初出
「闇黒日記」平成二十一年七月十一日
公開
2009-12-06

齋藤榮三郎著『キリスト教の社會思想』

齋藤榮三郎著『キリスト教の社會思想』(同人館)は、兔に角平和・中立・非戰に關係した事を何でもかんでも採上げた本だが、そこに以下のやうな記述がある。(轉載に當り章末にある注を文中に展開した)

カトリックは平和を祈る。戦争は国の大事、国家興亡のわかれるところ、決して軽々しく始め得べきものではない。しかもなお、昔からカトリック教徒の国々の間にも、幾度か激しい戦争がくり返された。そして兵士達は戦場に臨むに当たって、また生死を賭した激戦を前にして、ひたすらに神意――それは敵味方とも同じ神であるはずの――にかない得まするようにと真剣な祈りを捧げて矛盾を感じない。何故であろうか。この答は佐藤隆氏によれば「国々には戦いを賭しても貫こうとする正義感とそしてその意志があるからである。蓋しその正義感と意志とを失った国家は、もはや存立の意義がなかろう。神は人に『意志』を与え、しかしそれを人に委された。意志の動きはその人のものであって、いかなる教義の力もそれを『善』に導こうとするものではあっても、意志そのものを司ることはできない。人の作る国家の意思も同様である。教会はひたすら平和を祈りこれをすすめる。しかし国家の意志そのものの働きを司ることはできないし、また国家間の正義の判決者ではあり得ない。それは神ご自身の摂理によって示されるものであり、歴史がそれを解明するであろう。人はただ国家の意志に忠順であれば以って足りる」としている。(佐藤隆著 花の孤島 一四三頁)

永久平和を確保するためには、各国の軍備を全廃し、キリスト教の生活に全人類を導くことである。(H.A. Leete; Demand Peace, p.12)

この二つの段落の間にどのやうな聯關があるのか、私にはさつぱり理解できない。

佐藤隆『花の孤島』に興味を持つたので調べてみようとしたのだが、ウェブではさつぱり判らない。現状不明。何か情報を御持ちの方は御一報を。

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