ずる事が出來ない。


『人間・この劇的なるもの』(福田恆存著)を讀むべし。

平成13年3月4日

君が代を「強制」だと思ふのは何なのだらう。歴史を拒絶する權利を人間は持たない。人は親を取替へる事が出來ないのだし、生まれてくる國を選ぶ事が出來ない。自虐はよせ。


反抗――これは奴隷の高貴に他ならぬ。汝らの高貴は服從であれ! ニーチェ『ツァラトストラかく語りき』

平成13年3月4日

すぐに「權利」「權利」と言ふ連中は、本當に「權利」の意味を知つてゐるのか。英語でrightとは「權利」であると同時に「正義」である。

權利を主張したい人は、正義を否定してはならない。或は、「正しい」と云ふ事を否定するのは即「權利」を否定する事である。

平成13年3月4日

「反骨精神のある先生」のゐる學校では、「反骨精神のある生徒」がうじやうじやゐるのでせうね。

「反骨精神のある先生」は、苛めを見ても「仲良くしなさい」としか言へないものです。糞の役にも立ちやしない「反骨精神のある先生」。


世の中みんな「反天皇制」なのだから、さう云ふ風潮の中で「反天皇制」を氣取つて見たつて、そつちの方が「風潮に流されてゐる」のではないか。反權力だなんて、下らない。J.M.バリの戲曲「天晴れクライトン」を讀め。ニーチェの「ツァラトストラ」を讀め。

反抗は奴隷の自由。

平成13年3月4日

良くわからんが、卒業式で馬鹿騷ぎをする事が、一生の思ひ出になるのだらうか。

「一笑の思ひ出」と誤變換をしたWXGは偉いのかも知れない。


「私たちの卒業式」なんて氣持ちの惡いものは願ひ下げ。

平成13年3月3日

問。

金で買えない物は有るだろうか?

答。

刑務所に入っていても、アウシュビッツの収容所に居ても、心が自由であると思える程の精神の豊かさと強さ

平成13年3月3日

object要素に關するメモ。

平成13年3月3日

女忍者を「くノ一」と呼ぶ、と云ふのは山田風太郎のフィクション。事實ではない。

平成13年3月2日

すみけんさんのところの「いまいま」が凄い事になつてゐる。

平成13年3月2日

HTML或はHTTPで何でも賄はうとする現状は、本當によろしくないですな。


まあ、W3C の定義するところの HTMLに「反對」する連中は、單に「世の中が無秩序でありさへすれば良い」と考へてゐるだけなのであり、「自分たちのHTMLこそが正しい」とは絶對に言はないものなのですが。

平成13年3月2日

私は共産主義や平和主義に意味等ないと思つてゐる。

人間の生に意味はないからだ。

平成13年3月2日

最近の高校生は、國旗や國歌にこだはるんですかね?

私は、興味がなかつたから、高校の卒業式の時に平氣で君が代を歌ひましたよ。

平成13年3月2日

本日の買物。

『一歴史家の宗教觀』は、初版(函なし)が3000円、第2版(函つき)が1000円であつた。もちろん第2版を購入。

平成13年3月2日

掲示板で重大な事を發表するから叩かれるのでは。

平成13年3月1日

私は「昭和の日」制定に大反對の立場である。

4月29日は「昭和節」なるべし。そして、その他の全ての祝日を戰前のものに一旦戻すべし。


私のかかる「理想的」な主張は絶對實現しないから、私は政治に何も期待しない。

平成13年3月1日

ここにWMCの話題はない。歸れ。

平成13年3月1日

HTML鳩丸倶楽部のデザインを貶す人がゐる。

しかし、HTML鳩丸倶楽部の最大の缺點は、ValueClickの廣告を貼りつけてゐる事である。

平成13年3月1日

「豐かな國」「傲慢な國」アメリカを批判する「共産主義者」或は「右翼」は、勘違ひをしてゐる。アメリカは「既得權益を守らうとして」ゐるのではない。

アメリカ人は、非道い世間知らずで、根つからのお人好しなのであり、嘘がつけず、約束を守る事が至上の價値であると思ひ込んでゐるのであり、素朴に正義を信じてゐるだけなのである……と私が言つても信用出來ないのなら、E.M.シオランが言つてゐる。


「私有」或は「所有」が「共同幻想」なら、平等も「共同幻想」だらう。或は、人間の文明・文化は全て「共同幻想」だらう。そして、共産主義にだけ價値を見出すのもまた「共同幻想」以外の何物でもない。

私は、人間には終末が近づいてゐると思つてゐる。

平成13年3月1日

私がStrictなHTMLとCSSを「使ふ」のは、初めて使つたPCのワードプロセッサがMicrosoft Wordだつたからである。

文書の構造化と「スタイル」の概念は、私にとつて極めて親しいものであつた。

平成13年3月1日

正しいものを正しいと言う、それ自体は間違っていません。が、手段としてはあまり適切ではありません。

正しいものを正しいと言ふ、手段としては餘り適切ではないかも知れません。が、それ自體は間違つてゐません。


(注)ムカつく表現が含まれてゐるかも知れませんが、他人のサイトにケチをつける積りなので當然です。自分が馬鹿である事を威張るやうな眞性馬鹿は斬らねばなりませんからね。

と云ふか、ケチをつけるつもりもないのにムカつく表現を用ゐるのは、一體全體何う云ふ積りの事なのでせうか。馬鹿の言ふ事は、常人の想像を絶する。

平成13年3月1日

日本人に人權意識などある筈がない。

日本人にとつて、權利の概念自體が理解出來ないものだからだ。

平成13年3月1日

自分や他人がした發言の價値を、政治レヴェルでしか判斷出來ない人間は、一度死ねば良いと思ふ。

平成13年3月1日

「歴史修正主義者」を批判する手合に限つて、大東亞戰爭を「太平洋戦争」等と言換へたり、正かなづかひを「現代かなづかい」に改めようとしたり、歴史上の「誤り」を修正しようとやつきになるものである。

人は、自分を批判すべき言葉で以て、他人を罵る。

平成13年3月1日

インターネットは危險だ、と言つて匿名を用ゐる連中は、SPAMMERや掲示板荒しの存在する事を認めてゐるのである。

即ち、匿名の連中は、惡事を受容れてゐるのだから、惡事を批判する資格を持たない。


屈伏は許容に等しい。

平成13年3月1日

「ここに『現代かなづかい』の文章はない。歸れ」なんて書けたら素敵なのですが。

今更、蜜子の小説を見直す氣はないよ。

平成13年3月1日

冗談を冗談だと認識或は理解出來ない人は、氣違ひです。

inserted by FC2 system