みつこさん番外地「蜜子の休日」

 蜜子には休日がない。運命に縛られてゐるけれども、蜜子は「自由業者」である。


 「世界への脅威」が蜜子の敵である。さう云ふイレギュラーな者が現はれた時、世界の秩序を維持する爲に立向かふのが蜜子の仕事である。だが、そんな脅威が毎日現れたら、世界が持たない。蜜子が暇なのは良い事である。


 蜜子が安らぎを求めない譯はない。ただ、敵は蜜子の都合を考へない──或は、蜜子にとつて都合の惡い時を好んで現れる。だから蜜子は安息の日々を樂しめない。


 敵との會話すら、蜜子は樂しまざるを得ない。身方との會話すら、蜜子は嫌がる事がある。


 世間の休日は、自分にとつても休日であるべきだ、と蜜子はいつも思ふ。だが、休日なんて要らない、とも思ふ。蜜子にとつて、體を休める爲だけの日など要らないからだ。蜜子の欲するものは、心の安らぎを覺える事の出來る日である。


 お祭は、蜜子にとつてもつとも樂しい事である。しかし、蜜子が心からお祭を樂しむ事はない。蜜子は常に異邦人(エトランゼ)である。

 新宿に出てきた蜜子。


 西口の電氣街を廻つてみる。もちろん、永遠の流浪者である蜜子が、電器製品を買ふ事はない。カメラも、ウォークマンも、蜜子は持たない。

「私の記憶こそが、永遠の記憶」

 蜜子が店頭のPCを觸ると、なぜかエラーが出る。


 都廳に登つてみる。最上階の展望室。遠くを眺める蜜子。

「何もかもが小さく見える。でも、何もかもリアリティが無いやうに見える」

 もちろん、パンフレットも貰はないし、おみやげも買はない。


 別のビルに登つてみる。40何階だかにあるレストランでお晝ご飯。ダイエットに氣を配る必要がないから、何でも頼めば良いやうなものだが、蜜子はいつもメニューを見て途方にくれる。

「何か特に食べたいつて物が無いのよね」

 もちろん、何も食べなくたつて良い筈だが、それでも蜜子はちやんと食事をとる。律義な女性だ。


 新宿中央公園まで行つてみる。相變らず浮浪者でいつぱいなのを見て、蜜子はくるりと背を向けた。


 南口の高島屋や東急ハンズを適當にぶらついて見ようと思ふ蜜子。だが、行つても面白くないので、一階や、せいぜい二階を見ただけで、出てしまふ。


 紀伊國屋に入つて、雜誌の立讀み。蜜子はベストセラーの棚にだけは近寄らない。その癖漫畫のコーナには良く行く。でも買はない。


 丸井や伊勢丹を外から眺める。溜め息。好い加減、休日ごつこに飽きたらしい。レコード店に入つてみるが、うろうろした擧げ句、一枚のCDも手に取らないで出てしまふ。


 また紀伊國屋。洋書をぱらぱらめくつてみたり、全集の棚をチェックしたり。最後に文庫のコーナで何か適當に一冊買つてみる。


 マクドナルドでビッグマックハンバーガを食べながら、本を讀む。延々一時間以上粘る。で、讀み終へた本はその場に置去り。食べ終へた後のトレイは店員に押付ける。


 實は、川崎公路が蜜子に付合つて、一日一緒に歩いてゐた。蜜子から「お呼び」がかかつて飛んできたのである。しかし、蜜子には「デート」の後半、飽き飽きしたやうな態度をとられ、閉口したらしい。

 川崎公路の行動は謎だらけであるが、決して毎日遊んで暮してゐる譯ではない。公路は携帶電話も持つてゐるし、携帶ラジオも持つてゐる。某所に事務所を構へてもゐる。そこにはPCやFAXも備へ付けである。時々、部下のかつみらに、電話で指示を出す。もつとも、事務所の大家は、川崎が何の仕事をしてゐるか、全く知らない。


 噂によれば川崎公路は、謎の稼業をして稼いだ金を、蜜子に貢いでゐると云ふ。もつとも、蜜子にその噂を傳へない方が良い。

「そんな下らない噂を信じるの?」

 さう言はれて、多分毆る蹴るの暴行を受ける。


 と云ふか、その「噂」の出所はどこ?

 かつみの表の顏はOLである。いつも、某一流企業の名古屋支社で、御茶汲みやコピー取りをしてゐる。偉さうな事を言つたり、態度が大きかつたりするが、それほど御立派な地位にはゐない。


 蜜子は、名古屋に行くと必ずかつみの所へ行く。かつみが晝休みで出てきた所に見計らつたやうに現れ、「拉致」するのである。社内で變な噂が立つたら困るからやめてくれとかつみが蜜子に嘆願しても、蜜子は聞入れない。だから本當に噂が立つてゐる。


 蜜子はかつみに「美味い店」へと案内させる。かつみは毎囘違つた店に蜜子を案内しなければならない。それだけならば良いのだが、蜜子は晝食のあと、かつみを御茶に誘ふ。そこでさつきの「美味い店」がいかに駄目な店であるかについて、蜜子は熱辯をふるふ。


 もちろん、「美味い店」の晝飯代も、「御茶」の勘定も、かつみ持ちである。かつみにとつては迷惑な話である。そのかはり最近、蜜子は名古屋近邊で問題を起さない。かつみに負擔をかけまいと云ふ配慮らしい。

 蜜子とアカデミーとの關係は大分修復された。しかし蜜子はアカデミーに近寄らない。蜜子を直接知る人間がゐるからだ。さう云ふ連中の間で、蜜子の評判は最惡である。


 そして將來も蜜子はアカデミーに近寄る積りはない。蜜子に關する惡い噂を本氣で信ずる連中が増殖してゐるからだ。

 蜜子にはひとつだけ好きな事がある。蜜子は水泳が好きなのである。時々、プールに行つてみようと思ふ事がある。夏になると、今日こそは海水浴に行つてやらうと考へる。ところがさう云ふ時には常にトラブルが降つてくる。もう何年も、蜜子には水と戲れる機會がない。


 以前、錢湯に行かうとした時にも、突然川崎からのメッセージが飛込んできて、邪魔された事があるさうである。それ以來、湯を使はず、シャワーで我慢してゐるのだと蜜子は語つたが、實は同情を誘ふ爲の作り話らしい。


 それが證據に、先日蜜子は古い知合の柏崎櫻華と温泉旅行に行つてゐる。櫻華は猟書家で、どこで知り合つたのかは知らないが、蜜子とは非常に仲が良い。不思議な事に、この二人が一緒にゐる間、決して世界には異變が起らない。


 温泉旅行でのエピソード。廣い露天風呂で蜜子は豪快に泳ぎ捲つたさうである。それを見て櫻華はあきれたらしい。もつともその櫻華にも、櫻華らしいエピソードが傳はつてゐる。風呂上がりに蜜子と一緒に櫻華は温泉街に出かけたさうである。ところが櫻華は、鄙びた温泉街にたつた一軒しかない小汚い古本屋を見つけるや否や、飛込んで行つて一時間以上薄汚い本の山の中を「物色」し續けた。冬の寒い時期に、浴衣の上に半纏やら何やらを着込んでゐたとは云へ、寒くて仕方がなかつたと蜜子は述懷してゐる。


 蜜子は何ともなかつたと云ふが、その夜櫻華は熱を出し、三日ほど寢込んだと云ふ。しかし、櫻華は生涯手に入れる事は出來ないのではないかと思ひこんでゐた本を手に入れて喜んでゐたので、熱は興奮のせゐかも知れない、と蜜子は述べてゐる。櫻華が寢込んでゐる間中、蜜子は温泉で泳ぎ捲つて、一緒に入つてゐた老人達に再三注意されたと云ふ。


 ちなみにその露天風呂は混浴であつたらしい。

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