問答
その1
A:森總理が「日本は神の國」と言つたさうだ。森は保守反動の國粹主義者の本性を顯した。
B:決めつけは良くない。
A:決めつけぢやない、事實を言つたまでさ。
その2
A:日本はかつての戰爭でアジアの人々に迷惑をかけた。日本は反省し、謝罪しなければならない。
B:お前はアカだな。
A:決めつけは良くないんだよねえ。國粹主義者は本當に馬鹿揃ひだな。
新聞「ブッチホンだなんて、あれは人氣取り以外の何物でもない」
讀者「街頭アンケートだなんて、あれは人氣取り以外の何物でもない」
日本は神から見放された國である。
その1
政治家:解散し、選擧によつて國民の信を問ふ。
國民:政策に「自信がある」と、自分では言へないから……。
その2
與黨:選擧で勝利すれば、我々の政策は多くの國民から支持されたと云へる。
野黨:選擧で敗北しても、民主主義では少數意見が尊重されるものだから……。
千葉県北東部が震源地。多古町で震度5弱。
地震に關するニュースを最も早く報道したのは、關東のキー局ではなく、全國放送のNHK BS1。受信料が高い分、サーヴィスも良い、と云ふ譯か。
國體と云ふ言葉は戰前のもので、戰前の言葉はアプリオリに惡い言葉であるから、森總理の發言は許すまじきものである事となるらしい。
しかし日本國では、どんな言葉でも、言ひ方を變へれば「良い言葉」となる。戰前の八紘一宇は、戰後平和主義と名を改めて、國民の從ふべき規範となつてゐる。軍隊は自衞隊と名を改めて、それで「平和憲法」に反しない事となつた。大日本帝國は日本國と名を改めて、いまだに存續してゐる。
日本國では、名前さへ變へれば、それでなんでも濟むらしい。ならば天皇も、大統領と名を變へれば良いのではないか。それで「天皇制反對」の聲は全くなくなるだらう。日の丸・君が代も、國旗とか國歌とか言ふから惡いのであつて、日本の旗・日本の歌とでも言へば良いのだらう。
日本では將來、犯罪者も「憐れむべき病人」とされて、病院で治療を受けるやうになるに違ひない。代りに、本物の病人は忌むべき存在とされて、或は醫療費を無駄遣ひする「犯罪者」とされて、牢屋にぶち込まれるやうになるに違ひない。
ちなみに、かつて王選手は國體に出られなかつたさうである。國體と云ふ言葉が嫌ひな人間は、天皇陛下をお招きして開催される國民體育大會にも反對してみてはどうか。スポーツ欄の記者は、國體に反對して、記事のボイコットをはかつてみてはどうか。
<引用 東海アマチュア無線地震予知研究会「掲示板」への投稿より 「台湾留学生さん」>
昨日(6月1日)中共の軍用機4機が台湾に近づいきました。単なる偵察だと思いますが、スクランブルに失敗したようで、軍の高官が叱られていました。NHKでは一切このニュースをやっていなかったので、ああ南北の首脳会議前だから、放送出来ないのかと納得しています。
</引用>
例の千葉縣北東部で地震が起きる前日、私も地震雲を目撃してゐるが、そんな事はどうでも良い。しかしまあ、妙なところで妙なニュースに出くはすものである。
東海アマチュア無線地震予知研究会
http://www1.odn.ne.jp/cam22440/
42歳の厄年(男)。
33歳の厄年(女)。
ちなみに、アニメファンの間では「14歳」がキーワードである。
政治家が「三國人」「神の國」と言ふと言葉狩りに遭ふ。
私が「JT」と言ふと、特定の人物から言葉狩りに遭ふ。
A:みんな、選擧に行かう。
B:赤信號、みんなで渡れば恐くない。
森總理が、明治憲法の法治主義を理解し、天皇が西歐のGodとは異る「人の上の人」としての日本の神樣でしかない事を知つてゐて、教育勅語が所詮は「かくあれかし」の御題目を竝べた徳目に過ぎない事を承知でゐるのならば、日本には珍しい近代人である筈だが、さうではあるまい。
そもそも日本人は皆、盲目的に近代以前のものを恐れ、近代以降のものを崇め奉つてゐるのだから、森總理を「時代錯誤の人物」と言つて罵る資格などありません。日本人は全員「時代錯誤」なのです。
1月末に交通事故に遭つて、その後の恢復が思はしくなかつたとの事。そんな事知らなかつた――と云ふか、忘れてゐただけなのかも知れないが。
マスコミやら噂やらによれば、國民には「知る權利」なるものがあるらしい。しかし、「知る權利」を主張したいのならば、「絶對に忘れない義務」が要求されるのではないですか。權利と義務は一蓮托生(?)なのでせう。權利だけは幾らでも主張出來て、義務からは免除される――なんて、そんな蟲の良い話はない。
そして、縱令情報を知つたとしても、人間はすぐにそれを忘れるのである。人間に、「知る權利」など存在しない。
そもそも「知る權利」なんて、「ストーカーをする權利」と紙一重なのだから當り前。
<引用 2000年6月6日「しんぶん赤旗」より 共産黨サイトから孫引き>
「國體」とは「天皇を中心とする神の國」と云ふ「國の在り方」を示す言葉として使はれたもの。戰前の治安維持法の下では、「國體變革」の考へ方そのものが、最惡の罪とされました。
</引用>
<パロディ>
「平和國家」とは、「經濟優先・金儲け大好き人間の國」と云ふ「國の在り方」を示す言葉として使はれてゐるもの。戰後の「言葉狩り社會」の下では、「平和主義」に對する疑問そのものが、最惡の罪とされてゐます。
</パロディ>
「國體」と言つていけないと云ふのならば、「平和」と言つてもいけないと云ふ事にしませう。さうやつて、世の中から言葉を少しづつ消して行つて、將來、人間が言葉を失ふやうになれば、きつと世の中は平和になります。少くとも口喧嘩はなくなります。素晴らしいですね。早くさう云ふ平和な社會が實現すると良いですね。
もちろん、一人でも「お利巧」な人間が出現した瞬間にそのユートピアは破壞されますから、馬鹿な人間は早めに利巧な人間を袋叩きにしませう。なに、いぢめは多數決原理に基いた民主主義的なものだから、民主主義の國・日本國では正當な行爲です。
學校で兒童・生徒に日の丸掲揚や君が代齊唱を「強制」するのは、愛國心を植ゑつけるのには役に立たない、寧ろ愛國心を失はせるものなのださうです。なるほど。さうなのですか。説得力のあるやうに思はれますね。
すると、かう云ふ事になりますね――子供が勉強嫌ひにならないやうに、日本は出來る限り早く義務教育と云ふ制度を撤廢し、學校を廢止した方が良い、と。さう云ふ事になれば確かに、殆どの子どもが喜ぶのではないですか。いや、學校で勉強出來なくなつて悲しい、と言ふ子どもがゐたら、見てみたいものです。
もちろん、將來の日本には知的な人間が一人としてゐなくなります、皆動物並の知性となります。でも、動物は皆幸せです。日本人は動物並になつて、不幸を知らなくなるでせう。もつとも、諸外國が放つておいて呉れるなら、ですけれどもね。
7日午後5時50分ごろ、「噂の眞相」編集部にやつてきた右翼團體(日本青年社三多摩本部)所屬の青年二人が同誌編集長の岡留安則と副編集長の川端幹人を毆り、負傷させた。
「噂の眞相」編集部は、これでまた「噂」の種が増えた、と喜んでゐると云ふ(嘘)。
なほ、「噂の眞相」は皇太子妃に就いて呼捨てで報道してゐる。「噂の眞相」に敬意を表してNNNも「噂の眞相」編集長及び副編集長を呼捨てで報ずる事とする。
カリブ海を泳いでいたゴルバチョフ元大統領が、コスタリカの救急救命員に救助されたとの事。事故ではなく、單に岸から遠くまで泳ぎ過ぎただけださうである。
こつちもさうですが、あつちも暑かつたんでせうね。(謎)
小渕前首相の内閣・自民党合同葬が八日午後、東京・九段の日本武道館で行はれた。
葬儀委員長を務めた森喜朗は「誰よりも我が日本の現状と未來を憂ひ、改革者たらんと内に秘めた不屈の鬪志を燃やし、文字通り身命を賭して難局に立向はれたのが小渕前首相、あなたでありました」と述べた。
「不屈の鬪志」とは、プロレタリア革命を目指す共産主義者が協力してくれる勞働者階級を稱へる言葉として使つてゐるもの。
「日本共産黨綱領」の冒頭、「(共産)黨は、さまざまなきびしい試練に直面したが、勞働者階級の不屈の力にたより、科學的社會主義とプロレタリア國際主義にもとづいて、日本人民解放のためにたたかつてきた」とある。
森總理が「アカ」の思想を抱いてゐる事は明かである。保守派の長が革新派の急先鋒である共産黨の思想を抱いてゐる事をうつかり吐露してしまつたのであるから、これは重大な失言であると言へよう。マスコミ各社は共産主義者・森總理の眞の姿を積極的に報道すべきである。
――以上の「主張」はもちろん冗談である。
モスクワでは、市民がプーシキンの彫像に花を捧げるなど、生誕201周年に際して偉大な文學者への敬意と哀悼の意を表したと云ふ。(人民日報)
プーシキンの彫像は1880年6月8日に建てられたもの。除幕式でドストエフスキーが演説を行ひ、市民を熱狂させたのは有名。
A:「神の國」とか「國體」とか、言つてゐる内容は大した事ではないのだけれども、言ふタイミングが最惡だよな。
B:本當。明日眞珠湾攻撃ッて時に、「人類みな兄弟!」なんて言ふやうなものだよな。
國語審議會は「カタカナ語の抑制」に動きはじめた。
外來語について、國語審議會は社會的な影響が大きい官公廳や報道機關に對し、「日本語に言換へるもの」「言換へが難しいので註釋付きで使ふもの」などの指針を示し、公文書や記事をつくる際の參考にしてもらふと云ふ。
「外來語が人をひきつけるのも事實で、マスコミなどには『強くアピールしたい』といふ思ひがある」、「漢字の造語」を今やると「違和感が強くて冗談のやうになってしまふ」、「ちんぷんかんぷんな言葉が横行したら、意思疎通ができなくなる」と云ふ便宜主義に基いた提言に過ぎない。論理的・體系的でなく、感性的なものでしかない提言が國民に押付けられる事に私は危惧を感ずる。
そもそも、何故「飜譯する」と言はず「言換へる」と言ふのかは不明。既に外來語は日本語の一部になつてゐると云ふ事か。或は、如何なる外國語も日本語には組込み可能である、と云ふ夜郎自大的發想があるのか。
また、國語審議會は、日本名のローマ字表記について、從來使はれてきた「名・姓」の順番でなく、「姓・名」の順で表す事を標準型として提案する考へも固めた。
「姓・名」の順こそが「本來の順」だと主張する邊り、國粹主義の臭氣が漂ふ提言である。朝日新聞が率先して「本來の順」を支持する邊り、日本國の右傾化は末期段階に入つたものと考へられる。
11日未明(北京時間2時23分)、臺灣の南投(北緯23.8度、東経121.1度)でM6.8の地震が發生。臺灣の消息筋によると、2人が死亡、36人が負傷した。
「人民日報」 2000年6月12日 4面
11日午前2時23分(日本時間同3時23分)頃、M6.7の地震が發生。臺灣中央氣象局によると、南投縣で震度6、臺北市でも同3を記録。2人が死亡、68人が負傷した。
「朝日新聞」asahi.com
金大中・韓國大統領と、金正日・北朝鮮總書記が、13日、午前11時45分から午後0時12分まで、大統領一行の宿舎である平壌市郊外の百花園招待所(迎賓館)にて第1囘首腦會談を行つた。その際の發言から……(讀賣新聞14日付朝刊による)。
金総書記 (我々の)誇りを前面に押し出すことなく、(金大統領が)残念に思われることのないようにいたします。外国の首脳を歓迎する「東方礼儀の国」(朝鮮)という道徳が我々にはあります。金大統領の訪問を歓迎しないなどという理由は、どこにもありません。礼節を守ります。東方礼儀の国を誇るからこそ、多くの人民が(街頭に)出たのです。金大統領の勇敢な訪朝に対し、人民が勇敢に飛び出てきたのです。新聞とラジオでは、警護上の理由で宣伝できませんでした。どうして以北(北朝鮮)ではテレビや放送で多く取り上げず、静かなのかという(疑問があるとの)ことですが、めっそうもない話です。来て見れば、お分かりになるでしょう。我々がどんな気持ちで訪朝を支持し、歓迎しているか、はっきりとお見せいたします。長官がたも、困難で、不安な、恐ろしい道をよくおいでになりました。しかし、共産主義者にも道徳があり、我々は同じ朝鮮民族です。
北朝鮮は獨裁國家であり、その獨裁者が道徳を重んずるのだから、北朝鮮の國民が道徳を重んじない筈がない。日本や韓國のやうな民主主義國家の國民が昨今道徳を重んじない事は明かだが、北朝鮮のやうな共産主義國家の國民は今でも道徳を重んずるのである。
殘念ながら政治が惡くないと、國民の道徳は良くならないらしい。
16日午後4時46分、皇太后陛下崩御。97歳。
※各新聞の敬稱(ウェブサイトの記述による)
産經新聞 見出し・本文「皇太后陛下」(本文では「皇太后さま」も)
日經、毎日、朝日新聞 見出し・本文共「皇太后さま」
讀賣新聞 見出し「皇太后さま」本文「皇太后陛下」記事全文「皇太后さま」
※http://www.fnn-news.com/では「皇太后さま」
19日午前0時53分、北里研究所病院(東京都港區)にて呼吸不全の爲、死去。享年76歳。
小渕元首相は「國旗國歌法」「盜聽法」などのイデオロギー的な面で成果を擧げ、在任中過勞で倒れた。それに對して、竹下元首相は「消費税」「ふるさと創世事業」等の經濟的な面で成果を擧げ、「リクルート事件」に卷込まれて退陣し、以來「蔭の支配者」として勢威を張つた。
二人の首相は、實に對照的であつたと言へよう。
先日、長野縣で暴走行爲を續けて住民から苦情が出てゐた少年に對し、職務に熱心な警官が「職務質問中に拳銃を突きつけ」た。これは特別公務員暴行陵虐に當る、と云ふ事で、警官は逮捕され、懲戒免職となつた。
昨今不祥事續きで警察に對する國民の信用は低下してゐるさうである。
最早、日本の警察は解體されるべきではないか。日本國民は、日本國から警察の存在を無くしてしまふべきではないか。平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持する事を決意したのだから、警察に安全やら生存やらを守つて貰ふ必要はない筈ではないか。
反權力の連中に依れば、人間は反抗する存在であるらしい。ならば、人間が犯罪行爲に走るのも、警察が見張つてゐるからなのだらう。警察が無くなれば、犯罪も無くなる「道理」である。
いやいや、人權とやらを信じてゐる連中に依れば、人間は皆、善意の塊であるらしいのである。善意良き哉。善意さへあれば、警察なんてものに國民の血税を注ぎ込む必要ナシ。
――もちろん、そんな事を信ずる馬鹿はこの世に一人だつてゐない筈である。しかし、ならば警察の惡口を言つたり、警察官の熱意を「犯罪」扱ひしたりして糾彈するのが間違つてゐる事だと云ふ事に、人は氣附かねばならない。
投票日が迫り、投票率やら當選者やらの豫想がはじまつてゐますが、御苦勞な事ですね。所詮民主主義に於る多數決原理や選擧と云つたものは、數によつて政策を決定しようと云ふものに過ぎません。單純に、皆でわあわあ言つてゐても何も出來ないから、取敢へず數を根據に何をやるかを決定しようと云ふ取決めに過ぎません。
民主主義は「質より量」なのであつて、「多數決で決つたからそれは正しい政策やイデオロギーなのだ」とは言へません。それを、何を勘違ひしたのか、皆が正しいと言つたものは絶對的に正しいのだ、等と主張する人がゐますね。さう云ふ事を言ふ人に限つて、少數意見も尊重しなければならない、などと、矛盾した意見を平然と述べるのだから呆れたものです。多數決では正邪は決定出來ない、と云ふ前提がなければ、少數意見の尊重も何もありません。
浮動票だの白紙投票だの投票率だのに一々意義を見出さうと云ふのは、實にさもしい根性なのであります。結局の所、自分のやつてゐる事には意義があるのだ、と思ひ込みたがつてゐるだけなのではないですか。選擧權は20歳から與へられる――これがただの「取決め」でしかない事は誰の目にも明かである筈ですが、なぜかそこに意味を付與しようとする人が非常に多い。20歳と19歳11箇月とでは何が違ふんだ、と云ふ子供の屁理屈がありますが、その「屁理屈」に滿足に應へられる大人は誠に少い。「ただの取決め」と云ふ正解を出せる大人はまづゐない。なぜか。大人に限らず、人間は何事にも教訓を見出したがるからです。
そして、一度見出した教訓が、無意味なものに對するこだはりを生む――民主主義だつて、所詮は取決めに過ぎないのだが、日本人は軍國主義に民主主義を對置させて、意義を見出した。そして、一度意義を見出せば、その「取決め」は却つて人間を支配する。日本で「選擧に行く事」が、その人間が民主主義者であるか否かを分かつ「踏み繪」になつてゐるのは、さう云ふ譯です。日本に於て、民主主義は「取決め」から「宗教」に「進化」あるいは「退化」してゐるのであります。
或は、新聞が幾ら騷いでゐるにしても、それに踊らせられる事はないのではないですか。政治を「身近」に感じても、何の良い事もありません。
A:森總理、失言ばかりで困つたものだ。
B:全くだ。
A:どうせだから選擧期間中、森總理には自民黨本部の奥のどこかの部屋にでも籠つてゐてもらつた方が良いんぢやないか。
B:さうさう、總理には默つてそこに座つてゐて呉れれば良いんだよ。
A:そこから指示でも出してゐて呉れれば良い。
B:でも、それぢやまるでギリシアの僭主みたいだな。
A:ふうん? なら、天皇だつて似たやうなものぢやないか。
B:さうだなあ。……すると、やつぱり俺達には獨裁者が必要ッて事になるんぢやないか。
A:アハハハハ。さう云ふ事になるのかな。
B:さうさ。俺達は選擧、選擧、ッて言つてゐるけど、これは陶片追放が姿を變へたものに過ぎないんだよ。
A:いいぢやないか、どつちみち、獨裁者は要らないんだから。
B:そんな事を言つてゐていいのか。ペルシア戰爭も、ペロポネソス戰爭も、アテネに民主制が定着した後に起きたんだぜ。
A:知るかよ。民主主義萬歳、だ。
B:ふふん、確かに戰爭、戰爭の時代の方が、良い文學作品は出現するものだ。最近は、文學の方がさつぱりだからな。
A:知らねえよ。どつちみち總選擧の日は、俺は用事だ。
B:民主主義萬歳、だな。何事にも強制がないのは實にありがたい事だ。怠け者が生きて行くのに、民主主義の國ほど樂な場所はない。
A:その代り、仕事は辛いがな。
B:だまれ、太平の逸民が。
A:天道公平くんよりは増しだらう?
B:似たやうなものさ。どつちみち、『吾輩は猫である』の作者は、神經衰弱に苦しんだんだ。
A:まあ、森總理でも誰でも良いから、樂な仕事か生活費か、呉れねえかな。
B:怠け者め……。
A:肉體的怠惰は、精神的勤勉を生むものさ。
B:どうだかねえ。さう云ふ言葉を普通の人間は「減らず口」ッて呼ぶんだぜ。
A:「口減らし」よりは良いだらう?
B:詰らない駄洒落だが、これで落ちは附いたみたいだな?
A:○○黨の公約は「國民にインターネット接續ツールを配布する」だつてよ。
B:いまさらそんなものは要らないよ。そもそも、既に國民の5分の1が「インターネットの住人」になつてゐるんだらう?
A:確かに、税金の無駄だな。
B:「ウェブに公開してゐるファイル數に應じて補助金を支出する」ッて云ふのなら、投票してやつても良いと思ふがね。
A:最近は選擧もなかなか便利になりましたね。
B:さうですね。
A:しかし、まだまだ選擧には改善の餘地があると思ひませんか。
B:それあまあ、改善しようと思へば、幾らでも改善すべき點はあるでせうね。
A:どうせだから、選擧のついでに公共料金や税金も拂へるやうにするとかしたら良いのではないですか。
B:いや、それは改善と云ふより……なんだかコンビニみたいですね。
A:良い事をおつしやいますね。さうですよ、選擧のコンビニ化!
B:何ですか、それは。コンビニで投票出來るやうに、とか?
A:それも結構ですがね、どうでせう、年中無休、24時間投票可能の新しい選擧システム、なんて?
B:何のための選擧ですか、それは?
A:いいぢやないの、どうせ選擧なんて御祭みたいなものなんだし。
A:よう、昨日は選擧に行つたか?
B:ご挨拶だな。もちろん行かなかつたよ。行く譯がない。
A:「行く譯がない」と來たか。駄目だなあ。投票は國民の義務だぜ。
B:義務ではないさ。飽くまで、權利。
A:義務みたいなものさ。民主主義を守るために、俺達國民は選擧に行かなくちやいかんのだ。
B:お生憎。ぼくは民主主義なんて信じちやゐないのでね。
A:良く言ふよ、きみだつて、民主主義の御蔭で生きてゐられるんだぜ。
B:馬鹿を言つちやいけない。國民が生きてゐられるのは、民主主義の御蔭だつて?
A:さうだよ。決つてゐるだらう。
B:「決つてゐる」か。あのさあ、もしまた戰爭になつたら、きみは、國民が生きてゐられるのは、兵隊さんの御蔭です、なんて云つて、戰爭に協力しろ、なんて言出すんぢやないか?
A:豫想通り、自民黨はまた議席數を減らしたね。
B:全く、自民黨が豫想通りの數字だつたな。
A:氣象廳の天氣豫報よりも、議席數の豫想の方が當てになるんだからなあ。
B:しかし、かうも的確に議席數を豫測できたお蔭で、自民黨執行部には責任問題が發生しない事になつたらしい。
A:辻褄さへ合せられれば、責任問題なんて發生しないのさ。自民黨執行部は今囘、豫め言ひ譯をしてゐたんだよ。
B:結果が出る前から言ひ譯をしてゐたんぢや、負けて當然だな。それはさうと、實はぼくは、自民黨の議席數になんて興味がない。
A:ほう? きみは保守反動の右翼ぢやなかつたのかい?
B:ぼくのどこが右翼なんだね。大體、人の事を右翼と言つて罵つた積りになる人間は、皆左翼に決つてゐる。
A:俺の事なんか、知らないな。(笑)
B:うん、きみは自分の事なんて確かに解りつこない。それはともかく、ぼくが今囘、興味を覺えたのは、共産黨の結果だ。
A:共産黨かい?
B:ああ。共産黨は今囘、「現實路線」をとつて慘敗した譯だが、實に興味深く思はれた。
A:ふうん。
B:やつぱり、共産黨は夢みたいな事を言つてゐないと、支持されないんだよ。搾取非搾取の關係が解消されれば、人は皆幸福になるなんて、そんな夢物語はあり得ないが、人は夢物語を好むものだ。
A:ああ、なるほど。きみも理想主義なる夢物語が大好きだつたな。
B:さうさ。ぼくは共産黨に期待してゐるのだ。「科學的社會主義」なんて言つてゐるが、連中の言ふ事は理想主義的夢物語に過ぎない。ただ、彼等が夢物語を語り續ける限り、ぼくは彼等に好意を持つ。
A:好意ねえ。ぢやあ、次の選擧で共産黨がその「夢物語」路線に鞍替へしたら、きみは共産黨に投票するのかね?
B:する譯がないぢやないか。ぼくは好意を持つ、と言つただけだ。實際の連中の政治的主張は、理想主義的だらうが現實主義的だらうが、肯じ得ないからね。或は、連中の思想は理想だから許しておけるのだ。連中の思想を現實に近づけさせるやうな眞似を、ぼくはしたくない。
A:結局、きみは右翼なのぢやないか?
B:社民黨よりも共産黨の方が好きな右翼かい。そいつはいいね。そもそもぼくは、保守系の政黨の立候補者にも、票を入れた事はないんだ。
A:たまには選擧に行け。
A:どうした、御機嫌斜めだな。
B:どうしたも糞もあるかい。議論をしてゐたら「證據を舉げろ」と言はれてね。
A:ん? 擧げればいいぢやないか?
B:擧げたさ。さうしたらさ、相手の言ふには、かうだぜ、「それがどうした?」
A:「それがどうした」か。
B:それだけならまだ良いのだ。相手は今度は、それでぼくを言負かした氣になつて、自説を朗々とまくしたて始めた。
A:ふむ?
B:そこでぼくはさ、悔しいものだから言つてやつたさ、「證據を舉げろ」ッてね。
A:大人げないな。
B:ああ、確かに大人げなかつた。やつこさん、「證據? そんなもの要らないね。誰がどう見たつて俺の主張が正しいのは明かだ。證據なんて尋ねる方が馬鹿だ」と來た。
A:「馬鹿」と來たか。きみの得意の臺詞ぢやないか。
B:ぼくはいつも、相手が馬鹿である根據を述べてから馬鹿と言つてゐるよ。奴さんはさうぢやない。まあ、そんな事はどうでも良い。ぼくは奴さんに、「明か」だなんてお前は言ふが、それはお前だけに「明か」なのに過ぎない、俺にとつてはちつとも明かぢやない、さあ誰の目にも明かな確かな證據を出せ、と要求してやつた。
A:クレーマーだな。
B:自分は人の要求に應じないくせに、他人に要求だけする、ッてのは勝手すぎるぢやないか。それに、勝手な思ひ込みを、「明か」と言切られちや議論にならない。
A:相手にとつちや、きみの言ふ「議論」のルールこそが「勝手」なのだらうさ。自分の言ひたい事を通すのが、一般的に「議論」と云ふ事の意義なんだぜ。
B:それこそ困つたものだよ。是非を正し、正邪善惡をはつきりさせるために人は議論するものだと、ぼくは昔から固く信じてゐたのだがね。
A:ソクラテスの時代から、説得術の方が人間には魅力的なのさ。相手の間違ひを指摘しても、恨まれるだけだ。
B:全くその通り。奴さん、俺が默らないので、こんな事を言出した、これ以上減らず口を叩くやうなら、お前の昔の恥づかしい所業を世間に公表するぜ、と。
A:ふうん、その「相手」どのとは知合なのか?
B:知らない奴だよ。たまたま酒場で席が隣り合はせになつてね。
A:そんな所で議論したのか。馬鹿か。
B:ああ、ぼくが馬鹿でしたよ。全く、醉つぱらひ相手に本氣になるなんて、ぼくも醉つぱらつてゐたのだ。
A:しかし、「昔の恥づかしい所業」、ねえ……。
B:呆れた事に奴さん、以來その酒場で、ぼくの惡口を周圍の連中に吹込んで囘つてゐるらしい。いい酒場だつたのだがなあ、二度と行けない。
A:實はだな、あの驛前のバー、知つてゐるだらう? あそこでもきみの「所業」が知られてゐるぜ。
B:さうなのか? 堪つたものぢやないな、俺の事を恨んでゐるやうだが、人が常連になつてゐる店を一軒一軒囘つて、惡口を言觸らすなんて、度を越してゐる。
A:あんたも酒場ぢや、有名人だからな。有名税、有名税。
B:ストーカーだよ、ストーカー。
A:共産黨は今囘、隨分「中傷文書」に惱まされたらしいな。
B:共産黨は、さう言つてゐるね。
A:全く、與黨も汚い手を使ふ。自民黨の支持率は下がり通しださうだが、當然だね。
B:きみは痛快だと思ふらしいが、ぼくは思はない。そもそも、共産黨の與黨攻撃は、いつだつて中傷に滿ち滿ちてゐる。いつも言つてゐるだらう、自分の事は棚に上げ、ッてやつさ。
A:何を言つてゐるんだい。共産黨の政策には、良いものだつていつぱいあるぜ。
B:猿にタイプライタを叩かせたつて、たまには意味の取れる語句を打つだらう。まぐれ當りを本領と取違へちや行けない。
A:おれは共産黨の「平和憲法を守る」と云ふ主張に贊同してゐるんだ。民主主義を守るためには、封建的で國粹主義者の集團である自民黨の政權を打倒せねばならぬ。
B:ちよつと待てよ、「封建的で國粹主義者の集團である自民黨政權」なんて、中傷そのものぢやないか。自分の價値觀に目を晦まされてゐるんだよ、きみは。
A:だつて森總理は「神の國」と言つたぜ。石原都知事なんか、「三國人」だ。自民黨の奴等の正體はお見通しなのだよ。
B:男根で障子を突破る主人公を描いて「反抗」を表現した石原慎太郎が、右翼なのかねえ。「反抗」のやり方が左翼並に幼稚ぢやないか。それから森總理の發言だけれども、共産主義者にとつてみれば「神」を信じてゐる事自體が許し難いのだらう? 何しろ「宗教は民衆の阿片」と云ふのが共産主義のテーゼなのだから。ぼくの目から見れば、「日本は神の國」を否定する連中は皆唯物論者だね。
A:リアリストなのさ。
B:現實主義は唯物論とは違ふ。中河與一ぢやないが、偶然論こそが現實主義だ。素粒子も人間も、偶然に支配されてゐるんだから。だが、そんな事は今はどうでも良い。一つききたいのだが、きみは本當に日本が共産主義の國になれば良いと思つてゐるのか。
A:思つちやゐないさ。でも、自民黨にはNoを言ひたいからね。
B:その程度の事だと思つた。すると、きみは共産黨にそれ程思ひ入れはない譯だ。
A:ないよ。僕は共産黨を支持しただけだ、共産主義者でもなんでもない。
B:さうだらう、さうだらう。日本人は目に見えない理念やイデオロギーよりも、目に見える公約や政黨を支持するんだ。プラトンやキリスト教の理想主義を經驗してゐない、近代化以前の素朴な唯物主義を今でも持つてゐるんだ。近代的な神の概念を持たないから、封建的な唯物論に則つて、日本人は「神の國」を忌避するんだ。
A:何を言つてゐるんだ? 神こそが、封建時代の遺物だらう?
B:いいかね、近代は神(God)の觀念を理解し、それを乘越えようとした所に出現したんだ。ニーチェはGodを殺したんだ。日本人はいつ、Godを殺したかね。昭和天皇は「人間宣言」をしたけれども、最初から人間だつたぢやないか。日本人はGodを持つた事がなかつたぢやないか。T.S.エリオットが『カクテル・パーティ』でやつたやうに、Godの不在證明をする事でGodのアリバイを成立させる、なんてアクロバットを、日本人は出來ないだらう? ならば日本の現代は、西歐から見れば近代化以前の中世闇黒時代のそのまたさらに以前、まさに原始時代と同じでしかない筈だらう。
A:おれたち日本人は原始人か。
B:西歐の觀點から言へば、さうなるだらうさ。ただ、文化に貴賤なし。西歐人のGodを持たない事に、日本人が劣等感を覺える必要はない。逆に、誇る事も出來ないけれども。ただ、西歐人がGodを持ち、それに反抗し、結果として近代を生み出した事は認めなければならない。そして、その近代が世界を覆つてしまつた事、日本の文化は西歐の文化に屈服せざるを得なかつた事は、自覺する必要がある。
A:日本はキリスト教文化ぢやない、と言つて、右翼は威張つてゐるな。
B:ちつとも威張れた事ではないのだし、そもそも威張つた所で意味がない。誇りで國際政治は動かせない。キリスト教が威勢を弱めた事で、世界は理想主義から現實主義に戻つたんだ。その急先鋒が、唯物論の共産主義だつた譯だ。もちろん、キリスト教が支配的だつた時代だつて、政治は現實主義だよ。
A:なら、現實主義で、良いぢやないか。
B:さう一方的に言ふ事は出來ない。キリスト教は今でも十分、支配的だ。國際政治で現實主義のアメリカやヨーロッパ諸國にしても、その思考方法は完全にキリスト教的だ。キリスト教では、Godの目に全てはお見通しなのだよ。だからクリスチャンは、自分の行爲が、正しいか間違つてゐるか、善か惡かを、峻別する。
A:ふうん? だから?
B:さう云ふ態度がクリスチャンに具はつてゐたから、連中は神に反抗する時も厳密に現實を峻別する道を選んでゐるんだ。それが科學の誕生だよ。近代文明だよ。西欧人は何事も體系化し、個々の現象を峻別し、全體の中に位置づける。
A:それがどうした。
B:日本人にさう云ふ事は出來ないのだ。いいか、「それがどうした」ときみは言つたらう? いかにも日本人的ぢやないか。西歐人ならば、まづ「なぜ」と考へるね。理由を考へ、理屈つぽく思考し、判斷を下す。日本人はさう云ふ過程を全てすつ飛ばして、自分の好みに合はないから要らない、と簡單に結論づける。
A:それで十分だからさ。
B:現實主義だからだよ。そしてぼくも日本人だから、理想主義の大事を納得し切つてゐない。ただ、現實主義的な行動を取る背後に理想主義的な思考の裏付けを持つ西歐人の方が、薄つぺらい現實主義に基いて即物的な言動を取る日本人よりも、ぼくは確實だと思ふ。それに、さう云ふ西歐人が世界を征服する近代文明を生んだんだ。
A:おれは世界征服なんか興味ないから、きみのやうな國粹主義者の言ふ事は信じないね。
B:もういいよ。決めつけ、決めつけで、話を進めたければ、勝手に進めて呉れ。日本人は長口舌が苦手なものだ。頭を使ひたくないのだよ。
A:當り前だらう?
B:それは怠惰なのだ。まあ、いつの世も、勤勉よりは怠惰の方が好まれる。
A:働かざるもの喰ふべからず。きみは働かないから、死ぬしかないな。
B:人はパンのみにて生くるに非ず。その代り、あの世にも安心して行ける。もつとも、ぼくはキリスト教を信じてゐないのだが。しかしまあ、パスカルも言つてゐるぢやないか、この賭けは、絶對に損する事のない賭けだ、ッて。
A:損だよ。一錢にもならん。
B:もう、いい。さやうなら。