公開
2003-09-06
改訂
2011-08-21

武林無想庵「むさうあん物語」

本稿筆者は19、37、40、44分冊と別冊のみを所有。調査が行屆いてゐません。

むさうあん物語

山本夏彦の『無想庵物語』に出てくる個人雜誌が「むさうあん物語」。「無想庵の会」發行。發行發起人として谷崎潤一郎・正宗白鳥・辰野隆・長谷川如是閑・佐藤春夫が名を連ねてゐる。

無想庵は戰後、文壇からは離れ、「素人下宿」で生活の資を得てゐた。「むさうあん物語」は、ただ「原稿を發表したいため」に出されてゐた。(「別冊」の市川氏の文章による)

山本夏彦が指摘してゐるが、編緝が大變に拙く、ただ文章が並べられてゐるだけで、甚だ讀み辛い。通讀しても、事實が前後して出現したり、文脈から飛躍した文章が出現したりして、大變判り難い。

『放浪通信』(後述)所載の年譜を作つた中村正幸が述べてゐる(「武林無想庵年譜あとがき」)。

ご承知のとおり<むさうあん物語>は一貫して編年的に叙述されている作品ではない。ときには倒叙方式をとり、ときにはイメージが飛躍して別個の主題にうつって、またもとに戻る場合もあるので年代順に編みだすことに多くの困難があって、この年譜はかならずしも決定稿というわけにはいかない。

基本的に新漢字新仮名遣で印刷されてゐる。

初期のむさうあん物語

無想庵の死までに二十一册が刊行された。この間、失明した無想庵の口述を後妻の武林朝子が筆記した自傳を掲載。その他、舊稿の再録もあるらしい。

第一分册は100部増刷され、増刷分にのみ佐藤春夫「序に代へて」が掲載された(第四十分册に再録)。

第十九分册は、舊稿「靖国丸」「東京の散歩」「新東京の悩み」「一帰朝者のコシマア」「島崎藤村様」「観音行」を再録。元版と比べると多數の誤字脱字があるやうだ。またアンリ・バルビュス「耶蘇」新譯(第二十九章)を收めるが、連載されてゐたのか何うかは未確認。

別冊

無想庵歿後、市川廣康の編緝で「むさうあん物語 別冊 武林無想庵追悼録」が出る。

この別冊の内容は、後に『放浪通信』(昭和四拾八年六月弐拾六日第壱刷発行・記録文化社)に再録された。

後期のむさうあん物語

その後は、明治四十年代に京都新聞に掲載された無想庵の文章等を再録。

未發見の原稿の見附かる限り刊行が續けられ、第四十五册を出して終刊した。

單行本

『武林無想庵盲目日記』

日記の再録。ほかに武林無想庵略歴と臼井吉見「無想庵の回顧談」を收める。投げ込みの「記録文化 No.1」には「手さぐりの日記より」記録文化編集部「武林無想庵盲目日記発行に際して」伊藤整「武林無想庵氏」を收録。

『放浪通信』

武林無想庵
石川淳
「文學界」(昭和三十七年六月號)
「むさうあん物語22」卷末に再録されたものの覆刻
武林無想庵の風丰
辰野隆
『無想庵獨語』(朝日新聞社・昭和二十三年)
「むさうあん物語1」卷末に再録されたものの覆刻
出発の歌
武林無想庵
「むさうあん物語」の覆刻――32(産經新聞社刊『隨筆』所收"Amateur de Spontané")・34・35・36・38・40・43(讀賣新聞掲載「放浪通信」大正八〜九年分)より
告別の祀り
「むさうあん物語別冊・武林無想庵追悼録」の覆刻
花田清輝「武林無想庵の死」(「東京タイムズ」昭和三十七年五月二日掲載・「むさうあん物語22」卷末に再録されたものの覆刻)を追加
武林無想庵盲目書誌
「むさうあん物語31」卷頭に掲載されたものの覆刻
武林無想庵 その生涯
採譜 中村正幸(「あとがき」を附す)

『むさうあん物語 気まぐれの愛好者』

「むさうあん物語7」所載の谷崎潤一郎による序文と、むさうあん物語(「君が代にはじまって、君が代に終った」「気まぐれの愛好者」)を覆刻。

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