番台のような帳場の上から、親爺がこちらを苦笑いを浮かべながら見下ろしている。
「いくらで買ってほしい?」
知るかよ──そう思いながら答える。
「よくわからないんですけれど、どのくらいになるんですか」
「そうだねえ……二千円でどうだい?」
「結構です」
身分証明証──学生証を見せると、親爺が帳面をつけて、舌で指を湿すと、よれよれの札を二枚渡してくれる。
「それじゃ、どうも」
何だかよくわからない挨拶をして、その場を立ち去る。親爺は黙っている──たしかにありがとうとも言いにくいだろう。
あの叩き売った本たちは、明日には棚に並ぶんだろうか。並ばないかもしれない。どこか市場でセリに出されて、少しづつ値がついて、見知らぬ古本屋に行くかもしれない。あるいはこの辺の別の古本屋の、店頭で百円均一になって……そんな事を考えながら青鳩堂を出ると、声を掛けられた。
「お、加藤。生きていたか?」
「生きていたかじゃない。お前だろうが、死にかけたのは」
黒田だった──舟木久子と一緒だ。最近よりを戻したらしい。
何でも舟木は黒田が病院で危篤だときいて、泣きながら飛んでいったとかいかないとか……。
「GUYのあとは、カレー屋か」
「ここ、辛いんですよ」
「俺駄目なんだ、辛いの」
黒田と舟木がどうでもいいような話をしている。ぼくはカレーは嫌いだから決して食べない。
「夏休み前までに『クリティック』の原稿出せよな、加藤」
『クリティック』とは、黒田が編集中の愛書会の正会誌だ。大学祭にあわせて発行して、売る。愛書会の貴重な資金源──というのは半分嘘で、ほとんど儲けなどない。趣味人たちが趣味で出している趣味の雑誌だ。
「出すよ、出せばいいんだろう」
「お前の出すよは当てにならないからな」
黒田の指摘に返す言葉もない。この間の同人誌の話は、黒田が結局きっちり約束を守って本を出したのに、ぼくは原稿を集めただけで出さなかったのだ。
まあ、本気でぼくも同人誌なんて出す気はなかったんだけれども。
「あの時の原稿、返して下さいよ、加藤さん」
「しようがないなあ。はい、これ」
ぼくはかばんの中から、封筒に入った舟木の原稿を出した。
「あっ、俺の雑誌に出さなかったのに、加藤の方には出してたのかよ」
「ごめんなさい」
じゃれあう二人を無視して、ぼくは学校に向かって歩きはじめた。どうせすぐに追ってくる。
「え、これまた蜜子の話だったの?」
「そうですけど?」
「また蜜子の事夢にみたの?」
「そうじゃないですよ」
蜜子となると、黒田は目の色が変わる。久子は平気な顔をしている。ぼくはもう蜜子騒動には飽きた。
大学をやめたはずの佐々木もと幹事長は結局仕事の方がおじゃんになって、学生生活をしている。
中里先輩はまた留年した。
金田先輩はちゃんと卒業はして、最近書評界で有名になりつつあるらしいが、ペンネームが「みつお」だそうだ。
なべてこの世は事もなし。
その時かげっていた太陽が雲間から顔を出した。眩しい陽光にぼくは目を細めた。
「黒田さん、サングラス買ったんです。どうですか?」
舟木の声に振返った──淡い色のレンズのサングラスをかけた舟木は、蜜子にそっくりだった。