日本のインテリゲンチァにとって、自らの意見をもつことは、出世には縁遠いことである。しかしそれにもかかわらず、他人の意見を受賣して歩くのではなく、自己の學びとった意見をもち、それを正直に告白することは、何といっても樂しいことである。意見をもつためにはどうしても事實を知らねばならない。しかし事實から引出した意見が、その場その場の空氣で變るのは、意見として通用することでなく、やはり一種の日和見にすぎない。日和見主義は意見をもたないか、他人の意見を鵜呑みにするのと同じであって、彼自身の獨自的なものということができないであろう。インテリゲンチァにとって、これは大きなわなであり、そのわなに落ちこんでしまったら、やはり出世の道は歩けるかも知れないが、生活の喜びは失わねばならない。
意見は法則的でなければならない。だが現在ほど激烈な社會変動を前にして、法則的なものを意見としてもつことは、むろん決して生易しいことではない。それには懸命な事實の蒐集を要するし、またどんな事實が現れても、事實そのものに卷きこまれ、感情によって動くことを排除しなければならない。インテリゲンチァは要するに中立者であり、たとえ階級鬪爭のさ中にあろうとも、鬪爭ができるだけ被害の僅少な、秩序あるルールに從った鬪技として實現することにつき、いかに少くとも功献するところがなければならないと思われる。
人はこの種の中立的立場を指して、逃避主義というかも知れない。だが中立は逃避どころか、この上ない鬪爭の一つである。それは酬いられない鬪爭であるという意味において、どのような階級鬪爭の鬪士より、もっと慘めな苦痛の多いものである。だがこのような苦痛を甘受する人の比重が輕くなるならば、鬪爭はやはり亂鬪となり、人間性を失い盡すところまでいかなければ、終りを告げることはないであろう。自ら「地の鹽」と豪語することは尊大である。けれども「地の鹽」たる心をもつ人がなくなることは、社會自體の沒落、階級的共倒れにまで發展しないであろうとは、誰が保障してくれるであろうか。
理論的に考えられる裁判官の職能は、まさにこのインテリゲンチァの職能を代表するものである。だからして「裁判」の問題を取扱うことは、一面においていかにしたら出世しないかを取扱うとともに、いかにしたらルールをまもり得るかを取扱うことができるようになるであろう。この書は、この點についての取扱いを含みつつ、全インテリゲンチァの問題として、社會的判斷の問題を取扱う試みをしたものの一つである。……。
ギトロー事件もまた社會主義宣傳の問題にかかった事件である。この事件は・ニュー・ヨーク州の法律により暴力による政治組織の變革およびその煽動を處罰する規定があるにもかかわらず、一九一九年六月ニュー・ヨーク市で組織された社會黨左派の役員ベンジァミン・ギトローなるものが、「左翼宣言」と呼ぶ文書を起草し、その末尾に「コンミュニスト・インターナショナルは、全世界のプロレタリアートに對し、最後の鬪爭を呼びかける」と書いたことそのことが、果して犯罪行爲になるか否かという事件であった。裁判所の多數意見を代表するサンフォード判事の見解は、右の文書が「共産革命」・階級鬪爭・大衆動員・政治的ストライキその他を煽動した具體的行爲であって、「これは單なる哲學的抽象論でも、將來の豫言でもなく、直接的煽動文書であって」、處罰に價する行爲であるとした。彼はさらにこの種の文書を頒布したため刑罰を受けることは、連邦憲法修正第十四條に違反するものではないかとの論點に答え、「ほんの一寸した革命の火華でも」、そのなかには常に現實的な危險があるとして、ニュー・ヨーク州法の適用を維持しようと試みた。ホームスのこれに對する反論は、短いがしかし力のこもったものである。
ブランダイス判事と私とは、この判決がくつがえさるべきものだという意見である。……このいわゆる宣言は、單なる理論でなく、煽動であると稱された。しかしすべての思想は煽動である。思想は必らず煽動をともなう。ある思想の正しさを信ずるものは、他の思想によって考え直させられるか、氣力が十分でないために行動をその誕生前におし殺すかしないかぎり、必らず煽動に移るものである。意見の表現と狹義の煽動との差異は、發言者が結果に對してもっている熱意の差異だけである。雄辯は理性に火をつけるかも知れない。しかし法廷に提出されたおびただしい文書をどうみても、それは現在大火事を起す機會をもつものではない。長い目でみた場合、プロレタリア獨裁という觀念のなかで示された信仰が、社會の有力な部分に受入れられる運命をもっているにせよ、言論の自由を信ずるものは、それにその機會を與え、その道の開かれることを認めねばならない。」
ホームスのこの意見に從えば、少くともごく切迫した期間において、秩序の破壞とか武裝蜂起による革命運動の勃發を促進するものであることを、明瞭にかつ客觀的に一點の疑いなく證明できるような文書・演説を除くほか、單なる宣傳、漠然たる煽動を處罰する意味に解釋されたニュー・ヨーク州の法律は、違憲立法に該當するほかないのである。すべての宣傳が煽動の名において禁止されるなら、その思想は一切の機會を奪われる。これは自由の否定であり、獨裁の合法化に外ならない。ホームスはかく信じ、またかく判決しているのである。
イギリスの法律というものは、必ずしも制定された明文の法規からだけ成るものではありません。すなわち議会の同意を得て制定された法律は、裁判所でも適用すべき法律であるこというまでもないのですけれども、この外に社会を規律する何らかの規則があって、この規則はある訴訟事件が起ってくるごとに、裁判官によって理性と論理の力によって発見されるものであるという前提がとられているのです。われわれはこの種の、つまり裁判官によって発見された法規の體系を、コンモン・ローと呼んでいます。そのわけはこの種の法律こそ何人にも共通する規則であり、あらかじめ判決の以前からあるものが、見出されるにすぎないとの立場を取っているからです。コンモン・ローはそのために最上級裁判所の判決のなかに現れる法規であり、しかも一旦判決が出されると、新しい立法によらねば變えることができないものと解釋されています。なぜならば、コンモン・ローは裁判官が自分の力で作ったものでなく、前からあるものを發見しただけなので、それを變更する唯一の方法は、立法以外にないことは明かだというのが、われわれの論理になっているからです。