EEE(Effusion of Evil Eye)

祝 NieA_7 第1囘 放映

「lain」のuedaプロデューサが放つ「へたれアニメ」、いよいよ本日放映が開始されました。地球に大擧してやつてきた宇宙人が、みんな頭にアンテナを乘つけてゐると云ふ、見る人が見れば一發で笑へる電波アニメです。中原順志氏の怪しいCGもあつて、そつち系(どつち?)の人間にはたまらない出來映えです。こんなものを夕食時に平然と流すWOWOWは、或意味偉い。

ちやんと笑へる貴重なギャグアニメですが、天才バカボンのやうな理性を失つた馬鹿話ではなく、理性的に際どい内容のストーリーであると言へます。或は、理性も糞もあるものか、と云つた類の所謂「ギャグ」と違つて、狂氣を十分意識しつつ辛うじて正氣を保つてゐる作品です。「紙一重」と云ふ言ひ方をするのが妥當でせう。ひたすら狂氣に溺れる天才バカボンなどよりも、狂つて行く己の精神を冷靜に意識してゐるNieAのやうな電波作品の方が、却つて危險だと言へます。

2000年04月26日 22時54分46秒

チャチャ

さつきから「赤ずきんチャチャ for Windows」と「雨乞ひするチャチャ」を動かしつつ文章を打つてゐるのだが、モニタの隅つこが氣になる事氣になる事。

2000年04月26日 05時29分27秒

ZZ總括

ZZがガンダムファンに嫌はれたのは、「明るいガンダム」だつたせゐもありますが、同時に、「この戰ひにシャアの意志が感じられない」からでせう。私は逆に、その爲にZZを高く評價します。「逆襲のシャア」よりも「ZZ」の方が面白い、と言ふと、非常に嫌な顏をされさうですが。

シャアはシリーズが進むにつれて段々、子供返りしてゐます。1stで「若さゆゑの過ち」を認めたくないと語つたシャアですが、「逆シャア」では「若さ」以前に戻つて、子供に返つてゐます。「ララァは私の母になれる存在だつた」。そんなシャアに付合ふ邊り、アムロも成長してゐません。
ZZでは、多くのキャラクターが成長してゐます。シャングリラ出身の子供達は言ふまでもありません。むしろ私が強調したいのは、當初間拔けなキャラクターだつたマシュマー・セロもグレミー・トトも、クライマックスには堂々たる最期を見せたと云ふ事です。終盤にマシュマーとグレミーは演説を行ひます。それは、Zに於るシャアの演説よりも餘程説得力のあるものです。

ハマーンとシャアを比較する議論はよく見かけます。だが、二人は單純に比較出來ません。シャアとハマーンは對稱的な人物です。シャアは一匹狼のやうですが、ララァへの執着などを見れば、極めて依存心の強い男です。一方のハマーンは、マシュマーやグレミー、キャラ・スーンらに圍まれてゐますが、彼等は所詮「持ち駒」に過ぎないと思つてゐます。ハマーンは孤獨な女性です。

前半の間拔けな演出は語り草となつてゐます。確かに「はしやぎ過ぎ」の感じもあります。しかし、前半の「明るさ」が却つて後半の深刻さを強調する結果となつたやうに私には思はれます。「路線變更」のせゐなのか、意圖的な演出なのかはわかりません。ただ、前半と後半で、或キャラクターのとる行動が正反對の效果を舉げてゐるのは事實です。マシュマーの「薔薇」も、前半は飽くまで陶醉として描かれてゐたものですが、後半では強化人間特有のフェティッシュな執着を象徴する小道具となつてゐます。キャラ・スーンの色情狂的行動は、その最期の場面で異常な效果を舉げてゐます。

Zは本放送時、1stそつくりと言はれたものです。しかし、今觀ると、ZZのストーリー展開の方がZよりもむしろ1stのそれとよく似てゐます。聯邦對ジオンと云ふ構圖の類似は明かです。また、ガンダムに乘りこむアムロとZZを奪ふジュドー、孤立無援のまま戰ふホワイトベースとネエルアーガマ、仲間の死によつてクルーの結束が固まると云ふストーリー展開(ZZでリィナは實は生きてゐますが)――Zはシリアスな續篇を意圖しただけに、無理にでも1stから離れようとしなければならず、スタッフにも視聽者にも苦しい作品となつてしまひました。しかしZZは、開き直つた作品であるだけに、1stのシチュエーションを堂々となぞり、パロディ化しつつ、却つて自由な展開を見せる事が出來ました。

私はZZこそ、富野監督が自己の「ニュータイプ論」をもつとも率直に表現した作品だと思つてをります。「バイブレーション」で、グレミーとプル2に、ジュドーが語りかけるシーンがあります。私はジュドーの「怒り」がグレミーの主義に對する反論として「理由になる」とは思ひませんし、そもそも「ニュータイプ論」には全く同意出來ません。ただ、この場面の演出が、ガンダムシリーズ中最も心を打つものであると認めます。アムロとララァの共感も、「逆襲のシャア」のクライマックスも、ジュドーの「怒り」にリィナや仲間、ブライトらが驚くあの場面ほどに、切實なものではありません。非道く幼稚なものである――子供の身勝手な怒りに過ぎないものですが、ジュドーの「怒り」は、アムロの「取返しのつかない事をしてしまつた」と云ふ臺詞や、シャアの演説よりはリアリティのあるものです。

そして、そのジュドーを敵に廻して、最期まで負ける戰ひを理知的に戰つたのがハマーン・カーンです。ジュドーらの背後に、ハマーンはあらゆる人間の身勝手さを見出してゐた筈です。ハマーンはさう云ふ人間どもを「皆殺しにしてやる」積りでした。それが叶はぬと解つた時、ハマーンは自ら死を選び、人間に復讐した――だが、「強い子に會へて良かつた」と云ふ臺詞は、ただの負け惜しみだと捉へない方が良いでせう。「身勝手」であつてもジュドーはそれを自らの意志で選びとつた。泥棒にも三分の利がある。ジュドーの「身勝手」な「怒り」にも、ハマーンは己の信念と同じものがある事を信じたのではないか。人間と云ふ種そのものを憎む、それは間違つた事ではあるが、ハマーンは本氣でそれを信じ、その實現のため行動に出たのであります。一方のジュドーも、自分と身内だけを優先する態度は褒められたものではありませんが、自分の言葉を本氣で信じ、それを實行に移しはじめたのです。ハマーンは、全く絶望しながらも、それでも自分を倒した敵に期待をしなければ死ねなかつた。

1stにしろZにしろ、「悲劇」が極めて後味の惡いものでした。ただZZだけが、爽快な悲劇として終つてゐます。いやいや、既に書いたやうに、シャアが出て來ない事がZの商業的な失敗を招いたと同時に、物語の成功を齎したのであります。1stにしろZにしろ、執拗に生延びるシャアの存在が、嫌な後味を殘してゐたと言つて良いと思ひます。逆に、ZZはハマーン・カーンの野望の物語だつたと云へます。ハマーンの野望が潰える事で、その物語は完結したのです。悲劇に於ては、英雄が死んだ後、生殘つた者たちには未來が生れます。火に飛込んだフェニックスが甦るやうに、古い、腐敗したものを死なせる事が悲劇の演じられる目的です。1st、ZよりもZZの方が、悲劇として餘程完成されたものです。

2000年04月26日 05時17分13秒

ZZ最終囘@アニマックス

ハマーン樣また亡くなる。

2000年04月26日 04時18分02秒

9〜13話

前半、「ポケモンチェック」の「被害」に遭つた「ミト」ですが、その爲に後半の演出は抑へ氣味となつてゐます。それと同時に、前半殊更強調されてゐた態とらしい演出が、後半一氣に減つてゐます。

キャラクタにオーヴァアクションをさせたり、偏つた嗜好(例「肉が嫌ひ」)を強調したり、大仰な臺詞(例「0.000001%」)を言はせたりする演出が最近のアニメには多く、ミトの前半もそれが目立つた。ミトでは、「ポケモンチェック」對策が進行するのと並行して、その手の態とらしい演出が減つて行く。逆に、妙な言動や設定を、しれつと流す方向に進みはじめる。

當初、深夜枠には似つかはしくない「御子樣向けアニメ」として認知されてゐたミトは結局、「健全の皮をかぶつたアブノーマルな作品」として完結する。私は、渡部監督以下のスタッフが「ポケモンチェック」に對する復讐をやつたのではないか、と思ふ。いや、TV局だけではなく、ファンに對しても、渡部監督は皮肉を言つてゐるのである。

TVアニメーションに於て問題となるのは、常に映像の效果だけであつて、そこで何が言はれてゐるかではない。TV局は「ポケモンチェック」を行ふし、ファンは繪柄で作品の内容を判斷する。渡部監督はミトに於て、「子供向け」のやうで「健全さう」な繪柄を採用しながら、マニアックな設定と異常な内容を當り前のやうな顏で話に詰込んだ。外見を裏切る内容を持つたミトを作る事で、外見ばかり重視するTV局とファンをスタッフは批判してゐる。

もつとも、ミトは表面的に見ただけでも樂しめる作品である。深讀みをしたり、パロディの元ネタを調べたりしなければ樂しめない作品ではない。ミトは「意味が解る人だけ樂しんでくれ」と云ふ類の作品ではない。そこにミトの價値がある。

2000年04月23日 10時49分20秒

ミト

lainが「電柱アニメ」ならば、ミトは「鐵塔アニメ」。

2000年04月23日 10時05分45秒

宇宙海賊ミトの大冒險

ダビングはデッキに勝手にやらせて、仕事をする積りだつたのに、いつの間にやら4〜8話を鑑賞する羽目に――と云ふか、いつたん見はじめたらこれ、はまりますよ、絶對。

かねがねすぐれたストーリーには、ダブルミーニングと伏線が常に存在すると言つてゐるが、ミトにはその兩方があるのであります。全てのキャラクターには、表面的な姿と眞實の姿が用意されてゐる。それは外見であつたり(ミト、爛磐、双房)、言動と本心とであつたり(睦月、華風子)、精神と肉體とであつたり(葵)と、色々な形である譯ですが。
そして、「2」の結末で、キャラクターレヴェルから全宇宙レヴェルに飛躍する事で、作品全體を一貫するテーマとして「二元論」が出現する。「ミト」はこれで、一見ギャグ作品・痛快冒險活劇であると同時に、それを越えた意圖を背後に隠してゐた事を明らかにした、と言へます。

4〜8話の見所。
川岸で「おかめ」の微笑む面をつけたミトがすすり泣く場面、過去の記憶に踊らされてミトを傷つけた葵が「母さん」と呼ぶ場面……などなど。

2000年04月20日 04時37分13秒

Zは全然評價しないが

ZZは或意味傑作だと思ひますよ、私。なによりシャアが出て來ないのが良い。死なない敵役は不可。

ハマーン樣はちやんと死んだから素晴らしい。

2000年04月18日 05時51分36秒

富野監督

まあ、アニメ界に於る電波の元祖ですから……

2000年04月18日 05時47分32秒

バブルガムクライシス TOKYO2040

25話・26話を收録したヴィデオ版が發賣されて完結したさうですけれども、噂では、お終ひの方が露骨に「lain」してゐたさうです。

2000年04月18日 05時45分42秒

ガンダムZZ

アニマックスで觀てゐる。ラサラさんが死ぬシーンは何度觀ても納得が行かない。どう云ふ理由で死んでしまつたのラサラさん。

それにしてもZZ、作畫が惡いねえ。こんなに非道かつたとは豫想外――と云ふか、なぜかZZが私の記憶の中で美化されてゐたのには獨りで失笑。
しかし、ムーンムーンばかりでなくハマーン樣まで喋る事に電波が一々入り捲つてゐるのは非常によろしい。マシュマーもキャラ・スーンも、當然グレミーも、みんなアレな人達だし。私がZZをガンダムシリーズ最高傑作と呼ぶ理由がある。電波萬歳。

アニメ界最強の電波娘エルピー・プルは一世を風靡したものです。懐かしいですね。と云ふか、美少女が男の主人公を「お兄ちゃん」と呼ぶのはZを以て嚆矢とし、ZZで一般に普及したのではないか。とすると、多くのロリコンアニメ・ロリコンゲームは皆電波系か。それはそれで嫌。

――で、何が言ひたいの?

2000年04月18日 05時42分26秒

春の新番組

へたれ系のNiA_7にしか期待してゐません。相變らずトラスタ信者状態。

2000年04月18日 05時30分49秒

トラスタらしさ?

なんか怪しいと云ふか電波な所がいかにもトラスタ。偏見拔きで(謎)。

2000年04月18日 05時28分20秒

ミト第3話

シンが葵くん(笑)を尋問する場面を觀た時、いかにもトラスタだなあと云ふ感想を抱いた事を思ひ出した。

畫像を送つていただいて、突然双房さま專門サイトを立ちあげようかと考へたが、何でこれ以上マイナーサイトを作る必要があるのか惱みはじめて現在ペンディング状態。と云ふか、自分では繪を描けないのにCGサイトを立ちあげようと云ふのが無理な話。若かりし頃の双房さまストーリーとか書いても良いけれども、誰も讀まないだらうし。

2000年04月18日 05時26分52秒

川上とも子

先日、きらめきマン、ウテナ、ミトを立續けに觀たのですが、(VHS & CS)全部川上とも子さんが主人公を演じてゐると云ふ事に氣附いて愕然。(何故?)

2000年04月14日 22時43分02秒

きらめきマン

從來のシリーズ作品に比べて、明かに印象が散漫です。

2000年04月14日 03時23分59秒

ナースエンジェルりりかSOS

豫定してゐるりりか論の骨子

正義が壓倒的に不利である事。
りりかが必ず負けるべき状況設定である事。
にもかかはらず大地監督はりりかを死なせられなかつた事。
「りりか」は悲劇にならなかつたし、「ウェルメイドプレイ」と呼べる作品でもない事。
ただ、正義が負ける事を大地監督は絶對に認められなかつたと云ふ事。

2000年04月14日 03時22分35秒

ブギーポップについて

原作は派手な作りをしてゐるので、アニメや映畫が貧乏臭い作りであるのは間違つてゐるのであります。映畫は見てゐませんが。

2000年04月09日 15時36分09秒

怪盜きらめきマン

まさかあのトリオの新作を拜めるとは思つてもゐませんでした。第1囘はギャグが滑り氣味でしたが、あかほりのラムネやらモンコレやらが露骨に外してゐたのと比べると、さすがは本家、嫌みがありません。

イッパツマンでサラリーマンの悲哀を演じながら、イタダキマンで先祖返りを狙つて失敗した惡玉トリオが、今囘は駄目刑事として窗際族の悲哀を演じます。今囘の惡玉トリオの役柄は、ファンの求めるものを良く研究した結果と言へませう。もつとも、おかげで善對惡の單純な漫畫的圖式が崩れ、却つて話の焦點がヒーロー側に行つてしまつた觀があります。しかし、ヒーロー側に魅力のない話ばかりが作られてきたタイムボカンシリーズの末裔として、きらめきマンが相變はらず薄つぺらなヒーローでしかない現状、作品全體の魅力は從來の作品に比べて大幅に低下してゐるのではないか。

今のところは、懐かしのギャグと懐かしのキャラでごまかせてゐますが、新鮮味が薄れてマンネリがマンネリと認識されるやうになつてから、どのやうに「きらめきマン」が評價されるか――興味があります。

2000年04月07日 20時53分33秒

5月のアニマックス

バトルアスリーテス大運動会 5/5(金)スタート
青空少女隊 5/8(月)スタート
太陽の勇者ファイバード 5/12(金)スタート
獣戦士ガルキーバ 5/17(水)スタート
ナースエンジェルりりかSOS 5/26(金)スタート

りりかをやると云ふだけで、最近のだめだめなアニマックスも許せる私。

2000年04月03日 13時58分43秒

映畫・新世紀エヴァンゲリオン「シト新生」

キッズステーションで放映された「シト新生・DEATH & REBIRTH」を觀て。

REBIRTH篇が「良いところ」で切れてゐて「あざとい」のも確かなのですが、期待感を煽るにはそれまでの「新作シーン」の出來が今一つよろしくありません。

まづ、「新作」である筈のREBIRTHの中で、矢鱈と以前のエピソードに出現した場面を髣髴させる映像が出てきます。ここでも「使ひまはし」をやらかすか。
次に、シンジの扱ひが非道すぎます。庵野監督はシンジを見放してゐるのか。
最後に、アスカの「復活」シーンが餘りに不自然です。スタッフは説得力のある話を作らうとしてゐないのではないか。

映畫版「エヴァ」には、スタッフの「やる氣のなさ」しか見出せません。「話を完結させねばならない」と云ふ義務感だけが傳はつてくる――この映畫を觀るのは苦痛です。

なほ、DEATH篇の作り方は、プロモーションヴィデオの作り方と同じです。印象的な映像を作らうとしか、スタッフはしてゐません。話の脈絡なんて、端から無視してゐます。そして、プロモーションヴィデオに限つてクリエイターは力を入れて制作するものなので、DEATH篇がTVシリーズの總集篇である筈なのにああも豪華になつてしまつたのは當然の話なのであります。

2000年04月02日 12時26分19秒

宇宙海賊ミト第一話

で、キッズステーション、バージンフリートに續いてミト第一話をやつてくれるもので、思はず續けて見てしまひました。第一話、何度觀ても良いです。

2000年04月02日 01時07分26秒

聖少女艦隊バージンフリート1

廣井王子らしいあざとい設定。もちろん廣井王子の作品は嫌ひです。

ただこのバージンフリート、なぜか今川泰宏氏が關つてゐて、結構觀られる演出がなされてゐます。

2000年04月02日 01時04分24秒

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