制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「絶對の探求」2004-09-05
「絶對の探求」2004-09-21
公開
2004-10-10

ヨーロッパとキリスト教

堀米庸三が著書『中世の光と影』(講談社学術文庫)で、以下のやうに述べてゐる。

……歴史的にはヨーロッパを、まずカトリック世界に限定するのが正しいと考える。

堀米氏は、「カトリックだけがヨーロッパを作つた要因である」とは主張してゐない。堀米氏は、古典文化・キリスト教・ゲルマン精神を、ヨーロッパ文化を生成した三要素であると述べてゐる。


堀米氏は、『紀行と随想』所收の「ヨーロッパ中世史の問題点」と云ふ文章で、以下のやうに述べてゐる。

ここでちょっと話の趣を変えてみよう。少し前のことだが、私はノーベル賞を受けられた江崎玲於奈博士と対談をする機会があった(『日本経済新聞』三月十六日)。この対談で江崎さんは、冒頭から極めてフランクに次のような質問をしてこられた。日本では何故、たとえば、十七世紀ヨーロッパのフランシス・べーコンの示したような科学哲学が生れなかったのかというのである。さすがに本質を衝いた質問なのだが、もちろん簡単に答えられるような問題ではない。私はこれに対して、ギリシアの科学思想とキリスト教という二つの事柄を軸にして答えたが、その要点は、十七世紀の科学思想が近代にいたってではなく、すでに中世の間に用意されたこと、それにはキリスト教という一神教に固有なものの考え方と、デモクリトスに代表されるギリシアの一元論的思考の結びつきが重要ではないかということであった。中世のスコラ学は信仰と理性の調和をめざすものだとされるが、聖書に示された神の摂理が不動の前提になるところから、その自然観はつねに演繹的であり、しばしば荒唐無稽であると考えられる。しかし、実際はそんな単純なものではない。イスラムの学問を媒介としてギリシアの学問が流入した十二世紀以後になると、スコラ学の自然観も神を実体とみるよりも、機能としてとらえる考え方が強くなってくる。スコラ学の大成者であるトマスにいたってこの考え方は定着する。そこにものごとを内在的経験的にみる観方がひらけてくるのであって、それはやがて近代の科学者の自然観につながってくる。ルネサンスの科学思想の進歩を考えるとき、一般にはガリレオの「それでも地球は動く」という言葉が、他のすべてのコンテクストを無視して取り出される。ガリレオに地動説の取消しを強制したキリスト教会の反動性を浮彫りにするのには、これ以上によいエピソードはない。このエピソードを取り扱った歴史小説の類にはしかし、一般に恐しく啓蒙主義的バイアスの強いものが多く、しかもそれがわが国では一般の常識となっている。天動説の理論であるプトレマイウスの説は、教会の支持する反動理論の代表のようにみえる。しかし事柄はそんなに単純なものではない。

そのことは例えば、今日われわれの常識である地動説を経験的に証明してみようとすればすぐわかることである。経験的なことは一般に合理的だと考えられる。ところが、地動説を経験に即して証明することは不可能なのである。他方プトレマイウスの天動説は、精密な天体の観測と合理的な計算に基く天体の運動論なのであって、一切の暦算はこれにより、人間の生活はそれによっていささかの支障もなかったのである。これを否定したコペルニクスは、決してプトレマイウス理論の経験的反証をあげたのではなかった。コペルニクスのプトレマイウス批判は、アリストテレスのいう運動の一様性という基本原理が、プトレマイウスの場合、惑星の運動の非一様性という点で、この基本原理に反するという点にあった(広重徹「科学における近代と現代」堀米編『歴史としての現代』所収、潮出版社、昭和三十八年)。ガリレオはまたアリストテレスの権威を疑ったのであったが、彼もまた経験的根拠からして、天動説を単純に否定できると考えていたわけではない。

こんなことから、私のいおうとしているのは、近代の科学思想なるものが、決してキリスト教的な神の宇宙支配という観念の否定としてではなく、却ってその証明を目ざして出てきたということである。それは十三世紀のスコラ学の開いた道の上を歩んでいるということなのである。万有引力の法則を発見したニュートンもまた同じであった。ニュートンに始る十七世紀の科学革命は、キリスト教の信仰と結びついて起り、それに支えられて発展した。科学が神を前提することなく自然の説明を行いうるようになるのは、ニュートンから一世紀おくれたフランスのラグランジュ以来なのである。

キリスト教思想がただちに科学思想だなどというのは、もちろん妄想にすぎない。しかしそれがヨーロッパの科学思想を育てた面のあることは否定できない。それが何故であるかと問うことは、古典古代のヒューマニズムがキリスト教を通過することなしには、普遍的な価値となることができなかったのは何故かという問いと同じく重要である。こういった問いかけに答えることがとりもなおさず、中世史研究の基本問題なのである。単純な、中世は暗黒時代であったかどうかといった設問に熱中していた時代は、すでに遠い過去のものとなっている。この新しい設問に答えるためにはしかし、もはや余白はない。ひとことつけ加えることが許されるとすれば、ヨーロッパ中世社会が驚くほどダイナミックな構造をもっていたということであろう。これもまた常識的な中世観とくい違う点であるが、キリスト教はこのダイナミックな社会においてはじめて、科学的思考を育てる役割を果しえたと同じく、このダイナミックな社会構造の形成にも無視すべからざる役割をもったということであろう。

堀米氏に據れば、キリスト教は飽くまでヨーロッパの文明を構成する「要素の一つ」であり、「唯一の要素」ではない。

そして現在、キリスト教以外のゲルマン的な要素に注目する方法が、歴史學で大きな勢力を持つやうになつてゐる。が、そこで見られる考へ方が、「ヨーロッパにおいてキリスト教は重要な要素ではない」と云ふものである。これは、キリスト教を唯一の要素と見る考へ方と同樣、偏つたものであると言へる。

ゲルマンの傳統的な觀念よりも、キリスト教的な觀念の方が、近代的な觀念の成立には、より強い影響を齎らしてゐると見て良い。ゲルマン社會にあつたとされる或種の民主主義的な要素を、近代の民主主義に直結するものと見るのは、歴史學的には可能な事である。が、一方で、それが近代的な民主主義の本質的なものであると看做すのは、行き過ぎた考へ方であらう。


さらに、キリスト教的な要素を否定する餘り、西歐人と日本人との差異を殊更否定し、同質と看做す傾向が、一部の歴史研究者に見られる。これは困つた事であると言へる。

現代に於ても、彼我の價値觀に大きな差異がある事は、事實なのであるが、「社會のグローバル化」と云ふ觀念を信じ込んでゐる日本人の中には、さう言ふ差異が目に入らなくなつてゐる人が少くない。そして、「西歐にもクリスチャンは最早ゐない」として、彼我を完全に同一視する日本人まで出てきてゐる。

表面的な類似のみを強調し、背後にある差異を無視しようとする傾向に、私は反對である。が、かう云ふ言ひ方をすると、「トンデモ」扱ひされるから、困つたものである。

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