公開
1998-12-13

吸血姫美夕

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OVA版美夕は1997年再リリースされるとき「伝説」といふ売文句がついたが、1988年リリースの時点ですでに名作といふ評価は定着してゐた。当時、私は中学生で、オリジナル・ヴィデオなどには到底、手が出なかつたから見たこともなかつた。どこで美夕の名前をきいたのか、わからないのだが、一度見てみたいとは思つてゐた。

1997年秋、テレビ東京深夜枠で、唐突に『吸血姫美夕』が復活した。「深夜アニメ」といふものが一般化しはじめた初期の作品といふことになる──が、最初からOVAの焼き直しを行ふのは企画が不足してゐる証しで、いづれ「深夜アニメ」は不振となることがわかりきつてゐた。

私は毎回リアルタイムにTV版『美夕』を見、「次回もよろしく」といふエンドテロップを見て次回に期待を寄せる、といふパターンを半年間繰返した。これだけのめりこんで見たアニメはその時までなかつた──にもかかはらず、TV版『美夕』は失敗作であつたと断言する。

OVA版は、低価格再リリースされたので見た。懐かしい京都駅が冒頭に現はれるなど、古びてゐるところもあるし、欠点もあるが、今でも面白く観られる。しかし、名作アニメーションのリメークに名作なし。TV版『美夕』も例外ではなかつた。

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OVA版『美夕』は、監督・平野俊貴、キャラクターデザイン・垣野内成美、モンスターデザイン・森木靖泰、脚本・会川昇ら各氏の合作である。

美夕、一三子、ラヴァらのキャラクターデザインは、単にそれぞれ垣野内、平野、森木各氏が個人でデザインしたものとは言へない。美夕は比較的、垣野内氏つぽさがある。しかし一三子は、会川原案では男の霊媒師であり、それを平野監督が女に変更した。ラヴァなど、コンセプトは平野監督、仮面デザインは森木氏、素顔に至つてはパロディ同人誌? が「オリジナル」である──平野監督はラヴァの中身は空つぽだと考へてゐたのだが、ファンの間に「ラヴァ美形説」が蔓延したため設定を変更したといふ。物語そのものも、会川氏の脚本を基に、絵コンテで垣野内氏・平野監督がかなりの変更を行つてゐるのだから、合作といへる。

アニメーションが傑作になる条件として「スタッフの個性が殺されずに完全に発揮され、その上で普遍性を獲得してゐる」ことが必要なのだが、OVA版『美夕』の場合それに当てはまる。この場合、個性は長所と言ひ換へてもよい。『美夕』の各スタッフは欠点が多い者もゐるが、『美夕』に限つて長所が現れてゐる。

特に平野監督・会川氏の脚本のコンビは、『美夕』の前後に数本OVAを制作してゐるが、ことごとく構成が甘く不出来である。『破邪大星ダンガイオー』『大魔獣激闘 鋼の鬼』『冥王計画ゼオライマー』はいづれも、ロボットが格好いい一方で、話の展開がやたらと乱暴だつた。しかし『美夕』に限つては、肝心の台詞を省略して視聴者に想像して貰ふといふ無意識の手抜きをしたのを除いては、各話ともそれぞれよく纏まつてゐる上に全体を通じてストーリーの一貫性をもつてゐた。

美夕自身を中心に描くのでなく、一三子といふ狂言まはしを用意したのは弱点でもあるが、かへつて美夕といふキャラクターの存在感を強調した。平野監督自身は、一三子の──人間側の恐怖を描きたい、と述べたが、実際には一三子のキャラクターが弱すぎて、彼女の恐怖など気にならない。一三子はいかにもAICアニメーション作品の典型的な成人女性キャラクターである。しかし一三子の存在感のなさに比べて、むやみに印象的な美夕は視聴者の印象に強く残る。

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OVAと平行して連載されたコミック版『吸血姫美夕』(垣野内成美著・秋田書店)は、アニメーションの背後にあつた雰囲気を紙面に移植したもので、かつて人間であつた美夕がヴァンパイアとして生きる? 悲哀と虚無感を強調したものであつた。OVA版との重大な差異として、「封印」の設定がない、といふことになつてゐるが、より簡単にいへば主人公・美夕がより「自由に」動けるやうになつてゐるのである。

この「美夕をより自由に動かす」といふのがその後メディアミックス展開していく上でのテーゼ(綱領)である。

続く『新吸血姫美夕』は平野俊貴氏プロデュースで、アクション性を強調した作品とされる。平野氏は、自由きままに生きてゐる美夕にお仕置きしたかつたと語つてゐる。実際には平野氏自身のコミック『真弾劾凰聖伝DOLL』と類似し、「お約束」のキャラクターと「お約束の」展開しかない、凡庸な作品である。『新』は読まない方がいい、とまでいはれる程ファンの間では評判が悪い。

OVAに比べればアクション性はたしかに強い──割切つて読むとそこそこ楽しめるのも事実である。だが、美夕の魅力は引き出されず、ゆゑに面白くない──アニメファンの符丁でいへば「物語の深み」が感じられないのである。登場人物の描き方が類型的で、喰ひ足りないのである。作品のストーリーとは別に、キャラクターそのものへの興味が湧かないのである。『美夕』といふ作品にファンが抱いた関心は、ストーリーそのものへの関心ではなく、キャラクターそのものへの関心であつた。

さういふ意味では、逆にOVA版『美夕』の魅力もまた、美夕本人の魅力に多くを負つてゐるといへよう。平野氏はコミック版でアニメーション版との違ひについて、キャラクターは「俳優」と同じで、さまざまな舞台で役を演じてゐると語つた。それはそれで『美夕』の魅力を把握してはゐる。しかし、物語としての一貫性を抛棄してゐるのだからこれは手抜きであるのだが、平野氏はそれに気づいてゐない。

(CDドラマ・西洋神魔篇は、聴いてゐないので論じない。ストーリーは『新吸血姫美夕』と同じかと思はれるが、ならば同じ弱点があると予想する)

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さて、久々に復活したTV版『美夕』であつたが、それ単体で判断しても駄作だつた。「勘違ひしてゐる」と思はざるをえない点が多かつた。美夕は自由に動けるやうになつたはずなのに、返つて生きるのに疲れてしまつた──悟りきつた、といふより諦めきつた台詞にファンはがつかりした。人が死んでも冷たいのである。いかにも平野監督ごのみのロリコンキャラ・冷羽は、私は個人的に嫌ひなのだが、美夕と対照的に積極的に人間を憎むために逆にファンには好意的に受入れられた。

ヴィデオでリリースされる「完全版」──「インテグラルヴァージョン」にのみ収録される「ポケモン規制」にひつかかつたTV未放映の第2話は、やはり駄作で、無意味に人を殺してゐる。しかも、これがストーリー全体の伏線を大量に抱へた回であつたといふのも問題であつた──といふより、現在この話を全体の中に組込んだところで、全体としてストーリーが一貫し、伏線が生かされることにならないのが問題なのである。

第2話で(本放送時、第3話アバンタイトルで)示される伏線は、シリーズのクライマックスで(といふより最終回の直前、まつたく突然に)効いてくる。しかし途中の回ではこの伏線を想起させる描写は少なかつたし、あつても伏線とはわからなかつた。「伏線」といふより、ただそれまでのエピソードをすべて無意味なものにしてしまふ「時限爆弾」でしかなかつた。

伏線とは、それまでの物語を全て無に帰せしめ、物語全体を崩壊させるためにあるのではない。物語を要所要所で再認識せしめ、味はひ尽させるために必要なのである。明かにその点、TV版スタッフは勘違ひしてゐる。(平野監督が思ひつきで早見氏が何気なく書いた描写を伏線にしたといふ)

しかしより問題なのは、あんな終り方では、美夕が哀れであるだけでなく、他の全てのキャラクターにとつて気の毒だ、といふことである。最終回は視点をひとつに絞ると意外に面白いのだが、総体的に見るならばアンバランスで殺伐としてゐる──美夕自身とホラーと、二つの魅力を得ようとして失敗してゐる。最終回に一気に千里の人間的魅力をなくして話をホラーに持ち込む一方、美夕の心理的内面描写により、美夕の哀れさを示さうとする。ホラーといふものはからりとしたもので、「哀れ」といふものは情に訴へるものである。このふたつは両立しないのだが、制作者もファンも理解しない。ファンは好意的にふたつを両立させようと心理的に合理化する。当然のことだが、制作者がファンの好意に縋るのはよくない。

結局──TVシリーズは、どこを評価すればよいのか、私にはわからない。いまでも美夕に魅力があるといふならば、それはあくまでOVA版の威光にすぎない。OVAで美夕は、あまりにも運命にがんじがらめに縛られた中で、それでも必死に人間らしさを忘れずに生きたから、生き生きとしたキャラクターだといふ印象が残つた。TVシリーズで、何をしてもよいといはれた美夕は、復讐の念に縛られた冷羽ほどの魅力を持たなかつた──皮肉な話である。

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元来『美夕』には欠陥があつて、「神魔」の設定があいまいである。妖怪よりは高級な存在──ださうだが、そんなありもしない「存在」を考案するのは難しい。OVA版では4話しかなかつたから神魔をたくさん作る必要がなくてよかつた、あるいはただひとり爛佳がゐればよかつた。しかしTVシリーズでは半年間全25話で、基本的に一話完結だが前後篇の例外があつて、20匹強の神魔を作る必要があつた。デザイン担当が森木氏から寺岡賢司氏になつて雰囲気が変はり、品のよさがなくなつてファンに不評だつたが、実際にはあんなたくさん神魔を作るのはたいへんだから寺岡さんには気の毒ともいへる──とはいへ面白い神魔が登場しなかつたことはTVシリーズの弱点である。敵の神魔が詰らなければ、それを相手にする美夕の印象も悪くなる。シリーズ後半が比較的面白いのは、比較的面白い敵──冷羽と美夕が直接対決するからである。

ただし、人魚の出てきた回と「鱗翅の蠱惑」の回は出来がよい。前者の絵コンテは大地丙太郎氏、後者の脚本は小中千昭氏である。制作者が愛情や意欲をもつて作つてゐると、よい作品ができる。平野監督は、OVAを作つた時点で『美夕』のことはどうでもよくなつてゐるので、OVA以降、平野氏の愛情が見られる『美夕』関連作品はない。

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ちなみにOVA『美夕』の『FILM COLLECTION』(秋田書店)はよく出来たダイジェストで、高級感のある造本と、あらすじ、画像クリップとその解説が適切に配置されてゐた──編集者が純粋に『美夕』を好きだつたに違ひない。編集協力者として、TV版のシリーズ構成を担当した早見祐司氏の名がある。早見氏は、一度お会ひしたことがあるが、たいへん人のよささうな人物である。しかし小説などは野暮つたいものが多い。センスを要求される『美夕』を作るスタッフとしては不適任だつたやうに思ふ。

TVシリーズの『フィルムストーリー』の出来は悪い。第1巻しか出てゐないが、やはり不評だつたからだらう。あんなに読者に媚びるやうな、べたべたのフォントの説明文と、わかりづらい画面クリップの配置ではどうしようもない。品がない。売らんかな、の意図があまりに露骨である一方で、デザイナーのセンスが疑はれる。それあ、オリジナルのストーリーも駄目なのだから本にする方も嫌だつたらうが、本だけでもよいものにしようとか誰か考へないのか。

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音楽に関しては、OVAよりもTV版の方がよい。OVAのエンディングテーマ曲に歌詞をつけたバージョンがサントラに入つてをり、一部のファンに評判が悪いが、それほど悪いものではない。あのくらゐ豪華にできれば、OVAの音楽はよりよかつたのである──シンセサイザだけでは寂しい。OVA版ではシンセサイザしか使へず、川合憲次氏も不満があつたのではないか。

神魔が正体をあらはす場面で、効果音とともに汚い文字で神魔の名前が出る演出は──恐らくなにか昔のTV番組に範を求めたのだらうが──それほどいい演出でもない。そのあとしばしばアクションシーンがあるが短い。ただBGMがよい。アクションシーンだけは、OVAの方は品があるといふより間延びしたものであり、TV版の方がスピード感がある。ただ毎回、シーンが短すぎたりあつさりしすぎたりしてゐるので、多少不満は残る。

TV版サントラはCDの容量限界である74分をフルに使ひきつてゐるが、未収録曲もある。2枚組にしてもよかつた。挿入歌「まんまる手まり歌」のみ歌詞が悪いのでいまいちなのをのぞいて、そのほかの曲は全てよく出来てゐる。

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最後に、ラジオ日本で放送され、CDで発売されてゐるラジオドラマについて述べておく。

アクション的な面を強調した女道士が出てくる回だけちらと聴いたのだが、たいへんだらしがなかつた。効果音が終つて、説明的な台詞が入つて、また効果音……明かに話を追つてゐるだけの作りだつた。あるいは映像を思ひ浮べてもらふためにわざとやつてゐるのかもしれない。

しかし、一体何のためのラジオドラマなのだらう。音で物語を伝へるのならば、それ相応の工夫をすればよいのだが──明らかに制作者は、聴取者がすでにアニメーションで美夕を見聞きしてゐることを前提に、つまりラジオドラマだけ聴けば『美夕』を理解出来るのでなくてもよい、といふ心構へで作つてゐる。音だけで、独自に面白いものを作らうとかは考へてゐないのだ。明らかに本気ではない。CDのみの「スペシャルドラマ」は、冷羽が語る話には工夫が見られる。なぜか美夕が大東亜戦争時代のことを「嫌な時代だつたね」と評価するが、人間界のことには興味がなかつたはずではないか、と違和感を感じた。

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