公開
1999-01-13

真柴ひろみ・その2

 『Friends』は過去の真柴ひろみの作品の集大成的内容になつてゐてたいへん面白い。「その主題は『奈津子』『てぃーんず』の繰返しである。」かう以前私は書いた。それは間違ひではないが正確ではない。むしろ私は真柴の成長過程を追ひかけて論じるべきであつた。詰り真柴は、常に一定のサイクルで、新たな問題の提起を行ふ短篇と、その問題を深化させ他の問題と錯綜させた長篇とを交替して描いたからである。

 デビュー作「卒業記念」が(「デッサンが狂つてゐる」といふのは別として)上手に作られた少女漫画であるといふことを我々は認めるだらう。この作品のテーマは漠然と甘い恋愛である。だが我々は真柴の初期作品に、単純な形で真柴のその後の漫画にずつと現はれる重要なテーマを見出すだらう。すなはち、恋愛と現実は両立するか、といふ問題である。あるいは理想と現実と言つてもよい。「フィール・ハッピー」といふ甘たるい題名のごく初期の作品ですら、主人公が自分の幸福と祖母の幸福の間で悩む樣子を真柴は描いてゐる。少女漫画の「王道」である恋愛を主題にしてゐる真柴は、実に早い時期にその漫画家としての活動を通して取組むことになるテーマを見出してゐる。

 抽象的なテーマとして、現実と理想の対立をあげたが、真柴が描いた漫画には、さういふテーマはつねに具体的な問題として出現したことに注目すべきである。「教師が生徒に恋愛感情を抱くといふことはあるか」とは、よくある問題であるだけに、正面から取り組まれると照れくさい問題である。だが真柴はこの問題を初期作品「放課後NOTE」でまともに取り扱つてゐる。のちに真柴は「瞳いつぱいの涙」で再びそのテーマを扱つてゐる。ただそれが、すつきりといい話に終つた「放課後NOTE」に比べて、はなはだ複雜である一方でよりいつそう深化してゐるのである。むしろ「瞳いつぱいの涙」は姉妹の関係と恋愛のどちらが大切かを扱つた不思議な作品と言つてよいのであるが、それでもなほこの作品は、すべての騒動の出発点にこの教師と生徒の間の恋愛といふ「タブー」の問題があるといふ点で、「放課後NOTE」以上にこの問題が深刻なものとなつてゐる。ちなみに真柴に単純に「姉妹の関係と恋愛のどちらが大切か」といふ問題を扱つた短篇が、この「瞳いつぱいの涙」に先行してないといふ事実は例外的である。話が先に行きすぎた。

 真柴の初期と中期を分つのは短篇「友達以上恋人未満」である。これが「おさななじみ」と「三角関係」と失恋による「逃避」を明確に表はした真柴の意識的な作画活動の開始であつた。それ以前の作品はむしろ無意識的な、上手な作品を書かうといふ結果に成立したある意味安易な作品群であつた。「夏休みの経験」はさういふ安易な作画活動の結果としての失敗作であつた。安易とは、すなはち物語の偶然に頼つた展開を評していふのである。真柴はこの「友達以上恋人未満」以降、話作りを意識的に行ひ、問題意識を明確化したのである。

 中期の特徴を述べてしまはう。この時機の作品を見ると、理想的なもの──恋愛の簡単な成就──より、真柴は現実的なもの──恋愛成就の障害物──に関心を持つてゐる。この時機の主人公たちは意志をもつて行動してゐるとはいへず、現実に流されがち、運命に身をまかせがちである。あるいは自分が何を本気で成し遂げたいかを知らない。もつともこれが悪いとはいへないのであつて、青春時代にある主人公たちが自分の目的を明瞭に意識してゐることは現代的ではない。そのやうな時代の中にあつても、やはり真剣に生きずにはゐられないのが真柴の漫画の主人公である。あるいは真柴は、刹那主義の不可能を悟つてゐたのである。

 「奈津子」は、巧みに作られたストーリーであると同時に、死すべき運命の主人公・奈津子の刹那主義への覚悟にもかかはらず一人を不幸なままに残してしまふやりきれない結末を持ち、我々を不快にさせる。この悲劇を作者真柴ははつきり意識して描いたはずである。といふより真柴はここで奈津子に「感情移入」して描いてゐるやうである。奈津子は幸福に死んだとも思へないが、一方残された一人はどうするのか、あまりにあはれではないか。さらに一人のことを好いてゐる浩はどうするのか。読者の評判はどうであれ、「奈津子」は失敗作である。しかし真柴はこの失敗作を忘れなかつた。この、死すべき少女をめぐる、男一人女二人の三角関係は、「友達以上恋人未満」ですでに簡単に扱はれてゐるが、のちの「Friends」で変形したかたちであるがより深化したかたちで再び扱はれる。

 「奈津子」に続く作品が「硝子−クリスタル−白書」だが、これはやはり少女漫画でしばしばお目にかかる「養子」をテーマにした話である。これは大して論ずべきものもない。いい話であるが──兄のことが好きだが諦めねばならないと思つてゐたら、自分が養女であることが分つて悩む必要はなくなつた──これは、むしろ安易な話である。我々が注意しておくべきは、この「悩む必要はなくなつた」といふ時に主人公は依然悩んでゐるといふことくらゐであらう。真柴は潔癖症である、といつて済ませる問題ではない。問題は、これほど潔癖に考へて出た結論でないかぎり、真柴がこの話でとりあげたテーマにとつては安易な解決である、といふことである。すなはち、「硝子−クリスタル−白書」は真柴の「潔癖症」といふより執拗な問題追求の姿勢がなければとても善い作品とはいへない、あるいは「硝子−クリスタル−白書」はそれにより善い作品になつたのである。

 この「硝子−クリスタル−白書」にあらはれた問題は、「養子」の問題だけではない。主人公(麻里子)・その兄(智)・兄の恋人(由美)・主人公に片思ひしてゐる少年(貢)の「四角関係」の問題もある。これは、麻里子・智・由美の三角関係と、麻里子・智・貢の三角関係に分離できる。このパターンもここでは真柴の漫画でははじめてであるが、以後しつこいやうに繰返される。ただ、次の「てぃーんず」ではこの「四角関係」について、真柴の問題意識からは後退してゐるといつてよい。「てぃーんず」は真柴のノスタルジックな描き方が好ましいが、二巻巻末のおまけのページが余計である。この話が終つた後どうなるかなどには、読者の興味はない。続く「瞳いつぱいの涙」は「1」で分析したのでここでは触れない。私は今でもこの作品が真柴の漫画で一番よくできたものだと思ふ。(欠点──といふか疑問もある、猫に名前をつけても覚えるものなのか?)

 そして私は、「アイツ」以降(厳密には「月夜のうさぎたち」以降)を後期作品に分類する。後期作品を私はそれほど高く評価しない。中期作品に比べ、後期作品にはいづれにも重大な欠陥があるからである。すなはち、問題がこの頃から個人的なものからそれ以上のものになつていく。「アイツ」は扱ふ問題はまだましな方で、男の方が年下で女が年上といふ、少女漫画用語では「年下の恋人」といふ(?)ものである。主人公の男(弘志)女(綾)二人が納得するのは比較的早いが、それが綾の父親になかなか理解してもらへないといふのが、この作品の後半のテーマである。これはこれで「テーマ的には」悪くないが、父親に納得してもらふところの物語としての手続きに問題がある。年下の弘志の将来の夢がサッカー選手になることだといふので綾の父親は二人の仲を認めないのだが、あたりまへである。その父親が、弘志の真剣にサッカーをしてゐるところを見て二人の仲を認めるといふのは安直である。

 この頃から真柴は、男の方に将来の夢(それもスポーツ選手だとか歌手だとかの安易なもの)を持たせるやうになる。現実と理想の対立、と先に書いたが、「理想」の実現に真柴は躍起になりはじめる。たしかに先ほど私は、真柴の描く現代的な若者は理想もなにもなくて、ただ真剣に生きてゐるだけだと書いた。真柴はそれに我慢がならなくてこの「アイツ」以下後期の諸作品で、理想を追ひ求めて現実を見ない若者を描くやうになつた。「1」ではこのことを別の言葉で言つたのである。そして少なくともその欠陥も指摘した。すなはち真柴の後期作品では、現実を無視した理想主義の足元の弱さが、言ひかへれば現実に真剣に取つ組み合ふのを避けて己の才能を頼りに遊び半分のものへと逃避する情けなさが露呈されるのである。といふより、「アイツ」のテーマがしよせんは単なる「世代間の断絶」の問題にすぎないのである。

 これは「君だけに輝く」でも共通して当てはまる問題である。あるいはその二者間にはさまる「Girl」にも当てはまるし、のちの「Friends」にすら当てはまる問題である。要は「俺たち子供の言ふことなんか大人には分らないんだ」といふはなはだ子供つぽい主張を半分大人の連中がいふのである。(高校生を子供の仲間に入れたのは「ガンダム」世代の、あるいはそれを評論する、評論家である)「君だけに輝く」の欠陥はすでに「1」で述べたことである。

 もつともこの「君だけに輝く」には仕掛けがしてあつて、すなはち「大人の社会」に受けいれられない日向の音楽が、晶の父親の音楽と関連するのである。つまり大人に対する子供の抵抗と、音楽家(芸術家)の社会への抵抗とが平行するのである。しかし逆にこれはこの作品のテーマにおける不徹底を表はすものである。この「君だけに輝く」においてとりあげられた問題は、日向の母が晶の「父の再婚相手だつた」といふ現実的な問題と、日向が歌手になるといふ浮ついた問題と、この二つが中心である。要するに、組み合はせるべき問題ではない複数の問題を組み合はせて物語を作つてしまつたことに、「君だけに輝く」の失敗の原因はあつたのである。

 この前作「Girl」については、「1」で少し述べた。しかしこの作品も安易さがみられる作品であることに変はりはない。(未完)

参考資料

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