- 初出
- 「絶對の探究」2004年6月25日
- 公開
- 2004-10-10
- 最終改訂
- 2005-06-20
堀米庸三『歴史と人間』(NHKブックス32)
- 歴史と人間
- 昭和四十年十一月二十日第1刷発行
- 堀米庸三著
- 日本放送出版協会・NHKブックス32
昭和三十一年の「昭和史」論爭を扱つたもの。堀米氏は、論爭において出された幾つかの主張や意見を檢討し、それらを通して「歴史」と「歴史學」の觀念について考察してゐる。
内容から
龜井勝一郎氏が現代の歴史家に呈した苦言は、「文學的粉飾」もあるけれども、無視すべき事許りではない、と堀米氏は評價する。
そして、『昭和史』執筆者、及びそれを支持する歴史家に對して、堀米氏は述べる。
- 遠山茂樹氏は、龜井氏の批判を受けて率直な反省の氣持を表明してゐるが、その文章で「政治的立場と學問的立場の癒着」は當然だと思つてゐる事を率直に語つてゐる。しかしそれは説得的でない。
- 和歌森太郎氏は龜井氏に反論して「歴史を『一般』で割切つてはならない」と指摘してゐる。しかし、その「一般」が「先驗的ドグマ」である場合にのみ、和歌森氏の主張は正しい主張である。實際には、歴史も多くの一般概念を用ゐて、はじめて記述や研究が可能である。
浅田光輝氏は、遠山氏を批判して、以下のやうに指摘してゐる。
- 日本共産党、或は「あるべき前衛の立場」と云ふ政治組織の立場に立脚する遠山氏の歴史理論は、立脚する政治組織の立場そのものが客觀的な歴史批判の立場から批判の對象とされる。
- 遠山氏が據つてゐると述べた「27年テーゼ」と「32年テーゼ」とには矛盾がある。
- 遠山氏が立脚してゐると述べた「27年テーゼ」と「32年テーゼ」は、ともに政治文書であり、「政治文書は、体系的な思想としての科学を前提とすべきものであるが、政治的文書がそのまま科学でありうるものではない」。
マルクス主義者が屡々冒した誤は、
- 史的唯物論の世界觀と學問の方法とを混同した事
- 史的唯物論の原則と個々の事物におけるパターンとを、相互に論理的必然の關係を以つて結び附けた事
の二つである、と堀米氏は指摘する。
社會科學の理論では、原則論と「型」の理論とを「相互に矛盾のない適合的な聯關があれば良い」とする。そして、「相互に論理的必然の關係を以つて結び附ける必要はない」。と云ふのは、どちらも學問的には假説であるからである。
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