公開
2007-07-06
最終改訂
2007-11-25

ルネッサンス的人間像 ―ウルビーノの宮廷をめぐって―

下村寅太郎氏による人物評傳。

ルネッサンスの頃、イタリアの小國ウルビーノには、立派な宮廷が存在し、多くの文化人が出入りした。著者は當時、日本では餘り知られてゐなかつたこの小國の盛期を、イタリア・ルネッサンスにおける一つの頂點と見て、詳しく紹介してゐる。

内容

文章は凡庸であるが、ルネッサンスと云ふ時代の一斷面を切出し、生き生きと描寫してゐて、面白く讀める。第十章まではウルビーノの宮廷の樣子を説明し、その消長を描いてゐる。第十一章は視點を變へ、イタリアの一小國からイタリア及び當時のヨーロッパ全體に擴大する。ウルビーノなる小國に全盛期を齎したのはフェデリゴ・モンテフェルトロなる人物であるが、その「職業」は「傭兵隊長」であつた。このルネッサンス期にのみ存在し得たイタリアの「傭兵隊長」と云ふ概念をめぐつて、著者は檢討を進める。

著者は、「個人・個性」の實現を目的とする「傭兵隊長」なる「職業」が成立した事をイタリアのルネッサンスにおける一つの特徴と看做す。從來、例へば君主に對する忠誠の爲に戰はれた戰爭は、ルネッサンスにおいて戰爭の爲の戰爭に變化した。即ち、他者の爲に戰はれた戰爭が、今や職業としての傭兵隊長には自己目的の戰爭と化したのである。宗教的道徳的乃至民族的目的をもたない戦争、単にゲームとしての戦争は存在したことはないが、ルネッサンスの時代には「新しい戰爭」が出現した。

傭兵隊長が背信や裏切りを常習としても、僭主が道徳や宗教と関係なしに政治目的のみを追求したのと何ら変りはない。――かうした「他者の爲でなく自己の爲の行爲」が出現した事がルネッサンスであると著者は述べ、幾つか興味深い指摘をしてゐる。即ち、マキャベリの「君主論」における主張も、かうしたルネッサンスにおいては自然な事であつたのだ、と云ふ指摘、或は、個性の追求、個別性を自己目的とすることは、全体との調和的統一性を無視することによって初めて可能になる。と云ふ指摘である。「全體との調和的統一性」を目指さなかつたイタリアのルネッサンスは、近代のイタリアが國民的統一を失つた一つの理由だと著者は述べてゐる。そして、ルネッサンスの特徴、即ち「全體との調和的統一性の缺如」は、近代の特徴にほかならない。

一方、モンテフェルトロのやうな立派な傭兵隊長もまたルネッサンス人の別の一つの典型である。レオナルド・ダ・ヴィンチにも統一性への志向が見られる。「個人・個性」への志向と「統一性」への志向が、ともにルネッサンス人には見られる。この事を著者は「謎」と言つてゐる。


惡名高いチェーザレ・ボルジアが、果して本當にその惡名ほどに極惡非道な人間であつたか何うか、著者は疑問を呈してゐる。もちろんチェーザレが決して善良誠実な人間ではなかったことは事実であるとしても、その悪名は誇張されていることも事実である。悪名があれほど高くなったのは、H. G. Vaughanによると、彼の父アレクサンドル法皇と彼自身の死後のことである。――本書全體の中ではちよつとした指摘だが、定説に對する挑戰として興味深い。

マキャベリがチェーザレを高く評價した事について、彼自身チェーザレを直接知って居り、同時代人として事実をも承知していた筈であることを念頭に置く必要がある。彼のチェーザレに対する好意は単に自己の思想・理論の実践者のゆえのみではないであろう。と著者は言つてゐる。後世に傳へられる「惡名」「惡評」と云ふものも、敵對者によつて後に作り上げられたものである可能性がある。確かに注意すべき事である。

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