本當は今晩も殘業をしなければならなかつたのだが、ぼくはそつと職場を拔け出してこの古本市にやつてきてゐた。どうせ古本の事が氣になつて、ろくな仕事なんて出來ないさ――と、自分に言ひ聞かせながら。さう。ぼくは自稱「古本マニア」だ。古本屋で本の背中を眺めてゐられればそれで幸せな人種の一人だ。
だが、そんなぼくにとつて、今日の古本市は「大外れ」だつた。それでも片手には五册の古本が。閉店間際。アナウンスが流れる。
「當店は閉店いたしましたが、お客様はごゆつくり御買物を御續け下さい」
さう言はれても、客は皆歸つてしまふものだ。だから安心して、店の側も「ごゆつくり」等と言へるのだ。しかし、ぼくは意地になつて「掘出し物」を獵り續けた。客の姿がほとんどなくなつてから、ぼくはやつと本をレジに持つて行つた。やつぱり數は増えなかつた。
「當店は既に閉店してをります。外へはこちらのエレヴェータをご利用下さい」
初老の店員に案内されて、ぼくは扉の開いたエレヴェータに乘つた。そこに一人の女性が聲をかけて來た。
「ちよつと待つて!」
「ああ、すみません。お待ちになつていただけますか?」
店員が閉らぬやう、エレヴェータの扉に手をかけた。
乘つてきたのは不思議な女性だつた。眼鏡をかけてゐるのも、別にをかしい事ではない。兩手に古本のいつぱいに詰つた紙袋を掴んでゐるのも、古本市では珍しくはない。だがその人は、萌葱色(?)の和服に、身を包んでゐたのだ。
袋を床に置くと、その人はこつちを見た。
「ありがたう」
「あ、いいええ」
ぼくのよくわからない返事に、その人はにつこりと微笑みを返した。
「まつたく非道いわね。毎年この古本市は目録を送つて呉れるんだけど、今年はなんでか送つて呉れなかつたの」
「さうなんですか」
「さうなのよ。樂しみにしてるのに。でも、今年は大當りだつたわ」
良く喋る人だ。
「ぼくは、餘り良い本を見つけられなかったけど」
「さう? わたしはね……」
その人は、しゃがみこむと、紙袋を開けようとした。その時、エレヴェータが地上に着いた。
「ねえ、あなた、本が好き?」
「ええ……好きですけど?」
「良かつた。わたし、これからちよつとその邊で一休みしていくんだけれど、本のお話、しましよ?」
「……」
どうしようか。明日も早いのだ。それに、同僚はまだみんな仕事をしてゐる筈だ。でもなあ、面白さうな人だ。どうしようか。
「駄目?」
その人は、小首を傾げて、こちらを見てゐる。
晝間せつかくおろして來た萬札は、財布の中で依然健在だ。ぼくは心を決めた。
「いいですよ」
すると、その人はとても嬉しさうな表情になつた。
「わあ、良かつた! ぢやあ」
「でも、どこで?」
滿面に笑みを浮かべたその人は、さつさと歩きはじめた。
「知つてるお店があるの。ついて來て」
「袋、一つ持ちませうか?」
「大丈夫! それにあなた、鞄持つてるぢやないの」
それあさうだ。
「重いんだから、良いですよ」
「でも……」
時々、重さうに持ちかへるけれども、その人は店に着くまで本の袋を手放さうとしなかつた。
「談話室 敷島」といふ看板が出てゐた。マスコミ關係者が打合せに使ふといふ事で有名なお店だつた。その人は、狹い階段を上がると、窓際に席を占めた。
思はず、聲を顰めて、話しかけた。
「……ここ、高いんですよね?」
「でも、暗いところぢや、本、讀めないし。わたし、目が惡いから、ここくらゐ明るくないと、嫌なの」
ぼくたちは、コーヒーを頼んだ。一杯だけで、定食二食分くらゐ、とられる。
「あなた、どんな本、讀むの?」
「え、ぼくですか」
少し、どぎまぎする。
「今日、何買つたの?」
「ぼくの場合、雜本ばかりですから」
言ひ譯しながら、戰利品を袋から取出す。
「ふうん」
興味があるのかないのか、ぼくの本を、目の前にかざし、ぼうつと眺める。
「ごめんなさい。馬鹿にしてるんぢやないのよ、わたしの知らない本ばかりだから」
「讀まないですか、こんな本」
十數年前の推理小説。『科擧とは何か』。『トンデモ本の世界』。『奇妙な論理』。そしてロマン・ロラン。
「わたしのリストに、こんな新しい本、載つてないもの」
「新しい本……リスト?」
「ええ。わたし、そのリストの本、集めてるの――全部集めたいけど、もう無理かもね」
寂しさうに微笑んだ。
「どんな本、集めてるんですか?」
「父の本よ。父の藏書」
古いノートをとり出して、テーブルの上に、ばさりと置いた。ページを擴げる。几帳面な字で、本の題名、作者、譯者、版元、發行日、などが書かれてゐる。
「自己紹介してなかつたわね。わたしは櫻花、柏崎櫻花。わたしは父の藏書を復活させる爲に、本を買集めてゐる」
そして彼女は語り始めた。
中學校に上がつた頃、夢の中で、幽靈を見た。そいつは所謂お化けのやうな姿をしてゐなかつた。リアルな人間の姿もしてゐなかつた。逆に、とても抽象的な姿をしてゐた。圓や四角や三角で構成された、カリカチュアみたいな「幽靈」だつた。
そいつは夢の中で、寢室の壁に貼りついてゐた。わたしは、影の中に驅け込んで行くそいつの「後ろ姿」を見たのだ。アニメーションのやうに規則的に足を踏出し、遠近法に餘りにも忠實に小さくなつて行く平面の「幽靈」を。現實にはあり得べからざる二次元の怪物だつた。わたしは夢の中でぞつとした。悲鳴もあげられなかつた。體が硬直して動かなかつた。
その時、抱きしめられる感觸がした。わたしは目を覺ました。目の前に、母の首筋があつた。今まで見てゐたのは、夢だつたのだ、と氣附いた。全身に、母の體の温もりを感じた。次いで、母の胸の柔らかみを感じた。母の乳房には、くにやりとした彈力があつた。
「母さん……?」
少し、嫌惡感の混じつたやうな聲だつたのではないか。母の胸の柔らかさには、肉の持つ嫌らしさが感じられた。母に抱かれて安心した途端、わたしを襲つた不快感を、わたしは忘れない。
「何をうなされてゐたの?」
説明出來るものは、怖くない。説明出來ないものだから恐ろしい。夢の出來事は説明出來ない。それに――わたしは答へられなかつた。恐るべき夢から目覺めて、却つてわたしはその夢に取り込まれさうになつてゐた。夢の中のカリカチュアライズされた幽靈には、幾何學的な魅力があつた――單純化されたものの持つ、魅力が。夢の中で、そいつに取り込まれる事をわたしは恐れた。しかし、目覺めてわたしは、單純化されてゐない、具體的な肉の感觸に、思はず嫌惡感を催したから。
「大丈夫?」
「……大丈夫」
わたしの兩手は、母の肩を押した。わたしはそつと、母から離れた。時計を見ると、螢光塗料の塗られた長針が「丑三つ時」を指して光つてゐた。かすかに蟲の聲がきこえた。季節は夏だつた。
わたしは手洗ひに立つた。雨戸を開け放した窓から射し入る月光が、寢室の壁に影を作つてゐた。夢の中の影はのつぺりとしてゐたが、自然の影には斑があつた。
單純で、人工的な「幽靈」を夢に見たのは、あの一度きりだ。あいつ程に印象的で、恐ろしく、そして魅惑的な「怪物」には、以來、一度も「會つて」ゐない。今見る夢にも、やはり恐ろしいものはある。しかし、あいつほど、わたしを魅了した存在はない。
あの「幽靈」は、何も無くなつた父の書齋の壁に現はれたのだ。
わたしは眞面目な子供ではなかつた。不良つぽい言動も屡々見せた。中學生のわたしは、仲間なんてゐなかつたが、孤立する事で却つて不良から目を附けられてゐた。何度か、不良連中とやり合つた。それだけで、教師からは「不良の仲間」といふレッテルを貼られた。仲間ぢやない、敵だ、といふ抗議をしても、通じなかつた。お蔭で、私と連中との抗爭は段々非道くなつた。私も、「自衞」を理由に、えげつない行爲を屡々働いた。
しかし、この不良時代の頃の行状は話さなくても良いと思ふ――大した事はやつてゐない。不良、不良と言つたところで、今時の中學・高校生は皆、一度位はろくでもない行動を取るもの。それを三、四囘繰返しただけ。學校は、例の「家庭環境」のなさしめるところの行爲だと思つてゐたらしい。さう云ふ學校側の「期待」に、見事に副つた形でわたしは「ろくでもない」行爲を繰返した。
どんな事をやらかしたか、一つだけ。或時、番格の女と喧嘩をした。餘りにも馬鹿馬鹿しい因縁を附けてきたので、わたしは持つてゐたペンで女の顏を傷つけた。これが騷ぎの元となつた。傷にインクが殘つて、「入墨」になつてしまつたのだ。學校側もこの「事件」には介入せざるを得なかつた。「加害者」と「被害者」の親が學校の會議室にやつて來て、睨み合ひをやらかした。母はその場で、絶對にわたしが惡い事をした筈がない、と言切つた。「話合ひ」は物別れに終つた。
しかし母は、わたしの行爲を許せないでゐたのだ。家に歸つて、わたしは母から散々に詰られた。曰く、なぜお前はそんなに亂暴に育つたのか、なぜお前は我慢が出來ないのか、云々。わたしは、學校で母の言つた事を持出し、あれは何だつたのか、と尋ねた。母は餘計にいきり立つた。わたしには、母の言つてゐる事は支離滅裂だとしか感じられなかつた。わたしが惡くないのなら、なぜわたしは怒られなければならないのか。理不盡だ、と思つた。その怒りを母にぶつけた。母は泣出し、わたしは憤然としたまま、默り込んだ。どうしてこの娘はこんな風に育つたのか、と母は繰返した。わたしは、釋然としないまま、謝罪の言葉を口にした。それを聞いて、母は少し落着いた。しばらくくどくどと愚癡なのか説教なのかよくわからない事を呟き、最後に母は告げた。
「今夜は休みなさい、明日も學校でせう」
幸ひな事にその翌日、目撃者の「證言」が現れ、わたしの行爲は「正當防衞」といふ事にされた。却つて「被害者」の「スケ番」の方が、わたしたち親子に謝罪せねばならなくなつた。當り前だ、と思つた。母には意氣揚々と「證言」が出たのを報告した。だが母は、少しも嬉しさうな素振りを見せなかつた。却つて、冷たい目でわたしを睨んだだけだつた。昂揚したわたしの精神は、いつぺんに冷めてしまつた。私も冷やかな視線を、母に投げ返した。その夜も修羅場となつた。
その時の「目撃者」が誰であつたか、今はもう覺えてゐない。わたしは周邊の人間に對して、興味を感じてゐなかつた。今思へば、確かにわたしには、他人や母をも苛立たせる冷たさがあつた。
父の事。父は優しい人だつたやうな氣がする。病弱な人で、書齋に籠りがちだつた。餘り、話もしないうちに、死んでしまつた。わたしが小學校の五年生の時だつた。
本に圍まれてゐると、幸せさうだつた。わたしを見る目は優しかつたのに、わたしが書齋に入ると不機嫌になつた。
母とはどこで氣が合つたのか知れない。二人とも、我が強かつたから、喧嘩をよくしてゐた。言爭ひもよくしてゐた。どつちが正しいの正しくないのと、えんえん議論してゐた。でも、手は互ひに出さなかつた。わたしの前でも平氣で喧嘩をした。
父は本の事が好きでたまらなかつたみたいだ。わたしは多分、父の血を引いてゐる。でも、父にも、母にも、わたしは似てゐるのだらう。特に氣質。
母は、本には思ひ入れを持たなかつた。父が死ぬと、母は書齋がまるで存在しないやうに振舞つた。閉めきられた扉の向うに、母は決して立入らうとしなかつた。代りにわたしが、父のゐた空間を占めた。讀めない本ばかりだつたけれども、そこには父の形跡が殘つてゐた。そのうち、わたしは少しづつ、古い字と古いかなづかひの本を、讀み始めた。
それほど、奇書や珍本があつた書齋ではなかつた。父は所謂收集家ではなかつた。ただ、本が好きだつたのだ。本を書いた人間を好きだつたのだ。小學生でも、なんとなく、父の本に心を動かされる時があつた。
殘念だけれども、小學生は、あの本を、なかなか讀み進められなかつた。そして、中學に入つた時、母は書齋の本を、古本屋に賣拂つたのだ。わたしは、どうか賣らないでと泣いて頼んだのだけれども、少しでも家計の足しにしなければならない、と言はれた。仕方がなかつた。しかし、最後の晩、書齋の机の抽斗の中に、わたしは一册のノートを見附けた。父の記した藏書録だつた。死ぬ直前まで、父の附けてゐた、本の購入記録だつた。
次の日、書齋は空つぽになつた。本棚も机も、處分された。その晩、わたしは「幽靈」の夢を見たのだ。
中學を卒業する時、それまでの人間關係が全て御破算になるのを、わたしは嬉しく感じた。學區の關係で、他の大多數の連中の通ふ高校とは別の所に通ふやうになる事が決つてゐた。どう云ふ譯か、卒業式の歸り際、あの「スケ番」が、別れを告げにわたしの教室までやつて來た。涙を浮べて、そいつはわたしに握手を求めた。互ひに、互ひの卒業アルバムに、激励の文句を書いた。あのアルバム、どこへ行つたか、もうわからない。
同級生の連中なんか、みんな忘れた。でも、あいつの名前だけは今でも覺えてゐる――「山口」。中學卒業と同時に、田舎に引越して行つたらしい。以來、消息は知れない。もちろん、今でも音信不通だ。こちらから連絡をとる積りもない。確か――丸顏だつた。
高校に入つてしばらくして、手首を切つた。十六歳の誕生日だつた。その時は、母に發見された。發見されなくても、目論見通り、あの世に行けた筈はないと思ふが、「邪魔された」と感じた。いや、今でも「ひよつとしたら」といふ氣はする。確かにわたしは死んでゐた筈だ、とは言へないが、ひよつとしたら、とは今でも思ふ。今でもわたしは、死に未練がある。
あの日、母は歸つてこない筈だつた。二十四時間操業の工場で、夜勤の筈だつた。娘の誕生日に、母は夜勤――自殺するには、理由としてふさはしいし、都合もよい。これから死ぬといふのに、嬉しくてたまらなかつた。手首を切つて血が止らないやうに、風呂の水に漬かる事にした。意識を失つて、溺れる事が出來るのならば、より確實に死ねる、と思つたのだ。高校生らしいといふか――淺はか極まりない。
脱衣所で服を脱ぎ捨て――いや、服はきちんと疊んだ。カッターナイフを持つて風呂場に入る。湯船には、水が滿たしてある。目を瞑つて、左の手首にナイフを當て、ぐつと引く。鈍い痛み。確かに手首を切つた。血がだらだらと流れ出すのも感じた。それなりに深く切つた事は間違ひない。じんじんといふ痛み。わたしは手首を水に浸け、仰向いた。思つた以上に苦しくはない。少し頭がぼうつとしてきたやうな感じがする。失血死とは、こんなに樂なものなのかと、わたしは思つた。
その時、母が歸つてきた。玄關の扉の音がきこえた。居間の方を覗き込む氣配。そして――水の中で死を待つてゐたわたしを、母は見つけた。母は一瞬唖然とした表情を見せ、次いで物凄い形相でわたしを裸のまま風呂場から部屋に引きずり出した。
わたしの頬を、母は平手でひつぱたいた。そして、泣きながら、お前は親不孝だ、とか何だとか言ひながら、わたしの兩手首をきつく握り締めた。母の手が赤く染まつたのを覺えてゐる。母は、血まみれの手で涙を拭つて、繃帶を取りにいつた。
そんな母に、わたしは殺意を抱いた。そして、いかなる理由があらうとも、母を許す積りはなかつた。わたしはこの世にゐたくなかつた。父の書齋が空つぽになつて以來、わたしはもう、生きてゐる氣がしなかつた。この世からおさらばする事だけを、毎日考へてゐた。
母はわたしの企てを邪魔した。その上、わたしに恥辱を與へた――熱狂した腦は自殺を選んだが、醒め切つた頭は復讐を企んだ。だが、その負の感情は根深く沈潜してゐた。
一週間、母は寢込んだ。起上がると、すぐ仕事に出て行つた。わたしは、二度と自殺をしようとしなかつた。自殺よりもすべき事を、わたしは見つけてしまつた。母への復讐――それは母には悟られてはならないものだつた。
この事件以後、わたしは不良みたいな眞似をするのは一切止めた。小遣ひの浪費もしなくなつた。どこからどう見ても「良い子」に變つた。母からも學校からも期待されるやうに振舞ふ事、一見、母の言ひなりになつて生きてゐるやう振舞ふ事、しかし内心では決して母の考へに從はぬ事――眞の反抗は服從であれ、といふニーチェの言葉を知つたのは、それから十年以上經つてからの事だ。わたしはわたしなりに、眞理を悟つてしまつたのだらう。
わたしは一切の激しい言動を愼むやうになつた。母への服從を見せ附ける爲だつた。外でも「良い子」面をするやうになつた。母への當てつけの積りだつた。抑壓によつてわたしが「おとなしい子」になつた事を、母に印象づける――さう云ふ「作戰」。だがわたしは、思はぬ副作用を味はふ事となつた。教師の間でのわたしの印象が變つてしまつたのだ。わたしは、自分の知らない間に、不良から優等生に變つてしまつた。
當り前と云へば當り前の話だ。しかし、或時、急に教師から親しげに話しかけられて、自分の立場が變化した事にはじめてわたしは氣附いた。わたしは驚いた。次いで、人の印象は當てにならないと思つた。心の中は全く變つてゐないのに。いやいや、意圖的に心の中を隱してゐるだけなのに。
わたしは、人を見下すやうになつた。それでゐて、人當りだけは良く――「増し」になつた。やつぱりわたしの「人嫌ひ」といふ印象は變らなかつた。依然としてわたしは同級生に馴染まないでゐた。友人と言へる友人は一人もゐなかつた。ちよつと宗教がかつた子が、少し親切にしてくれた。しかしわたしは何も「お返し」をしなかつた。宗教にかぶれてゐても、所詮人の子、張合ひがないので、あつさり去つて行つた。
「自殺事件」以來、母は逞しくなつた。かつては細かつた體もだんだんと肉がつき、辛さうだつた表情も次第になくなつて行つた。神經質な態度も、いつの間にか見られなくなつた。貯金も少しづつ増え、暮し向きはぐつと良くなつた。
わたしには金勘定の才さへあれば良い、と母は願つてゐた。だが、わたしの學校の成績は、明かに文系科目だけが良くて、後はさつぱりであつた。それは或程度、狙つた結果だつた。意圖的に勉強の比重を偏らせてゐたのは事實だ。だが同時にわたしは、自分にそれだけの能力しかない事にも氣附いてゐた。數字が出てきても、全く實感が湧かないのだ。勉強不足で全てが説明出來るものではないと思つた。
試しに、わたしは經理の勉強をした。高校の授業が終ると、圖書室でテキストに取組んだ。母には内緒で、だ。母を喜ばせる事だけはしたくなかつた。或は、母を喜ばせる事を隱れてやる事で、わたしは復讐をしてゐる積りだつた。だが、わたしは徹底的に、經理に向いてゐないやうだつた。半年ほどわたしは、テキストに取組み續けた。結局、帳面を見る度に「アレルギー」を起すやうになつて、わたしはその取組みを諦めた。しかし、症状は日に日に惡化した。ただの教科書を讀む事すら、わたしは出來なくなつた。
わたしの異常を見とがめたのは、やつぱり母だつた。母はわたしを眼醫者に連れて行つた。呆れた事に、わたしの「アレルギー」の正體は、視力の低下だつた。暗い圖書室で細かい計算をやり續けてゐたのだから、眼が惡くなるのも當然だつた。しかしわたしは、視力の落ちた理由を母には説明しなかつた。何の變哲もない、黒縁の眼鏡をわたしは選んだ。少しばかり、安物つぽいものだつた。
母はいぶかしげに、眼鏡をかけたわたしの顏を見詰めた。教室に、眼鏡をかけて入ると、同級生が寄つて來た。その日だけ、わたしはクラスの話題の中心になつた。次の日には忘れられた。先生のわたしに對する印象は、さらに良くなつた――それは割と恒久的なものだつた。
高校三年生になつて、再びわたしは圖書室に通ひ詰めるやうになつた。今度は、受驗勉強の爲だ。塾だ豫備校だと、クラスの連中は忙しいやうだつたが、うちにはわたしがそんな所に通ふ爲の金が無かつた。わたしは學校に備へつけられてゐる參考書や過去問題集だけをひたすら勉強し續けた。わたしには、氣を散らせるやうな趣味など無かつたから、集中力だけはあつた。しかし、效率は惡かつたのだらう、豫備校通ひの連中に、わたしは模擬試驗で敵はなかつた。見兼ねた先生が何人か、特別にわたしの面倒を見てくれた。
依然、文系科目だけが全うで、他はさつぱり、といふ成績だつた。先生方も當然のやうに、わたしに文學部を受驗する事を薦めた。母はわたしに經濟學部か商學部に進んで欲しかつたらしいが、わたしは結局、文學部を選んだ。これは母にとつては打撃であつた。
受驗校を選ぶ時に、母は初めて父の事を口にした。
「櫻花はやつぱりあの人の娘なのね……」
母は「將來の事を考へたら、文學部なんて駄目。商學部一本に絞りなさい」と執拗に主張した。だがわたしは「滑り止めに」といふ口實を持出し、到頭文學部の受驗を認めさせた。文學部と商學部に願書は出した。もちろん、商學部に受かる積りはなかつた。ただの妥協だ。母は、商學部にだけわたしが合格すれば良いと願つてゐた――受驗前、何度もその事を、口に出して言つた。餘りにも執拗なので、わたしは勉強部屋に鍵を掛けて引籠つた。文學部を受驗する當日の朝にすら、母は嫌みを言つた。最低の精神状態でわたしは試驗を受け續けざるを得なかつた。結局、合格したのはW大學の文學部だけだつた。
母はわたしに新しい眼鏡を買つてくれた。
「合格祝ひよ」
デザインは、母に選ばせた。母と、若い眼鏡屋の店員が、わたしにサンプルを掛けさせたり、外させたりした。そのうち、二人はわたしを放つたまま話し込みはじめた。眼鏡を外したまま、わたしは落着かない氣分で鏡ごしに自分の顏を見詰めた。素顏の自分が、不氣味に見えた。
「これがいいんぢやないかしら」
縁なしの、「流行り」の眼鏡をすすめられた母が、わたしに可否を訊ねた。默つてわたしはそれを掛けてみた。
「少し落着かないな」
母は、鳩が豆鐵砲を食らつたやうな顏をして見せた。店員が爽やかな笑顏で、
「さうですね、お嬢さんにはこちらがお似合ひかも」
と、細い銀縁の眼鏡を差出した。
「變だな、これがわたし?」
「氣に入らないなら、これにしなさい」
母は、あきらめたやうに、黒縁の眼鏡を棚からとつた。
受取り、そつと掛けてみる。鼻の上で、落着かせる。
「これ、いいみたい……」
「いいの、これで?」
母が少し、疑はしげに訊ねた。さう問はれると、私も困つてしまつた。
「おとなしめで、無難は無難ですよ」
店員はそろそろ、決定を迫りはじめてゐた。
「これでいいわ」
「いいの? ぢや、それにしませう」
母は、一轉、嬉しさうな表情になつた。
レンズを新しく作る爲に視力を計測して貰つた。目は以前よりもかなり惡くなつてゐた。でも、成長期は過ぎたのだから、もうこれ以上惡くなる事もないだらう。
大學に入つて、わたしは母に、不良時代の事を思ひ起こさせるやうな言動を繰返して見せた。外でわたしがいかに遊び歩いてゐるかを、母に印象づけるやうに、わたしは行動し續けた。夜の十時過ぎに、繁華街から電話をした。「友達の家に泊る」と言つて――或は何も言はずに――外泊した事もある。母は心配するやうになつた。
しかし母は、さうしたわたしの行動を、或意味納得してゐたのだ。それは私も承知であつた。母がわたしの事を信じないやうに――母を裏切るやうに行動してゐたのだから、母の不信感は、わたしを傷つけはしなかつた。實際の所、わたしは遊んでゐたのではなかつた。母に默つて、わたしはアルバイトばかりをしてゐた。
家計は以前に比べれば、大分樂になつてゐた。勤め先で、母の地位は次第に上つてゐた。それに比例して、賃金も上つてゐた。わたしが働かねばならない程、家計が逼迫してゐた譯ではなかつた。しかし、わたしは働いた。母に默つて働く事――それがわたしなりの、母に對する復讐であつた。或は、母の望む通りの事をやりながら、それを母の目から隱し通す事に、わたしは快感を覺えてゐたのかもしれない。
ただ、アルバイトでも、決していかがはしい所には出入りしなかつた。ファミリーレストラン、喫茶店、ファストフード店、スーパー、事務所、……。どこでも寡默で通し、決して仲間を作らなかつた。大學のクラスにも、友人は一人もゐなかつた。必要以上にわたしは自分がつきあひにくい人間であるかのやうに裝つた。
大學の授業をわたしは滅多に休まなかつた。別に授業が面白くてたまらなかつた譯ではない。勉強に熱心だつた譯でもない。その反對だ。わたしは他人ほどには所謂「學問」に興味を感じなかつた。授業に出さへすれば大學は單位を呉れる。成績は最低でも、全ての授業に出席してゐさへすれば、「不可」は來ない。それだけの理由で、わたしはひたすら授業に出た。
それにわたしは、自分に普通の「學問」をやる才能なんてないといふ事にも氣附いてゐた。語學に關する才能は全くなかつた。歴史研究、哲學史、文學史――どれにも面白みを感じなかつた。文學の講義でさへ、面白くなかつた。
何とか云ふアメリカの女流作家の小説を讀むだけの授業。教授の解説――主人公は歳をとつて、ここで老いを感ずるやうになつたのです。さう云ふ譯です。何が「さう云ふ譯」なのだらう。當り前の事を當り前に言替へて滿足する教授、それを無感動に聞流す學生――下らない、と思つた。女が己の年齢を自覺する――そんな詰らない事を強調するのがフェミニスト作家なのか。馬鹿馬鹿しい。
フェミニズムも構造主義も馬鹿馬鹿しいとしか思へなかつた。そんな馬鹿馬鹿しいものをもつたいぶつて講義する教授も尊敬出來なかつた。そして、口先だけで尊敬してゐるかのやうに見せかけられる敬語といふものに、わたしは感謝するやうになつた。言葉とはありがたいものだと思つた。
ただ一つだけ、わたしを魅了した講義があつた。大分歳をとつた教授が擔當する講義だつた。高校を卒業する時に、目を掛けてくれてゐた先生がその教授の名前を教へてくれた。
「面白いから、講義を取つて御覽」
先生は、にやりと笑つた。授業中、さぼる生徒には嫌みたらしい事を平氣で言ふ先生だつた。その代り、眞面目にやる生徒には、格別目を掛けてくれた。わたしは豫習をさぼつて、嫌みを言はれたので、悔しくて、見返してやる積りで、以後一度も豫習を缺かさなかつた。それだけの事で、先生はわたしに親切にしてくれるやうになつた。
「面白いから、講義を取つて御覽」
確かに面白かつた。教授は非道く痩せてゐて、その容貌は古武士のやうであつた。漱石の『坊つちやん』が大好きだ、坊つちやんの正義感は確かに幼稚だが、私は坊つちやんが大好きだ――などと、まるで大人げない事を平氣でその老教授は喋つた。小人數のクラスで、「英文學」の筈なのに最初から最後まで日本文學の話ばかり喋り續けた。最初の授業が終る時、教授は一言、ぽつりと言つた。
「本を好きになつて下さい」
教授が教室を出ると、わたしは譯も分からないまま大學の近くの古本屋街で、ぼろぼろの岩波文庫を一册、二十圓で買つて歸つた。もちろん本を買つて歸つても、もう母はそれを賣り拂つたりはしないだらうとは思つてゐた。しかし、本を買つて歸つた事を、わたしは母に隱した。
以來、わたしは、本を圖書館で讀んだり、本屋で立讀みしたりするだけで、家に持込む事をしなかつた。どつちみち、普通の講義で出てくる本には、魅力が感じられなかつた。買つて歸つた本も、大して面白さうではなかつた。まだわたしには、本の魅力も、魅力ある本の見分け方も、解らなかつた。
しかし、例の講義では、驚くほど魅力的な本の事が語られ續けた。人は欲得づくで行動するばかりではない、人は信義によつても行動する、とか、人は天使にならうとして惡魔になる、とか、老教授はさう云ふ人間の二面性を強調した。そして、さう云ふ人間の二面性を示した書物を、次々に紹介した。
夏休み前に、老教授は私たち學生に宿題を出した。
「三島由紀夫の『橋づくし』と『憂國』を讀んで比較し、レポートに書いて提出する事。參考に『英靈の聲』を讀むと良い」
わたしは古本屋街を囘つて、文庫本を買つた。家に歸ると、わたしは母の目の前で本を取出して見せた。
「レポートを書かなくちやいけないから」
「さう」
母は、興味なささうに、夕飯の仕度を續けた。
夏休みに、わたしはその文庫本を、ちつとも讀まうとしなかつた。やつぱり本の魅力なんてわからないや、と、母に言つてみたりした。わたしの言葉に、母は少しも反應を示さなかつた。わたしには「橋づくし」と「憂國」の違ひなんて、さつぱり解らなかつた。どつちも詰らないとレポートには書いて提出した。
九月になつて初めての講義。老教授は最初に結論を述べてしまつた。
「『橋づくし』は良い小説で、『憂國』は駄目な小説です。レポートで、それを理解して、理由までちやんと書いてゐたら、その學生には優をやらうと思ふ」
もちろん、そんな學生はまづゐない、との事だつた。しかしながら、わたしは教授の解説を聽くうちに、どんどん恥ぢ入つた。
「『橋づくし』は、讀者を面白がらせる爲だけに作者が努力してゐる。登場人物は皆、生き生きと動いてゐて、作者の傀儡に墮してゐない。讀者は素直にストーリーを樂しめる。しかし『憂國』で作者は、登場人物を操つてしまつてゐる」
一瞬わたしには老教授の言葉が理解出來なかつた。
「『橋づくし』には作者から獨立した人物が描かれてゐるが、『憂國』に出てくる人物は作者との距離がない。『憂國』に出てくる中尉とその妻は、三島にとつて大事の『教育勅語』の言ふ通りに、『夫婦相和し』てゐるに過ぎない。この夫婦は、常に仲が好く、共に美しい。しかし、そんな夫婦はこの世に存在しない。D・H・ロレンスは『男女は一つにならうとしてなれない』と書いてゐるぢやないか。村上鬼城は『妬心なくしてわが妻あはれなり』と書いてゐる。『妬心』とは嫉妬心の事だ。鬼城は俳人だが、俳句ばかり作つてゐて、生活が成立つて行く譯がない。だから妻は内職に一生懸命だ。そこに、俳人である鬼城に女から手紙が來た。女から手紙が來れば妻が疑はない筈はない。なのに妻は内職に一生懸命で、嫉妬もする餘裕がない。だから『あはれなり』と鬼城は言つてゐる。一方、三島は、中尉に妻の麗子が『口答へしない』と書いてゐる。それが美徳であるかのやうに書いてゐる。だが、そんな夫婦が存在する譯はない。三島は自分の思ふままに、夫婦を操つてしまつてゐる。夫婦は、自分の氣に入らない部分を相手に認めても、一緒にやつて行かざるを得ない。しかし、『憂國』の夫婦には、互ひに氣に入らない部分は全くない。詰り、『憂國』の夫婦には、獨立した人格が存在しない。そして、この二人の登場人物と、作者である三島の間にも、懸隔がない。『憂國』には作者の三島だけが描かれてゐる。シェイクスピアには惡黨がいつぱい出てくる。『アンナ・カレーニナ』でトルストイは姦通を描いてゐる。なのに三島は『憂國』で、繪に描いたやうな善人しか登場させてゐない。だから『憂國』は嘘つぱちの小説であり、駄目な小説である。以上」
卒業が間近となつた頃、母は倒れた。
「ねえ、お母さん、お母さんはお父さんと、よく喧嘩をしたね」
病床で、わたしは母と懐かしい話をした。
「まつたく、あれはあんたにとつて、惡い教育になつたよ」
「そんな事ない」
「お父さんの事を覺えている?」
「ええ」
「書齋の本、あの本を賣つちやつたのは、惡かつたと思つてるわ」
唐突に、母は謝罪の文句を口にした。その時、わたしは言葉を口にする事が出來なかつた。
「ごめんね、櫻花」
わたしは泣いた。
卒業式まで、母は生きてゐた。でも、わたしが就職先に初出勤するまで、生きてはゐられなかつた。
母の葬儀が濟むと、わたしは、父の殘した藏書録を、抽斗の奥から引つ張り出した。母の目からも、わたし自身の目からも、匿し通してきたノート。よく見ると、筆蹟は母のものだつた。
母の字も、父の字も、几帳面で、細かいところが、そつくりだつた。
その日からわたしは、失はれた父の藏書を集めはじめた。
「それでね」
櫻花さんは袋の中身を開陳し始めた。
「今日の收穫、收穫」
はずんだ聲。
「どのくらゐ、集つたのですか、お父さんの藏書?」
「もちろん、あの書齋にあつた本は、何册も歸つてこなかつたわ。でもね、わたし、本が好きだから、良い本で本棚がいつぱいになれば、滿足よ」