公開
1999-05-14

狐の嫁入りの事

父は佐賀縣鍋島の生れ、昭和一桁世代である。これは父が子供の頃の話を父から聞いたまま記したものである。


佐賀では狐の事を「ヤコ」と呼んだといふ。「野狐」の意であらうかといふ。狐が兩足を揃へてぴよんぴよん飛囘つてゐるのを見て「あれはヤコだ」と呼んだといふ。

佐賀に野火が現れた事を父は記憶してゐる。狐火の事だが、父らはしばしばこれを、「ヤコ火」と呼んだといふ。

「ヤコ火」は川の土手、堤防の上に現れたといふ。舊佐賀郡と舊小城郡の境を流れた川の兩側に土手(堤防)があつて、上を自轉車が走れるくらゐの道が通つてゐた。土手の内側は川原で、大雨が降れば水に浸かつたが、さうでない普段の時は畑になつてゐた。土手の外側には、崩れるのを避ける爲に竹が植えてあつたといふ。その竹薮のさらに外側には田圃が廣がり、田を挾んで市街があつた。大體土手と自分の間は四、五百メートルは離れてゐたのではないか、といふ。


父らは市街の方から竹薮を透かして、川の土手上に「ヤコ火」を見たと言つてゐる。「ヤコ火」の現れる季節は秋、時刻は夕方、天氣は雨が降り出しさうな時に見えたやうな氣がするが、餘りよく憶えてゐない。白いとも黄色いとも言へない、とにかく人の作る火のやうではなかつた。たとへば松明の燈りのやうな感じのものとはまつたく違ふものだつた。

さうした「ヤコ火」は、土手の上に竝んで燈つた。長く長く列をなして竝んでちらちらちらちらしてゐたが、その中間の一部が突然消え、しばらく待つてゐると、燃えてゐる左右の側からまたぽつぽつと消えた中央に向つて火がついていく樣子が見られた事もあつた。


父はしばしばこの土手の道を、狐が跳んで歩くのを見た。そのためこの野火を父らは「ヤコ(野狐)火」とも「狐の嫁入り」とも呼んだらしい。

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