公開
2002-10-19
最終改訂
2005-11-07

函館の烏賊

父から聞いたまま。


昭和30年代初頭に、父は仲間と一緒に、東京から北海道へ遊びに行つた。當時の事だから、青森までは列車である。津輕海峽は青函聯絡船で渡つた。聯絡船で山下清に出會つた事は前に書いた。

函館で一泊した。朝、有名な朝市に出かけた。市は港で行はれる。

港で、烏賊釣り船の上から船員に呼びかけられた。烏賊が獲れ過ぎたので、持つて行かないか、と云ふのだ。土産にもできないので、父は斷わつた。すると、船員は獲つた烏賊を網から海に捨ててしまつた。大きな網にいつぱい入つてゐたさうだ。もつたいない話である。

宿に歸つてくると、賣り子が烏賊を賣りにきたさうである。

附記

中谷宇吉郎『民族の自立』(新潮社・一時間文庫)に、以下のやうな記述がある。

水資源、森林資源とともに、今一つの天惠たる水産の方面でも、似たやうな浪費が行はれてゐる。生鮮魚が一般の消費對象になつてゐるので、季節的に大量に漁獲される魚類は、その利用度が著しく落ちてゐる。一昨年だつたかの北海道の例では、數萬石に上る烏賊を獲つたのはいいが、函館まで運んで來て、天候の關係上するめに出來ず、全部を腐らせて、けつきよく又海へ棄てたことがある。それほど著しくはないが、似たやうな事件は、もう少し低い程度で、到るところに發生してゐる。無理をして製品にしても、その榮養價値は著しく低下する。

云々。

inserted by FC2 system