(c)Takehide Nozaki(野嵜健秀),1998-2004.

深部メイの事


 ガラスの向う、舖道を行交ふ人の流れは、變らないやうに思はれるのだけれども、自動扉を通つてこちらへやつて來る人の數は、確實に減つた。

 コートを身に纏つた人々の群が、目の前から漸く消えた。ランチの時間が終つたのだ。

「いらつしやいませ」の聲も、口からは最う機械的に出なくなつた。それでも、頬には笑みを浮かべ、意思の力を振絞つて、入店者へと愛想を振りまく。

 明るい舖道と車道を眺め、少しだけ肩の力を拔く。ガラスの向うの人々。歩く人々は、笑みを浮かべるか、浮かべないかだ。ほかの表情を見た事はない。少くとも、この場所で。でも、それが何だと言ふのだらう。道を行く赤の他人。その顏に笑みが浮かんでゐたとしても、わたしにとつてそれはただの風景畫に過ぎない。風景畫。自然。都會の眞中で、見知らぬ人々の群を、全くの高見の見物の立場から眺める事は、自然を眺めるやうなもの。

 見知らぬ人。御金のやりとりで繋がる人々も見知らぬ人だ。けれども、彼等は、わたしと同じ「罪人」だ。御金の受渡しをした瞬間、わたしたちは「共犯者」になる。いや、あの型通りの言葉のやりとりをした時の。「いらつしやいませ」「御註文は御決りですか」「御待たせしました」。

 疲れる。疲れてしまふ。

 記號と化してしまつてゐても、機械的に投げ合つただけのものでも、言葉を人と交はすのは、人と心を觸れ合はせる事だ。どれほど心を籠めないやうに努力しても、それだけに心は疲れる。人を相手にするからだ。もちろん、私は人を相手にしないで良い筈なのだ。けれどもわたしは、疲れてしまふ。考へ過ぎなのか知ら。

 レジに立つわたしの前に、背廣の一團が現はれた。まるで高校生のやうに、冗談を言ひ合ひ、肩を突つき合ひ、笑ひ轉げる。一人は鼻の下に髭を蓄へてゐた。

「御持ち歸りですか。こちらで御召し上りですか」

 型通りの質問。型通りの確認。それでも御客は、やりとりを演じて呉れる。まるで會話のやうに。そして、なまじつかな會話よりも、型通りの「會話」の方が、相手の人柄は判つてしまふ。

 せかせかと、自分で勝手に話を進めてしまふ親爺。念入りに確認の言葉を挟む御婆さん。男と喋りながら氣もそぞろの少女。二人で別々に註文するなよ。仲良しならば、「御一緒」にしろよ。馬鹿野郎。


 夕方。再びレジが賑はひ始める。その直前に店を出る。

「御先に上がりまーす」

「御疲れ、メイちやん」

 型通りの挨拶。型通りのねぎらひ。

 少しだけ嬉しい。ねぎらはれる事が、でなく、單に解放される事が。

 薄暮。逢魔が時。道行く人は皆恐ろしき。廣い車道を埋めつくす車、車、車。車はどうして早めにヘッドライトを點けるのだらう。

 店の前の横斷歩道を渡る。道を挟んで店と反對側には、本屋と古本屋が軒を連ねる。北に向つて口を開いた、古本屋の群。日の光が差込んで、本を傷めぬ氣遣ひなのだと言ふ。いや、商品を痛めない爲なのだ、と説明されても、わたしは親爺の「愛」を信ずる。

 舖道に轉がる賣殘りの屑の山、投賣り百圓均一のワゴンセール。そんなものを眺めてゐると、彼等の愛情等、特定の本にしか向けられてゐない事はありありとわかるのだが。

 そしてわたしは、親爺にも、そして、それ以上に、客にも愛されなかつた、ずたずたでぼろぼろの屑本を漁る。

 そしてわたしは知つてゐる。私の愛も、これらの屑本に向けられる事はないのだと。そして、わたしは知つてゐる。それでもわたしは、この屑本を買ひ捲るのだと。狹い部屋に置き切れなくなつた時、轉賣できる状態ぢやないよ、と、頭の中のもう一人のわたしが、ささやくどころか物凄い大聲で怒鳴つてゐるのを感じる。

「いらつしやいませ……三册……百圓です」

 バイトのあんちやんが、氣の無ささうな聲で應對して呉れる。わたしも、どうも、と、あんまり意味のない言葉を口にするだけだ。ここで千圓札しかない時には、すみませんね、細かいのがないの、と詫びてみせるのだけれども、今は財布に百圓玉がある。


 なぜこんなにも、新刊書店は魅力がないのだらう。

 白い壁。白い天井。長い螢光燈。明るい。立讀みには最適。臺の上には平らに置かれた本の山。手書きのPOP。POP――もともと略語で、ピー・オー・ピーと言ふのだけれど、みんなポップポップと讀んでゐる。うざったい。氣持ち惡い。何の略かは忘れた。

 棚の上で、うつすらと、本が埃をかぶつてゐる。でも、その本は新刊本でしかない。「古本ではないのだよ」と、本は主張させられてゐる。その時、わたしは本に「愛」の感情を覺えない。

 文庫本を一册取る。カヴァの表紙を眺める。裏表紙を眺める。表紙をめくる。扉をまじまじと見詰める。後ろを開く。奧附を讀む。後書と解説をざつと。本文はちらとも見ない。平臺に戻す。隣の(或は、離れた場所の、棚の、移動後、別のコーナの)本を取る。以下略。繰返し。

 欲しい本が見當らなければ、一聯の動作は終了する。單に、店を出るだけだ。もつとも、欲しい本が見當つた時にも、一聯の動作は終了する。矢張り最後に店を出るけれども、その前に、購入する、と云ふ動作が插まれる。型通りの言葉を交はし、御金をやりとりする。立場が變るだけで、快適この上ない。レジで待たされたりしなければ、の話だが。本に書店のカヴァを掛けて貰ふ。家に歸れば捨ててしまふので、わたしにとつては何の意味もない書店カヴァなのだけれども。「御附けしますか」ときかれれば、「御願ひします」と應へるのが、禮儀と言ふものだらう。もちろん、店に無駄なコストを掛けさせてゐる事は判つてゐる。だが、それが何だと言ふのだ。


 眞新しい本は、買つたわたしに消費される。


 暫く行つてゐなかつたな、と思ひ出し、角の古本屋を覗く。狹い土地に、細長いビル。手前と奥とで、階層がずれてゐて、一階、中二階、二階、中三階、三階、と上がる仕組みになつてゐる、變な店。

 一階。近代文學のコーナ。昔に比べれば、見てゐる客も減つてしまつた。海外文學を並べてゐた棚をなくして、珍本・初版本を並べた陳列ケースにしてしまつたからだ。手の届かない値段の本なんて、誰が見るんだ。わたしの知つてゐる作家の本はある。でも、わたしの欲しい作家の本はない。

 ずんずん歩いて、階段を上る。

 中二階。時々來て眺めるコーナ。歴史と哲學。そして海外文學。いつの間にか、棚の手前の床に積上げられてゐた本の山が消えてゐる。歩きやすくなつたけれども。歩きやすくなつたけれども。ざつと見て、切上げる。脚が痛くなつて來た。

 階段を上る。

 二階。右側は文庫の棚。左側は美術書の棚らしい。覗いた事がない。いつものやうに、文庫を見る。やつぱり整理されてゐる。平臺に端から端まで縱に置かれてゐた本の上、前は最う一段積まれてゐたやうな氣がするのだけれども、今は下の段しかない。臺の端には餘裕がある。何うしたのだらう。別にどうでも良いけれども。格別、欲しい本はナシ。それなりに買つても良いかなと云ふ本を三册、そつと拔出す。レジ。應對は例によつて例の如し。千圓札を出して、御釣りを貰ふ。

 機嫌が良くなつてゐるのが、自分でも分る。階段を上る。鞄に、買つた本を仕舞ふ。

 中三階。民俗學。宗教學。近世史。國語學。氣分良く、棚を見始める。けれども。

 店長が現はれたのだ。最う良い歳なのに、ぼさぼさの髮は黒いまま。でこぼこの顏は血色が良い。人懷こさうな表情。

 フロアのレジのをぢさんに話しかけてゐる。バイトの子が、貰つた御酒を抱へて、談笑してゐた所だ。「さぼり」を怒つてゐるのではなく、愉快さうに論評してゐる。そのうち、どこそこから何とかと云ふ本の註文が來た、二十卷の本だ、あそこはさすがだ、こちらも助かる、とか何とか話し始めた。笑ひ聲。

 わたしは、後ろを見ないやうに、そつと、意識して、自然に、振舞ふ。別に、偉い人の前で、卑下して、緊張してゐるのではない。わたしは客だし、だいたい、店長と愉しげに喋る店員がゐるのに、緊張する必要はない。でも。

 隨分前の話だ。一、二週間に一度、この店に通つてゐた事があるのだ。そして、その度に、數千圓の本を買つてゐたのだ。でも、別にそんなの、普通だらうと思つてゐた。けれども。

 店長さんに挨拶されたのだ。

 その時のレジの人に、この人は何時も買つて下さる御客さんだから、と紹介されてしまつた。

 それはそれで、こちらも氣分は良いものだつた。けれども。

 緊張するやうになつた。

 次に行つた時、店長はゐなかつた。

 暫らくして訪れた時には最う、忘れられてゐたやうに、何事もなく、まるで一見の客のやうに扱はれた。

 けれども。


 わたしは「共犯者」の關係なのだらうか。金をやりとりする以上の、古本屋の親爺が本に見せてゐるとわたしの信ずる「愛」にも似た、「我と汝」の關係の間に生ずる、獨特の關係を、わたしと店長とは作つてしまつてゐるのだらうか。それが良く解らない。觀念の問題ではなく、事實の問題として、解らない。かう云ふ問題は、解つてしまつた方が氣が樂だ。

 一言で言つて、落著かない氣分。


 けれども。

 いつの間にか、氣配は消えてゐた。フロアは靜まり返つた。棚の『近世日本國民史』をちらと見る。こんな本一册に、千圓は出せないな、全部買つたら幾らになるだらう、それより何より、讀む氣力が最後まで續かないだらう。讀み通した人はゐるのか知ら。もしゐたら、そいつは本當の本好きぢやないんだらう。くるりと背を向ける。目の前には鐵道の本が並ぶ棚。去年出た時刻表が一册、置かれてゐた。値段を確認したくなつたが、しても仕方がないので、しない。


 階段を降りる。狹い通路。人を掻き分けるやうにして、通り拔ける。外は最う夜だ。

 古本屋街の店は皆、早仕舞だ。間もなくシャッターが降り始める。

 わたしは地下鐵の驛に、早足で向かつた。眠い。早く寢よう。そして、明日は朝からまたアルバイトだ。

 鞄から定期入れを取出し、定期入れから定期券を取出す。定期券を、自動改札のこちら側から抛り込み、あちら側でひつたくるやうに拔き取る。緊張感も不快感もない。ただ、面倒臭い動作だ、と、ちらと思つた。

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