私がエホバの証人叩き・モルモン教叩きをやらないのは、宗教に關する知識もさる事乍ら、そもそも自分を律する宗教心を持合せてゐないからだ。叩く事より先に、すべき事がある。
自分が何かの宗教を信じてゐて、その價値を押附けるに價すると信じて他の宗教・宗派を批判する、と云ふのならあり得る。けれども、何も信じてゐない人間が、宗教を信じてゐる人を叩くなら、それは遊びでしてゐるだけであつて、何の意味もない。
他者を批判すべき動機がないのに、遊びで叩いてゐる人が非常に多い。意味のない事である。
そもそも――あなたは何かを信じてゐるのか。その何かが信ずるに價するものなのか。反省すべきである。
モルモン教やエホバの証人を勉強する前に、キリスト教ならキリスト教で勉強する事が澤山ある。神學史を一通りさらふだけでも相當の量がある。けれども、それ以前に、キリスト教を理解する爲には、西洋史を一通りさらふ必要がある。
カトリックの教義を理解する爲にも、ギリシャ哲學は知つておかなければならないし、中世史も知つてゐなければならない。また、プロテスタントの出現とその發展に絡めて、近代以降の思想史は押さへておく必要がある。