公開
2000-05-27

「少女革命ウテナ」について・2

「少女革命ウテナ」は、「生徒會篇」「黒薔薇篇」「暁生篇」により構成されてゐます。


この作品が「演劇的」と言はれるのは、J.A.シーザー氏が關つてゐるとか、コスチュームが寶塚的であつたりするとか、さう云ふところに理由があるのではありません。作り物めいた設定にあるのでもありません。ただ單に、エヴァと一緒で、映像の使ひ囘しが多用されてゐるところにあるのであります。

決鬪廣場の門、螺旋階段、絶對運命默示録、決鬪、鐘、城。これらはスペクタクルとしての演出效果もあげてゐますが、繰返し登場する事で、より印象深いものとなつてゐます。

生徒會室(?)に登るエレヴェータ、生徒會室での會話、ここにも執拗なまでの繰返しが見られます。そしてそれらの繰返しが鳴りを潜めたかと思へば、最終囘で再び繰返しが行はれる。

「黒薔薇篇」を挾んで、「生徒會篇」と「暁生篇」が存在する、と云ふ對稱的な構成も、全體の印象を強調するのに役立つてゐます。

「カシラ星人」の影繪や、「昔、あるところに……」と云ふ昔語りも、ストーリーのポイントを強調し、印象を強めてゐます。


だが、さう云ふ露骨な繰返し、強調に滿ちた「ウテナ」に於て、暁生とアンシーの關係が示唆の域を出ず、あからさまに繰返されてゐない所に、重大な弱點がある。もちろん、夕方6時代のアニメとして、描き切れない内容であるのは承知の上で文句を言ひます。

アンシーは「ウテナ」に於て、「薔薇の花嫁」と呼ばれてゐたものの、所詮ただの謎でしかありません。「生徒會篇」ではそれなりの存在感はあつたものの、「暁生篇」では全く存在感を失つてゐます。

「暁生篇」で、暁生とアンシーのキャラクターは重なつてしまつてゐます。或は、暁生とウテナとアンシーの三角關係がある譯ですが、暁生とウテナの強烈な個性の前に、個性のないアンシーは存在感を失つてゐます。

「ウテナ」に於ては、アンシーだけがイレギュラーであり、物語の要にあるべき存在であるにもかかはらず、演出の上では非常に輕視・冷遇されてゐます。その爲に、結末でウテナを裏切り、さらに暁生をも裏切るアンシーの行動は、とつてつけたやうなものにしか見えない。言ひ方を變へれば、「ウテナ」の結末でアンシーをクローズアップしたのは、大失敗であつたと云ふ事であります。


「ウテナ」に關しては、樣々な解釋がなされてゐますが、さう云ふ事には興味がありません。テーマは單純ですし、それは既に述べました。ただ、ウテナを中心に廻つてゐた筈のストーリーが、結末で唐突に暁生の話となり、擧句その暁生を裏切るアンシーの話となつてしまつた所に缺陷がある──終盤になつて、話が迷走したやうな印象が殘つてしまつた、そこに私は不滿を覺えます。

もつとはつきり言ふと、エヴァと一緒で、視聽者が樣々な解釋をしなければならないやうにわざと話を曖昧にして、スタッフは逃げてゐるのです。「ウテナ」に於ては、舞臺裝置にしても、設定にしても、曖昧ですが、それは手拔きにほかならない。鑑賞者が納得出來ない、或は理解出來ない作品は、制作者も納得してゐないし理解してゐません。

「ウテナ」の結末は、「エヴァ」の結末並に、私にとつては「氣持ち惡い」ものでした。


昨今の「狐と狸の化かしあひ」的なストーリーは嫌ひです。何とかならないものでせうか。アニメ制作者は、もつと直球勝負をして欲しいと思ひます。

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