みつこさん番外地「おつかれみつこさん」

 いきなりだけれど、愚痴愚痴愚痴。あたしゃ疲れたよ──って、いきなりおばさん入ってやがりますけど、どうしてくれましょうか。どうしようもありません。自分で自分につっこんでいるとちょっと哀しい感じがしますが、あたしは永遠の十七歳、無敵の美少女・蜜子さんです。てのはどうでもよくて、とにかく──疲れた〜。

 ええええ、もちろんただで疲れる訳はないんです。何であたしは疲れたのでしょう。わかった人は偉いです。でも、わからない人は偉くないかというと、そんな事はないので安心してちょうだい。

 答です。あたしはさっき、またまた世界の敵さんをやっつけてしまったのです。凄いでしょ。凄くない? 凄くないですか。凄くないかもしれません。突然弱気になってどうするんですか。

 ええ、知ってる人は知ってるけれども、知らない人は知らない事実──あたしこと火野蜜子は世界の敵と戦うのがお仕事なのです。実はあたし、正義の味方なんです。偉いんです。ああ、あたしは正義の味方さんだったんですね。初めて気付いた。びっくり。

 え〜と──世界の敵さんは今月三回目のご登場でありました。もちろん敵さんがあたしにかなう訳はないので、ご苦労な事なんですが、ご苦労なのはあたしの方もそうなんですよ。いやー疲れた疲れた。

 いやはや、痩せても枯れてもあたしは蜜子、めったやたらに疲れたり疲労したり困憊したりする事はないんですけど──っていうか、それってみんな同じ事言ってるけど──とにかく今回のお仕事は疲れたのでした。なんでかといいますと、相棒だかあっしーくんだかよくわからない謎の人物・川崎公路くんが、今回に限って「おれは忙しいんだ」とか言って来てくれなかったからなんです。公路くん、ひどいです。かよわい乙女をほっぽり出して、何をしていたんでしょう。でも、よくある事なんですけどね。

 あたしのホームグラウンドは新宿です。あたしは住所不定です。日本全国、どこへでも行きます。風来坊です。流行語では、ほーむれすと言います。いつもはほーむれすのおじさんたちと一緒にごろごろしてます。てのは嘘です。あんな小汚いおっさん達のそばには近寄りたくありません──ああ、これは差別的な発言ですね。

 人間の世界では、うっかり本音を言うと、差別になるのです。よそ行きの言葉でごまかさなければ、人間やっていけません。でもいいんです、今あたしは疲れているから。疲労があたしをして妙な事を口走らせしめているだけなんです。ぶうたれみつこさんのくせに、たまに変な言葉遣いになります。というか、もうわけがわかりません。

 仕事が終ったら、骨休めしなければいけません。でないと、もうめろめろになっちゃいます。あたしはストレスに弱いのです。一人称の小説で、語り手がめろめろになっていると、話が進みません。もう既に半分めろめろなので、話は崩壊寸前です。完全に崩壊する前に、話を進めましょう。


 ここは新宿東口。これから行きつけの飲み屋に向かいます。仕事のストレスは、お酒で解消するのが一番です。なんかおっさんだかサラリーマンだかが入っていますが、そういう事を気にしていたら、女の子はお酒なんて飲めません。

 何だか周りに比べるとうすッ暗い一角──そこに居酒屋「しゃも」はあります。あたしはこのお店によく来ます。妙にうらぶれていて、滅入っている時には最低の気分にまで落込ませてくれる、鬱病気質の人間には実に居心地のいいお店です。

 がたがたと引戸をこじ開けると、気合の入ったいらっしゃーいという声がかかります。ちょっとだけ嬉しさを覚えます。店の中を見ると、お客はさっぱり入っていません。座敷の方に学生の一団が見えたり、カウンターにできあがってるおっさんがいたりしますが、テーブルの席はことごとく空いています。

 席に着いて、お店の人がくるのを待ちます。なかなか来ません。少しうんざりするほど待たされます。文句を言おうかと腰を上げかけた時、実にタイミングよく、アルバイトの東南アジア系留学生がやってきます。とりあえず持てないくらい熱いおしぼりと、謎のつき出しを置いて行ってしまいます。

 おいしくもないつき出しの料理をつっついて、しばらく情けない気分を味わいます。目を上げると、店長はいつものように、テレビの阪神巨人戦を見ていたりします。一緒に店員も見ていたりします。客は一人もテレビを気にしていません。ひどいお店です。

 それでもしばらくすると、さすがに留学生の子がやってきて、片言の日本語で注文を取ります。ビールとか焼鳥とか、適当に頼みます。飲めればいいので、別におつまみなんていらないといえばいらないのですが、なければないで寂しいので、本当にいいかげんに頼みます。

 でも、ビールすらすぐにやってきません。催促しようと腰を上げかけると、やっぱり留学生の子が瓶とコップを持ってきます。冷やかな視線で抗議の意思を表明しますが、もちろん相手に伝わりはしません。

 ビールはもちろんヱビスです。

 とくとくとく……とコップに注ぎます。至福の瞬間です。次の瞬間、乾杯する相手がいないのに気付きます。間が持たないのを気にしながら、ここは一気に喉に流し込みます。くあ〜〜〜。美味いです。たまらんですわ。生きてる、ッて感じよね。

 で、二杯目にかかろうという時、戸が開いて、客が入ってきます。うしろの席に着いたようです。店員がすぐにおしぼりだのなんだのを出します。そして、あたしがコップにビールを注ぎ終るのと同時に、店員はうしろの客の注文を取っています。あたしに対する態度とは全然違います。

 どうしたのだろうとテレビを見ると、巨人が負けています。店長、巨人ファンだからね──腹いせに店員のけつを引っぱたいたのでしょう。人間とは、勝手な生き物です。

 そんな事をぼんやり思いながら、二杯目のビールに口をつけます──苦〜い、ビールってこんなに不味かったっけ? 最低。生きているのが急に嫌になります。ビールは最初の一杯が美味しいだけです。二杯目以降は、飲むに値しません。でも、こういう感想をいだく辺り、あたしも相当勝手です。そんな事を思いながら、二杯目、三杯目を空けます。そろそろ瓶が空になります。


 アルコールが頭に回ると、あたしも大胆になります。不敵になります。素敵にもなっている筈ですが、なぜか酔ってる私にだれも近寄りません。ひどいです。でもいいの、お酒が飲めれば。そういう訳で、

「日本酒! 一番いいの、持ってこい!」

カウンターの向こうの店長に直接命令します。

 ちょうど巨人が反撃を開始した所だったので、店長は私を凄い目で睨みます。でも私は気にしません。だってあたしは客なんだもの。

 店長がじきじきに日本酒を用意します。その間に、四番の松井がカウント2−3から空振りで三振します。あたしは思わずげらげら笑ってしまいました。そんなあたしの目の前に、おちょうしとおちょこが置かれます。店長はあたしに、何も言いません。黙って日本酒を置いて、立ち去ります。カウンターに陣取って、再び巨人阪神戦を見始めます。

 あんな企業のPRに、一々本気になってつきあうなんて、馬鹿じゃないのと思いながら、日本酒をかっくらいます。やっぱり、日本人には日本酒よね〜。妙に幸せになります。酒、酒。がんがん行きます。

 気がつくと、焼鳥がいつの間にか出されています。がっと食らいついて、だあっと串から引抜きます。美味いと思います。なんだか酔っています。当り前ですけどね。

 そろそろ、どうにもならないくらい酒の味が不味く感じられてきます。にもかかわらず、どんどん飲干してしまいます。

「う〜まずい、もう一杯」

という格言を、地で行っています。格言というのは違うかもしれません。

 あら、店員さんが、お酒を持ってきてくれちゃいました。どうしたのでしょう? ひょっとしたら、さっきの独り言がきこえたのですか。大声出したつもりはなかったんだけど。まあいいや。酒、酒。なんだかこの辺りから、意識が朦朧としてきています。でもいいの。しあわせ〜。


 肩を揺さぶられ、起されてしまいました。

「お客さん」

 う〜眠ってしまったか。不覚。

「大丈夫ですか?」

「あたしゃ無敵の蜜子さんだよ。大丈夫、だいじょうぶ」

 身を起しつつ、片手でしっしっとやる。視界が異常に狭くなっていて、テーブルの上しか見えない。億劫だが顔を上げると、店長さんの背中が見えた。あらら、店長さんを追っ払っちゃったんだ。悪いことしたね。いい人なんだよ、あの人は。謝っておこう。

「お〜い、店長さん」

 カウンターの向こうに戻りかけていた所を呼戻す。

「なんですか?」

 露骨に嫌そうな顔。そんな、ひどいよ、こっちは謝ろうとしてるのに。

「すまないねえ」

 あたしだって、そんな悪人じゃないんだから、ちゃんと謝るべきことは謝ります。人様に迷惑はかけませんって。でも、やっぱりこんな機嫌が悪いのは、理由があるんだろうな。

 てなわけで、余計な事だと思うけど。

「そうそう、試合、どうなった?」

「……」

 一瞬、押黙る店長さん。

「ん〜巨人、負けたの?」

「ええ。阪神が勝ちました」

 凄い悔しそう。やっぱり余計な事だったみたいですね。まあいいや。悪いのは阪神だ。いや、負けた巨人が悪いんだろう。まあ、この手の事には何を言っても角が立つに決っているので、適当に頷くだけにしておく。人間、黙っているのが一番。やっぱり、ボディランゲージは便利だわ。

「じゃあ、もう一本つけてね」

「いいんですか?」

「いいのいいの。あたしは笊よ」

 店長さん、なんだか急に相好を崩して──ひょっとしたら、苦笑したの?──立ち去って行く。ほえほえ〜。


 あれ?

 いつの間にかあたしは誰かに背負われています。

「ん? 気付いたか」

「あれれ、公路くんじゃないの? どうしたの?」

 背中の主は川崎公路くんでした。

「どうしたも何もないだろうが。仕事が終ったっていうんで、多分『しゃも』に来ているだろうと思ったら、案の定だ。おまけに酔いつぶれているし」

「まーまー、いつもの事じゃないですか」

「困るんだよ。店長、嘆いていたぞ。若い娘が終電過ぎまで一人で呑んで。おまけに、一番高い酒をがんがん空けて行く」

「あ〜そういえば、途中から味が全然判らなくなっちゃってね……」

「だから店長が嘆くんだよ」

「そうなのか〜店長、プライド高いものね。おまけに巨人負けたし」

「巨人が負けたのを、またお前が喜んでいたって、店長、言ってたぜ。お前、あの店じゃ『アンチ巨人』だと思われているらしいぞ」

「そんなことないよ。あたし巨人好き」

 両手を振回す。

「こら、暴れるな。それに、お前の発言はいつも説得力がない」

「悪かったわね〜そうだ、せっかく公路くんも来たんだし、もう一軒行こう!」

「馬鹿。酔いつぶれておぶわれているくせに、酒場のはしごをしようなんて言える立場かお前は」

「じゃあおろしてよ」

「おう、おりろおりろ」

 ぽい、という感じで放り出される。

「ひど〜い。痛〜い」

「なんだよ。やっぱり歩けないじゃないか」

「歩けるってば」

 立上がる。でも、ふらふら。お尻からぺたん。

「ほら、一人じゃ歩けないじゃないか」

「大丈夫だってばさ、だいじょうぶ」

「はいはい。困った女だ」

「あ〜〜〜! 差別発言」

「うるさい。黙れ。酔っぱらいに人権はない」

「ふんだ。公路なんか嫌いだ」

「嫌ってくれ嫌ってくれ。そのかわり後で飲み代は請求するぞ」

「え〜じゃ、これから体で払う」

「いいのかそういう事言って」

「いいじゃん。ほら、歌舞伎町はすぐそこ」

 適当に指差す。

「……本当にいいのか?」

 あらら、公路くん、ジョークが通じないよ。

「いいのいいの」

 っていうか、目を開けて見回してみれば、本当にそこは歌舞伎町。仕方がないわね、公路くんたら。酔っぱらい女相手に何欲情してんのよ。最低。

 なんつって。

 あ、また眠気が襲ってきた……。

「あう、また眠くなってきちゃった。寝てる間になんかしたら殺すからね」

「何? なんだと?」

 公路くんの焦ったような声。でも、知ったこっちゃないわ。あたしは蜜子、いつでもどこでも寝られる女。

「あああ、また寝ちまった」

 また背負われる感触──もうだめ。あとは任せたわよ、公路くん。ぐうぐう。


おしまい。

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