制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
イーエスブックスみんなの書店「書肆言葉言葉言葉」
「闇黒日記」平成十五年五月五日
公開
2008-12-01
改訂
2018-02-21

宮崎市定『アジア史論』(中公クラシックス)

宮崎氏は、地域史もまた世界史の一部であると考へた。さう云ふ考へから、地域の歴史を書く際にも、宮崎氏は飽くまで世界の中でその地域のある事件がどのやうに位置附けられるかを説明しようとしてゐる。宮崎氏の歴史觀には參考にすべきものがあると思ふ。本書は宮崎氏の歴史觀を端的に示した論文が收められてゐる。


ヨーロッパ人の視點から見た西洋史や、アジア人の視點から見た東洋史――と云ふやうな概念を宮崎氏は否定してゐる。氏は、より廣い觀點から見た世界史を構築すべきだ、と主張してゐる。

マルクス主義は唯物史觀をもつて事實を裁斷して歴史を作らうとしたが、さう云ふ「科學的」は眞の科學ではない。事實を適切に認識・解釋し、それによつて普遍的なものの見方を確立する事が、學問では必要である。

事實を觀察するのに、人は常に主觀を通さなければならない。「だから、どのやうな見方・解釋をしても良い筈だ」と考へる人が最近は増えてゐるが、本當は、「主觀」を出來る限り穩當で普遍的なものにしようとする努力が必要である。

宮崎氏の言葉を借りれば「歴史的なものの見方」を學ぶべきである。「さう云ふ事は出來ない」と云ふ意見もあるだらう。が、「完全には出來ないだらうが、或程度は可能だ」と私(野嵜)は思ふし、宮崎氏もさう考へてゐたやうに思はれる。この邊はもう「宗教」の世界だが、私は「コモン・センス」はあり得る、と信じてゐる。

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