古本先生櫻花

2005年6月13日のお話


南天高校の昼休み。お弁当タイムも終つて、少しばかりざわざわとしてゐる職員室。


図書館司書兼古文教師の非常勤講師である柏崎櫻花にも、一往、席が与へられてゐる。隣は、のあとあやのの担任である化学教師・麻生穗菜の席だ。

「ふわあああ」

着物姿で豪快に欠伸する櫻花。

眼を擦る櫻花に、穗菜先生がにまにまして見せた。

「午後の今頃が一番眠くなる時間なのですよねー。ねえ櫻花先生、眠気覚ましにどう?」

「なんですの?」

「ふふ……これこれ」

穗菜先生の細い細い目が、さらに細くなつた。

「じゃーん」

鞄の中から袋を取り出して、胸元に捧げて見せる。

「……シュークリーム?」

「その通り。我が愛しのシュークリーム」

「おやつ、ですか?」

「おやつ、おやつ」

袋を開ける。

「半分、あげるね」

ちんまいシュークリーム、十箇くらゐを、かねて用意のお皿に載せて、渡して呉れる。

「あ、どうも」

「紅茶もどうぞ。お砂糖いつぱい」

「あ、砂糖は良いです、太るから」

「そーお? あたしはいっぱい。ざらざらざら」

やつぱり、かねて用意の砂糖を、砂糖壷から大さじで掬つて、カップに入れる穗菜先生。

呆れて見てゐる櫻花。

「さ、さ。早く食べないと授業、始まるよ」

椅子の上に正坐して、背中を丸めて、猫のやうに机の上に香箱を組む穗菜先生。にこにこにこにこしながらお皿のシュークリームを眺めつゝ、指先で転がしてみる。

「……い、いただきます」

櫻花も一つ、摘んでみる。甘い。

「甘いですね」

「おいしいでせうー。もひとついかが、もっといかが」

「いや、ええと」

「お腹いっぱい?」

いかにも愉しげに、シュークリームを食べ続ける穗菜先生。櫻花は少し恐怖した。

「見てゐるだけで……と言ふか、良く太らないですね、穗菜先生」

「体質みたい」

「体質……羨ましいですね」

「そーお? んーおいしかつた」

あつさり一皿食べてしまつた穗菜先生。

櫻花は、何となく貰つた分を食べられずに持て余してゐる。そんな櫻花を、穗菜先生がにまにましながら眺めてゐた。

静寂。

「わたしの分も……どうぞ」

気圧されたかのやうに、櫻花は思はずお皿を渡してしまふ。

「いいの?」

櫻花、頷く。

「んではありがたく」

みるみるうちになくなつていくシュークリーム。


チャイムが鳴る。昼休みも御終ひ。

すつかり満足した穗菜先生、椅子の上で伸び上がつて、両手を伸ばす。

そして、胸元のポケットから赤い眼鏡を取り出すと、すつと掛ける。細くなつてゐた目が見開かれる。眸は黒。睫毛が長い。椅子から下りて、ハイヒールを履く。細身で、結構背もある。櫻花より少し高い。胸も実は櫻花よりでかい。

後ろの棚に吊るした衣紋掛けから白衣をとつて羽織る。

さつきまでのへたれぶりとは全然違ふ、きりつとした女教師の雰囲気を、穗菜先生は既に纏つてゐた。

「さて、午後の授業に行きますか」

「え、ええ」

「午後の授業は生徒の気が緩むからね。びしつとするのよ、びしつと」

「は、はい……」

「それでは、頑張つて。またあとで」

櫻花に、片手をさつさつと振つて、足取り軽く職員室を出て行く穗菜先生。

数秒経つて、櫻花もゆるゆると立上がつた。

「……わ、わたしも授業に行かないと」

肩までの髪を片手で後ろに払ふ。頭を振つて。

「気合、気合よ、櫻花」

そこに、穗菜先生がまた顔を出す。

「あーさうさう、坂の下のあんみつ屋さん、あとで一緒に行きませう。ぢやあねー」

それだけ告げると、にこにこしながら手を振つて、行つてしまふ。

櫻花も、反射的に手を振つて。そして、固まる。次いで、がつくりと肩を落す。

小声で呟いた。

「……奢つて呉れるのは良いんだけれど、太るのよ……着物の帶、きつくなつて来たし……どうしよう……」


櫻花先生の授業は、毎回、冒頭に小テストがある上、予習をしてゐない事が判るとクリティカルな皮肉を言はれるので、生徒たちから非道く恐れられてゐる。


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