ソシュールは「言語」を「諸記號の一體系」と定義する。しかし、記號と言語の記號とは性質が異り、既成の言語學では言語を扱へない。そこで、ソシュールの所謂「言語學」を成立させる爲に、既成の記號學の域を超えた、より廣い範圍を含む「記號を扱ふ學問」を要請する。
當時の文獻學的言語學に對して、「より科學的」な「言語學」の必要を恐らくソシュールは主張したかつたものと思はれる。
記號學としてあり得る一聯の學問の中から、特に言語に關する科學を獨立して組織させる事――或は、樣々な記號學的體系の中で言語を特異な一つの體系としてゐるものを規定する事――は、言語學者の任務である、とソシュールは述べてゐる。
ソシュールは、記號學の必要を力説してゐる。既成の學問では見出し得なかつた事實を、記號學が「明るみに出す」可能性をソシュールは示唆してゐる。しかし、ソシュールにして見れば、言語學において初めて記號學の本領が發揮されると考へてゐたらしき節がある。根本的なソシュールの關心は、言語よりも記號にあつたやうだ。ソシュールの「言語學講義」は、言語の檢討と言ふよりも、寧ろ、言語を通した記號――記號學的體系の檢討であると考へた方が良い。
文字に於ては以下のやうな記號の性質がある、とソシュールは述べてゐる。
文字は、共同體の中で或種の合意がなされ、その成員間で或種の契約がなされてゐると看做す事が出來る。その合意・契約は自由に行はれ、恣意的な内容であるが、ただ、社會的になされた合意・契約が既に存在してゐる場合、個人、或は共同體全體ですらも、それを改める事は不可能となる。この性質は、文字に限らず、言語の中に見出される。
記號を學問として扱ふ際、注意すべき點がある。
ソシュールは、言語なる記號的體系が社會的生産物である事を強調してゐる。即ち、言語の體系は、一度成立してしまへば、それは受動的に受容れられる。一方、時間の中でその資材は變質し、記號と思考との關係を變質させる。
記號とは、單なる音節の結合したものではない――或規定された表意をそれに賦與してゐる範圍内での、音節の結合したものによつて組織された「重層的存在」である。記號と表意とは、科學的操作によつて初めて區別されるのであり、普通は一體のものとして區別されないでゐる。