清水は、のちに保守派に轉向したのだが、言葉に關しては最初から保守派だつた。だから、首尾一貫して、讀み易い文體を維持し得た。
清水の文章についての考へ方を、山本夏彦が高く評價してゐる。中公文庫版『私の文章作法』は、山本氏が中央公論社に出版をすすめ、それが實現したものであるらしい。
通俗的な「文章の書き方」に、清水は反撥する。
本書には、ウェブで文章などを公開する多くの人々にも役に立つやうな事柄が、多數書かれてゐる。
そして、文章の書き方を教へながら、清水は自分の趣味や生立ちに觸れてゐて、それも興味深い。
同じ社會學の專門家でも、清水の文體と、西部邁の文體とは、雲泥の差がある。清水の文章は名文に屬する。西部の文章は惡文に屬する。
戦後の教育が作文や綴方を無視して来ているという事実については何度か触れました。世界中を見渡しても、これは大変に珍しい──大変に情ない──ケースであるということも申しました。しかし、少し落ち着いて考えてみますと、無視されているのは文章の教育だけでなく、そもそも、私たちの大切な国語である日本語そのものが非常に粗末に扱われていることに気づくのです。
私は、夕方、研究室から自宅へ帰る時、中野駅で国電を乗換えねばならぬことがよくあります。五分間ぐらいでしょうか、中野駅のホームにボンヤリ立っていることになります。そういう場合、どうしても、駅の構内の或る建物に記された大きな文字が眼に入るのです。実物は、左から右へ書いてあるのですが、それを縦に書きますと、次のようになります。「信号転てつてこ取扱いモデル駅」というのです。実物では、「てつ」の上に丸印が二つ横に並んでいます。この宣伝用の大看板を見ていると、日本語の運命というものを考え、また、戦後の国語政策の低劣なことを考えて、本当に悲しくなってしまいます。「転てつ」というのは、もちろん、「転轍」のことでしょう。調べてみたわけではありませんが、恐らく、「轍」という字が当用漢字に含まれていないので、「てつ」と書いたのであろうと思います。次の「てこ」は、「槓杵」や「挺子」のことなのでしょうが、これまた当用漢字に含まれていないので、「てこ」と書かれているのでしょう。そして、「てつ」と「てこ」とを続けて「てつてこ」と読まれては困るという配慮が働いて、「てつ」に傍点が附せられているのでしょう。しかし、私は鉄道の技術のことを知りませんので、「転てつ」と「てこ」とが、それぞれ独立の二つのものなのか、それとも「転てつ」のための「てこ」という一つのものなのか、その辺は判りません。
やがて、電車が来て、私はそれに乗ります。電車が少し走りますと、何本も並んだ線路の向う側に「退ひ」という文字が見えて来ます。「退避」のことなのでしょう。しかし、「避」というのは、当用漢字に入っている筈です。それなのに、なぜ「ひ」と書くのでしょうか。洒落ではありませんが、なぜ「避」を避けるのでしょう。電車が更に進みますと、右手に病院の大きな看板が現われて来ます。きっと、それが専門なのでしょう、「皮フ科」とだけ大書してあります。「フ」は、言うまでもなく「膚」のことでしょう。これも当用漢字に入っている筈なのですが、どうして「膚」を避けるのでしょう。
右に挙げた、「てつ」、「てこ」、「ひ」、「フ」というような場合は、前後の関係で、何とか見当がつくのですが、どうしても見当がつかなかった経験があります。
三年ばかり前の夏だったと覚えていますが、箱根山中の茅屋に暑を避けていた時、その日の朝日新間をボンヤリと跳めていましたら、「おう面」という字が見えるのです。気をつけて見ると、それが何度も出て来るのです。これには困りました。いくら考えても、全く見当がつかないのです。イライラし、不愉快になって来ました。夏だったので、汗が出て来ました。いかにも易しいようでありながら、何のことか判らない。厭なものです。仕方がないので、その長い文章を最初から丁寧に読んでみました。読んで行くうちに、レンズという文字が出て来ました。それで、やっと、「おう面」というのは、「凹面」のことではないかと気がつきました。気がつくと同時に、もう文章を読み続ける気もなくなって、新間を投げ出してしまいました。「凹」は──「凸」も──当用漢字に入っていないので、「おう面」と書くほかはないのかも知れませんが、 一体、「おう面」という文字を読んで、それで正しい意味を理解する読者が何人いるでしょうか。
御承知のように、日本語を簡略化しようという運動は、朔れば明治時代からあったようです。しかし、古い話はやめて、第二次世界大戦頃からのことを考えてみますと、日本軍が南方諸地域を占領していた時期、これらの地域の住民に日本語を教えるという努力が行なわれていました。私の知る限りで申しますと、当時は、彼らに少しでも日本語が判って貰えればよいという態度で、日本語に間に合わせの簡略化を施していたように思います。日本語そのものとしては、実に粗末に取扱われていたわけです。そこへ、今度は敗戦です。
敗戦となりますと、従来の日本にあったものは、あれも悪い、これも悪い、ということになり、とりわけ、日本語という、この上なく日本的なものの罪が問われることになりました。日本語があったから戦争に負けたのだ、いや、日本が戦争を始めたのも日本語のせいだ、というような議論が盛んに行なわれるようになり、これからはローマ字でなければいけない、英語を国語にすべきである、フランス語を国語にすべきである、という調子の主張が各方面に現われました。志賀直哉という作家も、この際、日本語をやめて、フランス語にせよ、という意見を述べていたと思います。
戦勝の期間、南方占領政策のために粗末に扱われた日本語が、敗戦と同時に、今度は罪人のように扱われることになったのです。罪人ですから、丁寧に扱われる筈はありません。
さて、あの頃、日本語が悪いのだ、とアメリカ占領軍当局を初め多くの人々が言っていましたが、その日本語というのは、漢字仮名交り文のことです。漢字と仮名とのコンビネーションとしての日本語のことです。しかし、人々の議論をよく調ぺてみますと、特に悪いのは、漢字仮名交り文のうちの漢字である、というのが人々の意見だったように思います。
仮名の方は少し民主的だが、漢字の方は全く非民主的である、日本が民主主義国として再生するのには、先ず漢字を征伐せねばならぬ。そういう空気の中で、いろいろな意見の妥協として生まれたのが当用漢字だったのでしょう。右のような漢字悪玉論の空気があった──今もある──ために、当用漢字に含まれている漢字さえ避けて、「退ひ」や「皮フ科」のような化物が生まれて来るのです。
漢字仮名交り文というのは、日本民族の偉大な伝統である、と私は考えています。私たちの祖先は、千年以上も昔に、これを作り出し、これによってアジア大陸の文化を日本流に消化し普及する道を開き、その後、西洋文明を消化し普及する道を開いたのです。この偉大な伝統を忘れて、漢字を悪玉扱いするような民主主義は、「転てつ」や「退ひ」や「皮フ」や「おう面」などが暗示しているように、甘ったれた幼稚園的民主主義であるほかはないでしょう。