公開
1999-05-14
改訂
2010-11-18

山下清

父から聞いたまゝ。


昭和三十年代の初頃、父は東京に住んでゐたが、三月か四月頃に、仲間と一緒に北海道に遊びに行つたのださうだ。

上野から客車の急行列車に乘り、青森で青函聯絡船に乘換へた。青森驛から棧橋へは皆で競走するので、青森の街は見てゐないとの事。いまだに父は青森の街を知らない。しけのやうな天氣で、雨は降つてゐなかつたが、船は隨分搖れたさうである。

父等は、その青函聯絡船の食堂で山下清と同じテーブルになつた。山下は當時既に有名人で、マネージャがついてゐた。九州邊から北海道に直行する途中だつたらしい。山下は背廣姿で、但しネクタイは着けてをらず、口を半開きにして結んではゐなかつたと云ふ。

マネージャと山下と父らが注文したら、マネージャの所に眞つ先に品が屆いた。しかしその皿が空になつても、まだ山下の所に品がこない。その内、山下だと判つて船客らが集つてきて人だかりになり、マネージャは鬱陶しがつてまだ飯にありついてゐない山下を引きずつて甲板に逃出してしまつたさうだ。

山下は口を半分ぽけつと開いたまま、俯いてばかりゐる。話しかければ返事をする。しかしその受け應へを聞いた父は、山下はやはり頭が「ぱあ」なのだな、と感じた。何でも、知つてゐる女の子が働かないと行けなくなつたが「××ちやんは子供だから、キャラメルを紙で包む位しか出來ないんだ」等と、何の脈絡もなく話をしたらしい。

父はサインを財布に貰つたと云ふ。秋刀魚を三匹竝べてその下に山下清と署名してあつた。船客が三人ばかり、同じサインを貰つたさうである。他に書くものがないからとは言へ財布に書いて貰つたサインは珍しいだらうが、殘念な事に最う何處かに無くしてしまつたとの事。


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