初出
「闇黒日記」平成十七年九月十四日
公開
2005-11-20

泉井久之助『ヨーロッパの言語』(岩波新書青版)

泉井久之助『ヨーロッパの言語』(岩波新書青版699)讀了。讀み通すのに一箇月くらゐかかつた氣がする。語形の變遷を扱つてゐるけれども、名詞一語とか動詞一語とかを採上げて單純に變化の樣子を見るとか云つたものではなく、格とか數とか性とかの文法上の機能に著目して、詳細な「意味の違ひ」や「ニュアンスの違ひ」やを表現するのに如何にそれぞれの言語が特殊な發達を遂げたか、といつた事を――それと同時に、如何に「保守的」にラテン語やそれ以前の古い印歐語の決り事を守つて來たか、といつた事を、具體的に例を擧げて説明してゐる。「文法上の機能を表はす語」=「『記號的な意味を表現する語』を結合して飛躍的に思想を生成する語」について、本書では歴史的な觀點から説明されてゐて、或程度參考になる――ソシュール以來の構造主義的・記號學的言語學では、その邊の檢討が、特に初級の・入門的な參考書ではきちんとなされないやうな氣がするので、言語とか言語學とかに興味を持つ人は、問題意識を持つ爲にも、本書のやうな言語史にも接する機會を持つのが良いだらうと思ふ。と言ふか、專門に言語學をやつてゐる人にはかう云つた本も常識なのだらうけれども、「我々」――所謂正字正かな關係者も表音主義者も、「素人」である「我々」――は案外知らない。日本の表音主義者には漢語排斥論者みたいな人もゐたけれども、現代のロマン諸語がラテン語由來の言葉を拔き取られると學問もやれないやうな状態に陷るなんて事實がある訣で、「外來の單語は排斥すれば良い」みたいな言ひ方が安易に出來ない事は洋の東西を問はない。單純な「ことばをやさしく」のやうな運動も良かれ惡しかれで、習ひ易く直ぐに簡單な事を言ひ表せてるやうにしても、熟達して複雜な表現をするのが極めて難しい、と云つた事態に陷る事はあり得る。さう云つた事を理解するには視野を擴げておく必要がある訣で、逆に言へば、視野が狹いから簡單に「人の手で言語は改變出來る」のやうな事を主張出來てしまふ。さう云つた主張に説得力のある反駁を行ふ爲にも、正字正かな派の人にはそれなりに視野を擴げておいていただきたいと思ふ。「それなりに」と言ふのは、「マニアになる勿れ」と云ふ事。マニアはマニアで矢張り視野狹窄に陷り勝ち。或程度は自分のやつてゐる事を冷靜に反省出來るやうな、良い意味で「素人」の域に留まつておくのが安全だと思ふ。

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