南天高校の昼休み。お弁当タイムも終つて、少しばかりざわざわとしてゐる職員室。
図書館司書兼古文教師の非常勤講師である柏崎櫻花にも、一往、席が与へられてゐる。隣は、のあとあやのの担任である化学教師・麻生穗菜の席だ。
「ふわあああ」
着物姿で豪快に欠伸する櫻花。
眼を擦る櫻花に、穗菜先生がにまにまして見せた。
「午後の今頃が一番眠くなる時間なのですよねー。ねえ櫻花先生、眠気覚ましにどう?」
「なんですの?」
「ふふ……これこれ」
穗菜先生の細い細い目が、さらに細くなつた。
「じゃーん」
鞄の中から袋を取り出して、胸元に捧げて見せる。
「……シュークリーム?」
「その通り。我が愛しのシュークリーム」
「おやつ、ですか?」
「おやつ、おやつ」
袋を開ける。
「半分、あげるね」
ちんまいシュークリーム、十箇くらゐを、かねて用意のお皿に載せて、渡して呉れる。
「あ、どうも」
「紅茶もどうぞ。お砂糖いつぱい」
「あ、砂糖は良いです、太るから」
「そーお? あたしはいっぱい。ざらざらざら」
やつぱり、かねて用意の砂糖を、砂糖壷から大さじで掬つて、カップに入れる穗菜先生。
呆れて見てゐる櫻花。
「さ、さ。早く食べないと授業、始まるよ」
椅子の上に正坐して、背中を丸めて、猫のやうに机の上に香箱を組む穗菜先生。にこにこにこにこしながらお皿のシュークリームを眺めつゝ、指先で転がしてみる。
「……い、いただきます」
櫻花も一つ、摘んでみる。甘い。
「甘いですね」
「おいしいでせうー。もひとついかが、もっといかが」
「いや、ええと」
「お腹いっぱい?」
いかにも愉しげに、シュークリームを食べ続ける穗菜先生。櫻花は少し恐怖した。
「見てゐるだけで……と言ふか、良く太らないですね、穗菜先生」
「体質みたい」
「体質……羨ましいですね」
「そーお? んーおいしかつた」
あつさり一皿食べてしまつた穗菜先生。
櫻花は、何となく貰つた分を食べられずに持て余してゐる。そんな櫻花を、穗菜先生がにまにましながら眺めてゐた。
静寂。
「わたしの分も……どうぞ」
気圧されたかのやうに、櫻花は思はずお皿を渡してしまふ。
「いいの?」
櫻花、頷く。
「んではありがたく」
みるみるうちになくなつていくシュークリーム。
チャイムが鳴る。昼休みも御終ひ。
すつかり満足した穗菜先生、椅子の上で伸び上がつて、両手を伸ばす。
そして、胸元のポケットから赤い眼鏡を取り出すと、すつと掛ける。細くなつてゐた目が見開かれる。眸は黒。睫毛が長い。椅子から下りて、ハイヒールを履く。細身で、結構背もある。櫻花より少し高い。胸も実は櫻花よりでかい。
後ろの棚に吊るした衣紋掛けから白衣をとつて羽織る。
さつきまでのへたれぶりとは全然違ふ、きりつとした女教師の雰囲気を、穗菜先生は既に纏つてゐた。
「さて、午後の授業に行きますか」
「え、ええ」
「午後の授業は生徒の気が緩むからね。びしつとするのよ、びしつと」
「は、はい……」
「それでは、頑張つて。またあとで」
櫻花に、片手をさつさつと振つて、足取り軽く職員室を出て行く穗菜先生。
数秒経つて、櫻花もゆるゆると立上がつた。
「……わ、わたしも授業に行かないと」
肩までの髪を片手で後ろに払ふ。頭を振つて。
「気合、気合よ、櫻花」
そこに、穗菜先生がまた顔を出す。
「あーさうさう、坂の下のあんみつ屋さん、あとで一緒に行きませう。ぢやあねー」
それだけ告げると、にこにこしながら手を振つて、行つてしまふ。
櫻花も、反射的に手を振つて。そして、固まる。次いで、がつくりと肩を落す。
小声で呟いた。
「……奢つて呉れるのは良いんだけれど、太るのよ……着物の帶、きつくなつて来たし……どうしよう……」
櫻花先生の授業は、毎回、冒頭に小テストがある上、予習をしてゐない事が判るとクリティカルな皮肉を言はれるので、生徒たちから非道く恐れられてゐる。