初出
「闇黒日記」平成二十一年七月
公開
2009-12-06

戒能通孝『裁判』

平成二十一年七月十三日
日本人なんかが何時でも公正な判斷を下せる訣がなく、例へば「義」とKirokuroが私が當事者の裁判(假に)の裁判員になつたりしたら、彼等は間違ひなく公正を缺いた一方的で偏つた判決を下さうとするに決つてゐる。だから現實の裁判員制度に私は信頼を置かない――と言ふより日本人には無理だと思つてゐるのだが、しかし、日本人が全員、理想的な裁判官のやうになるべき事を私は望んでゐる。それが何うせ無理だから、裁判員制度なんてものはあつてもなくても何うでも良いと私は思ふ訣だし、そんなものに必死になつて反對して見せる意味もないと思ふ訣だ。
戒能通孝『裁判』(岩波新書青版63)

日本のインテリゲンチァにとって、自らの意見をもつことは、出世には縁遠いことである。しかしそれにもかかわらず、他人の意見を受賣して歩くのではなく、自己の學びとった意見をもち、それを正直に告白することは、何といっても樂しいことである。意見をもつためにはどうしても事實を知らねばならない。しかし事實から引出した意見が、その場その場の空氣で變るのは、意見として通用することでなく、やはり一種の日和見にすぎない。日和見主義は意見をもたないか、他人の意見を鵜呑みにするのと同じであって、彼自身の獨自的なものということができないであろう。インテリゲンチァにとって、これは大きなわなであり、そのわなに落ちこんでしまったら、やはり出世の道は歩けるかも知れないが、生活の喜びは失わねばならない。

意見は法則的でなければならない。だが現在ほど激烈な社會変動を前にして、法則的なものを意見としてもつことは、むろん決して生易しいことではない。それには懸命な事實の蒐集を要するし、またどんな事實が現れても、事實そのものに卷きこまれ、感情によって動くことを排除しなければならない。インテリゲンチァは要するに中立者であり、たとえ階級鬪爭のさ中にあろうとも、鬪爭ができるだけ被害の僅少な、秩序あるルールに從った鬪技として實現することにつき、いかに少くとも功献するところがなければならないと思われる。

人はこの種の中立的立場を指して、逃避主義というかも知れない。だが中立は逃避どころか、この上ない鬪爭の一つである。それは酬いられない鬪爭であるという意味において、どのような階級鬪爭の鬪士より、もっと慘めな苦痛の多いものである。だがこのような苦痛を甘受する人の比重が輕くなるならば、鬪爭はやはり亂鬪となり、人間性を失い盡すところまでいかなければ、終りを告げることはないであろう。自ら「地の鹽」と豪語することは尊大である。けれども「地の鹽」たる心をもつ人がなくなることは、社會自體の沒落、階級的共倒れにまで發展しないであろうとは、誰が保障してくれるであろうか。

理論的に考えられる裁判官の職能は、まさにこのインテリゲンチァの職能を代表するものである。だからして「裁判」の問題を取扱うことは、一面においていかにしたら出世しないかを取扱うとともに、いかにしたらルールをまもり得るかを取扱うことができるようになるであろう。この書は、この點についての取扱いを含みつつ、全インテリゲンチァの問題として、社會的判斷の問題を取扱う試みをしたものの一つである。……。

この本は昭和二十六年に出た本で、著者は共産主義の立場の人だが、共産主義者の言ふ事は屡々實に尤もなもので、私は共産主義を信じないが、共産黨の言ふ事なんかは結構當つてゐると思つてゐる。殊に原則論で共産黨の言つてゐる事は屡々妥當だ。
今囘の都議會議員選擧でも、自民から民主への政權交替と言つてゐるけれども民主も所詮は與黨だと共産黨は指摘してゐて、その通りだと思ふ。
本書pp.199-201。

ギトロー事件もまた社會主義宣傳の問題にかかった事件である。この事件は・ニュー・ヨーク州の法律により暴力による政治組織の變革およびその煽動を處罰する規定があるにもかかわらず、一九一九年六月ニュー・ヨーク市で組織された社會黨左派の役員ベンジァミン・ギトローなるものが、「左翼宣言」と呼ぶ文書を起草し、その末尾に「コンミュニスト・インターナショナルは、全世界のプロレタリアートに對し、最後の鬪爭を呼びかける」と書いたことそのことが、果して犯罪行爲になるか否かという事件であった。裁判所の多數意見を代表するサンフォード判事の見解は、右の文書が「共産革命」・階級鬪爭・大衆動員・政治的ストライキその他を煽動した具體的行爲であって、「これは單なる哲學的抽象論でも、將來の豫言でもなく、直接的煽動文書であって」、處罰に價する行爲であるとした。彼はさらにこの種の文書を頒布したため刑罰を受けることは、連邦憲法修正第十四條に違反するものではないかとの論點に答え、「ほんの一寸した革命の火華でも」、そのなかには常に現實的な危險があるとして、ニュー・ヨーク州法の適用を維持しようと試みた。ホームスのこれに對する反論は、短いがしかし力のこもったものである。

ブランダイス判事と私とは、この判決がくつがえさるべきものだという意見である。……このいわゆる宣言は、單なる理論でなく、煽動であると稱された。しかしすべての思想は煽動である。思想は必らず煽動をともなう。ある思想の正しさを信ずるものは、他の思想によって考え直させられるか、氣力が十分でないために行動をその誕生前におし殺すかしないかぎり、必らず煽動に移るものである。意見の表現と狹義の煽動との差異は、發言者が結果に對してもっている熱意の差異だけである。雄辯は理性に火をつけるかも知れない。しかし法廷に提出されたおびただしい文書をどうみても、それは現在大火事を起す機會をもつものではない。長い目でみた場合、プロレタリア獨裁という觀念のなかで示された信仰が、社會の有力な部分に受入れられる運命をもっているにせよ、言論の自由を信ずるものは、それにその機會を與え、その道の開かれることを認めねばならない。」

ホームスのこの意見に從えば、少くともごく切迫した期間において、秩序の破壞とか武裝蜂起による革命運動の勃發を促進するものであることを、明瞭にかつ客觀的に一點の疑いなく證明できるような文書・演説を除くほか、單なる宣傳、漠然たる煽動を處罰する意味に解釋されたニュー・ヨーク州の法律は、違憲立法に該當するほかないのである。すべての宣傳が煽動の名において禁止されるなら、その思想は一切の機會を奪われる。これは自由の否定であり、獨裁の合法化に外ならない。ホームスはかく信じ、またかく判決しているのである。

福田恆存も「言論の自由を否定する言論にすら、言論として自由を認めなければならない」としてゐる。
この意見に對して自稱「自由民主主義者」の某氏が激怒して、Yahoo!掲示板で激しく攻撃を加へ、「自由を否定する言論は危險だから彈壓しなければならない」と叫んだ事がある。「自由民主主義者」なるものが――開高健の自稱した立場であるけれども――自由主義も民主主義も認めない、要は極めて過激な左翼の一波である事を、私は後に知つた。
ディレンマの存在しない、物事を簡單に割切る態度を、私は信用しない。
平成二十一年七月十五日
戒能通孝『裁判』は、昔の裁判にかかはつた人々――裁判官、辯護士、或は被告――を紹介した本だが、各章、その人物が讀者に語りかける形式をとつてゐる。現代の裁判制度が確立される過程を解説した本だが、基本的にイギリス及びアメリカにおける法の考へ方に基いて、司法の獨立と法の支配について扱つてゐる。
先日の川島氏の本について、補足的な説明になるので、一部拔き書き。二十三〜二十四ページ。

イギリスの法律というものは、必ずしも制定された明文の法規からだけ成るものではありません。すなわち議会の同意を得て制定された法律は、裁判所でも適用すべき法律であるこというまでもないのですけれども、この外に社会を規律する何らかの規則があって、この規則はある訴訟事件が起ってくるごとに、裁判官によって理性と論理の力によって発見されるものであるという前提がとられているのです。われわれはこの種の、つまり裁判官によって発見された法規の體系を、コンモン・ローと呼んでいます。そのわけはこの種の法律こそ何人にも共通する規則であり、あらかじめ判決の以前からあるものが、見出されるにすぎないとの立場を取っているからです。コンモン・ローはそのために最上級裁判所の判決のなかに現れる法規であり、しかも一旦判決が出されると、新しい立法によらねば變えることができないものと解釋されています。なぜならば、コンモン・ローは裁判官が自分の力で作ったものでなく、前からあるものを發見しただけなので、それを變更する唯一の方法は、立法以外にないことは明かだというのが、われわれの論理になっているからです。

平成二十一年七月十七日
私は裁判員制度に反對しないが、それは裁判員制度に贊成だからではなくて、反對しても意味がない――少くとも、日本では、反對したところで現實的に何の效果も無い――からに過ぎない。
裁判員制度が、國民全體の要求が世間で高まり、それで政治の場に上げられて、それで成立したものでない事は、誰でも知つてゐる。けれども、上から下に與へられた、と言ふより、先進國から持つて來た制度であつても、我々國民は消極的な反對しかしないし、制度を定めた政治家・爲政者は反對意見に耳を傾けない。Kirokuroの意見を見れば解るやうに、我々は精々「面倒臭い」「嫌である」と言ふ事しかしない。積極的に裁判員制度の害を主張する人は稀だ。「國民が參加する裁判」――より民主的な制度――と云ふ大義名分がある事は言ふまでもないが、それより我々は「一度決つてしまつた制度」に反對しない。裁判員制度に「反對」なKirokuroも、あと何十年か、生れるのが遲かつたら、生まれた時には既に存在した制度に賛成する――も何もない、あつて當り前のものなのだから、理由があつて反對する人がゐたら、例によつて見下すやうな態度をとつて、嘲り、笑ひものにするだけだらう。そして日本人は多かれ少かれ「Kirokuro的」なのであり、ただ目の前に「ある」物を「ある」と云ふだけの理由で崇め奉り、「ある」物に反對する人を「ある」物に「反對してゐる」と云ふだけの理由で侮蔑する。
――だつてさうだらう。國民の意見が一致して、政治の場に上げられたのではない、ただ一部の勢力が自分逹の狂信を押附ける形で強引に政治の力で國民に押附けた制度が、現在では既成事實として受容れられ、狂的に信じられてゐるのだ。「當用/常用漢字」「現代仮名遣/かなづかい」――多くの日本人は、既成事實として、新字新かなが「ある」のを「當然の事」と思ひ、反對者を「ある」物に反對してゐると云ふだけの理由で侮蔑してゐる。もちろん、私は國字改革には何時まででも反對し續けるけれども、反對したところで大勢がひつくり返る筈もない事はよく判つてゐる。だからこそ、裁判員制度なんてものに反對して見せる事も無駄だと言ふ訣だ。當てつけである。この種の嫌みは、言つたところで、解らない人には絶對に解らない。が、嫌みでない言ひ方で意見を言つたところで、日本では「通じない事は絶對に通じない」。だから私は嫌みを言つて憂さでも晴らさうとする訣だ。
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