- 初出
- 「闇黒日記」平成13年5月29日
- 公開
- 2001-06-21
- 最終改訂
- 2001-09-05
アラブ人と日本人
1
- 「コーランを破つた日本人は許せない」と言ふアラブ人と「コーランを破つたくらゐであんなに怒るアラブ人は怖い」と言ふ日本人とは、永遠に理解し合へない。アラブ人も日本人も、自分の物差しで相手を計つて、疑はない。宗教の問題は、民族が自分たちの尺度で相手を計らうとする所に出來する。
- しかし、コーランの教へを絶對的な眞理と信ずるアラブ人と、絶對的な眞理を信じようとしない相對主義の日本人が戰つたら、どちらが勝つであらうか。日本人は、絶對者を戴く文化を、本質的に理解出來る筈はないが、皮相でも良いから理解する努力をしなければならない。
2
- イスラム教は、早過ぎたプロテスタントとも言ふべきカルトである。同じ宗教の中で、プロテスタントは反抗すべきカトリックを持つたが、イスラムは反抗すべき何物をも持たなかつた。
- イスラム教は、反動的な保守派を内部に持たなかつた。イスラム教は、宗教外部に敵を求めた。外部の物理的な敵に打ち克つには、單純に自らも物理的な力を持てば良い。或は、多數でさへあれば、當時、戰爭には勝てたのである。イスラム教が極めて政治的な宗教となつたゆゑんである。
- イスラム教は、政治的には分裂したが、宗教的には一體である。物理的には分裂し、對立したが、精神的には深刻な對立がなかつた。或は、ドグマにおいて、イスラム教は對立を持たなかつた。
- 内部に對立を孕まなかつた事、長きに亙つて精神的な一體性を維持し得た事は、イスラム教が、論理面でキリスト教程深化しなかったゆゑんであり、ひたすら急進的となつたゆゑんである。
- 論理面での深化がなかった爲、イスラム教徒は、知識を蓄積する事は出來ても、その知識を獨自に發展させる事がなかつた。そのやうなものは、アラブ人の間で、全く必要が無かつた。アラブ人にとつて大事な事は、言葉で相手をへこませる事ではなく、劒で相手を説伏せしめる事である。アラブ人に、合理化・體系化が進まず、西歐のやうな近代社會が出現しなかつたゆゑんである。
- さう云ふアラブ人の生活習慣即ち文化が、西歐主導による國際化社會に馴染めないのは當然である。