公開
2003-09-06
改訂
2017-06-09

高田保

略歴

その死後、大磯の坂田山に高田保公園が作られた。墓碑及び自筆の文学碑がある。

著書

ブラリひょうたん
『東京日日新聞』に連載されたコラム。
昭和25年8月〜29年4月、全4卷、創元社。
『ブラリひょうたん』(早稲田大学図書館)
『ブラリひょうたん』單行本表紙(カヴァ缺)
創元文庫版あり。二卷の解説は福田恆存。
『第二ブラリひょうたん』文庫本
のち毎日新聞社から三卷本で再刊された(昭和五十三年)。
『ブラリひょうたん』毎日新聞社版
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『ブラリひょうたん』「審査投票」で高田保が書いてゐる。

キング・イングリッシュとプレシデント・イングリッシュとを比べたら、プレシデントの方がずっと簡便だが、その簡便をもっと簡便にしたいと考えたプレシデントがあった。鼻眼鏡と虎狩りで有名なセオドール・ルーズヴェルトである。

動詞の語尾変化をみんなtの字だけつければよいことにしようという説など、相当共鳴者もあったのだそうだが遂に実現しなかった。言葉は生きもの、アメリカのような国でさえ簡便ということだけではどうにも動かせなかったところに微妙なものがある。

それを政府の方針だけで決め、一片の布告で国民に押しつけてしまったのが日本だから大したものだ、「新体制仮名づかい」とか「漢字制限」とか、まことに政府の権能は大したものである。ところがこれは、憲法学の権威故美濃部博士の説によると、明らかに憲法違反になるのだそうだ。そういわれるとわれわれ素人にもわかる気がする。それでこそ憲法だという気になれる。

国語をいじくると、これがもしもフランスだったら大騒動だろう。何しろドイツ語は馬の言葉で、英語は犬の言葉で、わがフランス語だけが人間の言葉だと誇っている国民である。事がフランス語に関したらそれはフランスの伝統的道徳につながる問題だとして騒ぎ立てる。その事例なら数え切れぬほどであるだろう。

「ブウルボン宮殿をアカデミイの如くにした」と木下杢太郎がパリ通信の中に書いているのもその事件の一つだ。中学校の必修課目としてラテン語、ギリシャ語を残すべきか除くべか、日本ならば平気で文部省内の一局ぐらいで片付ける問題だが、これが国会の議題となり、甲論乙駁、二十日余りにわたってやっと納まったのだそうだが、国会が、ためにアカデミイの如き観を呈したということ、われわれとしてはただうらやましいと嘆息するだけである。

最高裁判官の経歴書というのが廻って来たが、これだけではどうにも頼りない。曖昧なものは判定の材料として取上げぬのが裁判の常識だと聞いていたが、これで投票しろというところをみると、裁判と審査とは違うのだろう。それにしても、もしも文芸家協会あたりで「新制仮名づかい」の決定を憲法違反で告訴してくれていたらと思った。

つまりその判決次第で、私は確信的×印をつけることが出来たろうからである。

  • (一・二三)
高田保對談集『二つの椅子』
昭和二十五年六月二十日發行・朝日新聞社
『高田保對談集『二つの椅子』』表紙
『高田保對談集『二つの椅子』』目次
福田恆存との對談で高田氏は以下のやうに述べてゐる。
福田
言葉にしても五線紙の上に書くものは世界語だし、絵画にしても色調というものは、つまり一つ言葉でしょう。その点、文学に比べて羨ましいですよ。
高田
日本文学にノーベル賞が來ないのは日本語で書いているからだと、事もなげに石川達三君が言ってるんだが、
福田
事もなげには困るけれども、日本語の地方性というものが日本文学の世界性を妨げていることだけは事実でしょう。
高田
その事実を認めるから、ぼくはこの際思い切って國語國字の革命をやってしまえという論者なんだが、しかし文学者諸君はその問題に対して大体保守主義者らしい。
河童ひょうろん
昭和26年9月25日・昭和26年11月10日6版、要書房
『河童ひょうろん』表紙
青春虚實
『オール讀物』に連載された自傳的短篇小説を集めたもの。
昭和26年12月15日初版・昭和27年1月30日再版、創元社。
『青春虚實』表紙(カヴァ缺)
いろは歌留多
「新夕刊」に連載されたコラム「風話」を單行本化した際に改題。「新夕刊」はもと「やまと新聞」で、現在の「東京スポーツ(東スポ)」のルーツ。解説の永井龍雄は「新夕刊」について以下のやうに書いてゐる――小林秀雄、林房雄、河上徹太郎、横山隆一、同泰三、清水昆なぞの名を編集陣につらねた「新興の新聞」だつた。「風話」は高田保の最初の連載隨筆。
昭和二十七年一月十五日、文藝春秋新社。
『いろは歌留多』單行本表紙
我輩も猫である
昭和二十一年に新聞「新大阪」に『猫』と題して連載された中篇小説を「我輩も猫である」と改題。併せて隨筆「どろどろつくどん」を收める。
昭和廿七年四月十日發行・要書房
『我輩も猫である』カヴァ
人情馬鹿
昭和27年5月31日、創元社。
『人情馬鹿』表紙
以下の附録を收める。
高田保の死
廣津和郎
かなしみ歌 高田保にさゝぐ
菊岡久利
高田保を偲ぶ(座談會)
久保田万太郎
徳川夢聲
關口次郎
佐々木茂索
佐藤丈夫
大宅壯一
弔電
久米正雄
遺墨
人情家保ちやん
久住良三
ブラリひょうたん日記
高田の遺したノートからの拔粹と當時單行本未收録だつた隨筆を集めた最後の著作集
昭和廿八年六月卅日發行・要書房
『ブラリひょうたん日記』表紙
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