空はどこまでも青い。
お城の跡の草原に寢轉んで、蜜子は雲の流れて行くのを眺めてゐた。
秋も終りである。鰯雲よりも卷雲の方が目立つ空である。
芝の緑は褪せ、視界の隅には枯れかけた芒の穗の列も映つてゐる。
兩腕を體の左右に投出し、足を大きく廣げて、蜜子は眞上の空を眺めてゐる。
また、冬が來る。
季節は一巡した。
四季の移り行くのは止められない。人間には止められない。人間を超えた存在たらんとする、蜜子にも止められない。
晴れた午後である。少し、風の冷たい、晩秋――初冬の草原。
弱つて來た太陽の、頼りない光は、わづかに蜜子の體を温め得た。
日の光を遮られて、蜜子は何者かが傍らに立つてゐる事に氣附いた。
そつと、頭だけを動かす。
「公路……」
川崎公路。男。年齡不詳。若いやうにも、齡をとつてゐるやうにも見える。グレーのぴつたりとしたスーツを身に纏つてゐる。
「久し振りだな、蜜子」
見下ろす公路の顏は、逆光ぎみで、蜜子には良く見えない。
「何をしてゐるの、こんな處で」
「俺の方こそ聞きたいよ。晝寢か。お前は晝寢が大好きだな」
「晝寢は好き。でも、今、寢てなかつたでせう」
蜜子はまた、眞上を向くやう、首を動かした。
「ねえ、あんた、運命つて、信じる?」
「なんだつて?」
「運命」
「運命か……何を唐突に」
「運命よ、運命」
「信じないね。俺達はたしかに或目的を持つて生れさせられた。そして、俺は忠實に、使命を果してゐる。お前はどうだか知らんがな」
「あゝ、あたしはね、あたしは……」
蜜子の言葉を遮つて。
「俺は、俺の役割を果す覺悟を決めた。運命に慫容として從つてゐるやうに見えるかも知れない。が、變轉するのが自然の攝理なら、變化せざる何物かを守るべき俺の使命は、運命を否定する爲の使命と言つて良いものだ」
ジャケットのポケットをまさぐる公路。
風が出て來た。
「煙草は、やめてね。火事になるから」
「む」
「自然は變らないわ。あたし逹に、四季の移り變はりを止められると思ふ? 無理ね。どんなに努力したつて、秋が冬になるのを止める力は、あたし逹にはない」
「冬はいつか春になるさ」
「そんな事を言つてゐるんぢやない」
身を起す。
「自然は變らないわ。變るのは人の心の方なのよ。今のあんたの言葉――人はさうやつて自分を納得させて、變らない世界を否定してゐる。でもね、人の意識とは全然別に、世界は勝手に存在して、人間を嘲笑つてゐるんだわ」
公路を見上げて睨みつける蜜子。
「世界なんて、氣の持ちやうさ。そして、俺は世界が何うなつても變らない人間の價値を信じてゐる」
「さうね。だからあんたは、時が移ると自信を失つて自棄になるんだ。自分の價値なんて、何時までも信じてゐられる方が馬鹿よ。あたしは自分を信じない。ただ、世界があたしを飜弄しつゝ、たまにあたしを受容れて呉れる事があるのを信じるだけ」
再びうしろに倒れる。兩の拳を握り締め。
「あの雲、何に見える?」
「雲の形か……興味ないね。子供の遊びか、心理學的分析に使ふか。イメージなんてものは、氣の持ち方次第だ」
「雲は雲よ。先囘りして、批評をするのは、人間の惡い癖。でも、そんなさかしらが、結局は人の目を眞實から遠ざける」
風が吹き拔けて行く。
ポケットに手をつつこんで、公路も空を見上げる。
「目の前で、どんなに變つて行かうが、空は空よ。あたし逹にとつては、見上げられるものでしかない。手を伸ばしても屆かない。屆いたつて仕方がない。それでも空はそこにある」
身じろぎもせず。
「運命なんて、空みたいなものよ。そこにあるけど、そこにはない。常に動いてゐるけれども、あると言つたら何時まででもある。ただね――眺めてゐれば、暇は潰せる」
「……」
「でも、暇だなんて、言つてゐても仕方がないわね。あんたが來たんぢや。用があるんでせう。あんたは實用的な人間よ。いいわ、話して頂戴」
よつこらしよ、と輕く掛け聲を發して、ゆつくり起上がる。
「ああ、實はな……」