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戦後の日本語があらゆる意味で紊れ切り、その血肉が稀薄になってゆくことを慨いて居られた先生は、御自身の文章が新假名に変へられて印刷されることを嫌悪して居られた。先生は、漢字制限にも大反対であり、むつかしい語法や微妙な差異のある漢字を調べることは、人間の精神を陶冶すると主張して居られた。これは先生として当然なお考へだし、私も、これに心から贊同してゐる。
私自身は、あまり正確でない旧假名で文を綴るのに慣れてしまってゐるので、さうしてゐるが、自分の語法に自信がないから、新假名に変へられて印刷されてもいたし方ないと思ってゐる。そして、「さういふ考へがそもそも日本語の紊乱の緒口になるのだ」と、先生から度々叱られたことを記憶してゐる。
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