初出
「闇黒日記」平成十七年六月十二日
公開
2005-06-21

岡留安則『「噂の真相」イズム―反権力スキャンダリズムの思想と行動』

いかに「言論の自由」を希求して闘い抜いたのか。は結構な話だ。しかし、實際に岡留氏らの希求した「言論の自由」は、「体制派」への嫌がらせの手段としての「言論」の自由だつたのではないか。「噂の真相」のやり口は餘りに惡どかつた。その爲に、「噂の真相」は、一部のスキャンダル大好き人間から禮讚された一方で、多くの人から反撥された。「噂の真相」が反體制派の評價を下げてしまつた側面がある事は否定出來まい。そして、「噂の真相」のやうに「惡どい」と云ふイメージが附いてしまつた反體制運動に反撥して、多くの人が小林よしのりや西部邁、西尾幹二の保守的な言論の支持にまはり、「つくる會」その他の保守勢力が伸張し、ソフトファシズムが着々と進行する日本の惨状が出來してしまつた、と言ふ事が出來る。「噂の真相」は、イメージ戰略で大失敗をやらかし、政治運動として失敗に終つたのである。

――と言ふか、ウワシン反骨魂は健在なり!つて、精神主義以外の何物でもないと思ふ。精神主義は、彼等「ウワシン」が毛嫌ひするところの國粹主義の大日本帝國を支配した代物で、或意味日本的な代物だが、「ウワシン」もまたその日本的な餘りに日本的な精神主義から逃れられないのではないか。彼等は、論理的に正しい事、眞實には何の興味もなかつた。ただ單に、感情的に反體制であつただけであつた。だからこそ、感情的なアジテーションを專ら「武器」としたのであらう。彼等のやり口は、ただ單に、氣に入らない相手を「不快にする」と云ふものであつた。だからこそ、反動を招いたのである。そして、彼等は餘りにも政治的であるにもかかはらず、さうした政治的な失敗を悟らない。不思議な話である。

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