公開
1999-08-17

酒井美羽

 酒井美羽がかつて真当な少女漫画を描いてゐた事は、今は意外と知る人の少ない事と思ふ。先年復刊された『通り過ぎた季節』がそのデビュー作であるが、意外なほど真剣な作品である事は読んでみれば分る筈である。『通り過ぎた季節』と『セーラーブルーの青春』は特に面白い。また<ミミと州青>ものも面白い。ただ同じ作者の「レディースコミック」は読んでおらず、論じる事も出来ない。(私には買つて読む「勇気」が無いのである。)まあ、ある程度は予想がつくが。

 私は酒井美羽といふ人の漫画は割と好きである。どこが好きかと言はれても困るが好きなのである。私の常日頃主張してゐる所とはこの漫画家の描き方は違ふ。時々非道く苛立つ事もある。だが、さういふ嫌な部分を含めてこの漫画家の漫画は面白いのである。実は『通り過ぎた季節』の第一話は、私はどういふ訳か読返す気になれない。「どういふ訳か」と言つたが、訳は知れた事で照臭いのである。気恥かしいのである。私の文章は気負つたものであるにも関らず対象が少女漫画であるといふ事、そのギャップに私はいつも気恥かしさを覚える事がある。それと同じで、主人公・佐藤亜紀子は交換日記に非道く気負つた文章を書き、相手に投出されるが、そこは交換日記の相手ばかりで無く読者にとつても相当気恥かしい筈の部分なのである。この話は酒井美羽のデビュー作でもある。実際の所、酒井美羽は漫画に自分の思想を突込む事が照臭いのである。さういふ気恥ずかしさを前面に押出して彼女はデビューした。ある意味で、このデビュー作は象徴的である。

 私は思ふのだが、酒井の作品は意外な程シリアスなのである。『セーラーブルーの青春』もまた、さういふ気恥かしさを含んでゐる。文字通り「青春」の気恥かしさである。彼女はさういふ気恥ずかしさ、照臭さから逃れようとしてゐるのではないか、といふ気がする。『セーラーブルーの青春』で彼女の「衒学趣味」が披瀝される。主人公・杉沢都が水泳クラブの引抜きに際して、先輩・村上の許に相談に訪れた時、村上はアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』一節を引く。『悪魔の辞典』は有名だが、これは意外と読まれてゐない。(私も読んでゐないから言ふのである。)かういふ衒学趣味は、気恥かしさの照れ隠しではないか。

 話が横道に逸れるが、酒井が「レディースコミック」に向つたのは真面目になる気恥かしさを逃れる為ではないか。エロティックな描写により読者の興味を引く「レディースコミック」において、思想の真面目さを気恥かしく思ふ「余裕」は無い。「少女漫画」の領域に入る作品中でもエロティックな描き方をする事で、酒井は自分の背伸びした様な思想の気恥かしさを隠してゐる様な気がする。実際彼女は意外な程まともな物の見方をする。

 『通り過ぎた季節』のクライマックスは主人公・亜紀子が自殺を試みる回にあるだらう。このエピソードに関はる数回の話において、亜紀子はなかなか興味ある思考をする。いや、そんな事の前に、まずは「自殺」といふ事自体がきはめて興味深い事なのである。亜紀子は自分の事を滑稽だと思つてゐるのである。その思ひは友人達と付合ふ内には紛らはされてゐる。夜に一人になると、思ひ出されてくるのである。まさに青春の気恥かしさにこの主人公は悩まされるのである。その逃避が、酒であり、煙草である。退廃である。デカダンである。そして人はどこかで折返し点を見出さないと、どこまでも退廃へ突走る。行着く先が自殺である。亜紀子はこのパターンを地で行く。あつぱれ亜紀子は手首を切る。

 酒井の「衒学趣味」は、この自殺の回にも現れる。

昔…何かの小説で、自殺を図る青年の話を読んだことがある。彼は夜の海で手首を切つて、その手を海にずーつとひたしてたんだ。そうすれば血がいつまでも止まらずに流れつづけるから…。そうして気が遠くなつて…ところが彼は助かつちゃつたんだ…なぜなら海には引き潮というものがあるから…気がつくと彼はただの砂浜にころがつてたんだよね。

 この部分の原典は何か、私は知らない。ただ有りさうな話ではある。ともかく酒井は意外なほどよく本を読み、知識を蓄へてゐる。その知識を漫画にあらはすのに気恥かしさを伴つてゐる。ゆゑに「ネーム」はどこかふざけた様な書き方になる。いま引用した文章に続いて、亜紀子は考へを進めるのだが、それはまつすぐ「終点」に行くものでは無い。「何ともドジな話」と決付けた挙句、カッターナイフを手に、自分が「手首を切る」事に思ひを馳せる。「いつぱい血が出る」のかとかカッターは「切れ味」が「悪い」のではないかとか考へる。(「ケシゴムはよく切れる」のださうである。)そして自分の手首にカッターを当てるのだが、実際に自殺するには場所が悪かつた、試験中の教室では自殺など出来よう筈が無い。友人が大声を上げて、亜紀子は我に返るのである。

 周りに知己がゐる場所ならば、亜紀子も落込む事は無い。しかし家に帰り、一人になるともう駄目だ。亜紀子は酒の力を借りて手首にカッターを突立てる。カッターナイフを突立てて、手首から血が全て流れ出て、亜紀子の命もそこまでといふのでは、連載最終回でもない限りすぐに漫画家には困つた事になる──まあ話が終つては困るといふだけの話なのだが。

 いづれにせよ亜紀子は真夜中に再び目を覚ます。「な、なんだ、また血が止まつちゃつてる。せつかくかつこよくこの世とおさらばと思つたのに。」「かつこよく」といふ言葉に注目したい。亜紀子は、詰り作者酒井は、死ぬ時まで格好を気にする訳である。退廃の末の自殺だからである。「もう一度…だめだ、もう無理だよ、私にはできない。」「私…本当は初めから死ぬ気なんかなかつたんだ…。ただ…死ぬまねをしてみただけなんだ…。だつて本気なら今すぐにだつて死ねる。」亜紀子は孤独の内に在つて、自分が真剣でない事を理解する程真剣である。しかしそこには気取りがある。次の日友人に亜紀子は言ふ、「ホント、恥ずかしい。」この時の亜紀子は正直に言つた積りだらうか。所が暫くして、「悪友たち」の家に泊つた時の事、亜紀子は言ふのである。「私も落ち込んじゃつて死にたくなつちゃつてねー。自殺しよーなんて思つてここ切つたり…なんてバカな事しちゃつたしね。」人前で亜紀子は強がりを言ふ。一人では真剣になるにしても、人前では亜紀子は真剣さより「格好」を気にする。亜紀子のする事は全て「格好」の為、言ひ替へれば自分以上のものに自分を見せる為なのである。最終話で、亜紀子は年上の男性と、相手の事が好きでもないのに付合ふ。亜紀子のする事は皆、背伸びである。「でも、私、後悔なんかしてない。」「きつとこれからも私はいろんな失敗をするだろう…。泣いたり、苦しんだりするかもしれない。でも…絶対に後悔はしない。」酒井は、背伸びを肯定するのである。「格好」を付けるのを肯定する。照臭さを抱きながら。

 人は生きねばならぬ。人はただ生きる事は出来ない。人は必ずただ生きる以上の事を望むといふ事である。「なぜ頭をかかえているのでしょう。何故? 大声でわめかないのですか。」さて、アメリカ人の父と日本人の母の間に生れ、早くに父を亡くし、散々苦労した男がゐる。酒井の漫画の登場人物の中でまず第一に論ずべき人物、塚田州青である。この金髪で青い瞳を持つ日米の混血は、常に和服を身に纏ひ、日本画家として活動してゐる。この男は散々苦労し、「頭をかかえて」生きてきた。そして「わめかない」かはりに徹底して日本人らしい日本人として生きる事にした。過剰に「日本人」的である。日本人的な、余りに日本人的な州青は、純粋な日本人でないがゆゑに日本人らしく振舞ふ。「格好」付けであるかもしれぬ。しかしさうしないと彼は生きられなかつたのである。

 近作『その男ワガママにつき』の椿(宇野)誠もまた、亜紀子・州青の流れを組む人物である。といふより、少女漫画の中で際立つて面白い男である。このジキルとハイド顔負けの二重人格男は、生きる為に二つの仮面を被つてゐる。実直な高校教師としての宇野誠の顔、派手で過激な遊び人としての椿誠の顔──彼はこの二つの顔を持つのである。だが、私にはいづれも仮面に見える。遊び人・椿誠は遊び人過ぎる。実直な宇野誠は実直過ぎる。然るにその素顔は普通の、平凡な男である。仮面は素顔を隠す為のもの。問題は何故素顔を隠すかである。誠の祖父は実業界の大物である。その跡取りが誠である訳だが、それが嫌で誠は「ぐれた」のである。「遊び人」の姿が父に対する反抗であるならば、「実直な高校教師」は何か。母親に「金属バットで脅されて」なのださうだ。結局この男は両親に対する強烈なコンプレックスが有るのである。精神的抑圧への強烈な反発がこのとんでもなく「ワガママ」で二重人格な誠を作つたのである。

 酒井の漫画に登場する男性キャラクターは皆、かういふ複雑な「コンプレックス」を抱へた奴ばかりである。私はそれが悪いとは言はない。他の漫画家がかういふ描き方をしたらまず私は批判するが、酒井の描き方に批判すべき点は無い。酒井の男性登場人物は「コンプレックス」を抱込みながら、強烈な精神の力でそれを跳返し、異常に強い個性を持つ。誠も州青も、見上げた男である。特に誠といふ男は見事である。州青は誠に比べるとやや情けない。『初体験ボーイ源乃助』(作者自身すごいタイトルだと言つてゐる)で州青は「ひょうきんおじさん」になつてしまつてゐる。なかなかだらしない格好である。これに比べて誠は実に良い。徹頭徹尾自己中心的である。この男はいつたん陥つた退廃、デカダンを見事に乗越えてきた。州青は退廃を乗越えたが、「格好」付けは巧くない。しかし背伸びの「格好」付けも誠の様な所まで来ると、その人物の個性になつてしまふ。それも見事な個性である。恐らく他の漫画でこの誠に匹敵する様な強烈な個性の持ち主はゐないのでは無いか。

 背伸びはするものである。「格好」は付けるものである。確かに誠といふ人物は漫画の人物ではある。しかしながら「女性の敵」であらうと、二重人格であらうと、彼は生を謳歌してゐる。彼は自分の人生を全く肯定してゐる。彼は自分のする事を一切後悔しない。後悔する様に見えて、それは後悔では無い。飽くまで彼の後悔は、デモンストレーションである。「格好」付けにある。それは全く前向きだ。彼は一切後ろめたさを持たない。酒井の理想の人物像と言ふべきであらうか。この強烈な個性を生み出す酒井の顔には照れがある。しかし、その登場人物に照れは無い。強烈な登場人物を見る事も、また漫画を読む、文学作品を読む楽しみである。

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